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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
27/32

02 黄泉の穴

 炭鉱崩落事故で十三人の命を奪った八番目の炭鉱は、日島を望む海岸線の草地にあった。

 坑道入口は、まるで石で作られた祭壇のように野原の中に佇んでいる。

 地下資源の調査にきた帝国陸軍は、古くから海岸で石炭の露天掘りをしていた迫根島の炭層が、島を南北に分断している山稜の途切れる絶壁の先に続いていると考えたのだろう。

 小高い丘に立った私は、本島から日島までゴツゴツした巌頭が顔を覗かせる海を見ながら思った。

「坑道を背にして組長さんが仰向けに、もう一人が坑道から日島寄りの藪の中でうつ伏せに倒れていました」

 坑道入口で懐中電灯を点灯した笠間は、二人の遺体がどのように発見されたのか説明する。

 焚き火の焦げ跡が坑道を見下ろせる岩場にあり、そこに立てば組長たちが駐在所に向かって逃げずに、坑道から出てくる犯人に立ち向かったことがわかった。

 二人がかりであれば、殺人鬼に太刀打ちできると踏んだのか。

 それとも邦久と宝を探していた組長が、わざわざ炭鉱入口の近くで撲殺されたのだから、よもや殺されない算段があったのかもしれない。

「先に行きますよ」

「待ってください、私も行きます」

 坑道入口に近付いて破壊された板壁を確認すると、確かに下方の板が剥がされている。

 剥がされた板壁の穴は、四つん這いで通るのがやっとの小さなものだった。

 そこから坑道内に入ると、高明和尚が懐中電灯で照らした発電機に、駐在がガソリンを注いでいる。

「事故現場までは明かりがありますが、そこから先は当時のままです。手元の灯りを頼りにして、先に進むしかありません」

 笠間が坑内に明かりを灯せば、坑道の高さは身の丈の二倍ほどあるものの、幅が六尺(180センチ)ほどで三角柱を横倒しにしたような細長い空洞が広がっていた。

 出雲国風土記に『夢にこの磯の窟の辺に至れば、必ず死ぬ。故、俗人古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と名づくるなり』と、書かれた猪目洞窟を思い起こす情景である。

 黄泉の穴とは、こうした底知れぬ洞窟を指すのだろう。

「左右の壁は巨大な二枚の岩が支え合っており、日島に向かって緩やかに傾斜しておる。もともと迫根島は一つの島だったが、東西の両岸が崩れて日島と月島の属島、本島の三つに別れてしまったらしい」

