第14話
アルトフィデスの騎士団がやってきたのは、それから二三日してからだった。
留守を守っていた連中とあわせるとかなりの人数だ。
それまで俺たちが使っていた練兵場は彼らに占拠され、俺たちは神殿の外の小さな広場のようなところで訓練を続けていた。
今、俺はヤス神官から精霊の扱いを学んでいる。
基本的な知識があるらしい、サクヤやゴローと違って、俺は精霊について何一つ知らない。俺がふわふわの玉を見ていることに気がついた神官は俺にその扱い方を教えようとしている。
「いいですか。ほとんどの人が精霊を見ることはできますけれど、あなたのようにいつも見えている人は少ないのです」
彼は大聖堂の中に俺を招き入れて、そこで訓練をしていた。
彼はたくさん浮いている玉を一つ手にとって俺に渡す。
俺はそれを受け取ると、玉はぴくぴくと跳ねた。
「それを、わたしに返してください」
俺はそおっとそれをヤスの手のひらに戻す。光の球はしばらく手のひらにとどまっていたが、またふわりと浮かび上がって消えた。
「このふわふわにそんな力があるとは思えないな」俺は、光の球を手のひらでぽんぽんと上に投げながらいう。「だって、これはそれこそどこにでもあるものだろ」
「だから、大切なんです」ヤス神官は俺の不敬な言葉に眉をひそめる。「どこにでもある、この世に満ちあふれている力だからこそ大切なんですよ。いいですか、精霊に力はわたしたちの命の力でもあります。わたしたちの命は精霊を通して大いなる神から与えられたものなのです。精霊の力が弱くなれば、命の力も落ちます。豊かな畑は荒れ地に変わり、水は涸れ果て、木は枯れます。精霊の力がなければこの世は命の宿らない砂の土地に変わるといわれています」
「へぇ」
「へぇ、じゃありません。大切なことなんです。あなたのいたところでは・・・」言いかけてヤスは話題を変える。「ともかく、彼らを自在に操るために呪は生まれました。こうして、彼らを動かせるというのが基本なんです。まずは基本から」
「基本に忠実に、ってのが、あんたの持論だったよな。神官サマ」
鎧の音をかちゃかちゃいわせながら、大きな人影が後ろから近づいていた。
俺よりも頭一つは大きい、大男だ。
いや、大女だった。鎧に胸がついている、よ。たぶん、女の人かな?
「あんたの話は長くて退屈なんだよ、ヤス。その子なのかい? ものになりそうな男っていうのは。アタシがばっちり実戦で鍛えてやるよ」
この女は怖い。本能がそう告げた。そもそもこの人を女性としてとらえるのには無理があるような気がする。目の前にいるのは巨大な女型猿人だった。俺よりも太い腕、むき出しになっている丸太のような太ももには筋肉が浮き出している。
女の人にはあまり筋肉がつかないはずではなかっただろうか? もっと柔らかく、しなやかな体のはず。
彼女は美形といってもいい顔立ちはしていた。ただ、美男子といったほうがふさわしい。精悍ないかつい戦士の風貌だ。眼光は鋭く、らんらんと目を光らせて俺のことを観察している。神官達が俺達を見る目も怖いが、この人の視線も別の意味で怖い。
「これからはあたしが訓練を受け持つよ」彼女は宣言した。
訓練を遠慮申し上げます、といっても相手はやる気満々のようだ。
「あー、シーナ君。彼女は、エルカル・エル・ソリアーノ。アルトフィデス王国の聖騎士だ」
「エルカって呼んでくれ」
彼女はバンと俺の肩をたたいた。肩が外れるかと思った。
「あんた、細いねぇ。ちゃんと食ってるのかい? ヤス、あんた、ちゃんと面倒を見てやってるんだろうねぇ。あんたみたいなもやし騎士は一人だけで充分なんだからね」
女?はがはがはと、大口を開けて笑うと、俺の首をつかんで聖堂を出て行く。
助けて、ヤス神官。俺が血走った目を向けると、ヤス神官は力なく手を振り返した。
なんで俺がこんなことに。
