青と赤
爆音が先だったのか、閃光が先だったのか。
物理学的に言えば光のほうが先に届いたのだろうが、体感的にはそれは同時だったように思う。
「――ッカ」
口を開くのも耳を押さえるのも間に合わなかったせいか頭痛がひどい。
ぐるんぐるんと腹の中をミキサーされたような感覚に思わず吐き出しそうになるのを堪える。
せっかく爆発から助かったのに嘔吐物で窒息する可能性に怯えたくない。
どうにか耳と目が回復しはじめ、吐き気がおさまった頃になってようやっと自分が小柄な誰かを下敷きにしていることに気づいた。
「貴様は――バカなのか?」
いや、『誰か』ではない。
『標的』だ。
「殺そうとした奴を助けるバカがどこにいる」
しかし、己の下で縮こまっている小柄な少女は困惑気に視線を泳がせた。
泳がせた視線の先には瓦礫の山。いや、瓦礫の隙間から見える太陽の光だ。
「味方すら見捨てたんだぞ、私を」
それがとても尊くて眩しい、という風に少女は目を細めて言った。
「さあ」
なぜ、動いてしまったのか。
そんなことはわからない。
だから、正直に答えた。
「わかんないよ、そんなこと」
瓦礫の中。
暗闇の中に差し込んだ光が少女の顔を照らす。
陶磁のような白い肌は戦場の煤に汚れても美しく、その髪は絹のようにさらさらでいて鮮やかな花を思い浮かべるような赤。
対して自分は戦場で生傷の絶えない身の上で煤で汚れても風呂にも入らない始末。
黒髪はぼさぼさで埃っぽく、肌も荒れ放題だ。
別に男だから気にしないが。
「とりあえず」
ともかく、と思いながら男――兵士は少女に笑いかけた。
「停戦といきませんかね? 精霊殿?」
これからどうするにしても、
まずは精霊を組み敷いているという命の危機的状況を打開するのが先決だ。
―――幕間―――
古来より、人と精霊は争うことは無かった。
お互いがお互いを尊重しあっていた、というわけではない。
精霊が常に人間に仕えていたからだ。
人間の僕にして人間の隣人。
精霊はさまざま能力を持ち、人間たちに仕えてきた。
その歴史は数千年続いた。
時は精霊歴1107年。
一大国家として大陸に君臨していたジェナン帝国が二つに分裂した。
財政の逼迫から西部地域の独立を許したのがことの発端だ。
全体から見れば帝国の3割程度の領土であり、その多くが不毛な土地だったこともある。
荒地と僅かな森林。採掘場も無いが、荒地を越えた先に第2の大陸に通じる道があるとも噂される土地である。だが、それは噂に過ぎず、ついぞ帝歴が始まってからこの方第2の大陸出身者と言うものを聞いたことが無ければ見たことも無い。そう、それは伝説であり夢であり、ただの空想でしかなかった。
現実的な言い方をしてしまえば、今後の生産性も無い貧しい土地だ。
それは――表向きは領土分割による新たな新国家の誕生などと言うものでは断じてなく、貧しい西部帝国民を切り捨てたに過ぎない。
領土分割と新国家樹立に当たって多くの者が西部から帝国本土へ移住した。
当然の話である。
荒地に放り出されていい気分がする者などいない。まして、今後本土からの支援などは望めない。
だが、貧しい西部と言っても僅かながらの金持ちはいる。
それらはこぞって家財道具を持って西部から帝国本土へ移り住んだ。
残されたのは古くから西部開拓時代より貧しくもいつかは大地が蘇ると信じていた者たちだ。
彼らは本土へ逃げ延びるだけの財産も無ければ、ツテもなかった。
新国家樹立に当たって西部は名を『ヴォルガノール公国』と改めた。
国王には帝国公爵の一人が選ばれ、家名を『トゥルル』と言った。
誰もが貧しいまま滅ぶだろうと思った公国。
だが、そんなヴォルガノール公国は数年して帝国に匹敵する力を『発掘』したことで状況が一変した。
―――幕間―――
「ヴォルガノール公国で発見された『地下精霊樹』の発見によって戦争が起こることになった。もちろん、君が知っているとおりこの戦争はジェナン帝国、ヴォルガノール公国、そして帝国より南部に存在する精霊大好きコーペ連合国の加入によって三つ巴の戦争になった」
「この戦争はヴォルガノール公国の『恒久的中立国宣言』によって終戦を迎える形になった。もっとも多くの精霊を保有する我がヴォルガノール公国はその精霊たちの力を侵略戦争に利用しないことを憲法に取り入れたことで二国家からの侵略行為が無い限りは精霊を戦争で使うことはできなくなった」
