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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
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07 籠の鳥

 私たち四人が本家に引返すと、庭で雨に打たれていた耕造の遺体は居間の布団に寝かされていた。

 加藤が殺害現場に踏み込まないよう託けていた組長が、きまりが悪そうに顔を伏せながら人垣に消える。

 雲間から光が射した庭には大勢の足跡が残されており、これでは区長を撲殺した犯人の足取りを追うのが不可能だ。

「遺体を動かしたのは誰だ! これでは現場検証もまともにできんぞ」

 加藤が怒鳴ると、耕造の枕元に座していたサキが立ち上がる。

 彼を睨みつけた区長の妻は、まるで私たちが夫殺しの原因と考えているようで『盗っ人猛々しい』と呟いた。

 彼女の言葉には、余所者がでしゃばるなという意味合いも含まれていると感じた。

 なぜなら野上家の下働きが、奥方を守るように歩みでたのである。

「殺された夫を、いつまでも泥水の中に放置しておく妻がいるものですか。主人は、私が家の者にお願いして部屋に運びました」

 サキは一見して物静かな女だったので、進駐軍に凄む姿は意外に思える。

 ただ夫の死を目の当たりにして気丈な振舞いは、兄の訃報を聞いて毅然としていた千尋の母親らしいとも言えた。

「ご丁寧に服まで着替えさせて……。これでは証拠隠滅を疑われても仕方ないぜ」

「ふざけんなッ。進駐軍だかなんだか知らねぇけど、お前たちが島に来たせいじゃねぇのか!」

「そうだ! とっとと島から出ていけ!」

 誰ともなく圧し殺していた感情を爆発させると、サキを不用意に疑った加藤を大声で責め立てた。

 ここにきて気付いたのは、戦争前から病に伏せていた区長に世話役を仰せつかっていた妻は、私たちの想像以上に島民に慕われている。

 庭先に参集した農具を担いだ島民も、鍬や鋤の切っ先を私たちに向ける有様だった。

「ちッ」

 加藤は舌打ちすると、私に視線を移して『何かわかるか』と問うてきた。

「ここまで現場が踏み荒らされていると、犯人の足跡を割出すのは無理です」

「他にはどうだ」

 加藤は、私を獲物の匂いを嗅ぎ当てる猟犬のように扱う。

 しかし本家に到着したとき感じた違和感も、遺体の傷口を綺麗に拭われたしまったので、その正体を検証することができない。

 サキが犯人でないのなら、本当に余計なことをしてくれた。

「そうですね。与吉さんに比べると、耕造さんの出血が少なかった気がします」

「耕造は雨の中にいたから、血も洗い流れてしまったんじゃないのか。それを差っ引いても、与吉より耕造の出血が少なかったのか」

「私は医者ではないので、詳しいことまでわかりかねます。この島に、お医者様はいらっしゃいますか」

 答えを期待していなかったが迫根島に診療所はなく、野上家に置き薬が常備されているだけで、たまに本土の医者が検診に訪れるのだと言う。

 となると船に置いてきた与吉の解剖所見も手に入らないので、二人の死亡推定時刻がわからない。

 二人が殺された時刻がわかれば、犯人の足取りも検討がついたはずだ。

「せめて足跡が残っていれば……」

 笠間は、そう言って肩を落とした私に、

「犯人の下足痕は、私が来たとき既に雨で消されていました」

 笠間は曲がりなりにも島で唯一の警官であり、駆けつけたときに犯人の足跡くらい探している。

 駐在の話では、庭に立ち尽くしていたのは義理の娘である清美だけで、他の者は軒先で呆然としていたらしい。

 彼らは突然の出来事に、放心状態になっていたのだろうか。

 ただ駐在の心象は、主の一大事を遠巻きにする家の者に違和感があったと小声で付け加えた。

「わかったわかった! 捜索は手筈通り、北と南に別れて犯人を捕らえれば良いんだ。俺たちは村の方に、駐在たちは浜の方に行くから、志願する者は着いてこい!」

 髪を掻き毟った加藤は、埒が明かない会話に業を煮やしたようだ。

 彼は集落に向かい勇ましく歩き始めたものの、私たちに着いてくる島民がいなかった。

「加藤さん、誰も着いてくる気配がありませんね」

「あいつらは、俺たちの犯行を疑っている。ピストルを持った殺人鬼に着いてくる奴がいなくても、そりゃ当たり前だ」

「浜には身を隠すに相応しい炭鉱跡があるのに、こちらの捜索を買ってでたのはわざとかい。犯人が炭鉱を調べていた安藤邦久ならば、あちらに潜んでいる可能性が高い」

「お前だって、真っ先に『アレ』を確認したいから反対しなかったんだろう。本家に集まった中に犯人がいたら、あそこに先回りされたら厄介だ」

