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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
26/32

01 懺悔経

 法衣から作務衣に着替えた高明和尚と駐在の笠間は、野上家の玄関前でドカヘルや軍手など坑道捜索用の装備を準備している。

 島民の四人が思いがけなく殺された今、故人の供養で忙しい寺の住職に、犯人探しを依頼するのが筋違いなのは重々承知の上だが、非力な私と駐在だけでは心許ないと了承させた。

 和尚は三好青海入道のような大男で、頼りの加藤が伏せっているのだから、このまま手をこまねいて彼方者あっちものばかり増えれば、お経を唱えている暇でもなかろう。

「千尋さん、私の留守中はくれぐれも加藤さんの側にいてください。万が一と思いますが、何かあれば頼れるのは彼のピストルしかありません」

 私は上框に腰を下ろして脚絆を巻くと、玄関まで見送りにきた千尋に言った。

 しかし彼女は『どうぞお構いなく』と、回れ右して来た部屋に引き返してしまう。

 私は、つくづく無粋者だ。

「弓田さん、そろそろ出発しないと日が暮れまでに戻れません。坑道はともかく、夜目に紛れた犯人に襲われるのは御免です」

「わかりました」

 玄関に吊るされたドカヘルを手にした私は、高明和尚から軍手を受取ると、無理を聞いてもらったことを改めて感謝した。

「島の人たちの供養でお忙しいとき、お呼び立てしてすみません」

「それを言うなら、あんただってお仲間の容態が気になるだろう。男手が少なければお互い様で、それに邦久が野放しなのは、我が身にも危険がある」

「どうして、そう思われるのですか。犯人は、行き当たりばったりで人を殺している訳では無さそうです。和尚さんは、邦久に殺される心当たりでもありますか」

 高明和尚が顔をしかめて歩き出したので、その隣について前を行く笠間を追いかけた。 

 先頭を歩く駐在は本家から駐在所に向かう途中、切り立った岩肌の尾根を指差して振り返る。

「浜と集落を隔てる山の尾根は、どこもあんな感じで本家の庭を通らずに行き来できません。弓田さんの言うとおり、坑道を逃げ出した邦久が門の向こうでGHQの旦那を突き飛ばした後、行き場を失くしてこちらに戻ってきたのでしょう」

「犯人は、門を施錠しています」

「ですが、わざわざ坑道に戻りますかね。私が邦久なら、港に下りて船を奪って島を出ますよ」

「港にはあのとき、駐在さんと和尚さんがいたではありませんか」

「言われてみれば、確かにそうでした」

 笠間は私の推理を褒めているが、もっとも犯人が集落に逃げ込んだところで袋の鼠になるのが関の山である。

 殺人鬼に崩落事故のあった坑道を抜け出す訳合いがあるならば、それは島から宝を持ち去ろうとする加藤の殺害が目的だった。

 犯人は無目的に出会った島民を殺していないのだから、見張り役の組長が殺されたことにも訳合いがあるのかもしれない。

「和尚さん、つかぬ事をお聞きしますが、お屋敷から登ったところにある防空監視所に立入る島民がいませんでしたか。あそこは電気も通じていたし、無線機も置かれていました」

「うん? なぜそのようなことを聞きなさる」

「私と加藤さんは事件の前日、防空監視所を訪れて無線機があるのを確認していたのです。それが事件の後、無線機が破壊されていました。犯人が浜側を逃走しているなら、集落にある無線機を壊した輩がいたと言う事になります」

「それは由々しきことだ。あんたは今、島民に邦久の仲間がいると言っておる」

「無線機を壊したのが、人殺しの仲間とは限りません。しかし耕造さんを殺した犯人が、本家の庭を通らずに防空監視所の無線機を壊したのは理屈に合いません」

「ふむ……、そのような島民がいるとは思えんが」

 高明和尚の袖を引いた私は、ズボンのポケットに仕舞っておいた洋平の書いた地図を取り出した。

 洋平の地図は迫根島の炭鉱跡が記されたものであり、何もかも持ち去った炭鉱崩落事故の調査にきた憲兵が見落とした訳合いが、どうしてもわからなかった。

 私たちが防空監視所を捜索したとき、洋平の地図以外に目ぼしいものは持ち去られている。

 だが地図が最近、防空監視所に持ち込まれたとすれば納得ができる。

「島民に聞いても、彼らは弓田が掘り返した浜側にある炭鉱の場所を正確に把握していないとのことでした。しかし野上家は閉鎖された炭鉱入口の鍵を管理しており、管理者だった洋平さんの書いた炭鉱跡の地図も保管していたでしょう。だから地図が防空監視所にあった訳合いは、耕造さんも弓田が炭鉱に隠したと思しき宝を探していたからではないかと考えました」