彼女の訓練は過酷だった。
「おりゃ、おりゃ、おりゃ、脇が甘いんだよ」
彼女が使うのは稽古用の剣ですらない。箒だ。一応俺を殺さないように配慮しての武器らしい。そりゃそうだ。この勢いでたたきつけられたら、木剣でも死ぬ。俺はもう百回は死んでいる。
「シーナ、てめえ、○玉がついてるのか。いっそのこと××してやろうか」
周りで同じ騎士仲間らしき連中が笑ってみている。
「姐さん、新しいおもちゃを手に入れたのか」
「おいおい、エルカ、そいつを食う前に殺すなよ」
人形の次はおもちゃか。なんで俺がこんな目に遭うんだ? 端のほうでリーズとサクヤが弓の練習をしているのが見えた。彼女たちは、俺がすがるように見つめていることを無視をした。
ひどいよ、サクヤ、仲間だろう。キーツと傭兵仲間も俺のことを見なかったふりをしてどこかへ行ってしまう。
これならヤス神官の退屈な聖霊講座のほうが千倍もましだ。
「助けてくれ」夕方連れ出された居酒屋で俺はキーツやルソに助けを求めた。
「俺をあの女の元から連れ出してくれ」
「そ、それは・・・・・・」同じような筋肉だるま仲間のルソが首を振った。
「大丈夫だ。シーナ。君は彼女に気に入られたようだ」キーツは優しく俺の肩をたたいた。「あの女、気に入らない男は八つ裂きにするって噂だから」
「八つ裂き・・・・・・」
できるだろう、やりかねない。怖い、怖いよ。彼女とはもう二度と会いたくないよ。
「神殿の精霊騎士に稽古をつけてもらうなんて機会は滅多にないぞ。まぁ、俺は死んでもごめんだけどな」ルソさん、なんだか最後に不穏な言葉を口にしませんでしたか?
「体がつらいのなら、治療師のところへ行くといいぞ。ここの治療師は優秀だからな」
治療師の先生も俺の心の痛みまでは癒やしてくれなかった。ボロボロになっている俺を助けてくれるものは誰もいなかった。
そうこうしているうちに討伐が始まる。
「それでは、明日からの討伐についての説明をします」
結局俺たち以外クリアテスからの参加者はいなかったので、俺たちは神殿の傭兵たちと組むことになった。
俺は一番隅で聞くともなく話を聞いていた。体がつらい。打ち身が痛い。
「ちょっと、シーナ。ちゃんと話を聞いていた?」
「……」明らかに頭が明後日の方向に飛んでいた俺の様子にリースははぁと息を吐く。
「あたしたち、キーツやルソさんと一緒の班だから。二人とも腕利きなのだそうだから、足を引っ張らないようにするのよ。それから、この方も一緒なんだって」
見たくなくても見えてしまう。エルカ姐さんの巨体がリースの後ろにそびえたっていた。
「ははははは、頼むよ。童貞」
俺は陸にあげられた魚のような気分になった。
「昨日も再三注意したが、クリアテス領に入るのは厳禁だ」
次の朝、隊を率いることになっているキーツが俺たちに念を押した。
「川向うは今クリアテス派の連中の縄張りになっている。神殿はあちらともめたくないんだ」
「あたしたちが住んでいるのは、あちら側なのに…あちらの討伐ができないなんて」
リースが下を向いてこぼした。
「リースちゃん、君の故郷を大切に思う気持ちはよくわかるよ」ここぞとばかりにキーツが色男ぶりを発揮する。「でもね、一応アルトフィデスとクリアテスは友好を結んでいることになっているからね。騎士団なんか出ていった日には喧嘩になるだろ」
「それはそうだけど」
リースは不満そうだ。この前村の近くに魔獣が出たばかりなのだ。気にならないといったら嘘だろう。
魔獣が潜んでいるといわれているコサの森は豊かだった。あまり大きな森のない対岸とは対照的に、昼でも薄暗いほど木が密集しておりその分探索も難しい。探索専門の兵や遠見の力を持つ神官たちが力を合わせて魔獣の居場所を特定していく。
俺たちは何をしているかというと、俺は相変わらず鬼教官にしごかれていた。
