第七話 射撃演習(上)
決闘の日がとうとうやって来た。
大砲を撃つといっても一人で撃てるわけもない。人数が必要だ。ヴィクトールは幾人ものクラスメートに声をかけ、そのうちの何人からか手伝ってもらうことの同意を取り付け頭数を揃える。もちろんラウラを焚きつけるような問題行動を取ったアルマンとエミリエンヌには有無を言わせず手伝ってもらうことにした。
「どっか~~~~~んと大砲をぶっ放して、あんな生意気な女やっつけてやるんだから!」
「その意気よ、頑張ってねエミリちゃん!」
「うん、がんばる!」
エミリエンヌは鼻息も荒く、ぐるぐると両手を回すことで友達にやる気をアピールしていた。
もっとも、小柄なエミリのできることは火薬の分量を量ることだけでそれほどやることが多いわけではない。
なにしろこの時代の大砲は青銅製の為、重い。移動や設置、調整はどうしても男がやらなければならない。
点火役ならできないこともないとエミリエンヌは言い張ったが、ヴィクトールはそれを許さなかった。
大砲は鋳造なので脆く、百発撃ったらいつ寿命が来て使い物にならなくなるか分からない程度の代物なのだ。砲身にヒビが入ったり、亀裂が入るくらいならいいが、下手をすると爆散する可能性だってないわけではないのだ。そんな危険なものの傍にはエミリエンヌをなるべく近づけたくなかった。
すっかり愛しい娘を持つ父親・・いや、愛犬を持つ飼い主の気持ちである。
「エミリは人気あるなぁ」
和気藹々としたその雰囲気は見ていて微笑ましく、自ら招いたとはいえクラスメートから避けられ気味のヴィクトールとしては少し羨ましくもある。
さて決闘が行われるのは放課後である。貴重な授業の時間を使うわけにはいかなかったし、大砲を使った勝負ともなれば休み時間の間にちゃちゃっとやってしまえるようなものではないからだ。
昼休みにでも行えばいいではないか、それとも今の学校と違って食事休憩などないのだろうかと疑問に持った読者の方もいるかもしれない。
もちろん食事休憩の為の昼休みは存在するのだが、文字通り食事をしなければならなかったし、残った時間で大砲を訓練場まで運び出して設置し準備したり、終わった後の後片付けやなんやらをするだけで時間がなくなりそうなので、行えなかったのである。
何よりも射撃をするには時間が要る。しかもさすがに双方一回だけの一発勝負と言うわけには行かない。
測量技術も光学も未発達なこの時代、どんな達人であっても一発で射撃用の小さな的に当てることはまず不可能である。
そんな状態なのに一回だけの勝負では射撃技術を競うというよりは運のよさを競うといった意味合いが強くなってしまう。
ということで勝負を決するには双方複数回射撃する必要がでるのである。
だが大砲は一回発射するだけでも相当な手間がかかる。発射の手順は前装式だけに複雑であるからだ。
既に砲耳や砲架が発明されており、一見、現代人が頭に思い浮かべる大砲となんら変わりの無い姿ではあるが、まだまだ未発達な技術力の為、現代の大砲に比べてしなければならない動作が多く非効率的なのである。
まだ油圧や空気式の平衡機などはなく、ギアを用いた仰角調整装置すらない時代である。
砲身や砲架を土嚢などで固定し目標に向けて仰角を付けるという前近代のやり方を行っているため、設営だけで時間が物凄く必要となってしまうのだ。しかも設置したからといって直ぐに点火して発射と言うわけにもいかない。
まず槊杖と呼ばれる二メートルの大きな長い鉄棒で砲身内を清掃し、次いで火薬の詰まった袋をその槊杖で押し込んで、続けて砲弾を砲口から入れて、これまた槊杖で大砲の底まで押し込める。その後、火門に点火して発射するのだ。
ここで新たな問題が発生する。現代の大砲は駐退機と呼ばれる機構があり、砲弾を発射することで生じる反動(理科で習った作用反作用の法則を思い出していただきたい)を無効化することが出来るが、この時代の大砲はそうはいかない。何がおきるかと言うと反動で大きく二、三メートル砲架ごと後退するのである。金属の塊である大砲は極めて重い。これを元の位置まで戻すことは一大苦労な仕事なのだ。
