05 宝探し
私と加藤は千尋に通された部屋から庭を眺めて、屋敷の主である野上耕造を待っている。
開け放たれた縁側の軒先を歩く島民は、私たちを横目でちらりと覗いたものの、気の無い素振りで通り過ぎた。
「島の者は、余所者に愛想のない連中なんですよ。私が赴任してきたときも、こんな感じだったので気にしないでください」
島での滞在を世話してくれる駐在の笠間征夫巡査長が、警察の制服を着崩して後ろに控えていた。
駐在はそわそわと落ち着きなく、漁船の荷卸や磯漁を終えて集落に戻る島民の目を気にしている。
「お二人の宿になる集会所には、島の者に布団を運ばせております。食事は適当に、野上さんにお願いしています」
「島に宿はないのか」
「何もない島なんですから、宿があるわけないでしょう」
笠間は加藤の肩を叩いて話しかけると、家主の挨拶を待たずに部屋を後にした。
彼の警らする集落は百に満たない島民が暮らす小さな村落で、何を急いで席を立ったのかと思えば、長雨で道を塞いだ倒木を退かす手伝いに行くと言う。
男手の足りない迫根島では、雑事も駐在の仕事らしい。
なんとも牧歌的な島である。
駐在が縁側から島民を追いかけると、程なくして髪を下ろした千尋が洋装で現れた。
丸襟の白いブラウスに瑠璃紺のプリーツ・スカートは、まるで街で見掛ける女学生のようだ。
女性に歳を尋ねるのは憚れるものの、洋装に着替えた彼女の年齢は川之石港で出会ったときより、さらに一回り若く見える。
私は、そんなことを思いながら彼女を見ていた。
「私も父と会うのは、久しぶりなんです。近海は遠浅で港も満足に整備していない島なのに、米兵が内地攻略で上陸すると噂があったんです。だから戦争中は、母の実家に疎開していました」
「疎開先は神戸ですか」
私は問いかけた。
「いいえ、九州の方です。神戸には終戦間近、人に会うために出かけただけです」
千尋は三尺ほどの掛軸が飾られた床の間を背に座布団を敷くと、向かって右に二枚、左に三枚並べて、その右端に座った。
中央に座るのは屋敷の主として、彼女の隣には母であり、屋主の妻が顔を出すのだろう。
彼女の隣に座った和装の女は案の定、千尋の母親で耕造の妻だと挨拶した。
「主人は肺を患っておりますので、ここでの滞在に困ることがあれば、娘の千尋を通してくださいね」
妻の野上サキは、千尋の足を軽く叩いて目配せした。
「島の案内もさせてもらいます」
「加藤さん、そいつは有難いね」
「何が有難いんだ」
加藤は、ぶっきらぼうに応えた。
耕造が現れたのは、その直後である。
白髭を蓄えた島の区長は、けっして病人に見えない足取りで上座に腰を下ろすと、夏外套を脱いだ復員服の私を睨みつけた。
「なぜGHQの使者が日本人で、日本の軍人を連れている」
耕造は声を絞り出すように、少し前屈みに喋った。
区長は、軍服の復員兵を忌み嫌っていると思った。
それが起因するところは後々明らかになるのだが、私はこのとき、ただ居心地の悪さに恐縮してしまった。
「俺はアメリカ人で、彼は仕事のアシスタントだが、何か問題でもあるのか」
加藤が、足を崩して聞き返す。
彼は挨拶に寄っただけのつもりが、あからさまな耕造の態度が癇に障ったらしい。
「進駐軍が取るに足りない離島まできたのだから、町頭が警戒してもおかしくなかろう。島民たちは、進駐軍に家財を召し上げられると不安がっておる」
千尋は「お父様、失礼ですわ」と、慌てた様子で口を挟んだ。
しかし耕造は娘の制止を聞かずに、嗄れた声を張り上げた。
「無礼は重々承知しておるが、島民は島を訪れる兵隊に警戒心が強い。島には戦争中、兵隊が防空監視だと言ってやってきたが、其の実は若者を現地徴用して炭鉱の穴掘りに駆り出した。そして多くの島民が、炭鉱の崩落事故で命を落とした」
区長が肺を患っているのは、どうやら事実のようだ。
耕造は胸元を手で押さえると、肩を大きく上下させて呼吸を整えている。
「遅くなりました」
部屋の襖を引いて入ってきた女が、千尋と同じ年頃の娘を二人連れて耕造の隣に座った。
