第10話
幸いにもゴローの怪我は思っていたほどひどくはなかった。
このときばかりは呼び出した連中が俺たちの体を強化してくれたことに感謝した。普通の人間だったら、こんなものではすまなかっただろう。
俺たちは今リースの家に住み込んでいた。
リースの家は広い。俺が家族と住んでいたマンションよりもずっと広い。おまけに二階建てだ。
「部屋はたくさんあるから好きにつかって」
リースの家はもともと宿屋も兼ねていたのだという。
「人手が足らなくてね。開店休業状態なのよ」
無駄に広い家の中を見回して、リースは苦い笑いを浮かべていた。
「水くみが終わったぞ」
今俺たちはリースの家業である馬の世話をしている。俺もサクヤも馬の世話をすることにはだいぶ慣れてきた。リースの細かい指示がなくても、ある程度は動けるようになった。
しかし、俺にとっての問題は別にあった。
「そう。それじゃぁ、練習をしましょうか」
リースの楽しそうな声に俺の心は沈み込んだ。なんで俺がこんなことを…
俺は歩兵なんだ。命令に逆らえず、馬に乗る準備をしながら、俺は繰り返す。俺は歩兵なんだ。騎兵じゃない。
リースの俺たちへの要求はどんどんひどくなっている。最初は馬小屋の掃除だけでよかった。それが、えさやりや水やりと仕事が増えていき、ついには馬に乗れという指令まで与えられた。
「それにしても、シーナ。上達しないなぁ」
へっぴり腰で馬に乗っている俺にリースは注文をつける。
「サクヤを見てごらんよ。もうあんなに上手に乗れるようになったよ」
人には向き不向きがあるのだ。俺は歩兵種だから、馬に乗るようにはできていないはずなのだ。
「早く乗れるようになってね。おつかいができるようになってもらいたいんだ」
「おまえ、俺たちをこき使うことしか考えてないだろう」
俺は汗とも冷や汗ともしれないものをかきながら、文句をつける。
「ん? 当たり前でしょ。そのために君たちを連れてきたんだから」
こんなことなら、まだ、戦いで使いつぶされていた方がよかったかもしれない。少なくともあそこには自由時間というものがあった。暇で何もすることがない時間だったが、今はそれが懐かしい。
リースの人をこき使う計画は果てがない。
相変わらずの日課も俺たちの仕事だ。ゴローの傷が癒えるまで、しばらくは俺とサクヤが二人で村の見回りをした。あれ以来、魔獣が村の周りにいるという噂は聞かなかった。森の中まで見回り範囲を伸ばしてみたが、足跡一つ見つからなかった。
村人との関係はというと、リースが目を光らせているせいかほとんど接触することがなくなっていた。あれだけしつこく襲撃をかけていた子供達も姿を見せず、大人達とは完全に無視しあう関係になっている。俺たちも彼らのことは見ないし、彼らも俺たちのことをいないものとして扱うような関係だ。
あれだけのことをされたのだ。危うくゴローは殺されるところだった。それも無実の罪で。以前の感情を抑制された俺ならともかく、最近はそういったことを許しがたく思えるようになっている。これは“陰”としてはかなり問題があるのではないかと俺は考えている。
とはいっても、完全に顔を合わせないわけにはいかない。今日のようにダムとリースが話し合う必要があるときなどがそうだ。
「コスの大司教様からの要請が来ているの」俺が部屋の片付けをしている後ろでリースとダムはなにやら込み入った話をしていた。
「魔獣退治に人を出せとの要請よ」
「この村にはもうさける人手は残っていない」ダムは不機嫌そうに言い切った。「それはリースもわかっているだろう」
「ええ、そうね。でも、魔獣を退治しておかないとまたこの前のようなことが起きてしまうわ」
ダムは奥で掃除をしている俺のほうをちらりと見た。
「それはわかっている。だが…」
「今回はあたしが行く。仕方ないわ。それで、あの子達なんだけど、彼らも連れて行くわね」
「そうしてくれるとありがたい」ダムはあっさりとそれを認めた。「俺もあれをどう扱ったらいいのかわからないからな」
「申し訳ないのだけれど、そうすると結界の維持と見回りをお願いすることになるわ。馬の世話も。大丈夫かしら、おじさん」
「あんたの親父や兄貴はまだ戻らないのか」
「連絡がないの。いったきりよ」リースはいいにくそうだった。
「無理やり連れて行っておいて、いったきりか。ひどい連中だな」