そして戻したところでもう一度、仰角などの調整を行わなければいけないということになる。
この一連の行程を熟練の兵士ではないヴィクトールたちがやると五分や十分は軽くかかる。
これではとても昼休みの間に終えることなど不可能だった。だから放課後、演習場を借り切って行うことになったのだ。
演習場周辺にはヴィクトールやラウラのクラスの生徒だけでなく一年を中心にして上級生たちまでもが野次馬として詰め掛けていた。
名高いアイリスの三公女の一角と上級生に逆らった一年坊主という時の人同士が勝負するということで、学園中の耳目が集まっていたのである。
そんな中、ようやく彼らお待ちかねの今回の主役たちが演習場に入場してくると囃し立てる歓声があちこちで沸きあがった。
そういった馬鹿騒ぎはヴィクトールなどには迷惑なことであったが、何事も派手好きで、話題の中心に自分がいないと我慢がならないラウラのような自尊心の高い少女にはむしろ満足がいくことであったらしく、満面の笑みをたたえて手を振って観衆の歓声に応える余裕を見せるほどだった。
「さぁ、始めましょうか」
「その前に一つ頼みがあるんです。使用する大砲はこちらが選ばせてくれないかな?」
ヴィクトールの提案にラウアは不敵な笑みを浮かべた。
「あら、考えたわね。授業で使用して癖を掴んだ大砲を使おうというわけね。いいわ、使わせてあげる。特別よ。ただし条件があるわ。それでは私が少し不利になるから、射撃はあなたが先にすると言う条件ならばね」
ラウラはヴィクトールが使用する大砲を指定したことを、少しでも触ったことのある大砲を使用することで経験の無さを補おうとしたと推察したのだ。
それならそれでかまわない、とラウラは思った。
自信家の彼女はヴィクトールたちの射撃を見ることで大砲の癖など見抜いてやればいいと思ったのである。
「当然ですね。大砲を選ばせてもらえるのならばそれくらいのハンデは背負わなければなりません」
同じ演習場で同じ大砲を使って同じ的に向けてそれほど射撃の経験の無い二組が射撃を行うとしたら、圧倒的に有利なのは先攻の動きや結果を見て修正することができる後攻である。
しかもラウラはヴィクトールらには内緒にしているが、それなりの経験を既に積んでいるのだ。さらに有利であることは言うまでもない。
だがラウラを後攻にさせることこそがヴィクトールの真の狙いであることにラウラは気付きもしなかった。
「じゃ、決まりね」
取引成立とばかりに上機嫌に笑みを浮かべるラウラを見て、ヴィクトールはこれでとりあえずは勝利の尻尾を掴むことができたぞと心の中でほくそ笑んだ。
「上手くいったな。目論見どおりだ。しかしラウラ嬢がこちらの提案を拒否していたらどうするつもりだったんだ」
倉庫の中で並べられた大砲を一個一個確認して目当ての大砲を探しているヴィクトールをアルマンは肘でつついた。
「そうしたら正直お手上げだな。だけどラウラ嬢は大貴族の出だけあって良くも悪くもプライドが高い。多少、相手にとって有利な条件でも受け入れるだろうと思っていた。こちらが頭を下げて頼めば断れないだろうとね。お嬢さん育ちだから人がいい」
「それを利用することを考えるとは、ラウラ嬢の人のよさに対してお前は人が悪いな」
「そこは知恵が回ると言ってくれよ」
「そういう考え方もあるな」
手厳しいアルマンの言い回しにヴィクトールは苦笑しつつも、ようやく捜し求めていた大砲を見つけ出した。
「これだ」
アルマンが見たところ、ヴィクトールが指差した先にある大砲は隣にある大砲とたいして差異があるようには見受けられ無かった。
「特に変わったところがあるわけじゃないんだな」
「そのほうがいいのさ。見るからに砲身が歪んでいるとか特異な形をした大砲だったらラウラ嬢も警戒して用心するだろう? 俺が勝てるかどうかはラウラ嬢をどれだけ油断させれるかにかかっているのだから、これでいいのさ」
