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巌頭の鵜  作者: 梔虚月
10/32

01 双子

 加藤は煎餅布団に上半身を起こすと、床板の硬さを手で確かめるように叩いた。

「こんなに寝心地が悪い寝所では、いくら寝ても疲れが取れないぞ」

「ここは、ラバウルの収容所より夢見が悪い」

 私は横になったまま、起掛けにぼやいた加藤に同意する。

 板間はひんやりして心地良いが、それにしても床が硬くて寝心地は最悪だった。

 だから、あんな夢を見たのであろう。

 無縁と思われる島の一夜で、生い立ちの一端に触れるとは思わなかった。

「もう昼過ぎだぜ」

 翌日は長旅の疲れが出たのか、私を跨いだ加藤が雨戸を開け放てば、陽射しが高く太陽がてっぺんまで登っている。

 私は分家と白砂の庭を挟んだ部屋に敷かれた布団を畳んで、畳敷の奥座敷に放り込んだ。

「ちゃんとした部屋があるじゃないか、今夜からはこちらで寝よう」

 加藤は昨夜、よほど疲れていたらしく客間に積まれていた布団を敷いて寝ていた。

 それは私も同様で、着くや否や高いびきをかく彼の横にうつ伏せに倒れた。

 長い一日を終えた私たちは、集会所の間取りを確かめる余裕などなく、酒も煽らず昼過ぎまで寝こけていたのである。

「兵隊さんが、起きなさったわ」

 庭に出てきた朱色の着物は、双子の姉と紹介された茜であろう。

 彼女の背に隠れている群青の着物を着た同じ顔の葵は、姉が言うのを聞いてコクリと頷いた。

 二人は寝起きの私たちをキョトンと見つめているが、だからと言って驚いている逃げ出す素振りはない。

「茜さん、大きい兵隊さんは外人に見えないわね。私は、もっと鬼みたいな化物だと思っていたわ」

「外人の見た目も、きっと日本人とあまり変わらないのよ。だって島暮らしの私たちは、この世の仕組みを知らないと言われたもの」

 双子は向き合うと、まるで鏡に向き合うかのように揃ってニンマリした。

「私は大きい兵隊さん」

「あらやだ、私も大きい兵隊さん」

 双子は絡ませた指で口元を隠すと、どうやら私と加藤を品定めしている。

 ふざけた双子である。

 加藤は髪をくしゃくしゃと指で掻きあげてから、物見高い彼女たちを手で追い払った。

 双子はきゃっきゃっと騒ぎながら、分家の縁台に飛んで上がる。

「この島の連中には、どうにも調子を狂わされる。島民は辛気臭いし、野上家の奴らは俺たちを厄介者扱いしやがる。まともに話せそうなのは、船で乗り合わせた娘くらいじゃないか」