「野上家の旦那は、病床に伏していたのだぞ。そんな馬鹿な話があるか」

「ええ、ですから炭鉱跡での宝探しは耕造さんだけではなく、信頼のできる組長だった島民、島を度々訪れて炭鉱跡を調べていた邦久……、それに和尚さんだったのではないでしょうか」

「私も邦久と宝探しをしていた? あんたは、そんな出任せを信じる者がいると思うのか」

「弓田の隠した宝が何であれ、それを発掘しても罪ではありません。耕造さんにも和尚さんにも、何の罪もありません。問題なのは、この事件が宝の独占に端を発していることです」

「あんたは邦久が宝を独り占めするために、野上の旦那や組長を殺したと言いたいのか」

 高明和尚は駐在所が見えたところで足を止めると、先にいた笠間に聞こえぬように小声で言った。

「犯人の目的が宝の独占であるなら、次に襲われるのは発掘に拘っている者です」

 顎に手を当てた高明和尚は暫し沈黙した後で『本当か』と、神妙な顔で呟いた。

 和尚には『これは私の妄想です』と、前置きして島民が次々に殺される訳合いを聞かせる。

 私の妄想が現実ならば、次に殺されるのは和尚だった。

 

 ※ ※ ※

 

 島頭だった耕造は戦争中、弓田が島に連合軍からせしめた軍資金を運び入れたのを承知しており、それを兵隊や鉱夫を使って掘削した炭鉱に隠匿したと考えていた。

 しかし終戦前から肺を患っていた老齢の耕造では、弓田の掘り返した八ヶ所の炭鉱跡を捜索することが出来ずに、当時の組長だった島民や、島の菩提寺を守る高明和尚らを仲間に引き入れる。

 和尚を宝探しの仲間だったと疑うのは、耕造と与吉が殺されたとき、真っ先に宝を探していた船員の邦久が犯人だと叫んだことだ。

 殺人鬼が与吉の船で迫根島に乗り込んだとして、邦久が既に洋上で殺されており、そいつが島に上陸した可能性がある。

 島民が船を呼びつけたのではなく、予定外の寄港だとすれば、むしろ第三者の上陸を疑う方が自然なのに、和尚は邦久を犯人だとして、その訳合いを『宝を横取りされると功を焦った』と、躊躇いもなく言い放った。

 つまり和尚は兄を探している名目の邦久が宝探ししている事実を知っており、与吉を殺して上陸した犯人が、耕造を殺して宝の横取りを企んでいると考えていた。

 邦久が島に宝が眠っていると知ったのは、身柄を押さえて本人の口から明らかにすれば良いが、弓田の身代りで死んだ兄の恒夫に口伝されていたのかもしれないし、島外の協力者を取り込もうと、耕造たちに持ちかけられたのかもしれない。

 こうして彼らは兎に角、私と加藤が島を訪れるまで、弓田の隠匿した宝を探していた。

 彼らが人目を盗んで集会していたのが、島外の協力者と連絡が取れる無線機があり、島民の動きを上から監視できる閉鎖された防空監視所だとしたら、お誂え向きだったはずだ。


 ※ ※ ※


「くれぐれも言いますが、あるやなしやわからない宝探しは罪になりません。犯人の狙いが宝の独占にあるのならば、殺された人たちは全員が被害者なのです」

 私が念を押すと、高明和尚は肩を落として耕造、殺された組長、邦久、そして自分が宝探しに興じて防空監視所で密会していたのを白状した。

「網元の野上家は、漁師だった島民を徴兵に取られた挙げ句、長男まで戦地に赴いて戻らなかった。島の財政を立て直すには、陸軍が戦争中に持ち込んでいた財宝の噂話に縋るしかなかったんだ」

「戦地からの復員が島に戻らなかった島の財政事情は、年々逼迫していたでしょう。区長や和尚さんが、宝を探していても誰も責められるものではありません」

 高明和尚は、私利私欲で宝探しに興じていると疑われる負い目から、私が切り出すまで本音を口に出来なかった。

 自らも命の危険がある和尚の口を塞いでいたのは、紛れもない罪悪感である。

 仏道に帰依する彼は『一切の業障海は皆妄想より生ず、若し懺悔せんと欲せば端坐して実相を思え』と、懺悔経を唱えて合掌した。

「さあ、お二人とも先を急ぎましょう」

 と、少し離れたところで聞き耳を立てていた笠間は、首を軽く横に振って私と高明和尚を急かした。

 駐在だって、島を行く末を案じた彼らの行動を咎めることが出来なかった。

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