ヴィクトールはアルマンやクラスメートと共に大砲を演習場へと運び出す。台車に乗っているものの、数百キロの大砲を運び出すのは男数人がかりでも一仕事であった。
重い大砲を押して砲台へと向かっていくヴィクトールの下にラウラが近づいて話しかける。
「負けたら貴方たちは私の従者になるのよ、いい?」
「騎士から従者ですか・・・当初より条件が悪くなってませんか?」
「それはそうよ! 条件が変わったのですもの。素直に騎士になればよかったのに私を侮辱した報いだわ!!」
「侮辱したつもりは無いんだけどな・・・」
勝手に侮辱されたと思って独り相撲を取っているだけじゃないのかと相手が大貴族のご令嬢でなければ問い詰めたいところである。
「そっちが負けたらどうするの?」
エミリエンヌがもっともな疑問を口にする。他人に負けたときの条件を押し付けるというのならば、当然自分が負けたときにもなんらしかの交換条件がなければ釣り合いが取れないというものだ。
ラウラはエミリエンヌに振り向くと自信満々の顔で見下したように言い放った。
「私が従者になってあげるわ。そんなことは天地が逆さまになってもありえないけどね!」
そう言うとラウラは高笑いをしつつ去っていった。
この大砲は癖が大きい。それをある程度矯正して命中精度を上げるには土嚢を積んで大砲を傾けるという特殊な設置方法が必須となる。それをラウラに気付かれてはヴィクトールが勝利する唯一の切り口を失うこととなる。あくまでも普通の大砲と同じように特別な工夫を凝らして設置しているのでは無いように見せかけることだけを念頭に、大胆かつ慎重に設置することを心がけた。
「ラウラ嬢がこちらの意図に気付いた様子はないかな?」
ヴィクトールはクラスメートの一人を大砲の後方に立たせるなどして、巧妙にラウラの視界から作業の行程を隠すように図っていた。
それでも気が付きやしないかとひやひやする。
だがいくら相手が気になるからと言っても、そうたびたび振り返って様子を窺っていたら、何を警戒しているのだろうと今は油断している相手の警戒心を呼び起こしてしまう。そこでアルマンがヴィクトールの代わりにわざわざ他のクラスメートに指示をしている振りをしながら振り返ってラウラの挙動を探る。
「この角度、この距離ならば分からないはずだ。それにラウラ嬢は隣の女子生徒と話しこんでいて、こちらのことなど気にもかけてもいない」
「余裕だな。それだけ自信があるということなのだろうな」
「砲兵科の生徒に聞いたんだが、ラウラ嬢は砲術に関しては相当な腕前だそうだ。どうやら入学前に多少の経験があるようだ」
なるほど、砲術勝負に嫌にこだわったわけだとヴィクトールは納得する。普通ならば初心者であるヴィクトールらが相対する相手が、豊富な経験を持つということは勝負するに当たって大きなマイナス要因であるはずだが、ヴィクトールは一向に気にしない様子だった。
それどころか、「それはますます都合がいい」と、にやりとヴィクトールはアルマンに不敵な笑みを浮かべた。
それぞれ持ち時間は三十分、その間に最大持ち球を十発として標的に対して何発命中したかを競う。
といっても六発も発射できないであろうと言うのが大方の見方であったし、演習用の標的にも当てられないであろうと言うことも大方の見解であった。
それでは決着が付かないということもありうる。
そこでそこは双方素人であるということで教官が標的の周囲の地面に大きく円を三重に描いて、そこに着弾した場合も点数が入るということにした。
ヴィクトールが発射した初弾は勢いよく飛び出したが、途中で右側にそれた上、失速したかのように弧を描いて手前の地面に突き刺さり土煙を上げる。
「風向きを計算に入れなかったか、火薬の量を間違えたか・・・ま、初心者によくあることね」
それは砲術初心者のよくある失敗であるように見えたから、ラウラはヴィクトールらの腕前を見切ったつもりになって内心大いに安堵した。