「本島と属島を繋ぐ水道は、潮流が激しく行き来が難しいとことですが、それは島の形を変えるほどですか」

「そのうち本島も、波に侵食されて海に沈む。先日の大雨で山崩れしたのも、島が崩壊する予兆かもしれん」

 高明和尚が言うところ、坑道を支える岩盤は海に沈んだ山稜の名残りである。

 そう言われてみれば、先ほど笠間が指し示した山の岩肌とよく似た地質だ。

「山が尾根より裂けて、左右に積み重なっているわけですね。では坑道の先は、日島まで続いているのですか」

「崩落事故があって立入禁止に……、いや、そうだ。崩落事故の現場は、日島の西側だった」

 炭鉱跡で宝を探していた高明和尚は一旦否定したものの、この坑道の先が日島に続いて伸びていると言った。

 弓田が軍資金を隠しているのならば、最後に掘られていた八番目の炭鉱が最も疑わしいのだから、和尚たちが捜索しないわけがない。

 坑夫や兵隊は当時、左右を岩盤に挟まれた炭層を掘り進めていたが、その先端が日島に突き当たると、壁や天井が崩落して生き埋めになった。

 事故は人為的なものではなかったのだろうか、それとも意図したものなのか、現状では判断がつかない。

 私たちが明かりの指し示す方に進むと、炭を運び出すトロッコと枕木の敷かれた軌道が現れた。

 トロッコの中を覗けば、真新しい血のついた手頃な角材が投げ捨てられており、笠間は与吉や耕造を殺した犯人が訪れた証拠だと言った。

 そこから先の坑道は傾斜もなく、幾つかの浅い立坑と、岩盤の切れ間に坑木が打ち込まれて補強されているのを見つけた。

 明かりの届かない立坑や、太い坑木の影には、殺人鬼が潜んでいるかも知れないと思えば、腰の拳銃に手を当てている駐在が頼もしかった。

「ここから先は、整地してないので足元が悪くなります」

 笠間が振り返り足元に懐中電灯を向けると、入口から続いていた壁沿いの裸電球が、崩落事故の勢いで壁から引き剥がされて地面に落ちて割れている。

 崩落事故の現場は坑道を支える坑木に亀裂が入り、内側に大きくひしゃげていた。

 崩れた瓦礫は壁際に寄せられているものの、手掘りの道具や掘削機の残骸が放置されたままで、犠牲者を掘り返した後は、手付かずだったことが窺える。

 それでも和尚たちが、何かないかと調べたのであろう。

 ところ何処に瓦礫を片付けた形跡があり、ペンキで印の描かれた石が置かれていた。

「和尚さん、この石は何ですか」

「調べたが無駄足だった印として、一回掘り返したところに色を付けた石を置いておいた」

「なるほど、本格的に探していたのですね。これは、失敬しました」

 笠間は石を拾い上げると、高明和尚を睨みつけた。

「この炭鉱は事故以来、野上家が立入禁止にしていたはずです。こんなことして、事故でもあったらどうするんですか」

 笠間が憤るのも無理はない。

 立入禁止の坑内で事故が起きれば、駐在の管理不行き届きを責められかねない。

「今は、そんなこと言ってる暇はありません。ほら、あそこに光が見えます」

「何処ですか」

「ほら、あそこ、電灯を落としてください」

 事故現場の先端まで来ると、崩落した天井に僅かな日の光が差し込んでいる。

 それは近付くにつれて明るさを増して、日島に空いた大きな立穴に繋がっていた。

 懐中電灯の小さな明かりでも、差し込む日の光を捉えるのが困難に思われれば、事故調査に訪れた憲兵も見落としたかも知れない。

 ほぼ真円に陥没した日島の大地に手をかけた私は、足を踏ん張ればガラガラと崩れる壁を登る。

「和尚さんの言うとおり、岩盤の切れ目になる日島で天井が崩落して、土砂が炭鉱に流れ込んだようです。犯人が邦久ならば当然、坑道が日島に繋がっていると知っていたでしょう」

 問題は高明和尚が事実を知りながら、今の今まで口を開かなかったことだ。

 提灯持ち後に立たずとは言ったもので、和尚がもっと早く話していれば、坑道の出口である日島の捜索を進めていたし、少なくとも被害者が増える事態を避けられたはずだ。

「たぶん邦久は、日島の寺に隠れているだろう。寺には供物も寝床もあるので、数日であれば不自由なく隠れることができる」

 私と笠間に続いて大穴を這い上がった高明和尚は、悪びれる様子もなく作務衣についた土を手で払い除けている。

「邦久は、それと知って日島に逃げてきた。浜側を逃走した彼の行動は、筋が通っていた訳ですね」

 笠間たちが坑道に追い詰めたと考えた邦久は、まんまと日島に逃げ失せていた。

 それも日島には、数日であれば過ごせる島民の菩提寺があると知って逃げ回っていたのである。

「ここからは、自分の身は自分で守ってください」

 笠間がそう言うので、私は持参した鉄道鶴嘴の柄を握りしめた。


 ※ ※ ※

 

