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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
19/32

02 仮通夜

 本家の居間では耕造の親族だけで仮通夜が執り行われており、枕元では焼香台に背を向けた高明和尚が読経をあげている。

 席次は上座に喪主のサキ、その隣には義理の娘である清美が双子と並んで座っていた。

 私たちと捜索に出かけた千尋は、裾が泥土に汚れた洋服を着替えに自室に戻っているようだ。

「加藤さん、私たちはいよいよ招かれざる客ですね」

「奥方の顔を見てみろ。招かれざる客どころか、夫殺しの犯人扱いしている顔だぜ。俺たちを容疑者だと考えているのは、駐在だけじゃなさそうだ」

 加藤が膝を崩して寛ぐ笠間を睨みつけると、駐在は視線を逸して、胸ポケットから取出した紙巻きタバコに火を点けた。

 私だって、邦久が犯人だと素直に聞き入れていない。

 彼らだって、犯人が他にいると無意識に考えているから、お互いに気を許せないでいる。

 犯行が単独犯でなければ――

 いやいや、犯行前に防空監視所の無線機が壊されていたならば、ここにいる誰もが耕造と与吉を殺した可能性がある。

「それは、お互い様だろうね」

「そうだな。お前も俺を疑っている様子だし、人の目を気にしても限がない」

「私は抜け道がないのか駐在さんに確認しただけで、君の犯行を疑うつもりはなかった。ただ集会所の奥座敷で何を調べていたのか、それは気になります」

「お前は、俺の行動が気になるのか」

「私の態度が癇に障ったのなら、きっとそのせいでしょう」

 加藤は事件の前夜、分家に用意された食事を終えた私が引き上げるとき、炭鉱崩落事故を反対派の仕業とした推理を否定した。

 GHQは私の知らない情報を把握しており、だから反対派の仕業は『あり得ない』と言い漏らしたのであろう。

 私の知らない情報が何なのか、とぼけた彼の様相は語る気がなさそうだ。

 聞き及んだ刹那、踵返しに訳合いを確認すれば良かった。

 加藤とそんなやり取りをしていたとき、そそくさと部屋に現れた飯炊きの婆さんが、家の者に通夜振舞いの料理や酒を運ばせた。

 配膳を指を差しながら確認した婆さんは、居間で喪主を務めるサキに用意が整ったと告げる。

「当主が殺されて、呑気に食事なんて出来ますか。どうぞ私たちを抜きにして、お二人で召し上がってください」

 私たちに手を煽ったサキは、先に始めろと当てつけを言う始末だった。

 加藤は『ではお構いなく』と、座卓に用意された夕飯に箸をつけたが、私は気不味くて飯が喉を通らない。

「そう言えば、船頭さんの遺体はどうなりました」

 私は、官帽を膝に置いて煙草を一服している笠間に問いかけた。

 駐在は深く吸い込んだ紫煙を吐いてから、畳に膝を擦って近付いてくると、口に手を当てて居間にいる野上家の彼女らに目配せしている。

「与吉の遺体は、まだ操舵室にそのままにしています。いつ本土の応援が到着するのかわかりませんが、殺害現場を保存しておかない訳にいきませんから」

 迫根島の住民でもある笠間は、野上家に気遣って耕造の遺体を動かすなとは切り出せなかったのだろう。

 しかし駐在が、与吉の遺体を放置しているのは言い訳でしかない。

「日中は、この暑さです。それは幾ら何でも、あまりに船頭さんが不憫ではないですか」

 蒸し暑かったラバウルの戦場では、半日も遺体を放置すればメマトイが蛆虫を植え付けて、三日と待たず異臭を放ち骨皮を残して腐敗した。

 迫根島の夜風は涼しいものの、狭い操舵室で日照りに曝しておけば、本土の警察が押しかける頃には見るも無残な姿になろう。

「日中は山狩りで、与吉を運ぶ人手もありませんでした。一服したら、和尚と供養に行きますよ」

 笠間は、遺体を動かす手間がないと本音を漏らした。

 本土では、いずれ連絡の取れない与吉の捜索が始まり、船の立ち寄り先だった迫根島にも警察が駆けつけてくるだろう。

 外傷から見れば死因は、頭部を強打されたで疑いようがないが、正確を期するならば医者の所見が必要となる。

「では遺体を保存するなら、船には氷が積まれているはずです。せめて遺体を船倉に移して、なるべく涼しくした方が良い」

「なるほど、弓田さんの言うとおりです。漁船には、引き揚げた魚を保存する氷がありましたね」

「船頭さんの搬送が明日で良ければ、私たちも手伝います」

「助かります」

 感心した笠間は敬礼すると、煙草を灰皿で揉み消して、読経を終えた高明和尚を手招きした。


 ※ ※ ※

 

