06 疑念
私は高明和尚が経をあげる中、笠間を操舵室から連れ出した。
加藤に話を聞かれても一向に構わないのだが、本人の前で疑うのも気が引ける。
「集会所から本家に通じる裏道ですか。勝手口から出て山中を進めば、敷地の外壁まで近付けると思います。しかし壁を迂回して屋敷に侵入するのは、ちょっと不可能でしょうね。もしかして、進駐軍の犯行を疑っているんですか」
加藤の犯行を疑っていないか問われると、否定できないのは後ろめたさが証拠であろう。
彼はサイレンが鳴ったとき、奥座敷に居たのか怪しい。
GHQは、私が知り得ない情報に基づいて島の秘密を探っている。
崩落事故が反対派の犯行ではない、決定的な何かを掴んでいる様子だ。
「弓田さん、どうなんですか。耕造さんと与吉さんを殺したのは、やはり進駐軍の犯行だとお考えですか」
「いやいや。ただ駐在さんの説明では、耕造さんを撲殺した犯人が集落方面に逃げたと言うので、裏道があるかもしれないと思っただけです」
「そうですか……。では、少なくとも私は存じません」
私は上陸した夜、笠間に『弓田』と声をかけられて『加藤さんが呼ぶなら、きっとそうなのでしょう』と認めてしまった。
島民が忌避する名前をいともあっさり口にするのは、駐在が戦後に赴任した新入りだからだ。
彼は戦争中、帝国陸軍が迫根島で何をしていたのか知らないし、まして弓田が日本転覆を企む国賊だと知る由もない。
「駐在さんは、どうして犯人が集落に向かったと考えたのですか」
「私が清美さんの悲鳴を聞いて本家に向かうとき、犯人らしき人物を見かけませんでした。しかしあなたたちが、犯人は港から上陸して本家に向ったと言うならば、耕造さんを殺して港に引き返すか、港を通り過ぎて駐在所に向かうしかありません」
つまり笠間は港を挟んで反対側にある駐在所から本家に向かっており、そこまでに犯人とすれ違わなかったので、集落の方に逃げたと考えたのか。
「しかし駐在所の無線機が壊されているのなら犯人は集落ではなく、本家と反対側に逃げたんじゃありませんか」
「私は犯人が耕造さんを殺害した後、留守にした駐在所の無線機を破壊して、船に残っていた与吉さんを撲殺したと考えていました」
「それは、どういった訳合いですか」
「私は港に船が到着したのを確認してから駐在所を出て、港に向かう途中で悲鳴を聞いて本家に向かったんです。弓田さんを信じるなら、犯人は与吉さんを先に殺害しています。ならば逃走経路は、駐在所を経由して本家から集落ではないですか」
「私の言葉を信じるならば、確かにその通りですね」
船着き場から駐在所を見上げれば見晴らしの良い高台にあり、笠間は予定外の寄港を不審に思って港に向かったらしい。
清美の悲鳴で本家に向かった駐在は、そこで高明和尚と合流して緊急事態を告げるサイレンを回すため駐在所に戻った。
事を成し遂げた二人が本家に戻ろうとしたとき、銃を手にした加藤が船の操舵室に侵入するのを見かけている。
彼は私たちが自分に遅れて本家に到着した事実を知らなかったので、私たちが耕造を殺害して駐在をやり過ごして、本土との連絡手段を断つと船に向ったと考えた。
つまり彼は操舵室に和尚と乗り込んだとき、私たちが耕造殺しの下手人だと勘違いしていたのである。
「だって船は、孤島からの唯一の逃走手段です。犯行を終えた犯人が、港に向かわなければ島に囚われの身です」
「理屈は通りますね」
「ですが順序が違うならば、その仮定は根本から覆ります」
笠間は、与吉が先に殺されたのであればと前置きした。
駐在所からは港に下りる道と、本家に向かう二本の道があり、まず駐在は港に下りる道を進んだ。
船着き場に差し掛かったとき、悲鳴に気付いて港から本家に向かったという。
「船で上陸した犯人は与吉を殺害して、駐在所に向かって無線機を破壊してから耕造さんを殺害したことになります。犯人は私が港に向かうのを確認してから、別の道を通って無線機を壊したのでしょう」