 日島の大穴は、本島を繋ぐ渡しの小舟が停泊する木製の桟橋に真横にあり、そこから対岸を見れば、あちらにも似たような桟橋があった。

 対岸の桟橋は、岩肌に急勾配の石段が作られており、山崩れで頂上付近の道が塞がれている。

 反対から見上げてみれば、桟橋に通じる道や石段が広範囲に塞がれていることがわかった。

「道を整備するのは、時間がかかりそうですね」

「本土から重機をいれないと、復旧の目処もつきません。葬儀どころの話じゃありませんよ」

 笠間はヘルメットを脱いで桟橋の縦杭に被せると、島の山頂にある寺に向けて林道を歩き始める。

 寺までの道は森の獣道ように細く、渓谷のように左右を高い崖に囲まれていた。

 まさに一本道の上り坂、脇道などは見当たらないので、大穴を出れば寺に向かうしかない。

 来た道を振り返れば、その高さに目が眩む。

 高明和尚は雨が降れば、雨水が激しく流れて坂道を通れないと言った。

 本島と地続きだった山が海に沈み、雨に侵食された崖が道を作るほど、迫根島は長い年月をかけて形作られた。

 ハイビスカスの咲き誇るところ、ここはラバウルと同じ南の島に相違ないのだが、肌に纏わりつく湿り気を帯びた空気は、陰湿な情念を孕んでいるように感じる。

「私が先に行きます」

 笠間は腰のホルスターから拳銃を取り出して構えると、私と高明和尚に静止を促した。

「駐在さん、丸腰の相手に無茶をしないでください」

「寺に潜んでいるのが、丸腰の邦久とは限らないんです。ですが寺に何者かが潜んでいれば、そいつが連続殺人を犯した殺人鬼に違いありません」

 島民の墓がある菩提寺の境内は、参門の先に石畳と玉砂利が敷かれており、本堂の裏手にある開けたところに供養塔や墓石がちらほら見える。

 ひときわ立派な供養塔は、炭鉱作業の安全を祈願して建てられたものだが、外柵の内側に墓誌が置かれていた。

 供養塔の墓誌には、炭鉱崩落事故で亡くなった兵隊や坑夫の名前が刻まれており、引き取り手のなかった遺体は、寺で無縁仏として祀っているらしい。

「私が呼ぶまで、お二人は待機してください」

「はい」

 私と高明和尚は、笠間に言われたとおり参門に身を隠して動向を窺っていた。

 日は傾き始めたものの、駐在が本堂の階段を上がり、こちらに掌を向けているのがわかる。

 慎重に事を進めているのに、誰も見つからなければ肩透かしも甚だしい。

「ときに和尚さん、宝探しなのですが」

「何かね」

「私がGHQに与えられた任務は、ご存知のとおり弓田が隠した宝探しなのです。和尚さんたちの捜索が無駄足だったのであれば、そこをご教授お願いしたい」

 笠間の姿が本堂に消えたのを確認してから、私は背中に隠れる高明和尚に話しかけた。

 密事を告白した和尚は、何を聞かれたところで隠し事をしないだろう。

 宝探しが私の過去を知る手掛かりならば、GHQに課せられた任務を全うしたい。

「野上家の旦那が管理していた炭鉱跡には、何かを埋め返した形跡がなかった。もっとも怪しい坑道は、あの通り坑道の突き当たりが土砂で塞がれて――」

「いいえ。弓田が名目であれ、帝国の命令で迫根島の資源調査をしていたのならば、軍関係者が出入りする炭鉱に宝があると考えていません。なぜなら軍資金の隠蔽は、帝国が命じたものではないからです」

