第三章00 病床にて
私に与えられた任務はCISの将校と全国を旅しながら、見聞きして感じたままをレポートして戦後復興の在り方に資することだった。
それが建前なのは、連れ立って歩く加藤が『何か思い出さないか』と、私の過去に言及する様から明らかなのだが、それは過去を知りたい私だって似たようなものだ。
お題目が何であれ、それが国を裏切ることになろうとも、私は自分の欲求から黙って彼に従っている。
CIS本部にも出入りしている仕事柄、このときの日本人が知り得ない情報に触れる機会があった。
加藤の所属する部署が、後に米国CI&E(民間情報教育局)と深い繋がりがあったことが判明するのだが、このCI&Eは、同局が発行した『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』の冒頭で、
「CI&Eは、ここに日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植え付ける目的で開始する――」と記載されており、CI&EやCISが日本人に戦争の罪悪感を植えつける洗脳計画の一端を担っていたことがわかる。
私は何も太平洋戦争を美化しようと言うわけではないが、戦後に芽生えた罪悪感は、日本の言い分を黙殺したGHQの占領政策で、意図して植え付けられたと考えざるを得なかった。
私の素性が連合軍に利するならば、私の過去は、日本人に戦争の罪悪感を植え付けるのだろうか。
また私の過去は、日本人の覚醒を促す恐れがあるのだろうか。
逆も然りで同義なのだが、これが後者である可能性も多分にあるから、加藤は私の素性を探るのに慎重を期している。
私がラバウルでMIAとなった共産主義者の弓田宗介だと聞かされたのは、迫根島に渡る直前の宿屋であった。
その私が迫根島に渡り三日目、区長の耕造と船頭の与吉が撲殺されたのである。
弓田の所属する組織の犯行であれば、中華民国やソビエト連邦に通じている組織にとっては、私の素性が伏せておきたい不都合だと推察できた。
とはいえ犯人とCISが、二律背反の関係とも思えない。
なぜなら私の素性に探りを入れるCISも、パンドラの箱から災厄を選り分けて希望だけを取り出したいように思われるからだ。
だから加藤は『お前が弓田宗介なのか、それは差し迫った問題でない』と言ったのだろう。
しかし災厄だけを箱に閉じ込めて希望だけを取り出すなんて、そんな都合の良い方法があるのか。
二人が殺された訳合いには、私の過去が纏っていると推理できても、それが何であるのか皆目検討がつかないのが現状だった。
それとて行き詰まった末の仮説であれば、ここで一旦筆を休めようと思う。
※ ※ ※
迫根島に上陸する前のことである。
私は復員して三ヶ月余り、陸軍報道班員の佐野に紹介してもらった東京・文京区本郷の病院で退屈な日々を過ごしていた。
彼には宛名のない封書を託されていたものの、手紙を盗み見れば他愛も無い恋文であり、手紙の配達が私の帰国を促す口実に過ぎなかったと思われる。
ヘソの曲がった私は、連合軍と懇意だった彼の好意に懐疑的だったし、実際に申し出を深読みして即答しなかった。
しかし手紙の配達との交換条件であれば、その対価として乗船券を得るのが正当な報酬だと考えて飛びついた。
「佐野には、一杯食わされたかな」
私は病床にて独り言ちると、佐野が大日本帝国の有様に異論を唱える物書きで、終戦直後に連合軍に取り入る非国民だったことを思い出した。
捕虜収容所で同房の兵隊が彼の軽薄な言動を訝しげに見ていたのは、そういう訳だったのだろう。
そもそも私自身が愛国心を忘却した非国民で、彼の諜者な振舞いを見抜けなかったに過ぎない。
私の素性が連合軍に利するとわかっているのだから、安請け合いしなくとも良かったのに、果たせない約束を持ちかけられて手玉に取られた。
新聞記者だった佐野の気骨のある著作を神田神保町の本屋から取り寄せてみれば、やもすれば彼には過度な反戦の志があったとも推察できる。
中華民国に宥和的な陸軍関係者との対談を手記にまとめた本の奥付は、それが太平洋戦争前に発刊されたとわかるし、表面上は当時の軍部に好意的な内容だったから検閲を免れていた。
しかし大日本帝国の覇権主義に警鐘を鳴らしている匿名の陸軍関係者が、それと同時に主敵として米国など西側諸国を想定していたことは、彼の言葉を深く考察すれば伝わってくる。