「そうなりますか」
「でも弓田さんは、集落に向かう犯人と行き違いにならなかったので、耕造さんを殺害してから無線機を壊したのかな……。ですが、浜の方に逃げても何もありませんよ」
それについて私も首を捻るのだが、私だって集落に向かってくる殺人鬼を見かけなかったのだから、笠間の見立てに縋るしかなかった。
「きっとそうですよ。犯人には、耕造さんの遺体が発見されるまでの余裕があります。犯人は騒ぎになった本家から集落に向かうのが難しく、島の北側に潜んでいる可能性が高いですね」
笠間は怪訝な顔になると、雨の止んだ外洋を眺めた。
「弓田さんは、あの進駐軍を信頼しているのですか」
官帽を被り直した彼は、独り言のようにポツリと呟いた。
「もちろんです。彼は、人殺しができる男ではありません」
しかし加藤が与吉の遺体を発見したとき、やけに落ち着き払っていたのが怪しいと、笠間は納得していないようだ。
駐在は、死と隣り合わせだった戦地に赴任したことがないのだろうか。
それは幸福なことでもあり、死に直面する職業柄不幸なことかもしれない。
「私たちは、人が死ぬのに慣れています」
「なるほど。あなたが信頼しているのであれば、私にとやかく言われる筋合いじゃないですね」
笠間の視線を追うと、加藤と高明和尚が操舵室の鴨居に手をかけて聞き耳を立てていた。
彼らに話を聞かれても構わないのだが、どんな顔をすれば良いのかばつが悪い。
「犯人なら決まっている」
「和尚さん、それは誰ですか」
私が聞き返すと、高明和尚は『安藤邦久』と聞き覚えのない名前をあげた。
邦久とは迫根島で坑夫だった安藤恒夫の弟で、兄の消息を訪ねて船で下働きしていた浅黒い顔の寡黙な漁師である。
和尚は、島の秘密を探る彼の事情を察しているふしがあった。
「安藤邦久は、行方知れずの兄を探す口実で島に上陸して炭鉱跡を調べておった。奴はGHQが財宝探しに乗り出したと聞いて、宝を横取りされると功を焦ったのだろう! あんたらが島に来なければ、こんな事件は起きなかったんだ!」
口角泡を飛ばす高明和尚は、数珠を握る腕を私に真っ直ぐ突き付けると、まるで私たちが犯人かのように怒鳴り散らした。
「あんたらの責任だ!」
上背のある加藤は高明和尚の袈裟を捻り上げると、顔をずいっと近付けて凄んで黙らせた。
このような彼の態度は、私も初めて見る。
「この島に眠る宝は、お前たちが考えているような宝じゃないぜ」
「ひぃっ! ひ、人殺し!」
「ああ人なら大勢殺したさ、それも日本人ばかり戦場でな」
「加藤さん!」
「いいか、俺たちは耕造も船頭も殺しちゃいない。邦久という漁師の姿が見えないのならば、そいつが島の財宝を独り占めしようとしているんだろう。だが俺が探している宝が、お前たち日本人にとって宝だとは限らないんだぞ」
日本人にとって宝とは限らない。
私は濡れ衣を着せられて憤る加藤の手首を掴んで、首を横に振って諌めた。
「私たちの無実は、お互いに心得ています。今は、島の秘密を論じている場合ではありません」
加藤は神妙な面持ちでため息を漏らすと、山狩りを提案した駐在に集落側の捜索を買ってでた。
「俺たちは、船で上陸した犯人が与吉、そして耕造を殺したと考えている。俺を疑うのは勝手だが、犯人が集落から本家に向ったと考えるなら、お前たちは浜の方を捜索しろ。俺たちは、身の潔白を晴らすため村の方を捜索する」
加藤はベクターCPⅠの遊底を引くと、薬室に弾丸を送り込んで私に目配せした。
彼は殺人鬼を自ら捕えて、意地でも無実を証明するつもりだ。
「わかりました。この島で武器を携帯しているのは、あなたと私ですから二手に別れましょう」
笠間が二つ返事で心得ると、本家に戻って集まっていた島民に経緯を話すことにした。