 黙って頷いた私も、加藤と同意見だった。

 犯人の行動に一貫性があるならば、防空監視所に残されている無線機を破壊するはずだ。

 船、駐在所の無線機を壊した犯人の目的が島の孤立化だったら、防空監視所の無線機を残しておくのは片手落ちである。

 つまり犯人は、どのような手段を用いても防空監視所を目指している。

「防空監視所は行き止まりです。犯人を捕らえるならば、急いだ方が良いでしょう」

 加藤は背中を見送る島民の目がなくなると、小走りに分家の白い庭を抜けた。

 私たちが集落に差し掛かるとき、背後から千尋が声をかけてきた。

 肩で息する彼女は、慌てて追いかけてきたのであろう。

「私もお手伝いします……、いいえ、お手伝いさせて下さい」

 素知らぬ顔の加藤は、父親を殺された千尋の気持ちも汲まず手を煽った。

 私たちが向かう防空監視所では、二人を殺した殺人鬼と対峙するかもしれぬので、彼女の同行を許すのも危険だった。

 かと言って、このまま捨て置けば、身を潜めている殺人鬼に殺される可能性もある。

「良いですか千尋さん、この先に着いてくるのであれば、私の言うとおりにして下さい。決して敵討ちなどとは、ゆめゆめ考えてもいけません」

「わかりました」

 手ぶらで追いかけてきた千尋には、復讐の意図がないように思えた。

 それでも不安は残った。

 私と加藤の後を走って着いてくる彼女を振り返れば、父親の弔いに赴かざる得ない衝動を感じたからだ。

 平穏無事に暮らしていた島民は、事件をきっかけに狂気に飲まれている。

 島民は農具を掲げて山狩りに、清楚な御婦人でさえ足元を泥に汚して疾走していた。

 今朝は雨、昼下がりには双子の片割れに弄ばれて、日暮れ時を待たず命の危険に怯える最悪の一日である。


 ※ ※ ※

 

 私は屋敷造りの高明和尚宅に到着すると、そこから防空監視所に通じる一本道を見上げた。

「千尋さんは、和尚さんの家で隠れて下さい。そして私と加藤が戻るまでに何者かが山道を下ってきたなら、そいつがお父さんを殺した犯人です」

「え?」

「ですが人相だけを確認したら、捕らえようなどと考えず隠れてやり過ごすのです。相手は、大の男を殺害した殺人鬼なのです。約束して下さいますか」

「約束ですね」

「その通りです」

 私と加藤は千尋が軒に積まれた薪の山に身を伏せるのを見届けてから、犯人に行き違わないよう慎重に山道を登った。

 ところどころ雑草のない泥濘んだ道もあったが、私たちの予想に反して人の通った形跡が見つからなかった。

「当てが外れたか。この分だと犯人は、この先にある無線機の存在を知らなかったらしい」

 いやいや、加藤はともかく、私はそれも疑っていたので驚かない。

 小屋に到着する頃、雨上がりの夕焼け空が周囲を橙色に染め上げる。

 裏手に回った加藤は気勢がそがれたのか、銃を腰に収めて無造作に防空監視所に立ち入った。

 彼は部屋の電気を点けると、床に打ち付けられた無線機を見下ろして驚嘆の息を吐く。

「おい……、これはどうしたことだ」

「犯人が無線機を破壊する目的は、本土で与吉の不在が騒ぎになるまで、暫し島を孤立化することです」

「そうじゃない。誰もここに来た形跡がないのに、犯人はどうやって無線機を壊したんだ」

「無線機は、雨が上がる前に壊されていた訳合いです」

「だから、どうやって!」

 私の肩を揺すって叫ぶ加藤は、そのことを予想してなかったのだろうか。

「可能性は二つあります。一つは、港から防空監視所に通じる裏道がある。そして、もう一つが……」

「そうか。とうの昔、犯人が迫根島に上陸していた」

「少なくとも迫根島の住人が、殺人鬼の共犯者ということになります」

 事を詳らかにするならば、与吉、耕造を撲殺して逃亡した犯人は浜の方に隠れている。

「犯人は見つかりましたか」

 千尋は、山道を下りて戻った私に駆け寄った。

 御婦人の白いブラウスの袖口は、父親の亡骸に縋ったときに付着したであろう血痕で汚れている。

 私は彼女がそうした事実を知らないが、そうであってほしいとの想いが投影されていた。

「千尋さん、これは私のせいです。私が島に来なければ……」

「あなたが父を殺したのでないなら、そのように自分を責めて何になりますか」

「千尋さん、それでも私のせいなのです」

 私は胸でむせび泣く千尋の頭を、そっと抱き寄せる。

 この島の狂気は、やはり私のせいなのだ。

 この御婦人を苦しめている張本人は、やはり私なのである。

 迫根島の巌頭に盲目の鵜が一羽降り立ったので、それに釣られて他の鵜が誘き寄せられた。

 事件が弓田一派の謀ならば、その目的は何だ。

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