ダムはかんでいた木の実の皮をはき出した。
俺たちが、村を離れたのはそれから二三日してからだった。傷はふさがったが本調子でないゴローを馬車に乗せて、俺とリースが御者台に上がる。
「馬車を操る方法も覚えてもらわないとね、シーナ」
またしてもこき使われる予感に俺は胃が重くなった。
「サクヤは馬車についてきてね」
「了解、監督官」
サクヤは堂々と馬を乗りこなしていた。同じ能力を与えられているナンバーズのはずなのに。この差は何だろう。
俺は、俺たちのような“陰”が同じ能力を持っているという監督官たちの話に疑問を持ち始めている。俺とほかの二人との体格差もさることながら、持っている能力があまりにも違い過ぎる。泥と自ら作り上げたという肉体の差だけではない。中身もかなり違うのではないかと、俺は疑っていた。道具としてここまでばらつきがあって、同じ道具といえるだろうか。
しばらく緩やかな坂を上ったり下りたりすると大瀑布と呼ばれている滝が見えてきた。滝には虹色の虹がいくつもかかり、たくさんの大きな光の玉が飛び交っている。
“我ら、光の子、いざゆかん。道を超えて…”
リースが歌を歌っている。
「なんの歌なんだ?」
「神殿の歌よ」リースが機嫌よく返事をする。「こうして歌をささげて、ここを通ると旅が安全になるの。あんたもなんか歌ってみたら?」
「……」
これは命令ではない。ただの世間話だ。俺は奇妙な強制力を振り払う。リースと目を合わせてはいけない。あくまで、さりげなく。この場はやり過ごそう。
「ねぇ、シーナ。あんたの知っている歌何かないの」
ない。俺の知っているここの歌は、ない。
リースの口に意地の悪い笑みが浮かぶのが目の端で見えた。
「命令よ。歌いなさい」
「…いやだ」
悪魔のような女だ。どうしてこうも人の嫌がることをさせたがるのだろう。
「あんたの知っている歌でいいから…ちょっとだけ…」
命令に逆らえなかった。仕方なく、俺は歌った。
“ある晴れた、昼下がり…”
急に当たりの天気が悪くなったような気がした。輝いていた光の玉が消え、どこからか暗闇が忍び寄ってくるようなうすら寒い空気が漂い始める。
「それ、何?」リースの声がこわばっている。
「何って、歌だよ」
「それが、歌?」リースは手綱を引いて馬車を止めた。
「何かの化け物を呼び出す呪文か何かじゃないの?」
失敬な。人に歌えと命令したから歌っているだけなのに。
「やめて、シーナ。その、悪かったわ。二度と歌わないで…」
歌えと命令したり、歌うなと命令したり、この女は。俺は機嫌を悪くした。
「そんな歌をささげたら、呪われそうだわ。そ、そうだ。サクヤ、あんたはなにかしらない?この呪いの呪文を打ち消すような何かを」
すがるような笑顔でリースは俺の恨めしい視線をかわそうとした。
「……」
馬に乗ったサクヤはしばらく黙っていた。それから、やにわに口を開く。
透き通るような声だった。彼女のか細い体に似合わない豊かな音が、遠くで鳴り響く滝を低音に響く。
聞いたこともないフレーズだった。何を歌っているのか、俺には分からない。俺たちが話している言葉でも、俺の母国語でもない、異国の流れるような発音。どこか物悲しい音階にのせて歌が響く。
光が戻ってきた。滝がキラキラと光輝く。それだけではない。地面から、空から、光の玉が降ってくる。
俺はその光景に目を奪われた。まるでサクヤが光を呼んでいるようだった。彼女の周りに虹色の光が集まり、ぶつかり、また拡散していく。光は俺やリースの体をすり抜け、すり抜けたところから何かが沸き立つような、そんな感覚が残る。
後ろの馬車に乗っていたゴローも身を乗り出すようにして、サクヤの独り舞台を見ていた。
「でぃのるま、あ、さんくて…」ゴローが何かつぶやいた。
「でぇ、なんだって?」
「ディノルマ……かみの、うた」
歌は始まったときと同じく唐突に終わる。あとにはいつものように口を結んでいるサクヤが馬にまたがっている。
「すごいわ。サクヤ」リースが手放しでほめた。「ねぇ、今度また歌って…また聞きたい。あんたたちもそう思うわよね」
俺とゴローもうなずいた。有無を言わさない圧力だ。
「それと、シーナ。あんたは歌うのは禁止。いいわね」
この扱いの違いは何だろう。俺が少しばかりの音痴だからといって、そこまで念を押すのか?
