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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
18/32

01 容疑者

 防具監視所で壊された無線機を発見した私と加藤は、空き家になっている家々を千尋に確認しながら逃亡しているであろう殺人鬼の姿を探した。

 今は年寄りばかりが暮らす集落で、南側の断崖と平行して段々に並んだ長屋の半数以上が空き家である。

 ただ人の住まぬ家というのは朽ちるのが早く、躯体むき出しの廃墟となった家屋を見れば人が隠れようのないことは一目瞭然だった。

 それに集落には組長が説明したとおり、長屋の中央に臨む井戸に見張りが一人いたが、彼は長屋に近付く者はいなかったと証言した。

 私たちは和尚の屋敷に引き返して、長雨に道を塞がれた日島に渡る船着場にも足を延ばしたが、駐在や和尚の言うとおり道の先は行き止まりになっている。

「これ以上の捜索は、無駄足になりそうだ」

 加藤は山崩れの現場に立って鬱蒼とした森を眺めると、日暮れを迎える頃合いで捜索を切り上げようと言った。

 太陽が山向こうの月島に隠れれば、灯りを持たずの捜索打切りには同意する。

 それに分家を通らず集落に入る術がないのであれば、耕造と与吉を殺した犯人が、やはりこちらに逃げてきたとは思えなかった。

 それでも本家に戻る道すがら、駐在と和尚の鳴らしたサイレンで集まった野次馬の中に、傘箕で人相を隠した殺人鬼がいたのではないかと自問自答した。

 船で下働きしていた安藤邦久は操舵室の与吉を撲殺して上陸すると、本家の庭で行き違った耕造を殺害して何食わぬ顔で島民に紛れて私の前に現れた。

 清美が遺体を発見してから駐在が駆けつけるまで、そして駐在が和尚を伴ってサイレン鳴らすまでには充分な時間がある。

 私は集会所から本家の一本道で誰ともすれ違わなかったが、凶兆を聞きつけてどこからともなく分家のお白洲に現れた島民の動向に気を配っていたわけじゃない。

 私は日の暮れた集落を背負って坂を上がると、白砂の敷かれた分家の庭の手前で足を止めた。

 茜に化けた葵を組長に預けたとき、白砂の敷かれた庭は集まった島民でごった返していた。

 あの中に本家の方から紛れ込んだ者がいないとは、そうと思って見ていたわけではなく、断言できないのも確かだ。

「加藤さんは遅れて本家に来たけれど、誰か不審な行動をしていなかったか。例えば本家に向かわず、集落に戻るような者がいなかったかい」

「そんな者がいれば、真っ先に思い当たる」

 加藤は奥座敷に広げた資料を片付けてから庭に出て、双子の片割れを介抱する女衆に事情を尋ねた。

 まさか目立たぬように逃げている犯人が、女装なんて手の込んだ変装をしないだろう。

 それに部外者の私たちはいざ知らず、百人に満たない島民が紛れ込んだ余所者の存在を見落とすとも思えない。

「そうなると耕造さんと与吉さんを殺害した犯人は、駐在さんが山狩りをしている島の北側を逃走しているのでしょう」

 加藤は隣に立って私の耳に顔を寄せると、千尋に聞こえぬように声を潜めた。

 彼は『何を今更』と前置きして、防空監視所の無線機が破壊されているのは『島に手引した者がいるからだろう』と言った。

 無線機を壊したのが島の住人で、二人を殺した犯人が浜の方を逃走しているとは、私が口走った推理である。

 故に加藤は、この期に及んでと思ったのだろう。

「私たちがいた分家を通らず現場に行けないのだから、それはそのとおりです」

「井戸の見張りをしていた奴は、どうだ。あいつなら、どさくさに紛れて防具監視所の無線機を破壊できるだろう」

「まあ……それはそうですね」

 加藤は、私の間延びした返事に苛立った様子だ。

「迫根島には、防空監視所の無線機を壊した共犯者がいる。そう言ったのは、お前じゃないか」

 加藤は失念している。

 船員の邦久が犯人ならば、少なくとも共犯者がいなければ成立しないと言ったに過ぎない。

 前日の捜索で発見した無線機は、雨上がり前に破壊されていた。

 つまり犯人は私たちが防空監視所を訪れてから犯行が発覚する翌日の昼下がりまでに、集落を抜けて無線機を破壊すれば良い。

 殺人が用意周到に練られた計画ならば、本土との連絡手段を奪うのは何も犯行直後と限らない。

 防空監視所の無線機を壊したのが島の住人で、犯人が島の北側を逃走していると思いが至れば、自ずと容疑者は絞られる。

 ただ二人が殺された訳合いがわからなければ、安易に口にするのが憚れるだけだ。

 問題は犯行動機にある。

 弓田の隠した宝が犯行の引き金となっているのならば、どうして行方知れずの兄を探していた邦久が、島の何処かに宝があると知り得たのか。

 炭鉱崩落事故の詳細を調べていた彼が、何かの偶然で宝の存在を知り得ても不思議ではないものの、だとしても船頭や耕造を殺す動機がわからない。

 功を焦ったのなら先ず以て私と加藤を狙わないのは、手落ちではなかろうか。

 万全の備えで待受けた犯行だが、不測の事態で番狂わせが生じたように思われる。

 そこに事件の動機を解明する鍵があるとすれば、心に留めておく必要があった。

「おい、先に行くぞ」

 肩をすくめた加藤は、沈思黙考している私を急かすように前を歩き始めた。

 後からついてきた千尋も、顎に手を当てて思い悩む私を追い抜くと、傍らで手を引いて微笑んだ。

「さあ先を急ぎましょう」

「呆けてばかりで面目ありません」

「難事に巻き込まれれば、誰だって思い悩みますわ。父の死を弔ってくれるお気持ちは、もう充分に伝わっておりますので顔を上げてください」

 私は何も塞ぎ込んでいるのではなく、事件についてあれこれと推理している。

 千尋には昼行灯と思われたのか、要らぬ気を使わせてしまった。


 ※ ※ ※

 