 加藤の言うとおり、庭を抜けて集落に戻る島民は愛想笑いの一つもなかったし、耕造と妻のサキ、それに戦死した洋平の妻である清美は私たちに白い目を向けている。

 目の前で戯れている茜と葵は、島に現れた珍客に興味を示しているようだが、まとまな会話が出来ると思えない。

「兵隊さん、ごはんおあがりなさい」

 茜は竹皮の包みを二つ、こちらに見せつけて手招きした。

「本家の叔母さんが、せっかく運んでくださったのよ」

「おばさん、本家のサキさんのことかい」

 私が葵に問いかけると、

「サキはお婆さんで、叔母さんは千尋に決まっているわ」

 葵の言うとおりサキは祖母で、父親の妹は叔母である。

 しかし双子は母親と歳も変わらぬサキを婆さん扱いして、彼女たちと歳も変わらぬ千尋を叔母と呼んでからかっているようだ。

 二人は何が面白いのか、顔をしかめた私を指差して笑っている。

「千尋さんは、そちらにいるのですか」

「叔母さんは、兵隊さんたちのことを村の人に説明にいきなさったわ」

 どうやら千尋は、本家に顔を出さなかった私たちの朝食を届けた折、島民にGHQが視察に来たと触散らしているらしい。

「俺たちより先回りして、島民に余計なことを吹き込まなきゃ良いけどな」

「加藤さん、説明の手間が省けたじゃないですか」

 私は脚絆を巻きながら、庭をずかずかと横切る加藤に言った。

 彼は千尋の口止めを疑っているようだが、弓田と拘りがあった島民は崩落事故で他界しており、箝口令など要らぬ心配であろう。

 私が分家の縁台に腰を下ろした彼の隣に立ったとき、ぶっきらぼうに竹皮に包まれた握り飯と沢庵漬けを渡された。

 塩味の効いた握り飯と沢庵は、なんだか妙に懐かしい。

 塩握りは日本人ならば誰しも郷愁を誘われるところだが、ややもすれば自分の過去を認めてしまいそうになる。


 ※ ※ ※


 私と加藤は、双子の先導で集落入口に立つ千尋と合流した。

 彼女はそこで畑や浜に向かう島民に、私たちの素性を紹介していたらしい。

 東南に開けた集落には、島中央にある山の尾根伝いに段々畑があり、その中腹に幾つかの長屋が建っていた。

 彼女が言うには長屋の殆どが空家で、私達の素性と渡航目的は百人に満たない島民に行き渡っている。

「何を探しているのかは知らないけれど、崩落事故で身内を亡くしている島の人もいるわ。無神経な言葉で、皆の心を逆撫でしないでくださいね」

 加藤は頷いたが、千尋が危惧するのもわかる。

 彼は挨拶に立ち寄った本家で、島の事情に土足で踏み込んだ。

 きっと彼女は今朝ほど、余所者の横暴に島民が目くじらを立てぬよう奔走していたのだろう。

 崩落事故の遺族がいれば、私も不用意に声をかけるのが憚れる。

「わかりました。そのようにします」

「今度は、お願いしますね」

「はい」

 私は千尋に背を向けると、高台から集落を一望した。

 それにしても改めて島を見渡せば、集落側に浜は見当たらず、村の外れは切り立つ岸壁である。

 これでは関所を素通りして島抜けするのが難しく、野上家の目を盗んで島を出入りするのは不可能だと思った。

 そして島民が暮らす格子窓の長屋は、ラバウルの収容房と見紛うばかりだった。

 ここは、そういう島ではないのか。

「加藤さん、まるで島民を閉じ込めておく流刑地ですね」

「るけいち? るけいちとは何のことだ」

「迫根島は、アルカトラズ島のようだと言ったのです」

「監獄島か」

 本家の過剰とも思える塀を見上げたとき、絶海の孤島の物々しい警備に首を傾げた。

 それに千尋が言った『島民は当家を通らないと出られない』の意味するところも、迫根島が流刑地ならば腑に落ちる。

 島が土佐国の流刑地と限らないものの、その名残りが充分に見て取れた。

 島には壁の向こうにある本家と、こちら側にある分家を通らずに出入り出来ない仕組みなのだろう。

 そう思えば、私たちが寝ていた板間の先にある庭には、白砂の玉砂利が敷き詰められており、あれはお白州だったのかもしれない。

「村に残っている者は年寄りと女ばかりで、GHQのお役に立てるかわからないわ」

 千尋は、畑の畦道を長屋の方に歩き始めた。

 私と加藤が後を追うと、双子は玩具を横取りされた子供のように不貞腐れている。

 外人にご執心の双子だったが、集落まで追いかけてこない様子だ。

「あの娘たちは、村に入らないわ」

「どうしてですか」

「人見知りなのよ」

「私には、人見知りに見えません」

 踵返しの問いかけに沈黙した千尋には、何やら複雑な事情が垣間見える。

 炭鉱開発に賛同していた洋平の娘は、島民との確執があるのだろうか。

 昨夜の話では、島民のほとんどが島の炭鉱開発に反対していたようだ。

 耕造が息子を本家から追い出したことを考えれば、賛同者と反対派には対立があっただろうし、あながち私の見立ても大ハズレではいだろう。

 私は反対派の陰謀説が脳裏を過ったが、そのような大それた事を実行できる人間は限られている。

 なぜなら炭鉱開発の責任者は、分家に追いやられたとは言え獄卒の末裔であり、島民にとって畏怖の存在だ。

 漁師の与吉は、徴兵や徴用で島を離れた者が戻らなかったと言っていたが、ならば逃げられる者が逃げ出した島には、行くあてのない人々が取り残されている。

 島民が囚われの身であれば、そもそも野上家の血筋に抗えない。

 賛同者と反対派の対立構図も存外、若い洋平と老いた耕造のお家騒動の延長線にあったのかもしれない。

 崩落事故の背景は、弓田の意思が介在しなければ単純なものになる。