家主のすぐ隣に座った女は、南方戦線で戦死した長男の妻で野上清美、二人の娘は忘れ形見の双子で茜と葵だった。
叔母と同世代に見える双子が早熟なのか、洋装に着替えた千尋が幼く見えるのか。
思うに彼女たちの母親も、そう歳が変わらないので、戦死した野上家の嫡子は歳がいっていたのだろう。
ただそれにすると、嫡出の長男が正妻サキの実子と疑わしい。
白髭を蓄えた耕造が六十歳を超えていれば、妻との歳の差は二十余りで後妻の可能性もあるのではないか。
「では紹介が済んだところで、進駐軍が島を訪れた理由を聞かせてもらおうか」
役者が揃ったのであろう。
私が野上家の家系に考えを巡らせていると、耕造は旅の目的を問うてきた。
私は背筋を伸ばして座り直すと、息を深く吸って襟元を正した。
迫根島には、私の素性を探りにきた。
加藤は、きっとそのように応えると踏んだからだ。
「宝探しだ」
その場にいた誰もが顔を見合わせて、事の真意に首を傾げた。
突拍子もない加藤の台詞に、私は困惑した。
それでも平静を装っていたが、迫根島で財宝探しとは何の冗談なのか。
「こんな一過村に、どんな宝があると言うのか」
耕造が鼻で笑うと、加藤は腕組みして真剣な表情になった。
「あなたは先ほど、この島に駐屯していた兵隊が防空監視と偽り、島民を鉱夫に徴用したと言いましたね。GHQは資源調査を指揮していた弓田宗介特務曹長、後の佐官が陸軍技術本部の密命で、島の何処かに軍資金を隠匿したと考えているんです」
加藤は片膝をついて立ち上がり、事態を飲み込めない私を指差した。
彼の言動に失笑していた耕造は、私に目を凝らしている。
「この男の顔、よくご覧なさい。戦火のせいで痩せこけてしまったが、あなた方は存じているはずだ」
加藤は、私を弓田宗介だと言いたいのだろうが、私が当該の人物ではないのは、千尋や与吉の反応を窺えば当然である。
それでも彼は、私をかの人物だと押し通す算段なのだろうか。
無理筋な気がした次の瞬間、耕造が目ん玉をひん剥いて背を仰け反らした。
「い、いや、そんなはずがない」
耕造は、何かに怯えて言葉を詰まらせた。
妻のサキと義理の娘である清美は、ただならぬ家主の窮状に両脇を抱えるように近寄った。
よく解らぬが、家主は私の素性に心当たりがあるようだ。
しかし、それは誤解だろう。
咳込み、身を硬くした老人を前にして不謹慎この上ないが、私は事態の急変に胸が躍る気分だった。
ここにいる者は、きっと弓田宗介の人相を知らない。
だからハッタリをかます加藤の言葉に惑わされ、私を弓田宗介と騙されている。
私は盲目の鵜であり、彼らに向けられた疑念は、その役目を果たしている証拠なのだ。
私の正体を見抜く者があれば、それが逆心の使徒と巨悪を繋ぐ足がかりとなる。
その逆もある。
私をかの人物として、接触して来る者もまた亡国を企む輩なのだ。
これは大役を仰せつかったものだ。
「お父様、彼は弓田宗介なのね」
耕造は、千尋の問いに首を横に振って否定した。
「こ、こいつが弓田であるはずがない。あいつが、島に戻れるはずがない。あいつが炭鉱で起こした崩落事故……、いいや、あれは事故じゃない」
狼狽していた耕造だが、気を取り直して私を見据えた。
千尋は弓田の名前を出さぬように忠告しており、島の区長は私を弓田と誤解して動揺している。
私の兵隊服を忌避する訳合いを考えれば、炭鉱事故を軍による故意だと疑っているのは想像に難くない。
だとすれば今、軍資金の話を聞かされた区長は得心がいったのだろう。
「弓田は、島のあちこちを掘り返して穴だらけにした。そして何も出ないと知ると、穴蔵に十三人の御霊を残したまま島を出ていきおった。あれは何かを探しておるのだと思っていたが、何かを隠しておったのだな」
十三人の御霊とは、炭鉱で命を落とした犠牲者の数だろうか。
それだけの惨事を引き起こした弓田が、おめおめと迫根島に戻れるはずがないと、耕造は考えている。
「そうか。お前が連れてきた男が、穴掘りに駆り出した島民を口封じに殺したんだな」
「そうかもしれん。それもGHQで捜査してやろう」
加藤が目端に捉えた私は、いつものように訳知り顔だったに違いない。