表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第一章 王立陸軍士官学校
9/92

第九話 宿縁の地、ラインラントへ

 あの事件から一ヶ月経った。

 まるで復讐するかのような棄て台詞を吐いてその場を後にしたラウラだったが、一向にそういったことをする気配は見られ無かった。それどころか休み時間のたびにヴィクトールらのところに押しかけてたわいない会話に精を出す有様である。

 当初は自分のテリトリーに侵入することを警戒してか、敵意を剥き出しにしてラウラに接していたエミリエンヌだったが、ラウラにいろいろと世話を焼かれているうちにいつの間にか懐いてしまっていた。

 エミリエンヌはこれでよくもまぁ士官学校に入学できたものだというくらいに子供っぽいところが多々あり、何かと手間がかかる子である。

 だがラウラに言わせると、そこが却って彼女の年の離れた妹を思い出させてしまい、思わず世話を焼いてしまうのだとか。

 ことあるごとに大貴族のご令嬢であることを口に出すラウラではあるが。本人は至ってさばけた性格であり、下級貴族の出であるヴィクトールや平民の出であるアルマンやエミリエンヌらに対しても概してフランクで気さくであった。

 敬語どころか丁寧な言葉遣いも要求しなかったし、それどころか同級生なのだからタメ口でいいなどと言うくらいだった。

 どうやらナヴァール辺境伯家というのは開明的な気風であるらしい。

 というわけでラウラはすっかりヴィクトールたちとも馴染んで、まるで歩兵科の人間ででもあるかのごとくヴィクトールたちと行動を共にする姿を校内でよく見かけることとなった。

「知ってる? 来来週、教導訓練の一環として、新入生はラインラントで実戦部隊を見学するって話」

 社交家の顔を持つラウラは同級生だけに留まらず、上級生や教官たちに対しても顔が広い。大貴族の子女であるからというよりは本人の産まれ持った性質が明るく解放的なものであったからであろう。

 その為、寮で起きたことから王都で起きたことまでラウラが持ち込む話題はいつも多岐に及んでおり、その日持ち込まれた話題もそれまで会話に一片も出てきたことの無い新たな話題だった。

「いや、知りませんね・・・アルマン知ってるか?」

「僕も知らないよ。そんな話は初耳だ」

「でしょうね。これは教官がたの専権事項。下々の生徒が知ることなどない、言ってみれば軍の機密事項だもの!」

「・・・機密事項とは思えないのですが・・・」

 実戦部隊の見学などというのは将来の士官である生徒に前線の実情を知らしめるための教育、授業の一環に違いない。例年行われていることであろう。

 もちろん砲火が交えられているといった、前線が大きく流動しているような時期にまだまだ軍人としては殻をかぶったヒヨコ未満の士官学校の一年たちが大挙して押し掛けられても問題であるろうから、その時期は慎重に選ばねばならなかったし、生徒が訪問するということが、それすなわち前線の状況を半ばあらわしているということを考えるとある程度、慎重にことを運ばなければならないとは言えるかもしれなかったが、とてもじゃないがこれが軍の機密事項であるとまでは思えなかった。

「話はそこが問題じゃないの。この機密事項を私のおかげでいち早く知ることが出来た・・・それだけでも凄いことだけど、それ以上に大きなビッグサプライズが用意されているということよ!」

「ビッグサプライズってなぁに?」

 どんな良いことが待ち受けているのだろうかとキラキラと目を輝かせるエミリエンヌに対してラウラは自信満々な笑みをその顔に浮かべて言い放った。

「それはあなたたちが私と行動を共にすることになったということよ! これは大変に栄誉なことだわ。喜びなさい!」

 それを聞いたエミリエンヌは、どんなに喜ぶべきことが起こるであろうと心底期待していただけに失望の色を隠そうともせず顔に表す。思いはヴィクトールやアルマンも同じだ。憮然とした表情で得意げに腰を手を当てて満面の笑みを見せるラウラを見つめるばかりだった。

「喜びなさいって・・・どこに喜ぶべき要素があるのやら」

 いつもながら他人の気持ちなどお構い無しの、一方通行のラウラの感情の押し付けに、首を捻りながら呆れた口調でヴィクトールは疑問を口にする。

「私のような美人と同じ時間、同じ空間を共有できるって素敵なことだと思わなくって!?」

 ラウラは自信満々にそう言い切った。不敵であるものの、同時に一点の曇りも見られない澄み切った笑みだった。ラウラはラウラで心の底からそう信じていてやまないのであろう。

 大貴族に産まれ落ちて、ちやほやされて育つと人間こういうものなのかもしれない。若くて美人で大貴族の出だから許されているものの、よくよく考えるまでも無く人間として嫌味なところである。