 息子の裏切りを許さなかった区長が、事故に見せかけて賛同者を葬ったと考えれば全て諒解する。

 開発責任者の息子には、炭鉱に携わる賛同者や軍関係者を殺す訳合いがない。

 もちろん病床にある区長が直接手を下さなくとも、彼の意のままに動く者はいる。

 崩落事故の真相には、相反する犯行動機が内在していると思われた。

 そのとき千尋が声を張り、農作業をしていた男を呼びつけた。

「ほら、あの方は戦中に組長をしていらした人よ。事故の話を聞くなら、彼はうってつけじゃないかしら」

 私たちが最初に話を聞いた島民は、段々畑を鍬で耕す農夫だった。

 貧相な体つきも日に焼けた肌と鋭い目付きは、けして手慰みで畑を耕している風ではなかったが、それでも老齢で働き盛りは疾うに過ぎていよう。

 加藤は千尋に組長と呼ばれた男に面と向かうと、弓田が島の何処かに隠した秘密について問い質した。

 GHQの彼にとっては崩落事故の真相究明よりも、それに託つけて島の秘密を暴くことが目的なのだ。

「炭鉱のことは知らねぇ」

「では上陸した陸軍が、島の何処かに何かを隠したのを知っているか」

「軍人さんのやることには興味がねぇ。下手に首突っ込んだら、面倒に巻き込まれっからな」

 集落の顔役をしていた男は私たちの兵隊服を一瞥すると、鍬に体を預けて腰を伸ばした。

 老人は今以て、軍関係者との拘りに消極的に見える。

 加藤は語気を荒げてみたものの、それでも彼はのらりくらりと言葉尻を濁した。

「誰かが島に何かを持ち込んだら、野上の旦那が知らねぇわけがねぇし、旦那が知らねぇと言うなら、俺の預かり知らねぇ話だわ」

 知らないものは知らないの一点張りで、よくもこれだけ『知らない』で押し通せるものだと逆に感心もした。

 組長だった老人の頑なな態度は、千尋に口止めされているとも思えない。

 なぜなら彼は、一目にも彼女の顔色をうかがう様子がなかった。

「GHQは、島に面倒を持ち込もうと考えていない。お前らの協力があれば、すぐにでも秘密を掘り返して引き上げる」

「そう言われても、知らねぇものを知っているとは言えんわ」

 加藤は老人の曖昧な返答に業を煮やして、私に変われと目配せしている。

 彼の詰問は事を急ぐあまり拙速すぎて、ラバウルでの尋問官の経歴を疑いたくなる。

 区長である耕造の知らぬことを一介の島民が知る由もなく、よしんば知っていても余所者に安々と話すはずもない。

 きっと弓田にとって島に隠匿したものは、それだけ機密性の高い代物なのだ。

「ご老人は、弓田宗介特務曹長をご存知ですか。いやいや、べつに人となりを聞きたいのでなく、弓田という名前に聞き覚えはありますか」

 老いた農夫は、私の質問に肩を落とした。

 それから遠い目をすると、過去を振り返るように独白した。

「奴らは島に何かを持ち込んでいたのかもしれないが、それと思って見ていたわけじゃねぇし、同じ軍服をきた兵隊は島に大勢上陸したが、誰が誰とわかっていたわけじゃねぇ。それでも誰が迫根島を穴だらけにしたのか、そいつだけは、よぉく覚えている」

「弓田をご存知なのですね」

 老人は首を横に振り、鍬を担いで畦道を下りていった。

「名前だけは知っているし、遠目なら見たこともある」

「弓田は、どんな人相でした」

「あれは、夏でも官帽を目深に被り外套を羽織っていたよ。あれが取巻きを率いて出歩くのは、決まって日が落ちてからだった。噂では、日にかぶれる持病があるとかで、男のくせに白粉なんぞを顔に塗りたくっていた」

 弓田は、白塗りの特務曹長と揶揄されていたらしい。

 夜にしか出歩かず日かぶれる持病とは、人相を隠すための口実であろう。

 それから私たちは、千尋の案内で数人の島民に聞き込みをした。

 しかし皆一様に炭鉱について知らぬの一点張り、弓田の人相についてはオバケのような白塗りの特務曹長であった。

 島民には示し合わせた様子もなく、千尋の言うとおり炭鉱に従事していた者以外は、穴の位置すら正確に把握していなかったのである。

「試し掘りはそこら中にあったが、ほとんどが集落と反対側の浜に面していたらしい。となれば、畑仕事の島民が知らなくても仕方ないことだ」

 私が加藤の肩を叩いて慰めると、その手を払い除けて先を歩く千尋を呼び止めた。

 彼は集落を聞いて回った挙句、何の情報も得られなかったと憤っている。

 島を案内している御婦人にボヤいたところで、そもそも九州に疎開していた彼女に何か答えられるはずがない。

「ここの連中は、寄って集って調査に非協力的だ。CISは、この国の礎を守るため働いているのに、俺たちを弓田の再来と勘違いしてないか」

「GHQは、弓田の犯罪を暴いてくださるのでしょう」

「この島に隠されたものが見つかれば、自ずと奴の犯罪も立証される。奴の犯罪が立証できれば、この件に拘った連中は陸軍刑法ではなく内乱罪で極刑を課せられる」

 加藤は恩着せがましく鼻息を荒くしているが、国体護持などそれこそ千尋にとって与り知らぬ話だ。

 父子の仲違いの原因となった弓田には、嫌悪の情が少なからずあろう。

 だからと言って国家の安寧を引き合いに出されても、まして見ず知らずの誰かの極刑を持ちかけられても無意味である。

「この先には、日島の高明和尚がおります。あの方は争い事に中立なので、或いは炭鉱や弓田のことをご存知かもしれませんわ」

 加藤は『そうか』と、満足気に頷いた。

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