目的地のコフィの町は、大瀑布から流れる大河の向こう岸にあった。大きな跳ね橋がかかっていて、そこを超えると町が広がっている。
俺たちはその橋のたもとで止められた。
「ここから先は王国の土地なの」リースが説明する。「今はクリアテス領はごちゃごちゃしているから、検問があるのよ」
橋には大勢の兵士がたむろしていた。みんな、自由にぶらぶらと動き回ったり、私語を交わしたりしている。見たところ、俺たちのようなナンバーズではなく、普通の人たちが兵士として勤めているらしい。
「ここから向こうはアルトフィデス王国。あたし達はただ王国って呼んでる」
大河にかかる立派な跳ね橋のたもとでリースが説明した。そこで俺たちは町に入る許可を得るために列に並んでいた。いかめしい顔をした兵士が一組、一組王国に入国する旅人を調べていた。
「いつもはこんなことはないのだけれど、ね。前に帝国の兵士が潜り込んで悪さをしたことがあるから」
「帝国? それは、いったいどこの誰だ?」俺の頭の中で、白いバケツを被った兵隊たちが行進を始めていた。
「帝国といったらブランドブルグ帝国に決まっているでしょ。え? 知らないって?」
俺たちのいたクリサニアはブランドブルグという帝国の属領らしい。そして今そこを治める領主の跡を争って内戦が起こっている。
「って、あんた、当事者として戦ってたんじゃないの?」
何も知らない俺にリースは改めて驚いている。
「知らない。俺はただ歩兵として戦っていただけだ。それで、俺は一体どちらの側だったんだろう?」
「そんなことも教えてもらってないの? 信じられない」
それよりも尻が痛い。足が痛い。兵士として鍛えていたはずなのに、どうしてこんなに筋肉が引きつっているのだろう。
「なぁ、ここでは、俺たちみたいな“ナンバーズ”は使わないのか?」
俺はリースに聞いてみた。
「使わないわよ。あんたたちみたいなのは特殊よ。あたしもあんたたち以外で“ナンバーズ”にあったことはないわ」
そうか。はじめて知る事実だったが、いろいろなことが腑に落ちたような気がする。やはり俺たちのような“幽霊”は特殊なのだ。では、あの戦闘は何だったのだろう。俺たちが散々使われ、潰されていったあの戦闘は?
「マフィ村からの魔獣撲滅の支援か」兵士はリースが目的を告げると、笑顔を見せた。「よく来てくれたな。精霊の恵みがあなたとともに」
「わたしたちはどこへ行けばいいのかしら」
「ちょっと待ってくれ、記章をわたす」兵士は俺たちの人数を数えて、4人だな、と確認した。「これをもって神殿に行ってくれ。そこから先は別の管轄になるから」
跳ね橋はとても立派なものだった。その下をごうごうと音を立てながら大量の水が流れていく。落ちたら危ない橋だ。橋の欄干は木だったが、本体は金属のようなものでできているようだった。俺の知る鉄の鋼材とは質感がずいぶん違う気がする。大きな馬車でも余裕ですれ違えるほどの幅のある巨大な橋である。一体どうやってこんな建造物を建てたのか。
「そんなの決まっているでしょう。精霊の御力よ」質問すると、何を馬鹿なことをと鼻で笑われた。「本当にものを知らないのね。そんなに子供みたいにきょろきょろしないで、さっさと渡るわよ」
といいつつも一番はしゃいでいるのは本人だ。町の門をくぐると、リースの興奮はさらに高まっていく。
「いいわよね。町って感じ・・・」リースは行き交う馬車に挨拶をしながら、上機嫌だ。
「おまえもここに始めてきたのか?」
「馬鹿いわないでよ。あんた達じゃないんだし、何回もここに来てます」
「それにしては、えらくはしゃいでるじゃないか」
「当然でしょ。滅多に来られないんだから」
リースは道の周りの店に夢中だ。あそこに行きたい、ここに行きたい、とおしゃべりを続ける。
神殿は、町で一番大きく目立つ建物だった。入り口には光り輝く鎧に身を包んだ衛士達が警護を固めていた。記章を見せると、裏に回るように指示される。裏門といってもずいぶん立派な門だった。
門の前では見たことのある人物がこちらに向かって手を振っていた。
「リース」
