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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
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06 潮味

 その夕刻は、本家とされる野上家の屋敷で夕飯まで過ごすことになった。

 私たちの寝床となる村の集会所は、本家を出て五分ばかり林道を進んだ清美と双子が住まう分家の敷地にあるらしい。

 戦死した息子夫婦が分家なのは、些か腑に落ちなかった。

 耕造は妻と娘を本家に住まわせて、なぜ家督を継ぐはずだった息子を分家としたのか。

 嫡子となる男子が必ずしも一人と限らないのだから、無駄な考えなのだろう。

 それでも千尋と忘れ形見の歳の差を考えれば、拭いきれない疑念が付き纏う。

 戦死した男の家族には、本家を追われる謂われがあったのか。

 私の素性はそれとして、野上家の家内事情にも気が向いてしまう。

「日があるうちに夕飯をどうぞ」

「千尋さん、先ほどの話ですが……」

 私は千尋を追いかけて呼び止めたものの、彼女は一瞥して立ち去った。

「ああいう女が好みなのか」

 廊下まで出てきた加藤が、千尋のつれない態度に肩を落とした私に言った。

「加藤さん、私に弓田の代役を任せるのならば、予め心構えをさせてほしかった」

「俺は、ちゃんと伝えたつもりだ」

 弓田が何某かの口封じに島民を殺しているなら、知らぬ存ぜぬを決め込めんだ私は、さぞ厚顔無恥の開き直りと思われる。

「君は、私を弓田宗介だと言った。正体不明の私は、自分が弓田じゃないと否定ができないので、それが全てかもしれない。しかし弓田に殺人の容疑をかけられているなら、然るべき心構えが必要になる。いきなりの仕打ちでは、どんな顔をして良いのかもわからんよ」

「心構えなんかさせるものか」

「それは、どういう了見だい」

「お前の勘は尋常じゃない」

 加藤は私を詐病と疑っており、ゆえに手の内を見せる真似が出来ないのだろう。

 私が迫根島に軍資金を隠した張本人だとすれば、記憶を取り戻した折に逃亡を企てるやもしれない。

 結局のところは、彼にとって私が弓田であれば話が早いのかもしれぬが、そうであればもどかしい事態に陥る。

 私は悪鬼を誘き寄せる餌であると同時に、虐殺の汚名を着せられた殺人鬼なのだ。

「君は、本郷の医者から所見を聞いているのだろう。それに収容所では、君たち連合軍のポリグラフ検査も受けている。私が覚えていることは、君に包み隠さず話しているつもりだ」

「俺は、お前が弓田である必要がないと言ったが、弓田ではないと確信しているわけじゃない。耕造の慌てようを見れば、むしろ俺の疑念は深まった」

「私の意見はそうではない。彼らは、弓田宗介の人相を知らないのではないか。私が周知の間柄ならば顔を合わせたとき、もっと動揺して良さそうなものだ」

「それこそ耕造の知らぬふりだったんじゃないか、奴の共犯を疑えば辻褄が合うさ」

 私の扱いに苦慮しているのは、加藤の方かもしれない。

 つまり私は、自分で身の証を立てねばならないということだ。

「では教えてもらいたい」

「なんだ」

「私が弓田宗介を演じる理由は、この島にいる逆賊を炙り出すこと、そして彼らの組織の全容を把握することだね。軍資金の捜索は、そのための口実に過ぎないのか」

「宝探しというのは、根も葉もない噂じゃない。それが目に見える宝か否かは解らないが、弓田が口封じしてまで隠したかった何かがあるのは確かだ」

「共産化を企んだ国賊が迫根島に隠匿した国壊の情報、それがGHQの手に入れたいものか」

「解らないと言っただろう。だが俺は、お前の勘の鋭さを見込んで連れてきた。明日からは、その頭を使って働いてもらう」

「買いかぶりだ」

 それから飯炊きの婆さんに通された客間には、夕飯が二膳だけ用意されており、私たちが招かれざる客なのだと実感した。

 それもこれも加藤が、耕造に後先を考えなしに言い放った私の素性のせいである。

 彼はあの後、私を容疑者かのように振舞ったのである。

「そんな恨めしい顔をするな」

「炭鉱事故の詳細は、きちんと教えてくれるんだろうね。これ以上の不意打ちは、さすがに勘弁してもらいたい」

「そうだな」

 お膳には麦飯と海苔の汁物、それに焼魚と山菜が添えられていた。

 米は与吉が港に荷卸したもので、他は島で採れた食材であろう。

 加藤は痩せた鯵の開きで飯を掻き込むと、小鉢の端に慈姑を除けて山菜を食べている。

 箸の使い方は日本人街で育ったおかげだが、あんな早食いでは飯の味がわからぬだろうと思った。

 彼は、そういう粗野な一面がある。

 そこに駐在が戻ってきた。

「あれは無理ですね」

 ひぐらしの鳴く頃、笠間が制服の泥を叩きながら夕焼けの庭に顔を出した。

 彼は島民とともに倒木の片付けに向かっていたが、根元から土砂に流された大木が折り重なっており、とても一朝一夕で退かす目処が立たないと愚痴っている。

「こんな日暮れまでご苦労さまです」

「まぁ道の先には日島ひしまの墓地しかありませんし、お盆まで片付ければ良いんです」

「日島?」と、私が笠間に聞き返した。

「島では東にある属島を『日島』と、西の属島を『月島』と呼ぶのです。太陽も月も東から昇るんですが、日暮れの方から夜がくるので月島と呼ぶそうです」

「朝がくるから日島、夜がくるから月島……。なるほど、理屈は合いますね」

「日島には島民の菩提寺があるのですが、長雨で住職が本島にいたのが幸いでした」

「迫根島の属島は、無人島だと聞いたのですが」

「住職は日島に手漕ぎ舟で通っておりますが、海が荒れていれば渡る手立てがありません」

 縁台に腰を下ろした笠間は、世間話を終えても立去る様子がない。

 彼は、どうやら私たちが食い終えるのを待っているようだ。

 船酔いが治まらない加藤は夕飯を軽く済ませて、屋敷に戻ってきた駐在の案内で集会所に行くと言った。

「お前はどうする」

 私は御膳に箸を置いた。

 加藤には聞きたい話がある。

 私の方こそ針のむしろで、飯が喉に通らない。

 しかし私は二人と離れて、千尋に弁解したいと考えた。

「集落までは一本道かい」

「迷う道じゃありませんが、暗くなると足元が悪いですよ」

 私は屋敷で灯りをもらうからと、加藤と笠間に先を急ぐように伝えた。

 駐在は彼を送り届けたら引返すと言ったものの、再び箸を手にして丁重に断る。

「やはり女か」

「加藤さん、それは下衆の勘繰りです。私は、ゆっくり食事を楽しみたいだけです」

「そうか。お前を弓田だと証言する者があれば、飯を楽しむ余裕もなくなろう」

 詭弁ではある。

 せっかくの食事を急かされたくないのは、偽らざる気持ちでもある。

 加藤は顎をしゃくると、笠間に玄関に回るように言った。

 私は彼が足を踏み鳴らして出ていくのを横目で追ってから、潮味の染みた鯵を咀嚼したのである。

 そして日没を迎える庭のハイビスカスを眺めると、どこか懐かしい気持ちになった。

 それは意識を取り戻した戦場で、青空を仰ぎ見た既知感に通じるものがある。

「私は、あの花の名前を知っていた」と、独りごちる。

 それから茶碗に湯を注いで飲み干すと、手拭いで拭き取って御膳に戻した。

 詐病を疑う加藤には、このことを言わないでおこうと思った。

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