青年との出会い
新宿地下避難シェルター、君島冴子は1人端の方で縮こまっていた。このシェルターに避難してから、3日、一緒にいた帰宅難民達は次々と移動を開始し、シェルターの中は人の姿がまばらになってきていた。
備蓄の水や食糧があとどのくらい持つのかわからない場所に留まるのは得策でないとわかっていながらも、地方から出張で来ていた冴子には帰るあてがない。仕方ないからここにいた。
午後6時、配給の時間。この時間になると空いていたシェルターも人が増える。近隣の住民も配給を受け取りに来るからだ。
「うちは子供が3人いるんだ!こんなんじゃ足りねえよ!」隣で配給を受け取った子連れ男性が叫びだした。
「仕方ないじゃん。」声に出したつもりはなかったが、声になってしまったようだ。
「おい!ねぇちゃん、今なんか言ったか。
同じ量貰っといて、俺に文句あんのかよ。それよこせよ。」冴子はしまったと思った。
「あなたはちゃんと2人分もらってるじゃないですか、並んだ人数分しかもらえないのは決りじゃないですか!」冴子も声を荒げた。
「嫁は仕事で留守のまま帰ってきてねぇ。1歳半の娘の様子を見とける人では長女しかいないもんでねぇ。こっちにも事情があんだよ。」冴子は男の言葉より横の5歳くらいの男の子の寂しそうな目に心を打たれた。冴子がしゃがみこみその男の子に配給のパンをあげようとすると、先に配給を受け取っていた青年が戻ってきて男の子にパンを差し出しした。
「えっ?」冴子は顔を見上げ青年を見た。優しい目をしたミディアムヘアの青年だった。
青年は優しく男の子の頭を撫でた。
「はい私の分もどっ…」冴子も差し出しそうとした時青年は私の手からパンを取り、腕を掴んで引っ張った。
「ちょっと!何すんのよ。」冴子はよろめきながら青年に引っ張られた。青年はそのままシェルターを出て、地下街の壁に冴子を押し付けた。
「あなた正気ですか?あの状況で自分の分まで差し出すなんて!」青年が諭すように言った。
「だって、あなただって渡したじゃない。」
「僕はいいんです。でも、あなたはずっとここにいたでしょう。どこに行くか決まったんですか?」
「いや、まだだけど。それと、さっきのこと何が関係あるのよ?」冴子は年下になめられないようはっきりと言った。
「あの男の子は回し子です。レンタルされた子供なんですよ、あの子は。」
「えっ…」冴子は聞き慣れない言葉に耳を疑った。
「何よそれ。」
「あなたネット見てないんですか?」青年は呆れたように聞き返した。
「だって1日目に携帯の電源切れちゃったし。」
「そうですか、じぁ、うちに来てください。食べ物もありますし、この状況のことも教えてあげます。まぁ、ニュースを見せた方が早いと思いますけど。」
冴子は状況が読み取れなかった。青年が何を意図しているかわからなかった。このまま着いて行って怪しい奴らに囲まれたらどうしようと思った。しかし、強く引っ張られて抵抗出来ずに地上にでた。
地上の銀世界を目にして冴子は言葉を失った。理解の範疇をとうに超えてしまった風景は冴子だけを世界から放り出したように感じさせた。
3日前まで、すねくらいまで積もっていた雪はすでにビルの5階付近まで積もっていた。地下街へ向かう階段だけをかろうじて残して他は雪で覆われていた。
「どうなってるの?」
「あなた、本当に何も知らないんですね」
青年はまた呆れた顔で冴子を見た。
「じぁ、これが何かも知らないんですね」
青年は積もった雪でを触って言った。冴子は青年が何を言っているかわからなかった。冴子が黙っているのを見て青年は続けた。
「永凍雪。いま、世間ではそう呼ばれてます。これ、この雪溶けないんです。」
青年は諦めたように笑った。
「はっ?そんなわけないじゃん。」
冴子はそう言って雪を手にとって手の中で温めた。
「えっ、うそ…」
手にとった雪はいつまで温めてもサラサラと手に残った。冷たい砂のようだった。その冷たさはいつまでもなくなることはなかった。
「えっ、なんで?」
「わかりません、とりあえずうちに、来て下さいよ」
「うん」
冴子はとにかく情報が欲しかった。この怪奇現象が起きているのは世界中なのかそれとも日本だけなのか、または東京だけなのか。両親や友達は無事かなど出来る限りの情報が欲しかった、そうして彼のことを信用しきったわけではないが、着いて行くことにした。
青年はまた地下街への階段を降りた。
「あっ、そっちなの?」
「はい、いまのとこら地上での移動手段は皆無ですからね」
「やっぱりそうだよね。」
立ち止まり、悲しそうな顔をする冴子に青年は見つめることしかできなかった。
シェルターと逆の方向に歩き出した二人は小さな鉄扉の前で止まった。
「ここなの?」
見たことのない住居環境に冴子は不思議そうに聞いた。
「はい。ちょっと待ってください。」
青年はズボンの後ろポケットから鍵を出し、側面の壁に取り付けてあるインターホンに付いていた鍵穴に鍵を刺した。ふたが開くと数字のテンキーがあり青年はは4桁数字を打ち込んだ。
するとガチャッという重い鍵の音がなり、青年はドアを開けた。
「どうぞ」
青年は微笑んで冴子を迎え入れた、ここまでの流れはどう見てもあやしい。しかし、今の冴子にそれを気づく余裕はなかった。
長いく細い廊下は間接照明でどこか幻想的な雰囲気があった。廊下の先にあるロビーは外の銀世界のそれをまったく感じさせない暖かな光で満たされていた。
「すごいね、高級マンションじゃん。入り口はあそこだけなの?」
「ええ、入り口はあそこだけです。」
「あなた何者なのさ」
「ちょっと金持ちの家に生まれた次男です」
「家は継がずに遊んで暮らしてるの?」
「不謹慎な、大学はちゃんと行ってますよ」
ここで、初めて彼が大学生であることを冴子は知った。それと同時に、冴子は自分と生きる世界の違うこの青年に少しの憧れを抱いた。