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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
28/32

03 市警のポアロ

 港に並んだ三隻の漁船に分乗した高知市警察の警察官が迫根島に上陸したのは、安藤邦久が日島の崖から身を投げて二日後、漁から戻らない与吉の捜索に出た川之石漁業組合が島を訪れた日の夕刻だった。

 市警が事件のあらましを駐在の笠間から聴き取り、耕造たち被害者の遺体を漁船の甲板に安置している頃、日の暮れた暗い道を一人の警部補が本家を訪ねてきた。

 庭を回って居間に乗り込んできた彼は、事件の関係者を集めて事情聴取すると、落ち着き無く関係者の顔を見渡してから腕を組んで沈黙した。

「この事件の謎は、全てわかりましたぞ」

 市警の岡部虎夫警部補は、イーゼル髭を撫でながら膝を打った。

 岡部警部補は三つ揃いのスーツの襟を指で整えると、ベストのボタンを弾け飛ばさんと突き出た腹をことさら突き出して胸を張る。

「被害者たちは、迫根島で件の特務曹長がコークスの横流しで横領した金を探していたが、安藤邦久の仲間割れで殺されてしまったんです」

 加藤は、被害者の探していた金の出処を正直に言えるはずもなく、殺された耕造たちが探していた埋蔵金は、弓田が帝国陸軍の目を盗んで着服した私財だと説明した。

 それを聞いた岡部は、犯罪絡みの金の横取りを企んだ被害者たちの仲間割れだと理解したようだ。

 警部補が通された本家の居間には、高明和尚も同席していたものの、そもそも和尚は弓田が迫根島に持ち込んだ金の出処を知らないので、加藤が吐いた嘘を見破れなかった。

 もっとも市警は、過疎の島に一介の部隊長が隠した埋蔵金が眠っているなどと、そんな夢物語を信じていなかった。

 世の中には埋蔵金の噂話が数あれど、一度だって掘り起こされた事例がない。

「しかし邦久は、有りもしない金の独り占めを企んで四人も殺した挙げ句、崖から身を投げて自殺とは情けない話というか……、じつに情けない話ですなぁ」

 胸に扇子を打ち付けて顔を仰ぐ岡部は、サキに出された熱いお茶を断ると、立ち上がり野上家の親族と高明和尚を見下ろした。

 恰幅の良い警部補は、よほど暑がりなのか額の汗を袖口で拭って、夜風の吹き込む縁側に移動する。

「でも警部さん――」

「マダム、私は警部補ですぞ」

 岡部は、手を上げて問いかけたサキにウインクした。

「夫は、どうして殺されなければならなかったのでしょう。警部補さんの言うとおり、宝が見つかっていなければ、罪を犯したところで犯人は一銭も手にできないわ」

「じつに良い質問ですぞ。私の見立てでは、島頭の耕造さんはGHQが宝探しに訪れたと聞いて、埋蔵金の捜索を諦めて白状しようと考えた。そして本土の邦久に伝えたところ、大金を諦めきれない邦久と口論になり殺された」

 高明和尚は『そんな話は聞いてない』と、私に耳打ちしてきたが、人差し指を唇に当てて黙っているように言った。

 岡部やサキたちは、和尚を宝探しの仲間と疑っていない様子なので、宝探しに興じたのを汚名と思うならば、無理に名乗り出て罪悪感を背負う必要はない。

 島に上陸していた邦久が亡くなった今、これ以上の犠牲者が増えることもなくなったのだから、暫し口を閉ざして静観していれば良い。

「では警部補さん、船頭の与吉が殺された理由は何ですの? 夫が仲間割れで殺されたのなら、彼も仲間だったと言うんですか」

「船頭を殺して上陸した邦久は、弓田宗介なる部隊長が再び迫根島を訪れたと思わせたかったんですなぁ。その証拠に日島の寺に身を隠していた邦久は、炭鉱跡で仲間だった組長を殺すと、黒い顔を白塗りにしてGHQを崖から突き落としている。船頭がいたら、そんな兵隊を船に乗せなかったと証言されてしまう」

 被疑者である邦久が亡くなって現れた岡部警部補は、名探偵を気取って事件の背景を語っているが、その程度のことであれば、ここにいる誰もが勘付いている。

 問題は邦久の犯行を裏付ける証拠がなく、犯人の狙いが弓田の隠した金だとわかっても、最後まで犯行を止められなかったことだ。

 全ての謀が終わった後、ああだこうだと聞きかじりを解説したところで、殺された人間は生き返らない。

「そして防空監視所の無線機を破壊したのは、村の方に残っていた組長でしょう。彼もまた大金を諦めきれず、邦久の指示に従って無線機を破壊した。GHQが宝探しにきたと、本土の邦久に連絡したのは彼かもしれない」