「だが、何事にも抜け道ってのは存在していてね? 公国が保有する精霊の数は膨大すぎる。精霊樹の再稼動成功からどんどこ際限なく精霊を生み出したせいでもあるがね。精霊と契約を結んだ人間の数を把握するのは難しい。だから、公国としては戦争目的の精霊契約兵士は持てなくても「民間軍事企業に所属している精霊と契約している兵士」を「護衛とか保安」の理由で雇うことは個人の範疇で許されちゃってるわけだ」
「ま、そういう俺ら公国騎士も「トゥルル公家を守護する」為の雇われ兵士。聖堂騎士の奴らは「宗教上の儀式に必要なため」という理由で精霊兵士を雇ってる」
「で、此処からが本題。うちら公国騎士は「トゥルル公家を守護する」っていう目的で結成されてるわけだが、精霊がぼんぼこ生まれて精霊もちの兵士もまた同じようにぼんぼこ生まれてしまった以上、いつ「公家に危険を及ぼそうとする精霊兵士が現れるかもしれない」という懸念がある」
「だから、やることはいくつかある。まず一つに「民間軍事会社共同の兵士育成学校を設けること」。これは早くから精霊もちのリストを作ってしまえば管理しやすいってことが理由の一つ。で、もう一つは「現精霊兵士の把握」が必要。現在、もぐりから公式のまで数えればきりがないけどある程度は把握しておきたいってのが本音」
「というわけで、この名簿にある人物を育成学校の教師としてスカウトしてきて、ってのが君の初任務! 公国騎士としての初任務! いやぁ栄えある新プロジェクトの立役者になれるチャンスだよ! がんばってね!」
いつだって、どこだって。
上司の命令ってのは不条理で理不尽である。
「ああ、きっと私は就職する先を間違えたんだ」
何度目になるか、いや何十度目になるかわからない溜息を吐いて少女はリストの名前に線を引いた。
今回もダメだった。スカウトの失敗の理由は様々だ。新しい生活に順応してしまってる人、兵士だった身からそのまま民間軍事企業に就職した人、果ては公国の中立国宣言を裏切りと詰る者まで様々だ。
今のところ成果はまったくと言っていいほどゼロだ。誰も快諾してくれない。
そもそもこのリストはどういった基準で作ったものだろうか。少女は上司の顔を思い出す。
「え、そんなの適当にサイコロを振って決めたに決まってるじゃん?」
なんて無精髭の中年が舌を出して手を頭にやってる姿が浮かんでくる。
中年のテヘペロほど見たくないものは無い。
「普段は明るくて接しやすいけど仕事がいい加減なのはどうかと思う」
まあ、そのおかげか職場の雰囲気は明るい。
「はやく副団長帰ってこないかな」
そしてあの上司――団長のケツを蹴り飛ばしてこの暴走を止めてほしい。
公家の外交護衛のために帝国に行っているのですぐに帰ってくることは無いと思うが。
だから、あの団長はハメを外しているに違いない。
見上げた空は突き抜ける様に青く、きっと頼りになる副団長も同じ空の下で青空を見上げているに違いない、きっとこっちのことを心配してるだろう。その心配は的中しているのでさっさと帰ってきてください。と現実逃避をしたところで「足が2分43秒止まっていますが体調不良ですか? フィード」
という声が掛かって少女は苦笑いとともに自分の精霊のほうに視線を落とした。
そこには群青色のロングヘアーに紫の瞳の少女が立っていた。服装は青を基調とした白金の部分鎧。胸や腕、足と言った部分だけを守る軽装なものだ。表情はあまり表に出ない性質だが、心配げな台詞の割りに口元はきゅっと結ばれている。だが、長い付き合いのフィードには瞳を見るだけでその表情を読み取れた。顔よりも瞳で相手の本気とか本音がわかるのはこの長年の相棒のおかげかもしれない。
「大丈夫。ちょっと考え事をしてただけだよ、キアー」
そう言って相棒の頭を撫でるとキアーは「ん」と了承の頷きを返してくれた。
しかし、なんでこう精霊の髪はさらさらで頷いたりするだけでこんなにかわいいのだろうか、とフィードは相棒の精霊であるキアーを見て思う。思わずドーナツでも買い与えて食べてるのを眺めたくなる可愛さである。そんな愛くるしい姿はここ10年ほど変わっていないのは精霊が不老だからだろう。
