第22話
それまでの騒ぎが嘘のように静まりかえっていた。
場をわきまえない酔っ払いの浮ついた笑い声がむなしく響いて、消えた。
俺は剣を握ろうとして、何一つ武器を身につけていないことを思い出した。
男の後ろに控えているのは完全武装をした“幽霊”だ。俺は無意識のうちに数を数えて、どうやったら勝てるかを考えていた。
一人、喜んでいたリースも、背後の空気を読んで、抱擁を解いて一歩下がる。
「兄さん、後の、人は・・・」
「ああ、これか。これは俺の武装みたいなものだ」男はリースをそっと脇に寄せると前に一歩出た。「みんな、どうしたんだ。俺にかまわず、楽しく祭りを楽しんでくれよ」
彼は大きく手を開いて、敵意がないことを示す。
俺は初めてこの村に着たときのことを思い出した。あのとき俺に向けられていたのも同じような感情だった。恐れ、敵意、拒否。
彼らが俺たちを恐れた気持ちが今はわかる。闇の中に黙って立っている“幽霊”達は不気味だった。10人以上いるというのに、数を感じさせない。皆、一様に無表情で笑顔を浮かべているものなど一人もいなかった。
「お帰りなさい、ナルサム」
ディーが腕を前で握りしめたまま前に進み出た。後ろをぴたりとキーツがついていく。彼はちらりとこちらを見てそこにとどまるように眼で合図をした。
「同じマフィの村の出として、喜びを持ってあなたを迎えるわ。精霊の祝福があなたにあらんことを」
ディーはよく通る声で挨拶をした。
村の人の冷たい対応に緊張していたナルサムがふっと肩の力を抜いて、笑顔を見せた。
「でも、ナルサム。その挨拶はあなたに対してだけのもの。あなたの後ろにいる“幽霊”は違うわ」しかし、すかさずディーは堅い口調を崩さずに釘を刺す。「あなたは歓迎しましょう。でも、彼らを村に入れるわけにはいかない。彼らを村の外に下げてちょうだい、ナルサム。そのあとに祭りをともに祝いましょう」
おいおいというふうに、ナルサムの笑顔が大きくなった。
「ディー、だよな。おまえ。アルトフィデスの司祭になったのか。それはおめでとう。おまえ、まさか、これのことを気にしているのか? これはただの道具だよ。俺の剣だ。村の人間が自分の剣を持ってはいるのは別に問題ないだろう?」
ディーは首を振った。
「ナルサム、それは道具ではないわ。“幽霊”よ。“幽霊”は祭りには参加できないわ。死者は死者の居場所へ。彼らを村の外へ連れて行ってちょうだい。歓迎の杯を交わすのはそれからよ」
ナルサムの笑顔が消えた。
「ディー、これはただの道具だといっただろう。“幽霊”だとか、死者だとか、そんなたいそうな物じゃない。クリアテスの村では普通にこれを置いてくれていたのに」
「クリアテス派はそうかもしれない。でも、わたしたちはそうはとらえていない。それは死者よ。死者を祭りに参加させるわけにはいかないわ」
「おいおい、なんだよ。いくら、あんたがアルトフィデス派だからって、この扱いはないだろう。一緒に村で暮らしてきた仲じゃないか」ナルサムはディーにくってかかる。「それにこの村にもナンバーズはいると聞いたぞ。あんた達だってそいつらと一緒に暮らしてるんだろう。どうして俺のナンバーズだけ、村の外に出すんだ?」
俺は胃の腑を掴まれたような気がした。そう、俺たちもあの後ろのものと同じ“幽霊”なのだ。何も考えず、何も感じることなく、命令通りに動くただの人形。今はリースが監督官だから自由に振る舞っているが、もし仮に目の前の男が監督官だったら…俺もああして黙って立っていただろう。
いやだ。本能的にそう思った。あの状態に戻るのはいやだ。
「ナルサム、祭りには許されたものだけが入ることができる。精霊の導きのある者だけが。後ろの人達は精霊に認められていない。彼らを下げてちょうだい、話はそれからよ」
ナルサムは目をつり上げて何か言おうとした。
「兄さん」
リースが割って入る。彼女の、泣きそうな顔を見て、ナルサムは握りしめた拳を解いた。
「わかったよ。リース。わかった。ごめんな。邪魔をしてしまって」彼はそっと妹の髪をなでる。
「みんなにも悪かったよ。せっかくお楽しみのところを邪魔したな。おい、後ろを向いて前進、村の境界の外に出ろ」彼は忌々しそうに“幽霊”達に命令を下す。