 高明和尚は『宝は陸軍の金なのだろう』と、首を傾げて聞き返した。

 弓田が島に隠した軍資金が、連合軍から秘密裏に支援された金ならば、帝国陸軍の軍資金と呼べる代物ではない。

 曲がりなりにも広島の第11師管から派遣された弓田が、帝国に場所を知られている炭鉱跡に軍資金を隠すだろうか。

 答えは否である。

「GHQは、弓田が私兵を養う軍資金だったと考えています。ですから弓田の部隊に屯所を貸していた和尚さんには、他に心当たりのある場所がありませんか」

「そうであったか。では私たちは、とんだ見当違いの場所を探しておったのだな」

 高明和尚たちは、弓田が島に持ち込んだ金を陸軍の軍資金だと誤解しているから、炭鉱跡ばかりに気が向いていた。

 和尚の話を聞いても、有益な情報が得られないと落胆する。

「心当たりと問われれば、無いこともない」

「あるのですか」

 高明和尚は遠い目で空を見上げると、十字鍬の柄を地面に立ててため息を吐いた。

「月島……、月島は何かを隠すなら最適と言えましょう。あそこは禁忌地で、島民は忌み嫌い立ち入ることが出来ない」

「月島は禁忌の地ですか」

「墓地のある日島は生々流転の地として伝承されておるが、月島は黄泉の島とされておる。月島に何があるのか知らないが、島民が月島に立ち入ることはない」

 高明和尚が『禁忌地』と言った月島は、島民が決して上陸しない島である。

 区長の息子として迫根島に潜入していた洋平が知っていたならば、弓田が軍資金を隠すのに適した場所はない。

「和尚さん、真相が見えてきましたね」

「宝の場所かね」

「いやいや、それは追々考えます」

 月島に埋蔵金があると決まった訳ではないものの、一つだけはっきりした事がある。

「では、いったい?」

「耕造さんたちが殺された訳合いは、やはり埋蔵金の独り占めを画策してと言うことです。つまり島民の菩提寺に隠れているのは、島外の協力者だった邦久で間違いないでしょう――」

 そのとき本堂正面の踏み台を乗り越えて、日焼けした顔の安藤邦久が飛び出してきた。

「あ、あんたの言うとおり、邦久が寺から飛び出してきなすった!」

 邦久は賽銭箱に手をついて身を乗り出すと、参門で武器を手にする私たちを見て目を丸くして驚いている。

 その背後から拳銃を構えた笠間が追いかけてきたので、彼は一目散に本堂裏手の墓地に逃げ込んだ。

「弓田さんッ、やはり邦久は寺にいました! 墓場の先は行き止まりなのでッ、反対から回って挟み撃ちにしましょう!」

 叫んだ笠間は、そのまま邦久の逃げた方に駆け出したので、私と和尚は、本堂を駐在と反対周りに竹林を抜けて墓地へ走った。

 迫根島に上陸した邦久は、山狩り追い込まれて日島の寺まで逃げてきたが、日島から逃げ出す手段を考えてなかったらしい。

「邦久がっ、やっぱり邦久が犯人だっ、はぁはぁ」

「その件は、彼を捕縛すれば明らかになります」

 息が切れる高明和尚を捨て置いて墓地に出たとき、一発の銃声が聞こえた。

 墓地から突き出た崖の上に邦久を追い込んだ笠間が、頭上に向けて威嚇発砲している。

「お止しなさい!」

 笠間が邦久に銃を突き付けて駆け出したので叫んだのも束の間、覚悟を決めた彼は崖下の海に身を投げてしまった。

 船頭を撲殺して上陸した邦久は、本家で区長の耕造、坑道の見張りに駆り出された島民を二人、宝探しにきたGHQの加藤を崖から突き落とした殺人鬼と目されている。

 そんな男と対峙した駐在が、警告射撃しても咎められる者はいないだろう。

「邦久は、泳いで逃げ切れると思ったんですかね……。いくら漁師だからって、こんな高さから暗い海に飛び込むなんて」

 そう呟いた笠間は、拳銃をホルスターに収めて肩を落とした。

 高明和尚は『悔やんでも詮無いことだ』と、駐在を慰めている。

 私が残光の中で崖下を覗き込めば、邦久は海から突き出た尖った巌頭に、モズの早贄のように腹を突き破られていた。

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