対して自分は10年で随分と変わってしまった。
幼少期はお友達としてキアーと一緒に庭を駆け回り、少女期になって姉妹にように育った。大人になってからはなんだか母性が擽られてしまってる気がする。
「お母さんって年でもないんだけどなぁ」
と、ショーウィンドウの自分と対面する。
綺麗と言うよりも可愛らしさがまだ残ってる大人の一歩手前の童顔。栗色の髪は後ろでポニーテールとして纏め、スタイルとしては自己評価で中の下。可も無く不可もなく。精霊もちの騎士として就職した分、ほかの人よりもやや筋肉のつき方はいいかもしれない。控えめな胸はこの際――筋力トレーニングのせいにしておこう。
「キアー」
「んー?」
「悪い癖が出てます。考え事をすると足を止めてしまう癖」
「ああ、ごめんごめん」
なんだかんだと言ってもキアーのほうも此方と長い付き合いなのだ。
こっちが何を考えてるのなんかお見通しか、と苦笑いが浮かんでくる。
「それと」
「ん?」
苦笑いを浮かべて歩き出そうとしたところでキアーが付け加えた。
「考えてることが口から駄々漏れですよ?」
「んげっ!?」
ずべっと思わず転びそうになった。
公国の首都ヴォルガノール。
公国の名前の由来ともなったヴォルガノール城を中心として広がる町並みは帝都と比べると簡素なものだ。
元々ヴォルガノール城はヴォルガノール領における領主の城であったが、領主そのものが領土分割の際に帝都へ真っ先に下り、トゥルル家へ議会を通して売却する形で押し付けた。
帝国議会において少数の親精霊派の筆頭だったトゥルル家は帝国民から見ても明らかに「押し付けられた」上に議会より「追い出された」わけだが、トゥルル家としては「新たな国づくり」として快諾したと言う。
もっとも、その快諾したと言う話も後になって広まった話なので美談として変えられたのかもしれない。
ことの真実はどちらにせよ、元々西部開拓期における交通の要所であり、帝都の南に存在するコーペ連合国との間に国交がまだ途絶えていなかった時代には両国を行き来するのに便利な土地の一つでもあった。
コーペ連合国は親精霊派、というよりも「精霊を神格化」している国の連合国である。精霊を「人間のための奴隷」と捉えている帝国とは意見の相違でたびたび衝突し、その国交もいつしか途絶えていた。
しかし、親精霊派のトゥルル家がヴォルガノールを帝国より譲渡され大公として即位。独立してから戦争に突入するまではコーペ連合国との関係は良好であった為、多くのコーペ連合国の文化が流れ込んでくる結果となった。
よって城下町は近代化が推し進められ平屋ばかりだった町並みも今や2階建て、3階建ては当たり前のように軒を連ねていき、帝国の象徴である赤を使った装飾よりも連合の青や白の装飾を使う建物が目立つようになっていった。
「ここ、だよね? えーと、名前がブレンドン・ボバルとその契約精霊メイ・ボバル」
どうやら目の前のパン屋も連合国の主に取り入れた建物らしかった。白亜の壁に青い屋根。外階段を使って2階、3階に上がることができるようだ。1Fがパン屋のようで軒先には『焼きたて! ヴォルガノール岩砂糖を使った揚げパン!』と書かれた張り紙が張られてある。客入りも上々のようで、店内はパンを買い求める客でにぎわっていた。
おおよそ、「戦時中に活躍した精霊兵士」が入居しているとは思えないほど長閑な佇まいである。
「現時刻は12:32分です」
隣のキアーがアメジストのようなつぶらな瞳を細めて太陽を眩しそうにして見上げていた。
「そっか、お昼時なんだね」
ならば、この混み具合も納得できる。
パン屋から親子が出てきて、女の子が焼きたてのメロンパンにかぶりつく様子を見ていると、お腹の虫が自己主張を始めた。
ぐぅぐぅと腹の音が鳴ってしまうのは仕方が無いのだが、あまりに大きな音が鳴ってしまっては女性としてどうかと思う。
どうにかして収まらないかなぁ、とか考えていると、
「フィード」
と、相棒のキアーが一言。
「悪い癖が出てますよ?」
「いや! これは癖じゃないから! 生理現象だから!」
果たして、人の往来が激しい道の真ん中で年頃の娘が大声で生理と叫ぶのもどうか、ということに気づいた瞬間。急に周囲の視線が痛々しいことに気づいた。