「組長さんは、長らく島のまとめ役を務めていた方ですわ。そんなはず――」

「マダム、事件というものは、大抵が金に目が眩んだ人間の仕業なんです。まあ欲をかいて邦久を手助けした彼も、結局は裏切られて殺されてしまった」

 肩を竦めた岡部は、炭鉱入口に近付いて殺された組長が邦久と共謀していたと言うが、それだけで彼の共犯を口にするのは早計に思われる。

 それでは、殺されたもう一人の見張りも共犯だったのだろうか。

「と、まあこの程度のことであれば、そこにいるGHQの顧問探偵もお気付きだったでしょう」

 岡部は、私に手を煽って『顧問探偵』などと囃し立てており、どうだと言わんばかりの態度が小馬鹿にしていた。

 私はGHQの顧問探偵でもなければ、まして事件を解き明かす警察官でもない、ただの旅行者であり傍観者である。

 私は『本職には敵いません』と、中座しようと片膝をついた。

 こんな茶番に付き合うほど、私には時間が残されていなかった。

「ムッシュ、お待ちください。あなたには、一つ聞きたいことがあります」

 日本の警察機構は終戦後、フランスの国家警察を手本に再整備されており、『マダム』だ『ムッシュ』だと口にする岡部がフランス帰りなのはわかるが、あれがアガサ・クリスティ著『スタイルズ荘の怪事件』に登場する名探偵エルキュール・ポアロを真似ているのだとしたら烏滸がましい。

 私の知るところ安楽椅子探偵のポアロならば、もっと思慮深い名推理を披露してくれるだろう。

「岡部さんは、私に何をお尋ねか」

 市警のポアロは挑戦的な物言いが癇に障った様子で、険しく歪んだ口元を扇子で隠した。

 和製の安楽椅子探偵は、随分と安い挑発に乗るものだ。

「駐在の笠間巡査長が、あなたを件の特務曹長だと証言しているのです。聞けば、弓田宗介が行方をくらました戦場からの引揚者だとか」

 ここにきて、また弓田と疑われるのか。

 過去を持たないのが、これ程も煩わしいと感じたことがなかった。

 ラバウルの抜けるような青空に手を翳したとき、私は泡沫の自由に大きく安堵したものだ。

 人は生きている限り、自分が背負った過去から逃げることが出来ない。

 そう言ったのは、二つの祖国の間で苦悩する加藤だったと記憶している。

「それは、私も知りたいところです」

 私が部屋を後にしようと立ち上がると、縁側の先に松葉杖を付いて港に向かう加藤を見かけた。

 怪我を負った彼は、高知市警察の手配した漁船に便乗して、私を迫根島に残したまま本土の病院に行くところだ。

 私は、これ幸いと彼を港まで見送ることにした。


 ※ ※ ※


「俺は二、三日で戻るが、それまでは一人で弓田の金を捜索してくれるか」

「それが私に与えられた任務ならば、断る権利がないのだろう。しかし加藤さん、両目を縫い付けられたままでは、目の前に見えるものも見えない。見つかる宝を見逃してしまう」

 私は加藤に突き出された手荷物を受取り、肩を貸して下り坂をゆっくり歩いている。

 彼から渡された革鞄は重く、私が知りたい情報が山程詰まっていると思われた。

「お前の言いたいことはわかる。だがCISの情報を開示すれば、お前の身柄は死ぬまで米国の監視下に置かれるんだぜ」

「私たちは、既に一蓮托生ではありませんか。島に隠された軍資金の出処を言い当てた私は、どうせ口封じに殺されるのが関の山です」

「お前に知られた俺だって――」

「私を旅の友に選んだのが、加藤さんの運の尽きだったと諦めなさい。戦争は終わったのだから、日米のチームプレイと行こうじゃないか」

「お前の口から、まさか『チームプレイ』なんて言葉を聞くとはね」

「君は、アメリカンフットボールの選手だったのだろう」

 鼻で笑った加藤は港の手前で立ち止まると、手渡した革鞄を開くように言った。

 書類を選り分けた私は、新聞記事の切抜きが整理されたノートに目を留める。

 枠に収まらない付箋やメモが大量に貼られたノートの表紙には、手書きの文字で『The Gospel of Judas』などと大層な名前が付けられていた。

 ユダの福音書(The Gospel of Judas)は、キリストを金貨で差し出した裏切り者のユダが、じつは最も真理を得ていた弟子として描かれており、近年になり彼の評価を覆した外典である。