 だがここまでくると却って清々しいものがあるなとヴィクトールはむしろ感心する有様だった。

 とはいえ確かにラウラは美人といえば美人の部類だが、せいぜいがクラスでトップクラスといったところで絶世の美女と言うまででもないし、それにそもそも例え絶世の美女であろうとも、ただ傍にいるだけで幸せだとかそこまで自虐的な気にはなれないなとも同時に思いもしたが。

「いや・・・そもそも貴女と私たちとは兵科が違います。見学すべき対象が違えば行動を共にすることになどないのではないかと思うのですが」

 もっともな疑問を呈するが、ラウラはそんなことは織り込み済みとばかりに「そこは既に教官がたに了承を取り付けておいたわ! 」と、鼻息荒く返答すると昂然と胸を反らした。

「・・・よくもまぁ教官たちはそんな無茶を許したものですね」

 軍隊と言うものは秩序と規律を何よりもの美徳とする集団である。もちろんまだまだ前近代のこの時代、実際の戦場では仕官の言うことを聞かずに暴走する兵士が後を絶たず、指揮官にとって何よりも頭の痛い問題ではある。

 フランシア軍における下士官の一番の役割は戦場で敵と戦っている時に兵士が逃げ出さないように監視するのが一番の仕事であったように秩序や規律など傭兵に毛が生えた程度しか持ち合わせていないというのが実情ではあった。だが少なくとも王立陸軍士官学校の教官としては生徒に何よりもそれを求めることは間違いないことでもある。

「あなたたち、自分たちのことが本当に分かっていないのね! あなたたちは入学早々何かと問題を起こした本校きっての問題児、教官がたの頭痛の種なのよ! あなたたちを野放しにしていては、今度のラインラント視察でもどのような騒ぎを巻き起こすか知れたものじゃないわ! そこで問題児をきちんと行動させることの出来るリーダーシップを備えた私にその適任の矢が刺さったというわけよ!」

 ラウラはどや、とでも言いたげな得意げな顔でヴィクトールたちを見下ろしていた。

 もちろん実際はヴィクトールたち問題児を統率する手腕を認められてラウラに特別な行動が許されたというわけではなく、ラウラがそう強力に主張することで渋る教官たちに特例を認めさせただけの話であった。ナヴァール辺境伯家の名まで持ち出されては教官たちも最終的にはその意向を尊重せざるを得ない。士官学校の教官は士官学校内では神にも等しい権力を有しているといっても過言ではないが、ナヴァール辺境伯はフランシアだけでなくパンノニアに広く影響力を有しているのである。国家がこのような不完全な法治国家である時代は無闇に敵に回したくはないであろう。

 だが、そもそもヴィクトールは売られた喧嘩を買っただけで、何か周囲や環境や世の中に対する不満などがあって学内で問題行動を起こす不良というわけではない。一般生活では教官たちの指導にも従順に従う模範的な生徒である。

 どちらかというと問題児なのはそんなヴィクトールに喧嘩を売ったり、今回のような横車を押し通そうとするラウラのほうではないのだろうかなどとヴィクトールは心の中で毒づいていた。


 ラインラントはフランシア南東に広がる森林山岳地帯である。東北にブルグント、南東にオストランコニアという両大国と接しているだけではなく、パンノニアに広がる肥沃な穀倉地帯を支える大河ライン河の源流を有していることもあいまって戦略上の要地として長年、その帰属をめぐって争う係争地帯となっていた。

 ヴィスマール条約においてそれまで実効支配していたオストランコニア帝国が領有権を放棄し、兵を引き上げた現在、西部をフランシア、東部をブルグントがそれぞれ占有して対峙する形となっている。

 財政的に大規模な動因が望ましくないという理由からだけでなく、大軍を効果的に展開しにくい特異な地形もあいまって、たまに思いついたように起きる不意の遭遇戦から大規模な戦闘に発展することもあるものの、普段は概して散発的な小競り合い程度に終始し、ラインラントの帰属に決着が付くような大きな動きにまでは至るようなことは無く、長年、戦争は膠着状態を続けていた。

 つまりラインラントに展開する部隊を視察することは、まだまだ素人集団に過ぎない士官学校の生徒たちが前線の兵士に負担をさしてかけることなく、臨戦状態にある部隊がどういうものであるのかを安全に教えることが出来る格好の教材であると言えるのである。