佐野が反戦思想を掲げる物書きなのは、著作においてその傾向が読み取れるものの、気前の良さを共産主義者に利用されていたのも読み取れた。
陳腐な言い方をすれば、佐野は政治思想を抜きにして、反戦ジャーナリストという功名心にはやる新聞記者だった。
権威への逆張りが記者魂と言うのならば、彼の言動は筋が通っているのだろう。
戦前においては西側諸国を仮想敵とする陸軍関係者に、戦後においては連合軍に鞍替えしたが、それを恥じている様子がなかった。
「終戦でたがが外れたから、連合軍に寝返った。そんなところか」
首を捻るところは、それと連合軍の片棒を担いで私の帰国を急かしたことに、いったいどんな因果があるのだろう。
空っぽ頭の私が帰国しても、佐野の役に立てるはずもない。
或いは私が過去を思い出せば、かの物書きの願いが成就するのだろうか。
私の帰国は、この国の争いの芽を摘む。
そうとも考えなければ、ただ面白半分にからかわれたことになり、何やらやり切れなかった。
「今となっては、暖かな南の島が懐かしい」
さてと病室の窓から東京帝国大学のイチョウ並木を虚ろに眺めていると、三食昼寝付きの病院暮らしが新たな監獄に思える。
私の身柄は南国の収容所から母国の病院に移されたが、浦賀港に引揚げてからこちら軟禁状態となり、気晴らしの散歩すらGHQのMPや看護婦の帯同を求められた。
医者のお墨付きで詐病の疑惑は晴れたものの、私を幽閉する誰かは私以上に私の過去に執着しているように思われる。
それが何なのか知りたくもあり、我が身の死活問題ならば知りたくもなし。
私の過去が多方に利益をもたらし、一方で他方に迷惑をかけることを薄々感じていた。
その他方には、私自身も含まれているのが面白くない。
「ジョンさん、具合は如何ですか?」
医者の呼びかけに、同室の病人が視線を向ける。
この病室には戦場から引揚げた境遇の者が集められており、同室の私が外国風の名前で呼ばれれば複雑な感情も沸き起ころう。
連合軍に押し着せられたジョン・ドウは、私の呼び名として定着しつつあったものの、ここが日本であれば名無しの権兵衛の方がまだしも救われる。
隣の病床で養生しているシベリアの引揚げ者には案の定、敵意を孕んだ眼差しが向けられた。
「ほら、お医者様が呼んでいるぞ」
シベリア帰りの男は、私の呼び名に酷く過敏だった。
「ありがとうございます」
「犬コロじゃあるめぇし、ジョンと呼ばれて尻尾を振るな」
憎まれ口を聞く彼は暇を持て余しているのか、そぞろシベリア抑留中に受けた共産主義教育が何たるかを聞かせることがある。
私が取巻く環境を知るために、この世界の成り立ちを知るために取り寄せている蔵書、主に政治哲学に関する書名が、彼に要らぬ誤解を与えているようだが、私は政治的な話題に取り立てて興味がなかった。
戦争で辛酸を舐めた復員兵には、帝国への恨み節から先ず以て共産主義に傾倒する者がいるらしい。
彼の話を聞くに浅学の赤化日本人なのは明らかだが、保守派の政治家や官僚が戦争犯罪人として公職を追いやられる現状では、敵の敵は味方と言わんばかりに共産主義者の口車に載せられるのも致し方ない。
とはいえ太平洋戦争が西洋諸国の覇権主義に抗うとの名目であれば、大日本帝国が反共産主義を掲げていたわけではない。
そうした風潮が戦前の軍部にもあったからこそ、目と鼻の先にある大陸において毛沢東率いる八路軍の台頭や、ソビエト連邦の北方侵攻を許した訳だ。
敵の敵の味方ではないのは自明の理だが、自尊心が高そうな敗軍の一兵卒は、寄り戻しで共産主義者が発する耳障りの良い言葉を鵜呑みにしている。
敵方の政治体制を賛美する日本人を見れば、漠然とした不安が脳裏を掠めた。
政治思想の対立は、そのどちらにも身を置かない私にとって気掛かりでしかない。
戦後価値観の趨勢がどちらに傾こうと与り知らないが、大鉈を振るGHQには釣合人形の片腕を削ぎ落としている自覚があるのか甚だ疑問が残る。
こと政治体制に言及すれば、国体護持を否定する占領地政策こそが新たな敵に塩を送ることに他ならないからだ。
もしも国内に燻っている争いの火種が燃え上がるとすれば、日本人同士が銃口を向け合うのは、同じ民族で争い続ける大陸の現状を見て想像に難くないのだが――
「それで具合は、どうですか」