半ば強引に自分が砲術対決になるように推し進めたからとはいえ、大した抵抗もせずにそれを受け入れたことを後になって不審に思ったのだ。つまり自分と同じようにヴィクトールも、もしやどこぞで砲術を習っていたのではないだろうかと少し疑っていたのだ。
だがそれは杞憂というものだった。ならば後は高みの見物とばかりにラウラはヴィクトールらの大砲設置作業に大した注意を払うことも無く、ただのんびりと結果だけを待つ形となった。
二発目は今度は的に向けて真っ直ぐ飛んで行ってくれたが、肝心の的の上を超えていって後方に着弾する。だが初弾に比べると格段の進歩だ。それにもう少しで三重の円の内側に着弾しそうであった。
「ああっ!! おしい!」
悲鳴のような声がヴィクトールたちのクラスメイトから沸きあがる。
上級生と諍いを起こして以来、多少は疎遠になってはいるが、なんといってもヴィクトールらは同じクラスメイトである。違うクラスの会話したことも無い人間、しかも雲上人ともいえる辺境伯令嬢とではどちらを応援するかということは考えるまでも無く決まりきったことであった。
ヴィクトールたちはその後、修正を入れつつ時間一杯かけて射撃を続けたが結局、的に当てることはできなかった。
それでも三重の円の中に二発ほど着弾させることはできた。
「なんとか外面だけは形にしたといったところね。ま、初心者にしては上出来だわ」
大上段からラウラはヴィクトールらの実力をそう判別した。
ラウラはヴィクトールらの芳しからぬ結果だけを見て、やはり初心者では火薬の分量も砲の仰角も完璧には調整できないからだと高をくくったのだ。
だがそれでも曲がりなりにも的の近辺に当てたことだけは評価した。だがそれはヴィクトールらの実力ではなく、選んだ大砲の素直さによるものが大きいとラウラは判断する。
初心者であるヴィクトールらが使ってこれだけの射撃成績を上げたのだ。癖のなさそうな取り扱いの容易そうないい大砲だと思った。
持ち時間を使いきり砲台から引き上げてくるヴィクトールらと入れ替える形でラウラらは素早く配置に付く。
「さて、はじめるわよ」
ラウラの指示に従って動く生徒たちは砲兵科だけあって機敏な、実に的確な無駄の無い動きだ。
入って間がなく実地研修こそ少ないものの、大砲と言うものの道理を弁えている砲兵科の生徒の動きは、ヴィクトールたちとはとてもではないが比べ物にはならない見事な動きだった。
「さすがに早いな」
「ああ」
アルマンだけでなくヴィクトールまでもが、その隙の無い機敏な動きに不安がよぎる。
自身が思いついたことは机上の空論であって、実地に馴れたラウラにとっては大した障害ではなく苦も無く乗り越えられることではないのだろうかと。だが今、ヴィクトールにできることはもう何も無い。ラウラがヴィクトールの思惑通りに反応するかどうか見守るしかないのだ。
ラウラたちは見る間に砲台に砲座を備え付け、発射準備を整えた。ヴィクトールたちのおよそ半分といった快速ぶりである。風も一定である。頃合良し、とラウラが手を振ると砲手が火門に詰まった火薬に火縄を近づけ点火する。
火柱と轟音と共に砲身から砲弾が吐き出された。
その行方を少し離れたとことからラウラは余裕の表情で見守った。
仰角、砲身の向き、風向き、湿度と火薬の量、全ての計算は間違いないはずである。
さすがに一度で的を射抜くような行幸に巡り会えるとまではラウラは思ってはいなかったが、それでも大きく三重に描いた円の中には余裕で着弾する、その程度の精度はあると思っていた。
だがそんなラウラの眼前で砲弾は急に右下へと弧を描いて土煙を上げ着弾する。着弾した地点は標的の遥か手前、三重の円の外側だった。
「は!!!?」
ラウラは呆然として、ぽかんと口を半開きにした。
後書
どうもなんだか思ってたより評判がよろしくないようなので、ちょっと先の展開を変えてみる事にします。
その為に書き直すので更新は不定期かつゆっくりになると思いますが、よろしくお付き合いの程をお願いいたします(*_ _)