「また、明日、来るから。そのときにな、リース」彼はすがろうとするリースを抱きしめて、それからそっとこちらへ押しやった。
ナルサムと彼の軍隊の姿が闇に消えてからそれまで息を呑んでこちらのやりとりを見ていた村人ががやがやと広場に戻っていった。しばらくして何事もなかったかのように音楽が再開され、祭りは活気を取り戻した。
「リース」俺は、道にぽつんと立ち尽くしている少女にそっと声をかけた。
「うん、シーナ。わたしは大丈夫」
「向こうに行こう。みんなが待っている」俺は彼女の肩に手をかけた。
「うん。なんだかね。兄さんが帰ってきて、すごくうれしいはずなのに、なんだろう。あたし」
リースは肩をふるわせた。
次の日、俺はこっそりと丘の上から“幽霊”達を観察していた。
彼らは俺達のように天幕を村の外に張ってそこをねぐらにしていた。天幕を警備する兵が何体かいるだけで、他の兵は皆天幕で休んでいるようだった。“自由行動”という暇な時間を過ごしているに違いない。
俺達と違うところは、彼らが騎兵種だということだ。彼らの馬は、天幕の外に作った簡易の柵につながれていた。馬もまた、俺が世話をしている馬たちのように動いたり暴れたりすることもなく置物のようにつながれている。
あれも“幽霊”なのだろうか。
俺達と一緒にいた騎兵種は、普通の馬に乗っていた。馬だけは普通だったから、その世話や訓練がとても大変そうだったのを覚えている。ナンバーズは基本戦闘と訓練しかしていなかったから、何人もの人間が馬の世話をしていた。だから、騎兵種の周りだけはいつも賑やかだった。
それが、どうだろう。今は誰も人がついている気配すらしない。彼らは、ついに、馬まで召喚するようになったのだろうか。
俺はこっそりと天幕に近づいてみた。
ここまで近づくと、普通の馬ならば俺の気配に気がついても良さそうなものだが、ここにいる馬たちはぴくりとも動かなかった。
ゴローが狩りをするときのやり方をまねて風下からじわじわと近づく。
ぽん。
肩をたたかれて、俺は飛び上がった。
「シーナ、あんた、不合格な」キーツがにやっと笑った。「それで、潜んでいるつもりなのか。気配がダダ漏れだ」
彼は俺を物陰に引っ張る。
「悪かったなぁ」俺は、キーツをにらむ。
「いや、姿が見えないからどこに行ったのかと思ってね。大方こんなことをしているんじゃないかと思っていたよ」
「俺はただ、いつもの見回りをしているだけだ。いつものな」
そう、俺は日課をしている。俺はそう言い聞かせてここにやってきている。まだ残っている縛りの影響だろう。日課はこなさないとなんとなく気分が悪いのだ。本当は、こんな村はずれをまわる道筋ではないのだけれど、今は緊急事態だ。
「しかし、えらく静かだな」キーツは木の間から天幕を伺う。「あいつら、何をやっているんだろう。こっちに気がついても、よさそうなものなんだけどな」
おまえががたがたするから、言外にそういわれて俺はむっとする。
「気がついていても何も言わないさ。そう報告しろとかいわれていないから、何もできないんだよ」
「へぇ、そんなものか?」
「そんなものだろ」
「ナンバーズというのはそんなに融通が利かないんだ」キーツは静かな天幕をすかし見る。「ちょっと、試してみるか」
「お、おい、キーツ」
キーツはすたすたとナンバーズの天幕に向かって歩き出した。彼は“幽霊馬”の側まで行くと、馬をじっと観察する。しばらくしてから、手を伸ばして馬に触れたり首をたたいたりかなり無茶な真似をするので、俺は焦った。
「おーい、シーナ」彼は大胆にも俺を手招きする。俺は渋々辺りをうかがいながら馬に近づいた。
「こいつら、本当に置物みたいだ。馬なのだろうか? これは」
俺は馬に恐る恐る触れてみた。普通に暖かい。生き物の暖かさだった。でも、何かが足りない気がする。俺は手を引っ込めた。
「変だな。何が変だかわからないけれど…」
これは生き物なのだろうか? 俺もキーツと同じ疑問を抱く。普通の馬ならば、もぐもぐと草を食べたり、ごろごろしたり、いろいろな動きをするはずなのだ。動かないということはあり得ない。