不意に顔を覗き込んできた医者の声で我に返ると、私は読みかけの本を閉じて軽く会釈した。
医者は窓際に置かれたベッドに近付くと、筆記板を膝において丸椅子に腰掛ける。
筆記板に視線を落とした医者が、私の病状の書かれた書類をペラペラと捲った。
「体の具合が悪くなければ、病院暮らしは居心地が悪いです。いっそ退院して、働き口を探したいとさえ思います」
「それは、なんともなりませんね」
「どういった訳合いで」
「ジョンさんの記憶障害は、取り出しようのない頭に残っている鉄砲玉が原因なのです。今は一見して健康ですが、鉄砲玉の鉛毒により容態が急変しないと断言できません」
「鉛毒ですか」
「鉛中毒は末梢神経炎や急性脳症を引き起こすので、ジョンさんの記憶障害は鉛毒が原因かもしれない。小康を保っているのは、投薬治療のおかげなんです」
勝手に野垂れ死んでは困ると医者の言うところ、私の身柄が未だ占領軍下にあることが明白であった。
それでも高温多湿のラバウルより過ごしやすいと自分に言い聞かせているのだが、私は佐野が言葉巧みに帰国を迫るのに幾分か慎重になるべきだったと後悔もする。
なぜなら設備の整った帝都の病院に移ったところで、医者は頭の弾丸を取り除くことも、御国訛りのない私の素性を言い当てることも出来なかった。
それに逃げようのない南国の収容所ならば、気晴らしに出かける自由も保証されていた。
祖国の地を踏んで本望と言うのでなければ、ベッドに縛り付けられているのが煩わしい。
私の祖国が日本なのか、それも未だに手探りなのだ。
「私はGHQに戦後復興の在り方を助言するように頼まれて帰国したが、このような状況では意見具申するのもままなりません。せめて病院の敷地内だけでも、外出の自由をもらえませんか」
然らば辛気臭い隣人の与太話から逃げられるし、少しは気も紛れよう。
「今は何処も人手不足でね」
無情の一言に尽きる。
面前にあるイチョウ並木の散策すら、囚われの身で思うようにいかないらしい。
結局は何者かもわからぬまま、いつ来るでもない日系の尋問官を病床で待つしかない身の上である。
こうなると、しかめっ面の尋問官との再会が待ち遠しくもあった。
「過去を思い出すのに必要な物があれば、こうして用意している」
医者が床頭台にうず高く積み上げられた本や新聞に目配せすると、視界の先を通りががった看護婦に手招きされて席を立った。
看護婦が医者に耳打ちした刹那、GHQの将校が二人を押し退けて面会に訪れた。
藪から棒に病室に乗り込んできた進駐軍は、見覚えがあるラバウルの尋問官だった。
医者と入れ替わりに現れた彼は、私の二の腕を強く掴んで立たせると、本郷通りの喫茶店までついてくるように言った。
無信心な願いは存外、あっさりと聞き届けられたらしい。
ほくそ笑む私は、あくまで冷静なふりで何事なのか尋ねた。
「お前に頼みたい仕事がある」
私は加藤の登場を待ち焦がれていたわけではないが、こうした頃合いに病床から連れ出してくれるならば感謝する。
にわか共産主義者は隣のベッドに上体を起こすと、進駐軍の兵隊と連れ立って出ていく私を再び険しい眼差しで見ている。
彼は本来、戦時下で居丈高にしていた為政者を戦争犯罪人として巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に投獄したGHQに敵意を向ける必要がない。
むしろGHQは、同拘置所に留置されていた反戦や共産主義を唱えた政治犯を釈放したのである。
おかしな話ではあるが、その一点において君たちの利害は一致しているのだ。
いやいや、嫌味が過ぎる。
隣床の彼が共産主義に傾倒しているのならば、やはり反共産主義にある西側諸国は主敵なのだろう。
「どんな仕事なのか」
私は黄色に色付く景色を眺めると、丹前に袖を通しながら問うた。
「お前の仕事は戦後復興にある各地をCISの俺と訪ねて、旅先で見聞した事の次第を連合軍司令部にレポートすることだ」
「君は日本語に不自由しないのに、私のような水先人が必要なのかい」
加藤は床頭台に無造作に置かれた本を手に取ると、書名を見て一人合点に頷いた。
「俺は、お前のように日本の未来に熱心ではない」
「総司令部付きの将校が、そんな冗談はお止めなさい。この国の趨勢は、貴方たちの掌の上にある」
「日本の在り方は、もちろん俺たちGHQの施策で如何様にもなるだろう。しかしこの国の在り方には、当事者である日本人の見識も必要なのだ」
