05 殺人事件
わらわらと蓑を覆った島民が駆けつけたので、私は先頭の一人を捕まえて何事か尋ねた。
先頭の男は先日、最初に崩落事故について聞いた組長だった。
彼は手を挙げると、続いてくる島民をそこに留まらせた。
「サイレンが鳴ったら、井戸に見張りを置いて本家に集合せねばなりません」
「だから、一体全体どうしたのです」
「あれが鳴ったのは崩落事故とこれが二度目で、野上の旦那は滅多なことでサイレンを鳴らさない。わしらも、何で鳴らされたのか気掛かりだ」
「サイレンは、つまり凶兆の報せなのですね」
「もともと兵隊が残した空襲警報だったが、戦争が終わってからはそういうことだ」
「あ、あ、葵さん! 葵さんの面倒をお願いします」
私は姉に化けた葵の世話を押し付けると、組長だった男は怪訝な顔をした。
「あれは野上の茜さんだ」
「あーっ、細かいことは、この際どうでも良いのです!」
私は夏外套のフードを被ると、サイレンで集まった島民に葵を預けて本家に向かった。
雨に濡れた玉砂利を踏みしめればジャリジャリと、戦場から履き慣れた靴を左右に滑らせる。
庭を抜けて月島を見下ろす坂道を駆け下りると、勢い余って崖っぷちに身を乗り出したが、手頃な小枝を掴んで体制を立て直した。
夜道だったら、崖下の岩礁に真っ逆さまである。
私は冷や汗を拭いながら、どうにか本家の垣根に一番乗りで辿り着くと、そこに立ち尽くしていた清美の後ろ姿に問いかけた。
「清美さんッ、なっ、何かありましたか!」
興奮を隠しきれない私は息つく暇なく、そこにいた清美の背後に駆け寄った。
「あ、あ……」
「どうしました!」
清美は震える指で、足下に転がっている耕造を差した。
島の主はうつ伏せに倒れており、白髪混じりの頭部に赤黒い一線が引かれている。
出血の程はそれほどではなかったものの、目を凝らせば赤く濡れていた髪が風に晒されて乾いていた。
放心状態で義父を見下ろす清美や、ピクリともしない区長の様子で、もう生きていないように見受けられた。
区長が本家の庭で、何者かに撲殺されている。
「清美さん、大丈夫ですか」
「は、はい……大丈夫です」
「駐在さんは、この事をご存知なのですね」
私は清美が首を縦に振るので、その手を引いて母屋の縁台に座らせた。
耕造が何者かに殺された訳合いは、今のところ何もわからない。
しかし事件が、私と加藤の上陸に端を発していることは明白である。
そこに追っつけ現れた加藤が、本家の入口に立ち塞がって押寄せた島民を制止した。
彼は惨状を一目見て、島民に殺害現場になった庭への出入りを禁じたのである。
「おい、耕造は殺されたのか」
加藤は、清美の背中を擦る私に聞いてきた。
奥座敷でサイレンを聴いたはずの彼が、私にだいぶ遅れて到着したことに苛立ちがあった。
そのせいで幾分、厳しい物言いになってしまう。
「君は、これを事故や自殺と思うのかい。後ろから頭をかち割られているのだから、誰かに殺されたのに決まっている」
「そうだな。しかし誰に」
「君は呑気だな」
それがわかれば苦労しないが、義父の死を目の当たりにして怯える清美の仕業には見えなかった。
私が人の気配に振り向くと、薄暗がりの居間に千尋と茜、それに飯炊き婆さんや下働きを従えたサキが様子を窺っている。
茜に化けていた葵の話では、葬儀の支度に高明和尚もいるはずだが、集まっている中に和尚の姿がなかった。
「高明さんは」
私が声をかけると、千尋が浜の方を指差した。
「和尚さんは、笠間さんと皆に緊急を報せに行きました。お父様を襲った犯人が与吉さんの船で上陸したかもしれないから、一人で行動するのは危険だと……」
けたたましかったサイレンは、いつの間にか止んでいた。
高明和尚は、清美の悲鳴に聞きつけた笠間と一緒に駐在所までサイレンを鳴らすのに付き合っているらしい。
殺人鬼が上陸したならば、駐在と言えども一人歩きさせられない。
「港には、与吉さんの船がいるのですね」
「庭から見える港には、確かに船が停泊しています。でも与吉さんが何処にいるのか、私にはわかりません」
雨に霞んだ港には、私たちが乗ってきた漁船が見えた。
犯人は、あの船で上陸したのだろうか。
「千尋さん、私と加藤で船の様子を見てきましょう。もしかすると、最悪の場合もあります」
加藤は私が目配せすると、組長の男に本家に踏み込まないように言い付けた。
「加藤さん、これは私の考えなのですが、恐らく与吉さんも殺されています」
「この騒ぎでは、船頭も船で安穏としてられないからな」
「それもありますが、殺人鬼が船で上陸して耕造さんを殺害したならば、顔を見られた与吉さんを生かしておくわけがありません」
「わかっているから、そう急かすな」
加藤は承知すると、上着のポケットから自動拳銃ベクターCPⅠを取り出してセーフティロックを解除した。
トリガーガードに指を置いた彼は顎をしゃくると、私を先導するように港までの道を下りていく。
駐在所でサイレンを回した高明和尚は笠間巡査長が拳銃を携帯しており、千尋たちが残った本家には島中の人間が集まっていた。