 サキたちが通夜振舞いの席に着くと、さっさと食事を済ませた笠間と高明和尚が港に向かった。

 どうやら和尚と駐在は、船に残してきた与吉の供養に行くようだ。

 それに続いて本家の下働きも、炭鉱崩落現場の坑道に追い詰めた邦久を見張る組長たちに、食事を届けると留守にした。

「遅くなりました」

 遅れて席に着いた千尋は喪服に着替えており、風呂上がりでシャボンの香りを漂わせている。

 後ろを通る彼女の香りに、思わず心震わせるなんて不謹慎だった。

 しかし髪を結い上げて和装に着替えた彼女は、渡し船で出会ったときの大人の色香を思い出させる。

 私はよもや、あのときから千尋に心惹かれていたのではないか。

「何かありますか」

「あ、い、いえいえ、何でもありません。これで全員が揃いましたね」

 視線に気付いた千尋は、斜向かいに座る私に問うてきたが、まさか喪服の貴女に思いを馳せていたなどと、口が裂けても言えない。

「本当に、お待たせして申し訳ありません」

「いやいや、私は野上家の皆さんが揃うのを待っていただけで、千尋さんが遅いのを咎めたわけではありません」

 本家に残っているのは今、耕造の親族と私たちだけである。

 私が聞きたいことが野上家の家内事情であれば、親族だけの席が望ましかった。

 親族が揃うのを待ち侘びたと口をついたのは、ただそれだけである。

「ここには兵隊も進駐軍もいるのに、主人を殺した犯人が島内でのうのうとしている。あなたたちが勇ましいのは、口と態度だけですか」

 サキが愚痴をこぼしたが、返す言葉がなければ下を向くしかなかった。

 区長の本通夜となれば、大勢の島民が弔問に訪れるのだろうが、門が閉じられた今夜は身内の者だけでひっそりしていた。

 庭で鳴く虫の声が、やけに大きく聴こえる。

「すみません。こんな席で、ですがこんなときだから、野上家の皆さんに聞いておかねばならないことがあるのです」

 沈黙に堪えかねた私が、おずおずと話を切り出すと、サキは背筋を伸ばして向き直った。

「聞きたいことと言うのは、野上家の家系に纏わる疑問なのです。事件が起きなければ、特段確認する必要がないことでした」

「当家の家系が、主人が殺されたのに何か関係がありますか」

「私は、無関係だと思いません。事件を解決するためには、私の疑問を詳らかにする必要があります」

「事件のことなら、何なりと聞いてください」

 席に揃った野上家の関係性ならば、渡航したときに被害者の耕造から紹介されている。

 だが耕造の妻サキ、ラバウルで戦死した息子洋平、息子の妻である清美、この三人が同世代というのは、明らかに不自然だ。

「耕造さんのご子息である洋平さんは、サキさんの実子ではありませんね」

「はい、洋平さんは主人が本土の妾に産ませたと聞いております。私が広島から迫根島に嫁いだ頃には、島で暮らしていた遠縁の清美さんと世帯を持っていました」

 戦死した洋平は、やはり千尋の異母兄妹だった。

 しかし彼が妾の産んだ婚外子となると、清美たちが分家に住まわされていた訳合いは、少し事情が違ってくる。

 私はてっきり、耕造が帝国陸軍の資源開発に賛同した息子を勘当して、関所の向こう側にある分家に追いやったと考えていた。

 分家に住まわせた洋平が妾腹であれば、そもそも家督を継がせる気がなかったように思われる。