カーッと顔を真っ赤にした栗色のフィードはそのまま頭を抱えてしゃがんでしまった。
それを勝ち誇ったような顔でキアーが見下ろしている。
く、計ったなキアー。
「なんだ、お前、腹が減っているのか?」
羞恥心のあまり相棒にどのような仕返しを後でしてやろうかと思考を飛ばしていたフィードにはその少女の声が聞こえるまで、少女が近づいてきてることに気づかなかった。
「あ、いや・・・」
実際のところ、お腹は減っていた。
午前中から色よい返事をもらえず首都を西へ東へ歩き回ったのだ。お腹も減るし正直足も大分ぱんぱんになっている。
「遠慮するな。勢いで買ってしまったのでな、どうせ二人では食べ切れん」
そういわれて差し出されたのはパン屋の張り紙に書かれていた揚げパンだった。
くぅくぅとお腹の音が子犬のように鳴き出す。
「そ、それじゃあ代金を支払いますよ! いくらでしたか!?」
そういって顔を上げたところで初めて少女の顔を見た。
第一印象はきれいだな、と思った。
赤い髪に陶磁のように白い肌。一目見てその整った容姿と髪の色で精霊の一種だとわかる。それほどに人間離れした美しく、そして可愛らしい容姿だった。青のシャツに白のワンピースという簡素なもので、精霊として着飾っている意味ではキアーのほうが所謂「契約精霊」らしい格好だ。
だが、服装というよりも何より印象的なのはその瞳だ。金色の瞳はまるで稲穂のように輝いていた。それがどんな黄金よりも何より美しく、価値のあるもののように思えた。
「失礼しました」
と、キアーが助け舟を出したところではた、とフィードは意識を取り戻した。
いけないけない、悪い癖だと言われていたのに考え事をしてしまって動きが止まっていた。この場合、考え事というよりも見惚れていたというべきか。
キアーが助け舟として声を出してくれなければずっと自分は凍結したままだったかもしれない。さすが相棒。契約者にして家族同然として育った自分のことをよく考えて――、
「この人の悪い癖です」
助け舟はどうやらただのイカダだったらしい。
沖の深いところにやってから沈める気か!?
信じられない! と視線をキアーに向けるとそこにはアメジストのような紫色の瞳を――楽しげに細めた少女の姿があった。
「普通相棒を貶める!?」
なんて契約精霊だ! 相棒だ! と抗議の声を続けようとしたところで、あぐ、と口の中に揚げパンが押し込まれた。
「早く食べないと冷めるぞ」
どうやら此方の赤い精霊も傍若無人な性質らしい。キアーと同じタイプか。
しかしこの揚げパン、素朴な砂糖の味付けが口の中に程よい甘さを広げてくれて美味しい。なんだか子供の頃に食べた母親手作りのおやつみたいな感じだ。どうしてか懐かしさを覚えてしまう。
もぐもぐ。むしゃむしゃ。空腹には勝てなかった。
「で、だ。お前も精霊なのだろう? どれ、<接続>しておくか?」
と、揚げパンをもぐもぐと食べているフィードの前で赤の精霊が人差し指を青の精霊に突き出していた。
「ん」
と、青の精霊キアーも応じて人差し指を合わせる。
ぽん、という軽やかな音が鳴ったかと思うと小さな魔方陣が指先で展開される。赤い魔方陣と青い魔方陣がぐるぐると回転し始め、お互いの魔方陣に向けて文字らしきものを象った魔力を流し込み始める。
おおよそ、人間には解読不能なそれらは精霊文字と呼ばれ、魔方陣と言うのは精霊文字で構成されている。そして、今まさに行われてるのはお互いの情報交換。人間で言うところの名刺交換のようなものだ。
「ん、おわった」
キアーは満足げに軽く頷くと、人差し指を引く。同時に赤と青の魔方陣は消滅し空気の中に解けていった。どうやら名刺交換――<接続>は終了したらしい。
「友達」
「んむ、よろしく頼むぞ。キアーよ」
「ん、よろしく。メイ」
・・・・・・え?
「はい?」
フィードがもごもごとパンを食べつつ驚いて首を傾げると赤い精霊はにかりと笑って胸を張った。
「んむ、私の名前はメイ・ボバルと言う。お前の名は何と言うのだ?」
・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「フィード・バフディン」
フィードの代わりにキアーが応えた。
どうやら今度はちゃんとした助け舟を出してくれたようだった。