一応、簡易式の飼い葉桶も置いてあるので中を覗いてみた。中には乾草が入れてあった。見たこともない葉だ。俺は草を取ってにおいをかいだ。とてもなじみのある香りがした。
「これ、俺達の“糧食”だ」
「“糧食”?」キーツも葉をとってにおいをかいで、一口かじってみる。
「うへぇ」彼は顔をしかめて草をはき出した。「なんだ、これは。肥だめの中身みたいな味がする。あれか、あの、変な入れ物に入っていた水みたいなやつか」
「そう。あの、ゲロみたいなやつ」
前はあれしか与えられていなかったから仕方なく飲んでいた。普通の食事を口にしてからはあれを飲んでいない。二度と口にしたくない代物だった。
「おまえ達、馬と同じものを食べていたのか」キーツは口の中のつばを吐いて口をぬぐった。「みたいだな。でも、この草…」
「見たことないな。神殿で調べてもらおう」
キーツは草を飼い葉桶から取ると丁寧に布にくるんで懐に入れる。
「よし、ついでだ。天幕の中も見てみよう」
キーツは大胆にも天幕のほうに近づいた。
「おいおい、それはさすがにまずいのでは」
そうはいうものの、ここまで来たらなんとやら、俺の好奇心も罪悪感に勝る。俺はそっと天幕の入り口を開けた。
「あ」中にいたやつと目があった。しばらく見合ってから、俺はそっと天幕の入り口を閉めた。
「どうした? 何かいたのか?」
「ああ、予想通りだった」
ここに来る前の俺達と同じようにナンバーズ達はおとなしく“自由時間”を過ごしていた。要するに何もせずに宙を見つめていたということだ。
キーツも同じように天幕の中を覗いてみて、しばらくして同じようにそっと入り口を閉めた。
「なんだかな…ナンバーズというのはああいうものなのか」
「そうだな。だいたいあんな感じだ」
「暇じゃぁないのか?」
「ものすごく、暇だな」
俺達は次々と天幕を覗いてみた。どこにもナンバーズ達が詰め込まれていて、同じように待機していた。
「馬の数からして20人くらいかと思ったが、30人近くいるな」キーツが指で数を数えている。
「たぶん、30人の騎兵種と、あとは護衛なのだと思う。本来の編成だともっとたくさんのナンバーズがいるはずなのだけれど、少ないな」
俺達は最後に一つだけ離れたところに立てられていた天幕にたどり着いた。
「ここは?」
「ああ、監督官の天幕らしいな。一つだけ、ちょっと立派な…」
俺は言いかけて、体をひねった。危ないところだった。今まで俺の首があったたりを白い刃が通り過ぎていく。二撃目は剣を抜いてはじいた。そのまま体を転がして間合いを開ける。
気配はなかった。殺気もない。ただ剣が正確に俺の急所を狙ってくる。
「シーナ、逃げるぞ」
キーツに声をかけられるまでもない。俺は後ろも見ずに逃げ出した。
しばらくは追いかけてくる音がしていたが、天幕を離れると音が消えた。
「ああ、驚いた」村の門をくぐり抜けてから俺達はようやく足を止めた。
振り返ってみると、護衛達は先ほどと同じ場所に立っていた。
「なんなんだよ。それまで何もしてこなかったくせに。問答無用かよ」キーツがぶつぶついいながら服についた泥を払う。
「たぶん、監督官の天幕だったからだな。あいつらは監督官の天幕を守れ、といわれてたんだよ」
「自分たちのところは覗かれてもいいのか? まったく、いきなり斬りかかってきて、死ぬかと思った」キーツはもう一度振り返って護衛官達のほうに小さく拳を振り上げた。
「あいつら、俺達のことを報告するかな?」
「報告しろといわれていれば、ね。でも、たぶん何もしないと思う。そうしろといわれていないことはやらない」
「ふーん」
俺達は村の広場に引き返した。
リースの家に近づくと、ゴローが外で子供達と遊んでいた。
「シーナ、今、リース、お兄さんと話してる。俺達、外で、待つ」
ゴローは俺が家に入ろうとするとそれを止めた。
「あの監督官野郎が中にいるのか。リースちゃんと…」キーツが扉の向こうをうかがう。
「俺達も外で待つぞ」そういって俺はキーツの袖を引っ張って裏へ回る。
「おい、シーナ…どこへ」
俺はキーツを裏の物置に引っ張っていく。
「ここから二階に這い上がれる。俺達は“部屋の”外で待っていればいいんだろ。二階の部屋で待っていようぜ」
キーツは俺の顔をまじまじと見つめた。
「シーナ、おまえ、天才だな」




