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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
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02 日島の和尚

 日島の和尚こと高明は、長屋を抜けて集落より高台の東方に住んでいた。

 そこから先は森に向かう一本道で、道を下ったどん突きに日島に渡る船着き場がある。

 集落に通じる船着き場とは、ここが流刑地であれば手落ちのように感じるが、日島は月島と同じく岩礁に囲われており、小さな手漕ぎ船で属島と本島を行き来するしか出来ないらしい。

「日島は今時期、お花が見頃なので案内して差上げたいのですが、船着き場までの道が長雨で流されています」

「存じています。駐在さんが、すぐには退かせないと愚痴をこぼしていました」

「笠間さんは、島のことを色々やってくれます」

 千尋は瓦屋根の屋敷の引戸を開けると、高明和尚の名前を呼んだ。

 和尚は区長に次ぐ実力者のようで、その屋敷の造りも立派なものである。

 平屋の屋敷と棟続きには戦時中、上陸した陸軍が借り上げた屯所があり、今は広大とも思える敷地に和尚一人が暮らしていた。

「お留守かしら。困ったわね」

 千尋は玄関で靴を脱ぐと、当たり前の顔で部屋に上がり込んだ。

 都会暮らしの私は留守宅に上がり込むのを躊躇ってしまうものだが、田舎の人は余所者に排他的なわりに、心を許した相手には開けっ広げだと思った。

 暫くして玄関に戻ってきた千尋は、私たちの背後を見やり頭を下げる。

「あんたらが、皆が噂している進駐軍の方々かな」

 部屋の奥に進んだ千尋に気取られていた私たちが振り向くと、竹ざるに山菜を摘んだ高明和尚が静かに立っていた。

 口をへの字に結んだ高明和尚は、私たちを押し退けて上り框に腰掛けると、泥で汚れた脚絆を脱ぎ始める。

 この作務衣を着たいかり肩の第一印象は、島民に輪をかけて無愛想この上なかった。

「和尚さん、森に入ってらしたの」

「山の様子が気になったついでに、道の行き止まりで飯の足しに山菜を摘んできた」

「それで具合は、どうでしたか」

 高明和尚は千尋に竹ざるを見せつけて『このとおり』と言ったが、彼女が首を横に振ると、

「道は土砂で流されているから、新たに敷き直した方が早いだろう。……どうした、あんたらもお上がりなさい」

 高明和尚は私たちを招き入れると、祭壇の置かれた仏間に通して茶を振舞ってくれた。

 祭壇は立派なものだったが、本堂にはこれより大きな葬儀祭壇が置かれており、島で亡くなった島民は本島で通夜を行った後に日島の墓地に土葬されるらしい。

 狭い島では荼毘に付すのが難しく、土葬となれば忌避の対象ともなり属島に墓地が作られたのであろう。

「和尚さん、GHQが崩落事故のお話を聞きたいそうよ」

 千尋は持参した手提げ袋から、包装紙に『福進堂総本店』と書かれた羊羹を取出した。

 なぜ私は包を見て、そのように思ったのか。

「千尋さん、それは……」

「これは、和尚さんが好物の羊羹です。帰郷のとき新開地に立寄ったので、せっかくだから手土産に買ったんですよ」

「神戸の土産ですね」

「他に新開地がありますか」

 包み紙の屋号を見て羊羹だと気付くのだから、やはり私は神戸縁の者なのだ。

 この件で確信したのである。

 千尋はお茶受けに切り分けるからと、台所に席を立った。

「進駐軍が、なんだって今さら炭鉱事故の話を聞きにきなさった。事故の件では当時、広島鎮台の兵隊が詳しく調べて行きなさったので、そちらに問い合わせた方が手っ取り早いでしょう」

 高明和尚も島民と同じく、私たちに拘るのを煙たがる様子だった。

 大勢が命を落とした崩落事故は、迫根島の人々にとって蒸し返したくない禁忌の出来事なのだ。

 崩落事故が余所者の引き起こした故意のものであれ、炭鉱開発を快く思わない反対派が企んだ事件であれ、もう遠い昔に決着している。

 痛くない腹を探られるのは、あまり心地良いものではないのだろう。

「和尚は、炭鉱崩落が事故で処理されたことに疑問はないのか。GHQは、これを帝国陸軍の一部勢力による組織犯罪だったと考えている」

「犯罪とは、穏やかじゃありませんな。しかし崩落事故に疑問がないのか問われると、島民の誰もが兵隊の関与を疑わざるを得ないのも事実でしょう」

「兵隊の関与とは、どのような点が疑わしいんだ」

「まずは、事故処理の手際の良さでしょうな。広島鎮台の兵隊は、まるで崩落事故を予見していたかのように、その日のうちに憲兵を上陸させている。兵隊は少なくとも、迫根島の地盤が弱いと知っていたということです」