 野上家の家督を継ぐのは、本家に残した千尋だったと言うことか。

「それで兄妹の洋平さんと千尋さんが、親子ほど歳が離れているのですね」

「ラバウルで戦死した息子には、父親を殺せるはずがないぜ。お前は、何が言いたいんだ」

 食事を済ませていた加藤は、漆喰の壁に寄りかかりながら言った。

 洋平の亡霊が犯人だとは思わないが、迫根島に争いの種を残してMIAとなった弓田と、遺髪だけを残して戦死した息子を繋ぐのが、南方戦線だとすれば一つの仮説に行き当たる。

 この島には、弓田が所属していた組織の一員がいる。

 そう言ったのは加藤だし、当時の島にいた組織の一員が生存しているとは限らない。

 島民の一部を率いて炭鉱開発に賛同した彼が、弓田一派だったとすれば如何だろうか。

「清美さん、洋平さんが本土の出生であれば、彼はいつ頃、迫根島に渡ってきたのでしょうか」

 清美は質問の意図を測り兼ねている様子で『いつ頃とは』と、聞き直して身構えた。

 先ほどサキは、自分が嫁ぐ前に洋平と清美が世帯を持っていたと言ったが、妾腹の息子が幼少期に島に渡ったのと、成人してから渡ったのでは訳合いが違う。

 耕造の息子は、何某かの目的があって妾の息子を名乗り出たかもしれない。

「洋平さんが親を亡くして、迫根島の主人を訪ねたのは、私が広島から嫁ぐ二年前の大正十二年じゃないかしら。翌年には、清美さんと祝言をあげたと聞いてますわ」

「そのとおりです。失礼ですが、サキさんは何が仰っしゃりたいんですか。私が、本家の落し種を誑かしたと仰っしゃりたいのですか」

「私は進駐軍に聞かれたから、正直に答えただけです。それとも清美さんは、そんなこと考えて洋平さんと世帯を持ったんですか」

「サキさん、冗談も大概にしてください……。貴女こそ、財産目当てで当主に嫁いだと噂がありましたわ」

 サキに同意した清美だったが、島にやってきた区長の息子と知って世帯を持ったと、嫌味を言われて腹を立てたようだ。

 千尋が、双子の母親が娘たちを私や加藤に嫁がせるつもりだと邪推した訳合いには得心がいった。

 野上家の血筋だった洋平が現れたとき、清美自身が跡目相続を当て込んで結婚した前例があった。

 そういうことだろう。

「あと一つだけ、お聞かせください。耕造さんの血筋は、ここにいる皆さんで全員ですか」

「兄の実母は亡くなっているので、ここにいる親族が全員だと思います」

 千尋は、反目している母親と兄嫁を横目に答えた。

 この先、被害者の新たな親族が現れることはなさそうだ。

「そんなことより、お二人ともお湯が冷めないうちにお風呂はどうですか」

 千尋は、私と加藤に風呂を勧めてきた。

 和装の清美たち親子は分家に戻れず普段着のままだが、それでも身なりがしっかりしているし、喪服に着替えたサキが仕切る家族葬の席で、着の身着のままで参列している私と加藤は場違いだった。

 カーキ色の兵装は、葬祭に相応しい正装と呼べない代物で、まして雨上がりの集落を歩き回った後である。

「そうですね」

 私は加藤を肘で突くと、千尋の気遣いに乗ることにした。

 

 ※ ※ ※ 

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