 といっても遠足気分で出かけるわけではない。不測の事態に備えて、また兵士としての教育の一環として、完全装備の上、現地まで行軍するのである。

 だが基礎体力訓練もそこそこな新入生にとっては十キロを超える荷物を背負っての行軍はけっこうな重労働で、平民、貴族を問わずに悲鳴を上げるものが続出した。

「ふぃ~つ~かれたぁ・・・」

 その日の行軍がやっと終わるとエミリエンヌは荷物を放り投げて、疲労の極地であるとばかりにまるで液体のようにぐんにゃりと地面にとろけてへばりついた。

 小柄なエミリには長時間歩くことよりも十キロを超える荷物を背負って動かねばならなかったことが、ことのほか堪えたようだった。

 エミリに釣られたように幾人かの女生徒が草地の上で足を投げ出して疲れの溜まった足を休ませた。

 それを見た教官が血相を変えて早足で近づいてきて彼女たちに雷を落とした。

「コラッ! 陣営地の設営が完了して、防御の体制が整えられるまでは気を抜いちゃいかん! 今、この場に敵の襲撃があったらどうするつもりだ!? 私が敵兵ならば諸君らは応戦する暇も無く死体になっているところだ。戦場では一瞬の気の緩みが死に繋がるのだ! もしこのようなことが諸君らが配備された部隊で起きたらどうするつもりなのだ? 諸君らだけでなく諸君らに率いられた兵士たちも命を落とすことになるのだぞ! それだけじゃない! 一隊の不意の全滅は、例えそれが僅か一個小隊であったとしても作戦に影響しないなどといったことがあろうか! 君たち一人の不注意が、軍全体の帰趨を左右しかねない・・・いや、国家そのものの危機をもたらしかねんのだ! 君たちは大勢の兵士の命を預かる士官になるということを忘れちゃいかんぞ!!」

 いつも厳しい鬼教官に更に険しい顔で叱り付けられただけでなく、頭に拳骨(げんこつ)をくらわされた女生徒たちは大いに萎縮した態を作る。

「は~いっ・・・」

 といっても後世の、もっとシステマチックかつ機械的に軍隊や士官学校というものが構成されるようになった時代とは大きく違い、軍隊と言っても内部は随分おおらかというよりは適当な時代だったし、自分のしでかしたことの重大さを体に覚えこませると称して本気で殴るようなことは無かった。

 何故ならまだまだ貴族が勤めるのが主流である士官候補生は世襲貴族、法服貴族に並ぶ特権階級と見做されており、平民が入学した今も彼らはエリートとして特別扱いされていたのである。

 もっともそれは軍隊と言う生死のかかった職業に就く人間を育てる組織としては未成熟であったということも言えるのであるのだが。

 そんなわけでエミリエンヌたちは殴られた頭をさすりながら他の生徒たちに混じって素早く陣営地を設営し、警戒態勢を整える。

 王都を出てまだ十五キロ強。ラインラントはまだまだ遠く、当然敵の影など気配すらない。どれほど警戒を厳にして何日間見張っていようとも敵襲など決してあるわけが無い。

 だが現状では無駄でしかないこの行動も、こうやって体に染み込ませることでいずれ戦場に出たときにどんな状況に陥っていたとしても考えずとも行動できるようになるためには必要なことなのである。

 士官学校の寮生活よりも厳しい集団生活を送りながらも、士官学校の生徒たちは国境地たちへ、そしてその向こうに広がるラインラント地方へと向かって山岳地帯へと足を踏み入れることとなった。


 ラインラントに入ればエミリエンヌをはじめとした物見遊山気分の一部の生徒たちもさすがに緊張した面持ちでぴりぴりと周囲に気を配りながらの行軍となった。

 実際は最前線から一歩引いて前線を統括する、フランシアのラインラント一帯の支配拠点、モゼル・ル・デュック城へと向かっているのであるから通っているのは完全にフランシアの勢力圏内である。であるからそう気張ることなどないのであるが、やはりほとんどのものが産まれて始めて戦場となりうる地帯へと向かっているということで平常心で入られなかったのだ。もちろんヴィクトールとて例外ではない。

「なに気張ってるのよ。まだまだ敵の勢力圏は遠いわよ。こんなところで襲ってくるものですか」

「そうは言っても国境に随分と近づきましたし、不測の事態に備えて警戒すること事態は悪いことじゃないでしょう?」

 生まれ育ったのが辺境地域のためかラウラの姿は戦場の気配に慣れているのか普段とまったく変わらず、ヴィクトールはほんの少し彼女を見直した。

「モゼル・ル・デュック城が陥落でもしない限り、敵兵はラインラントのこちら側には入っては来ないわ。これは兵理学の基礎中の基礎よ」

 浸透戦術も電撃戦も存在しないこの時代では基本的に敵国を侵略するというのは敵軍や要衝をひとつづつ粉砕して前進していくと言う考えが基本であった。

 前時代と違って軍に火薬と弾丸を補給しなければ戦力となりえないという事情があったからでもある。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