「ディー」
少女達は生き別れた兄弟が出会ったかのようにひしと抱き合う。
「もう、来ないのかと思ってた」
「ごめんね。支度に手間取ってしまって」
いやいや、別れて一月もたっていないだろう。俺が冷めた目で二人の感動の再会を見ていると、ディーが俺たちに気がつく。
「あ、彼らも連れてきたんだ。ねぇ、この子、馬に乗せたの?」ディーは眼鏡をあげてまじまじと俺たちを見る。「うわ、こっちの子は御者としてつかってるんだ。すごい。リース」
「そ、そうかな?」リースが少し照れくさそうに顔を傾けた。
「だってこの前まで、全然命令を聞かないって怒ってたよね。何もできないし、しようとしないって。それがこんな短期間に馬に乗れるようになったの?」
「うーん、こっちの子は元々乗れたみたい。この子は今まだ乗り方を教えている最中だよ」
リースはサクヤとゴローを呼び出した。
「神官のディーだよ。前にもあってるよね。みんなご挨拶して」
俺たちは口々に挨拶をした。
「うわぁ、話すことができるようになったんだ」ディーが興奮する。「リース。すごいじゃない。話が通じないって愚痴ってたのが嘘みたい。ねぇ、ねぇ、何か他に話してみて?」
話せといわれても。話題がない。
「言葉も仕込んだの? 前は一言も話をしなかったわよね」
「仕込んだというのかな? 話すな、といわれてたから話さなかったみたい。今はちゃんと話をするよ。ちょっとおしゃべりが苦手な子もいるけど。シーナ、あんた、いつもみたいにしゃべりなさいよ」
黙っている俺にリースが注文をつける。
「いつもみたいに、といっても、何を話せばいいんだ?」
「普通に話せばいいのよ、普通に」
俺が困っているのを見て、ディーが顔を輝かせている。
「すごい。この子、普通の人間みたい。この前とは全然違う。ねぇ、リース、前は番号で呼んでたよね。あんた、この子に名前をつけたの?」
「ちがう。こいつが勝手に名乗ってるだけ」
「…勝手に?」
「そう。他の子達にもみんなシーナがつけたの。女の子がサクヤ、男の子がゴロー」
「…シャクヤ、ゴリョー?…変な名前だね」
俺はディーの様子が気になっていた。友人と久しぶりに会って舞い上がっているリースは気がついているかどうかわからないが、神官の少女の俺たちを見る目はおそろしく冷静だった。まるで、隅々まで観察されているような気がする。彼女だけではない…
サクヤの馬が引き手の緊張を感じたのか身震いをした。
「ああ、ごめん、立ち話もなんだね。中に入って」ディーがにっこりと門の中に案内する。
「あ、荷馬車はどうしよう。馬車置き場に置いてくる?」
「いいわ。神殿の馬車置き場のほうに止められると思うから。彼に馬車を回すようにいってくれるかしら」
リースはためらった。
「うーん、この子、まだ荷馬車を扱うのは早いんだよね。あたしも一緒に行っておいてくるわ。どうしよう、サクヤとゴローは」
「中に案内しておこうか? ところで、この子達、ついてくるかしら」
「サクヤ、ゴロー、ディー神官の指示に従いなさい。彼女の指示に従って、何もなければ待機」
「監督官、日課は?」ゴローがぼそりとたずねる。
「朝にも話したけれど、この町にいる間は日課の行動は停止。わたしの身の安全を守ることを最優先にして。今は次のわたしの命令があるまで、ディーの指示に従って。これで大丈夫かしら」
リースは俺にきく。
俺に聞くなよ。俺はディーの目を気にしながら曖昧にうなずいた。
「了解した、監督官」ゴローが感情のこもらない声で答えた。
「馬車置き場に案内させるわ」ディーが側にいた兵隊に何かを頼んだ。
「じゃぁ、また後で会いましょ」
俺たちはそこで別れた。俺は振り返って、ディーの後についていく二人の後ろ姿を確認した。
大丈夫だろうか。
「なに? あの子達のことが心配なの?」リースも俺に習って後ろを振り返る。
「ディーに任せておけば大丈夫だよ。あの子なら適切な指示が出せると思う。あたしよりもずっと頭がいいんだから」
そういうことではないのだが。俺の中での違和感はいつまでもなくならなかった。