 高明和尚は背を向けて祭壇に向き直ると、長い線香に火をつけて香炉に突き立てる。

 鈴を鳴らした和尚は、祭壇に手を合わせながら話を続けた。

「それに亡くなった兵隊や島外からの鉱夫は、引き取り手のない天涯孤独の者ばかりでした。日島の本堂に祀っておりますが、誰一人訪ねてきた者がおりません」

「つまり広島鎮台の連中が崩落事故に見せかけて、そいつらを殺したということか」

 加藤は机に身を乗り出したものの、高明和尚は『疑問に思うと問われれば』と、取り合わなかった。

 和尚は警察官でもなければ、事件の真相を明らかにしたいわけでもない。

 帝国陸軍の関与について疑問を抱きつつも、従順に生きることを享受しているように見受けられる。

 多くの島民も、それで良しとしているのだろうか。

「加藤さん、弓田が隠した秘密とやらは、もしかすると崩落事故で葬った兵隊にこそあるのではありませんか」

「どういうことだ」

「つまり弓田なる国賊は、邪魔者を島に閉じ込めておきたかった。それも難しければ、崩落事故に見せかけて口封じに殺害した。秘密のための口封じではなく、彼らこそが秘密そのものだと言うことです」

 加藤は顎に手を当てて無言になると、高明和尚は再び鈴を鳴らして小声で経を読む。

 私たちは弓田が島に持ち込んだ秘密とやらが、島のどこかにあると踏んでいたから思い当たらなかった。

 しかし頭を冷やして考えれば、既に秘密が葬られている可能性も思いつく。

「お前は、そうだと思うのか」

「崩落事故で亡くなった軍属や鉱夫に、天涯孤独という共通点があるなら……」

「だとすると、厄介なことだ。俺たちは、とんだ見当違いしていたことになるぞ」

「いいえ、そうなれば事は単純になったとも言えます。弓田の隠したかった秘密は、炭鉱崩落事故の真相に他なりません」

「なるほど。それでも厄介に変わりがないが、やるべき事は明確になったわけだな」

 私は頷いた。

 そして静かに経を読む高明和尚が、私たちの会話に聞き耳を立てていることに気付いた。

 和尚や島民には口裏を合わせる時間も、その素振りもなかったが、やもすると加藤の言うとおり、私たちの質問が的外れだったのではないのか。

 彼らは嘘を吐いていないが、真実を語っているわけではない。

 私はこのとき、彼らが崩落事故の真相を曖昧にして何者かを匿っている気がした。

 それが弓田の所業でなければ、いったい何なのだろう。

 私は、経を読み終えた和尚を見据えた。

「高明さんは、弓田宗介と面識がありますね」

 私の問いかけに、高明和尚が横顔で振り返る。

 その表情は、些か戸惑っていた。

「弓田宗介は広島鎮台の特務曹長で、なんでも帝都の陸軍技術本部から出向してきた方だとか」

「弓田は、どんな人物でしたか」

「ここは兵隊の屯所だったので、野上のご長男の紹介もあり挨拶を交わす程度に存じている。しかし彼がどんな人間なのか、そこまで深く知りはしない」

 高明和尚は言葉を選びながら、明らかに歯切れが悪くなる。

 和尚に聞いても、どうせ弓田の人相は白塗りのお化けだと言うのだろう。

 そこへ千尋が羊羹をお盆に乗せて戻ってきたので、弓田の話を一旦切り上げることにした。

 彼らが語らない真実が何かわからないうちに、手の内を全て晒す必要がないと思ったからだ。

 だから私は羊羹を口にしながら雑談に興じるふりで、一つの可能性について聞いてみた。

「高明さん、崩落事故の被害者を訪ねにきた者がいないと言いましたが、被害者ではない者を訪ねてきた人はいませんか」

「そうですな。与吉の船で下働きしている男が、行方知れずの兄を探して訪ねにきなさった」

「その男なら、私たちも行き会ったことがあります。日焼けした寡黙な漁師ですね」

「なんでも兄は戦中、迫根島に渡って鉱夫をしていたらしい。この辺りに現れるのではないかと、渡しをしている与吉の世話になっているとか」

 川之石港からの渡し船で、私たちに無愛想だった浅黒い顔の男は戦後、兄が迫根島に戻るのを期待して与吉の船で働いている。

 高明和尚によれば、彼は何度も島を訪れて兄が従事していた炭鉱跡を調べていた。

 これは面白い。

 私たちの他にも、やはり島の秘密を探る者がいたのである。

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