如何に殺人鬼でも、ここで犯行を重ねるのは不可能だろう。
「おい、お前はどう思う」
「耕造さんが殺された訳合いですか」
「崩落事故の真相がお前の推理どおりなら、炭鉱開発に反対していた耕造は、兵隊や賛同者を生き埋めにした容疑者だ。そいつが殺されたとあっては、生き埋めにされた遺族の復讐かもしれない」
「そういえば千尋さんは、炭鉱崩落で身内を亡くした遺族がいると言っていましたね。しかし私は分家の庭にいましたが、集落から浜に向かう人影はありませんでした」
今朝は生憎の雨で、磯漁に浜に出かける島民を見かけなかった。
分家と集会所を迂回して本家の庭に行く方法があるのかもしれないが、港に漁船が停泊していれば、耕造殺しの殺人鬼は島外からやってきたと考えるのが定石だろう。
「遺族がいるのは、島だけじゃないぞ」
「もちろんです。炭鉱崩落が耕造の仕業ならば、遺族の復讐を疑って当然です。ただ……」
私たちが石垣の桟橋に差し掛かると、漁船が鉄製のボラードにしっかり係留されているのが確認できた。
耕造が殺された訳合いには皆目見当がつかないものの、これが島外から乗り込んできた遺族の復讐とは容易に同意できなかった。
「加藤さん、操舵室の窓に返り血があります。やはり与吉さんも、犯人に襲われたのでしょう」
加藤は構えていた自動拳銃を腰に挿して、船に渡し板をかけて乗船した。
殺人鬼が与吉を撲殺してから本家に向かったならば、船倉に潜んでいるわけがない。
犯人が逃げるつもりで船に戻っているなら、鉄杭に係船ロープが巻きついているわけもない。
「こいつは酷い……」
「与吉さんも、やはり殺されていましたね」
操舵室の床には、耕造と同様に頭をかち割られた与吉が倒れていた。
操舵輪とガラスには返り血が飛んでおり、船頭の外傷も後頭部を真後ろから襲われているならば、これは顔見知りの犯行を疑わざるを得ない。
被害者が、ただの渡し客を操舵室に招き入れるとは思えないからだ。
「犯人が迫根島縁の者なら当然、与吉や耕造と顔見知りだろう」
操舵輪から滴る鮮血が与吉の足下に血溜まり、加藤がそれを避けて人影のない甲板を覗いている。
「加藤さん、妙だと思いませんか」
「何が妙なんだ」
「色々と奇妙なことがあるのですが、島の秘密を探っていた漁師の姿が見当たりません」
「犯人はあいつか!」
私は戦後、兄を探して船で下働きしている浅黒い肌の男が見当たらないのとに気付いた。
加藤は拙速に犯人だと言ったが、既に殺されて外洋に投げ捨てられている可能性もある。
しかし私が否定する間もなく、おっとり刀で駆けつけた笠間と高明和尚が、与吉の遺体を見つけて奇声をあげた。
「なっ、なんてことをしたんだ! いくら進駐軍だからって、ひっ、人殺しを見逃すわけにいきませんよ!」
笠間が南部十四年式拳銃を抜いて、銃口を加藤に向けたので、私が間に割って入った。
サイレンを鳴らした駐在と和尚は、私たちが船に向かうのを見て後を追いかけて乗船したところ、頭から出血して息絶える与吉に出くわしたのだ。
彼らが先にきた私たちを疑っても致し方ない状況ではあるが、少なくとも耕造が殺されたときの潔白であれば、本家に引き上げて組長や島民の証言を聞けば晴らせる。
「俺たちが、船頭を殺したと言うのか」
加藤は腰に手を回すと、自動拳銃を抜いて構える。
二人に銃を突きつけられた格好の私は、彼と笠間を交互に見ながら血の気が多いのも考えものだと思った。
こんなときこそ、冷静にならなければいけない。
「加藤さんも駐在さんも、とにかく銃口を下ろしてください。私たちが犯人でないことは、本家に集まっている皆さんが証明してくれます。私たちはサイレンを聴きつけてから、ここに向かったのです」
「では野上さんと与吉さんを殺した犯人は、いったい何処にいるんですか。犯人が与吉さんを殺した後、本家の庭で耕造さんを殺したなら、あなたたちの世話になっている分家の方に逃げているんです」
「私が最初に駆けつけましたが、集落に向かってくる者は見かけませんでした」
私は物陰に潜んでやり過ごした者がいても、慌てていたのでわからないと付け加えると、追っつけきた加藤も見ていないと言った。
「わかりました。とりあえず、お二人を信じましょう」
笠間はゆっくり銃を下ろすと、ホルスターに仕舞って操舵室を見渡した。
それから引き千切られた無線機のマイクの配線を辿り、その先が棒のようなものでベコベコに壊されているのを確認した。
「やはり犯人は、本土との連絡手段を断っていますね。私が清美さんの悲鳴を聴きつけて留守にしている間に、駐在所の無線機も破壊されていました」
笠間は雨に濡れた官帽を脱いで、首に巻いた手拭いで雨滴を拭った。
それから駐在は加藤の自動拳銃に視線を落とすと、山狩りをするから私たちにも協力するように言った。
「船の下働きの男も島の様子を探っていたが、あの男が与吉と野上の旦那を殺した犯人だとすると、二人が殺された理由は、あんたらが島に上陸したからじゃないのか」
高明和尚は、与吉の遺体に手を合わせた。
私のせいで人が死んだと言われても、言い返す言葉が見つからなかった。