表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巌頭の鵜  作者: 梔虚月
6/32

05 宝探し

 私と加藤は千尋に通された部屋から庭を眺めて、屋敷の主である野上耕造を待っている。

 開け放たれた縁側の軒先を歩く島民は、私たちを横目でちらりと覗いたものの、気の無い素振りで通り過ぎた。

「島の者は、余所者に愛想のない連中なんですよ。私が赴任してきたときも、こんな感じだったので気にしないでください」

 島での滞在を世話してくれる駐在の笠間征夫巡査長が、警察の制服を着崩して後ろに控えていた。

 駐在はそわそわと落ち着きなく、漁船の荷卸や磯漁を終えて集落に戻る島民の目を気にしている。

「お二人の宿になる集会所には、島の者に布団を運ばせております。食事は適当に、野上さんにお願いしています」

「島に宿はないのか」

「何もない島なんですから、宿があるわけないでしょう」

 笠間は加藤の肩を叩いて話しかけると、家主の挨拶を待たずに部屋を後にした。

 彼の警らする集落は百に満たない島民が暮らす小さな村落で、何を急いで席を立ったのかと思えば、長雨で道を塞いだ倒木を退かす手伝いに行くと言う。

 男手の足りない迫根島では、雑事も駐在の仕事らしい。

 なんとも牧歌的な島である。

 駐在が縁側から島民を追いかけると、程なくして髪を下ろした千尋が洋装で現れた。

 丸襟の白いブラウスに瑠璃紺のプリーツ・スカートは、まるで街で見掛ける女学生のようだ。

 女性に歳を尋ねるのは憚れるものの、洋装に着替えた彼女の年齢は川之石港で出会ったときより、さらに一回り若く見える。

 私は、そんなことを思いながら彼女を見ていた。

「私も父と会うのは、久しぶりなんです。近海は遠浅で港も満足に整備していない島なのに、米兵が内地攻略で上陸すると噂があったんです。だから戦争中は、母の実家に疎開していました」

「疎開先は神戸ですか」

 私は問いかけた。

「いいえ、九州の方です。神戸には終戦間近、人に会うために出かけただけです」

 千尋は三尺ほどの掛軸が飾られた床の間を背に座布団を敷くと、向かって右に二枚、左に三枚並べて、その右端に座った。

 中央に座るのは屋敷の主として、彼女の隣には母であり、屋主の妻が顔を出すのだろう。

 彼女の隣に座った和装の女は案の定、千尋の母親で耕造の妻だと挨拶した。

「主人は肺を患っておりますので、ここでの滞在に困ることがあれば、娘の千尋を通してくださいね」

 妻の野上サキは、千尋の足を軽く叩いて目配せした。

「島の案内もさせてもらいます」

「加藤さん、そいつは有難いね」

「何が有難いんだ」

 加藤は、ぶっきらぼうに応えた。

 耕造が現れたのは、その直後である。

 白髭を蓄えた島の区長は、けっして病人に見えない足取りで上座に腰を下ろすと、夏外套を脱いだ復員服の私を睨みつけた。

「なぜGHQの使者が日本人で、日本の軍人を連れている」

 耕造は声を絞り出すように、少し前屈みに喋った。

 区長は、軍服の復員兵を忌み嫌っていると思った。

 それが起因するところは後々明らかになるのだが、私はこのとき、ただ居心地の悪さに恐縮してしまった。

「俺はアメリカ人で、彼は仕事のアシスタントだが、何か問題でもあるのか」

 加藤が、足を崩して聞き返す。

 彼は挨拶に寄っただけのつもりが、あからさまな耕造の態度が癇に障ったらしい。

「進駐軍が取るに足りない離島まできたのだから、町頭が警戒してもおかしくなかろう。島民たちは、進駐軍に家財を召し上げられると不安がっておる」

 千尋は「お父様、失礼ですわ」と、慌てた様子で口を挟んだ。

 しかし耕造は娘の制止を聞かずに、嗄れた声を張り上げた。

「無礼は重々承知しておるが、島民は島を訪れる兵隊に警戒心が強い。島には戦争中、兵隊が防空監視だと言ってやってきたが、其の実は若者を現地徴用して炭鉱の穴掘りに駆り出した。そして多くの島民が、炭鉱の崩落事故で命を落とした」