 福音書の名を冠した資料を紐解けば、売国の国賊たる弓田宗介の評価が覆るのだろうか。

「CISが戦後、組織の交渉役だった弓田宗介の素性を探ろうとして収集した資料だ。弓田の日本国内での人脈、そして弓田が拘ったとされる騒乱事件を報じた新聞記事。迫根島の炭鉱崩落事故を報じた当時の記事には、お前のよく知る人物の署名がある」

「記事を書いたのは、ラバウルで同房だった佐野俊二だね」

 軽く頷いた加藤は、佐野が従軍する以前に迫根島を訪れて炭鉱崩落事故を取材していた事実を口にした。

 彼の著作に登場した匿名の陸軍関係者が、弓田の印象と重なっていれば、事実を聞かされても、よもやとも驚かなかった。

 なぜなら彼は終戦間もなく、浮き草のように連合軍に取り入る非国民で、同じ日本人の同胞を売るのに恥じる人間ではなかったからだ。

「報道班員の佐野は、戦前から弓田と懇意にしていた。とはいえ組織の構成員ではなく、彼らのプロパガンダに利用されていただけで組織の情報は皆無だった」

 弓田は反戦に逸る佐野を子飼いにして、組織の宣伝工作活動の足掛かりや世論誘導に利用していたのだろう。

 新聞や雑誌など報道機関を巧みに利用する術は、共産主義者の得意な戦術でもあり、近頃は西側諸国の為政者にも蔓延している手法である。

 GHQが日本人に行っている戦争の罪悪感を植え付ける放送は、まさに報道機関を利用したプロパガンダだ。

「お前の首実検をラバウルでさせたが、佐野も白塗りの人相しか知らないと言い張っている」

「なるほど、佐野は私を餌にして連合軍に取り入っていたのか。彼らしい役回りを演じている。いや、演じさせられているのか」

「ただ佐野の情報は、無駄ばかりでもなかった。奴が従軍した第20師団には弓田が率いた部隊が所属しており、弓田の伝で戦地入りした奴は、かの部隊がダンピール海峡を渡るまで同行している」

「佐野は、弓田が行方知れずになるまで行動を共にしていたのかい」

「詳細については、時間がないから書面で確認しろ」

 加藤が後ろを向いて本家の方を顎で指すと、高明和尚とサキを従えた岡部警部補が近付いてくる。

 被害者の遺族や和尚は、遺体の検視が行われる本土まで付き添うらしい。

「加藤さん、弓田の率いた部隊に野上洋平もいたのかい」

 私は資料を鞄に戻しながら、顔だけ加藤に向き直った。

「迫根島で事故の取材していた佐野は、野上洋平とも顔見知りの仲だったんじゃないか」

「では君は、洋平が弓田一派だと知っていたのか」

「ブリテン島の渡航した部隊名簿には、洋平の名前がなかった。こんな事件が起きなければ、彼を組織の構成員だと疑う理由がなかった」

 野上洋平が弓田の指揮の下で、炭鉱開発の責任者だったことも、彼が弓田と同じ南方戦線に出征したことも、全て迫根島に渡って得た事実である。

 そもそも妾腹の長男が、組織が送り込んだ構成員だと疑ったのは私だ。

「洋平が弓田一派との証拠はないのか」

 しかし洋平の遺髪を横浜に持ち帰った戦友とは、フィンシュハーフェンの戦いを生きてブリテン島に上陸した佐野だったのであろう。

 洋平の遺書を託した報道班員と千尋の面識があったとすれば、御婦人は私について何か聞かされていたのではないのか。

 彼女は存外、私が弓田の代役と知って船に乗り合わせのかもしれない。

 それに九州に疎開していた彼女は終戦前、そして遺髪を持ち帰る途中に立寄った神戸で、いったい誰と会っていたのだろうか。

「加藤さん、だんだんと面白くなってきましたね。人が殺されているのに、不謹慎だとか言わないでくださいよ」

「不謹慎だとは言わないが、何が面白くて笑っていやがる。お前の考えのとおりなら、まだ事件は終わっちゃいないんだぜ」

「まあそうなのですが、私たちにとって重大事は別件ではないですか」

 岡部たちと合流した私は、彼らが船に乗り込むのを確認すると、加藤から預かった革鞄を肩に背負い直した。

 船の甲板から身を乗り出した加藤は、もう乗り物酔いしているのか、船を係留していたボラードの綱を解いている私を手招きしている。

「お前に預けた荷物は、必要があれば使え」

「もちろん」

 与吉の船を牽引した加藤の船は、のそのそと離岸して港を出港した。

 それに続いて出港の準備をしている最後の船には、市警の岡部警部補が乗船して私を凝視している。

 高知市警察と言えば、土佐国の息がかかった藩閥の勅令憲兵が大勢だった。

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