はっきり言って俺たちはおまけだ。騎士団の後ろをついて歩く補給隊のようなものだった。彼らが野営するときには手伝って、彼らが出かけた後の留守をする。魔獣の気配すら感じられない役どころだ。
そんな中でもキーツはサクヤやリースを口説きながらもまじめに俺たちの訓練を続けていた。最初は歩兵にない動きで戸惑っていたサクヤやゴローも弓や槍といった獲物を使って戦うことに慣れていった。
「シーナ、防御」
俺はというと、箒を木の枝に変えた大女に光の玉の使い方を教わっていた。防御といわれたので聖句を唱えて光の玉を体にまとわりつかせる。エルカ姐さんの放つ光る枝からの斬撃を交わしきれずに俺は後ろに跳ね飛ばされた。
「甘い」
すみません、と謝って土下座してもこの女が俺を攻撃してくるのはわかっている。前に何度かやって叩きのめされたからだ。
やるのなら徹底的に。それが彼女の方針らしい。
息絶え絶えになっている俺のところへ討伐隊の視察に来たヤス神官とディーがやってきた。
「相変わらずしごかれていますね」ヤス神官は何やら怪しい薬を俺に渡す。
「なんだ、これは?」
「傷の直りが早くなる薬ですよ」
本当かどうか怪しいと思う。たぶん、何かの実験だ。俺は飲んだふりをしてこっそり捨てた。
「リース、そっちはどう?」
「ディー。元気にしてるよ」
ディーとリースは二人で抱き合っている。相変わらずの二人組だ。
「こんにちは、ディー」食事の支度を手伝っていたサクヤが挨拶をする。
「サクヤ、だいぶ雰囲気が柔らかくなってきたね」
ディーがサクヤの顔を両手で固定してあちこちをのぞき込む。
「はーい、口を開けて。うん、異状ないみたい。相変わらずすべすべした肌だねぇ。サクヤちゃん。髪もつやつや。お。ゴロー君。相変わらずいい男だね。はい、かがんで。ちょっと検査するから動かないで」
「お、俺は?」サクヤとゴローにだけ構うディーに俺はそう尋ねた。
「シーナ? うん、シーナは忙しそうだからね。あとでね」
「ま、まって」
「休憩は終わりだ。怠け者が」後ろから影が忍び寄っていた。
「いや、まって。俺も検査を、食事の支度を・・・」
「生意気な口をきいたから、訓練を一刻延長な」
死ぬ、死ぬ、死んでしまいます。
本当に動けなくなって、みんながいるところに戻された時には食事の時間なんかとうに過ぎていた。あまりに絞られ過ぎて食欲もわかないんだけど。俺は重傷か?
「魔獣退治、うまくいってないみたいだね」
リースとディーが話している。
「そうみたいね。騎士団も手を焼いているみたい。どこかに“穴”が開いているのは確かなのだけれど。どうも、発生源は川向うらしいのよね」
「え?」リースのこわばった顔が炎の揺らぎで浮かび上がる。
「うん。クリアテス領からこちらに魔獣が流れてきているみたいなの。発生源を突き止めようとしても、クリアテス領じゃぁ」
「騎士団は川を渡れない、よね」
「“穴”ってなんだ?」俺は聞いてみた。
「あ、シーナ、聞いてたんだ。“穴”は“穴”よ。魔獣がたくさん沸く場所のことをそういうの」
「魔獣って沸くものなのか?」
「ううん、どうやって彼らが現れるのかはわかってないの。ある時突然そこに現れる」ディーは空中に円を描いた。「こういう何もないところからポンと。そして人や普通の獣を襲う。水を毒に変えたり、植物を枯らしたりするやつもいる。大きいのも小さいのも、人に近い形のものだっているよ。魔獣っていうけど、知性らしきものを持っているものもいる。はっきり言うと、よくわからない。ただわかっているのは、彼らが出てくる場所の精霊の力が弱いということかな」
「ふわふわの浮いていない場所ということか」
「ああ、あなたはふわふわした玉のように精霊を見ているのね。なら、そう。魔獣が現れるところでは精霊が呼びにくいみたいなの。それで、“穴”というのは彼らがたくさん集団で現れるところのこと。今回は群れで現れたのはわかっている。だけど、その穴がわからない。それで人手を集めて討伐することになったの」