 区長が肺を患っているのは、どうやら事実のようだ。

 耕造は胸元を手で押さえると、肩を大きく上下させて呼吸を整えている。

「遅くなりました」

 部屋の襖を引いて入ってきた女が、千尋と同じ年頃の娘を二人連れて耕造の隣に座った。

 家主のすぐ隣に座った女は、南方戦線で戦死した長男の妻で野上清美、二人の娘は忘れ形見の双子で茜と葵だった。

 叔母と同世代に見える双子が早熟なのか、洋装に着替えた千尋が幼く見えるのか。

 思うに彼女たちの母親も、そう歳が変わらないので、戦死した野上家の嫡子は歳がいっていたのだろう。

 ただそれにすると、嫡出の長男が正妻サキの実子と疑わしい。

 白髭を蓄えた耕造が六十歳を超えていれば、妻との歳の差は二十余りで後妻の可能性もあるのではないか。

「では紹介が済んだところで、進駐軍が島を訪れた理由を聞かせてもらおうか」

 役者が揃ったのであろう。

 私が野上家の家系に考えを巡らせていると、耕造は旅の目的を問うてきた。

 私は背筋を伸ばして座り直すと、息を深く吸って襟元を正した。

 迫根島には、私の素性を探りにきた。

 加藤は、きっとそのように応えると踏んだからだ。

「宝探しだ」

 その場にいた誰もが顔を見合わせて、事の真意に首を傾げた。

 突拍子もない加藤の台詞に、私は困惑した。

 それでも平静を装っていたが、迫根島で財宝探しとは何の冗談なのか。

「こんな一過村に、どんな宝があると言うのか」

 耕造が鼻で笑うと、加藤は腕組みして真剣な表情になった。

「あなたは先ほど、この島に駐屯していた兵隊が防空監視と偽り、島民を鉱夫に徴用したと言いましたね。GHQは資源調査を指揮していた弓田宗介特務曹長、後の佐官が陸軍技術本部の密命で、島の何処かに軍資金を隠匿したと考えているんです」

 加藤は片膝をついて立ち上がり、事態を飲み込めない私を指差した。

 彼の言動に失笑していた耕造は、私に目を凝らしている。

「この男の顔、よくご覧なさい。戦火のせいで痩せこけてしまったが、あなた方は存じているはずだ」

 加藤は、私を弓田宗介だと言いたいのだろうが、私が当該の人物ではないのは、千尋や与吉の反応を窺えば当然である。

 それでも彼は、私をかの人物だと押し通す算段なのだろうか。

 無理筋な気がした次の瞬間、耕造が目ん玉をひん剥いて背を仰け反らした。

「い、いや、そんなはずがない」

 耕造は、何かに怯えて言葉を詰まらせた。

 妻のサキと義理の娘である清美は、ただならぬ家主の窮状に両脇を抱えるように近寄った。

 よく解らぬが、家主は私の素性に心当たりがあるようだ。

 しかし、それは誤解だろう。

 咳込み、身を硬くした老人を前にして不謹慎この上ないが、私は事態の急変に胸が躍る気分だった。

 ここにいる者は、きっと弓田宗介の人相を知らない。

 だからハッタリをかます加藤の言葉に惑わされ、私を弓田宗介と騙されている。

 私は盲目の鵜であり、彼らに向けられた疑念は、その役目を果たしている証拠なのだ。

 私の正体を見抜く者があれば、それが逆心の使徒と巨悪を繋ぐ足がかりとなる。

 その逆もある。

 私をかの人物として、接触して来る者もまた亡国を企む輩なのだ。

 これは大役を仰せつかったものだ。

「お父様、彼は弓田宗介なのね」

 耕造は、千尋の問いに首を横に振って否定した。

「こ、こいつが弓田であるはずがない。あいつが、島に戻れるはずがない。あいつが炭鉱で起こした崩落事故……、いいや、あれは事故じゃない」

 狼狽していた耕造だが、気を取り直して私を見据えた。

 千尋は弓田の名前を出さぬように忠告しており、島の区長は私を弓田と誤解して動揺している。

 私の兵隊服を忌避する訳合いを考えれば、炭鉱事故を軍による故意だと疑っているのは想像に難くない。

 だとすれば今、軍資金の話を聞かされた区長は得心がいったのだろう。

「弓田は、島のあちこちを掘り返して穴だらけにした。そして何も出ないと知ると、穴蔵に十三人の御霊を残したまま島を出ていきおった。あれは何かを探しておるのだと思っていたが、何かを隠しておったのだな」

 十三人の御霊とは、炭鉱で命を落とした犠牲者の数だろうか。

 それだけの惨事を引き起こした弓田が、おめおめと迫根島に戻れるはずがないと、耕造は考えている。 

「そうか。お前が連れてきた男が、穴掘りに駆り出した島民を口封じに殺したんだな」

「そうかもしれん。それもGHQで捜査してやろう」

 加藤が目端に捉えた私は、いつものように訳知り顔だったに違いない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=535176207&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