そのような大役であれば、記憶喪失の私なんかより名のある適任者がいるだろう。
自らの過去すら持たない私の批評眼が、日本人の見識と呼べるのか疑わしい。
それでは、まるで占領軍に白紙手形を渡すようなものだ。
盲判が彼らの狙いとも思えるが、それにしても私の署名では意味がなかろう。
となると私の素性が彼らに利するのであれば、私の署名には何某かの価値があるのだと不意に思い浮かぶ。
「なるほど、そういうことですか。それでは、そのようにしましょう」
退屈していた私は、こうしてラバウルから腐れ縁の加藤と旅立つことを了承したのである。
※ ※ ※
それから加藤とは戦後復興にわく日本各地を旅しながら、変わりゆく焦土をつぶさに見て回りレポートした。
テレビジョンやラジオでは、連日のように『太平洋戦争史の真相』などと称して、軍部や為政者の真偽がつかない戦争犯罪が繰り返して放送されており、これがGHQ主導の洗脳計画の一端かと思えば浅はかだと思った。
なぜなら私は旅する中で都度都度、当時の為政者を非難する若者たち、復員兵に石を投げつけるような人々に出会ったからだ。
当時の軍部や為政者を目の敵にする日本人の政治思想は、左翼に大きく舵を切ろうとしている。
そうした彼らの言動は、恰も日和見の佐野を見るようでもあり、病床にあって浅学を披露するシベリア帰りの男のようだった。
これがGHQの占領政策の賜物かと思えば、何やら厄介なことになっていると思われるので、そのようにレポートした。
加藤が満足顔で受取る私のレポートが、何某かの気づきを与えられれば良いと思う。
「お前は、GHQの占領政策が間違っていると言うのか」
加藤の語気に責めるところはなく、むしろそうであれば良いと言いたいようだ。
じつは、彼にそのように教育されていたのかもしれない。
旅の目的は、私に何かを知らしめたかったのか。
「加藤さんは、私がそう思うように仕向けているんじゃないのかね。GHQが現状に問題のある場所を選んで連れ回しているのであれば、具合が悪いと感じて当たり前だろう」
「そうだな」
「日本には『ミイラ取りがミイラになる』という諺があるし、ニーチェの著作『善悪の彼岸』を引用しても良いのだがね。GHQの急進的な占領政策が、国内に革新的な政治勢力を呼び込んでいるのは明らかだ」
加藤は『わかっている』と頷くのだから、私自身も旅を通じて洗脳されているのではと疑う。
後に旅の目的地が、どれも私の過去に縁のある場所だったと判明するのだが、これはまた別の機会にしよう。
さてと旅の終着地は、いつも本郷の病院である。
隣床にあったシベリア帰りの復員兵は既に養生を終えて退院しており、軍の機密に携わるCISの取り計らいで個室も与えられれば、以前のような息苦しさも消えた。
病院の個室は取り寄せた蔵書で書庫のようになり、戦争もますます遠くなれば、本に囲まれて暮らす軟禁生活が、浮世離れして悪くないとさえ感じている。
長期で半月余り、短期なら日帰りだった加藤との旅も、病院暮らしの良い退屈凌ぎにもなっていた。
「迫根島という名前には、聞き覚えはないか」
だが戦後復興を遂げる全国を訪ねる私が挙句に何処にもいけない身の上に飽きてきた頃、病室を訪れた加藤に迫根島の渡航が告げられる。
その日、彼は神妙な面持ちだった。
しかし私が『知らない』と答えると、とくに反応がなかった。
彼は努めて平静を装った風である。
「お前との旅は、これが最後かもしれない」
加藤の感傷的な台詞は、病室で荷物を整理していたときに聞いた。
愛用の船員バッグに旅支度をしていた私が振り向くと、彼はそっぽを向きながら鼻頭を指で掻いている。
私がGHQに与えられた任務も、これが最後なのだろうか。
彼の言葉には、もっと不吉な意味が込められているように思われた。
「まるで今生の別れじゃないか、旅立ちに縁起でもない。私としては、まだまだ加藤さんと旅を続けたい」
「そうだな、だから『かもしれない』だ」
私の過去をそれとなく探っていた加藤は、満を持して迫根島の渡航を決めたのであろう。
どうあれ私の旅も、いよいよ一旦の終着をみるようだ。
私の過去を巡る旅は、そんな心持ちで始まった。
閑話休題
第三章00『病床にて』は、第一章02『ラバウルからの手紙』の後、03『MIA』の前にインサートされるエピソードです。