02 ラバウルからの手紙
ニューブリテン島のラバウルに連合軍の捕虜収容所が設置されたのは、昨年夏頃だったと聞かされた。
夏と言っても南半球のことで、初春の今より涼しく過ごしやすかったらしい。
いやいや、高温多湿の南国なので、四季を通して蒸し暑いことは蒸し暑い。
私は格子の窓から射し込む陽射しを避けて、ぼんやりと壁を背にして座っていた。
同房の日本人が野良仕事に駆り出される中、正体不明の私は連日尋問されるだけで、ただただ蒸し風呂のような収容房で暑さと格闘するのに辟易している。
終戦から半年が過ぎて帰国を待つ身となれば、ここで執拗に尋問される理不尽も感じていた。
「ジョン、そろそろ正体を明かして日本に帰ろう。意地を通したところで、酬いてくれる帝国は崩壊したんだぜ」
首に手拭いを下げた佐野俊二が、野良仕事を終えて収容房に帰ってきた。
彼は従軍の陸軍報道班員という経歴にあり、引揚船を待つ日本人を監視する連合軍の将校とつるんでいる。
もしも私に過去の記憶があれば、帝国の崩壊を口にした彼を不快に思うのだろう。
だが今は、そんなことより頭に巻いた包帯から解放されたいと望むばかりであり、帰国を待ちわびる多くの復員兵の気持ちも彼とそう変わらない。
日本帝国は連合軍を前に崩壊しており、戦争が終わったのである。
帝国の冠を軽忽に降ろした日本には、幾分かの薄情も感じていた。
私たちが日本に義理立てするには、大勢の人間が死に過ぎたと言うべきか。
「私は、憂うべき国を忘却して幸いです」
「本当に記憶がないのか」
佐野は同房となってから、念入りに聞いてくる。
このような身の上の私だが、私の過去についての記憶の他は、常人以上に物覚えが良いから詐病を疑われた。
「私には、敵を欺く理由が消え失せています」
私の前に立った佐野は膝を曲げて屈むと、口角を上げて笑った。
「いつまでもジョン・ドウでは、帰国してからの生活もままならないぞ。だが、そうであれば都合が良い」
佐野が呼んだジョン・ドウ (John Doe)というのは、連合軍の将官が私に与えた『名無しの権兵衛』である。
名前を持たないのでは、何かと不自由なものだ。
しかし日本人の私が、ジョンなどと呼ばれてもピンとくるはずもない。
彼は、名前を失った私の何が都合が良いのか。
「日本に帰りたくはないのか」
日本から到着する引揚船には、所属のしっかりした者から乗船しており、私のような所属不明者は帰すあてもなく後回しにされていた。
それに私の場合、捕虜にされた状況が状況なだけに、帰国の算段が捨て置かれている。
連合軍が一発の銃声に駆けつけてみれば、そこに私がいたと言うのである。
状況からすれば、私は某かの理由で味方から撃たれた可能性があるらしい。
事故か事件が解明せぬままに、私がどんなに望もうとも、連合軍は日本に身柄を引き渡さないつもりだと思った。
それと知っている私が無言でいると、佐野は私の肩に手を回してきた。
「帰国しても、今のままでは頼れる者もあるまい。だからと言って、このままラバウルに残るわけにもいかないだろう」
「そうですね。ここは暑くて堪りません」
「そこで取引だ」
私は、佐野の心中を探るように見据えた。
この男は終戦後、連合軍の呼びかけで投降してきた報道班員であり、どういうわけか収容所の将校に取り入っている。
そいつが持ちかける取引ならば、きっと連合軍に利するものだと予想ができた。
「先立って、日本の司令部に転属した日系の尋問官を覚えているか。ここの所長が、日本の事情を知る者に彼の仕事を手伝ってほしいそうだ」
「私が、連合軍に従事するのかい」
「今の日本を客観的に見て、連合軍司令部に戦後復興の在り方を助言する仕事だ。報道班員の俺に回ってきた話だが、こう見えて俺は義理堅い男でね。その点、ジョンは自分に纏わる過去を除けば、ここにいる誰よりも事情通で政治的な思想も中立だ」
確かに特定の思想を持たない私は、連合軍に従事するのに都合が良いのかもしれない。
連合軍の将校に取り入っている彼が義理堅いとは思わないが、帰国してまで敵に寝返ったなどと中傷されたくないのだろう。
「そういうことですか」
「戦後復興の手伝いだと思えば、それほど嫌な話ではないだろう。ジョンなら最適だと推してやっても良い。どうせ連合軍も、傷病兵の扱いを持て余している」
佐野の提案は、私が連合軍司令部に所属する機関に従事する条件で、引揚げ船で帰国後に都内の病床を用意するとものだった。
頭のせいで復員しても行く宛があるでなし、国に義理がないのはもちろんだった。
また衣食住が保証される病人というのは、今の私にとって好条件である。
それだけに彼の取引が気にかかった。
「決まりで良いなら、明日の引揚船に乗船できる」
「しかし急な話ですね」
「あちらさんも、ここを引き払って本国に帰りたいのさ。ジョンが脱走兵でも、犯罪者でも、ここで抑留することに興味がないんだ」
佐野は胸ポケットから手紙を取り出すと、それを手荷物に隠しておくように言った。
私は封筒を日に透かしたものの、折り畳まれた便箋の内容を読むことが出来なかった。
「これは」
「手紙は然るべきとき、然るべき人が訪ねてきたら渡してほしい。取引とは、俺に代わって日本に手紙を届けることだ」
「それだけかい」
「それだけだ。それだけのことで、帰国できるのだから断る理由はないよな」
届ける相手がわからない手紙の配達とは、奇妙な取引である。
しかし佐野の言うとおり、取引を拒む理由はない。
私は二つ返事で、宛名のない手紙を受け取った。
※ ※ ※
佐野の提案を飲んだ翌日、浦賀港に向かう引揚船に押し込まれた。
船はいくつかの港を経由したが終戦から半年が過ぎており、乗り込んでくる復員兵も僅かであれば、船倉を寝床にして快適と言えないまでも窮屈がなかった。
そうした船旅にあっては敗戦の悲壮感に乏しく、同舟の者との会話に花を咲かせる場面もあり、記憶とともに修羅場を去った後ろめたさの雪解けを感じる。
私は下船のとき、復員を歓迎する大勢の中に手紙を受取りにくる者がいると思っていたので、託された手紙の封を切らず後生大事に従っていた。
しかし私は同舟の者が引き払った港で、好奇心に急かされて手紙を開封した。
知りたがりの私は、他人の秘密を覗き見るのに悪びれるところがないらしい。
報道班員が連合軍の検閲を恐れて託した手紙であれば、きっと国家の陰謀に纏わる重要な内容が書かれていると思われた。
しかし三枚に折られた便箋に綴られていたのは、他愛もない恋文で拍子抜けした。
その内容は今生の別れを惜しむものであり、まるで不帰の客が書いた遺書のようであった。
佐野の年頃を考えれば父が娘を慈しむような、それでいてそこに親子の間柄を匂わす文面がない。
もしや彼には、帰国の意図がないのではなかろうか。
年下の女性に宛てた、そんな恋文である。
私は本郷の病院に向かう道すがら、似たような封筒を探して便箋を元通り仕舞ったが、手紙を受取りにくる者は永遠に現れないと思った。
どうしてそう思ったのか、今以ても答えが出ない。
私は充てがわれた病室で過ごしていたところに、ラバウルで世話になった日系の尋問官が連れ出しにきたが、ついぞ受取人は現れなかったのである。