 私たちが本家に向かうとき、崖沿いの一本道を島民が集落に引き上げるのに行き違う。

 どうやら浜側の捜索も不発に終わり、駐在の笠間は『戸締りに用心するよう』に言って、彼らを帰宅させたらしい。

「駐在は、こちらの捜索を当てにしてなかったようだな」

 加藤は細い道を踏み外さぬように、泥濘んだ足下を見ながら呟いた。

「誰も集落側に逃げて来なかったと、私たちが証言している」

「わかっている」

「もっとも駐在さんは、私たちの容疑も捨てきれないのだろうね」

「防空監視所で犯人を取り押さえられれば、万事解決したんだがな。俺たちには、耕造や船頭を殺す理由がないのに見当違いも甚だしい」

 笠間は私たちの報告を待たずして、島民を集落に戻したのだから、加藤の言うとおり成果を期待していなかったのだろう。

 もともと駐在は、耕造を殺した犯人が船で逃走を図るために港に向かったと考えており、操舵室で鉢合わせた私たちを犯人だと早合点した。

 私が本家から駆けつけた旨を告げると、集落側に逃走したのだろうと考えを改めたものの、全ての言い分を聞き入れていなかった。

「駐在さんは、私たちが無実を明らかにするために集落の捜索を買って出たから浜側の捜索に向かっている。あちらの捜索で犯人が見つけられなければ、私たちへの疑念が拭いきれなかったのでしょう」

 早々に島民を帰宅させて、私と加藤が本家に戻るのを待つと決めたのならば、そんなところだ。

 本家に到着すると、野上家の面々は居間に寝かされた耕造を囲んでいた。

 枕元には焼香台が置かれており、奥の部屋では、家の者が座卓に夕飯の支度をしている。

 その様子を庭から見ていた笠間は、私たちに気付いて向き直った。

「そちらは、どうでした」

「犯人は、集落に逃げている様子がありません」

「分家にいたあなた方が犯人とすれ違わなかったのだから、そうでしょうね」

 笠間は私の報告を疑っている様相もなく、関所の名残りだった大きな門扉を閂錠の横木で閉じた。

 それでは集落に戻った島民は、島の南側に閉じ込められてしまう。

 殺人鬼が門の向こう側にいるならば、彼らは逃げ場を失うではないか。

 駐在は振り向くと、襟元を指で抜いてネクタイを緩めて息を吐いた。

「一先ず安心ですね」

「おい、島民を閉じ込めて安心とはどういうことだ」

 笠間の行動を計り兼ねた加藤が、庭から座敷に上がろうとした肩を掴んで止める。

「島民を閉じ込める? 逆ですよ」

「逆とは、どういう訳合いですか」

 私が口を挟むと、笠間はやれやれといった様子で靴を脱いで縁側に立った。

 駐在は振り返らずに『だから逆なんです』と、肩を落として私たちに真意を語る。

「耕造さんと与吉さんを殺害した安藤邦久は、弓田さんの言うとおり浜の方に逃走していると思います。そういうことですから、殺人鬼と門を挟んで閉じ込められるのは我々の方なのです」

「駐在さんは、どうしてそう思われるのですか」

「浜側には、安藤邦久が熱心に調べていた坑道があります」

「邦久が坑道に潜んでいると、駐在さんは考えているのですね」

「坑道の入口は、野上家が管理している錠前で塞がれているのですが、崩落事故のあった坑道は板で塞いでいるだけです。先ほどの捜索で、事故現場だった坑道を塞ぐ板の一部が剥がされていました」

 野上洋平が管理していた炭鉱入口の錠前は、野上家で引継いだものの、事故直後に帝国陸軍から放置された坑道入口は、島民が板で塞いで立入禁止としたらしい。

 笠間は、地盤が弱く再び崩落の危険がある坑道の捜索は夜明けを待って行うことにしたと言う。

「安藤邦久が逃げ込んだ坑道入口は、島の者と協力して塞いできました。組長と数名が見張りを買ってくれましたし、逃げ場を失った安藤邦久は袋の鼠です」

「それにしたって、門を閉じた横木はこちらからしか解錠できないじゃないですか」

「気を悪くしてほしくないのですが、僕は野上家の皆さんも、あなたちも守りたいのです。だから夕飯が済んだら、あなたたちも集会所に戻っていただきたい」

 笠間は横顔で振り向くと、視線だけを私と加藤に向けた。

「なるほど。私たちを門の向こうに押し込めれば、駐在さんの疑念を拭い去ることができるのですね」

「僕は、あなたたちを疑っていません。ですが、物分りの良い人ばかりではないのです」

 それが笠間の本心なのか、このとき彼の背後にいた野上家の面々や高明和尚が険しい顔だったのは確かだ。

 駐在の立場は、門を閉じることで容疑者である邦久と私と加藤から野上家も守れるし、私たちも邦久から守れると言いたいのだろう。

 しかし流刑地だった本家の門は、こちら側から解錠できるので、結局のところ閂錠の門が、私たちを守る盾とならないことは明らかである。

「俺たちが、そんなに疑わしいのか!」

「加藤さん、ここは駐在さんに従いましょう。その代わり――」

 私は拳を振り上げた加藤を制止すると、炭鉱崩落事故の現場となった坑道の捜索に、立ち会わせてくれることを条件とした。

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