「でも、クリアテス領が発生源だとしたら、全滅させるのは無理じゃない?」
「うん。そうなのよね」ディーが食後のお茶をすする。「こちらの側に来た獣を倒すしかない」
「ねえ、それじゃ、マフィの村にもまた魔獣が現れるかもしれないということよね」リースは暗い顔をする。「あたし、ここに来てよかったのかな。村で、みんなを守っていたほうがよかったのかな。ほかの村みたいに」
「それは違うと思うなぁ。ほかの村はクリアテス派に人を取られ過ぎて、こちらに送る余裕がなくなったんだと思う。マフィの村みたいにコサの信者が多い村ばかりじゃないから」ディーが慰める。「それにマフィの村はまだ精霊がたくさんいるから大丈夫だよ。きっと精霊が守ってくれるよ」
「クリアテス領ではそんなに精霊が減っているのか?」
俺が聞くとディーも顔を曇らせた。
「うん。こちらからでもわかるくらい減ってる。この対岸やマフィ―の村はまだまし。たぶん奥のほうはもっと減っていると思う」
精霊は命そのものだとヤスは説明していた。俺の理解でいうと、精霊が減るということは土地に毒がばらまかれているのと同じようなことなのだろう。
「みんな、向こう岸で魔獣退治をしているのかなぁ」リースはため息をついた。「あたしも、行きたいよ」
「行けばいいじゃないか」俺はふと思いついた。「行けばいい。行こう。リース。俺たちならいける」
え、というようにリースが顔を上げる。
「俺たちはもともと対岸の住民だろ。アルトフィデスの騎士団が討伐に乗り出すのは困るけれど、対岸の住民が自分で魔獣を退治するのは問題ないんだよな。なら、俺たちが調査に行けばいい。“穴”を見つけたら、騎士団に助けを呼びに行けばいいんだよ。自分たちの力で対峙するのが無理だから騎士団を呼ぶ。だったら問題ないんじゃないか?」
「シーナ、あんたいいことをいうね」リースは俺に抱き着いてきた。「行こう。今すぐにでも行こうよ。サクヤ、ゴロー、みんなで一緒に村を守りに行くよ」
「ち、ちょっと。あんたたちだけで行くつもり?」ディーは慌てた。「無理、それこそ無理。今出ている魔獣は群れなんだよ。あんたたちが行っても餌になるだけだと思う」
「いいこと言うじゃないか、童貞」
後ろから肩をわしづかみにされて、俺の心臓が止まりかけた。
「話は聞いてたよ。なかなかにいい考えだ。自分の住むところは自分で守る。いい心がけだ。あたしも一緒についていくよ。これでも、あたしは聖騎士なんだ。あいつらの天敵みたいなものだからね」
エルカ姐さんは胸を張った。
「そうだ、そこのもやしも連れて行こう。あいつも一応聖騎士だったよな。なぁ、ヤスナル」
ヤス神官は寝ているふりをしていた背中をびくりとさせる。
「見習い神官、あんたも、だよ」
名指しされたディーは、え、あたし、と自分をさす。
「赤犬と脳筋も連れて行こう。あいつらは追跡には慣れているからね」
「ありがとう。エルカ様」リースがエルカの大きな手を握りしめた。
「様はいらない、エルカでいいよ」大女は大口を開けて笑う。
「よし、決まったな。あたしはちょっと騎士団の連中に、この話をしてくる」
「ま、まって、エルカ様」ディーが必死に止めようとした。「いきなり、そんな、無茶苦茶な、第一リース達は、魔獣戦は素人だし」
「もう一匹倒しているんだろう。問題ない」エルカはうけおった。「そろそろこいつに実践を積ませるいいころ合いだと思っていたんだ。魔獣の群れに叩き込めば少しは腕が上がるだろう」
これは本気だ。彼女は本気で俺を魔獣の群れと戦わせるつもりだ。楽しそうなエルカ姐さんに様子に俺は背筋が凍り付いた。この時ほど俺の口を呪ったことは今までになかった。




