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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第一章 王立陸軍士官学校
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第二話 人と獣の違い

 ほとんどの授業が終了した夕暮れの旧校舎。周囲にはまったくといっていいほど人気(ひとけ)が見当たらない。ヴィクトールが見つけなければ誰の目にも留まらなかったに違いない。もちろんそれを見越してここまで連れて来たのであろう。

「おまえたちのしていることは不法で不当だ! 貴族だからって平民に何をしてもいいっていうわけじゃない・・・!」

「まだ口答えするかッ!!」

 二、三発殴っても屈する様子を見せず反論するアルマンに激情した上級生が拳を振り上げ殴ろうとするが、その拳がアルマンの顔に襲い掛かることは無かった。拳を振り下ろす寸前に上級生は手首を強い力で掴まれて動きを阻まれたのだ。

「ちょっとすみませんね、先輩方」

 ぎょっとして後方を振り返ると、そこにはニコニコと満面の笑みを浮かべた、この修羅場に似つかわしくない暢気な顔をした男が立っていた。もちろん、それはヴィクトールである。

「な・・・なんだぁ!?」

 突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に上級生は慌てふためき浮き足立つ。上級生は下級生にとって上官に擬せられるが、だからといって何をしてもいいというわけではない。別に鉄拳制裁が禁じられているわけではないが、むやみに暴力事件を起こすような問題のある人物は後々問題を起こさぬように士官学校としても放校処分にせざるをえないのだ。つまりこの現場を上級生なり教官などに見つかってしまったかと思い、彼らは肝を冷やしたのである。

「こいつ、一年か! 仲間か!?」

 一人がヴィクトールの袖口の色を見てようやく自分たちに声をかけた不届き者が下級生であることに気が付く。

 安心すると同時に、下級生のくせに上級生のすることに文句があり割って入ったのかと怒りがこみ上げてきた。

「なんだ!? 文句あるって言うのか!? あぁ!!?」

 声を荒げて威嚇するが、ヴィクトールは怯むこともなければ敵意を露にすることもなく、ただにこにこと笑顔を浮かべたまま飄々(ひょうひょう)として動じない。

「いえいえ、まさか! 先輩方に逆らおうなんて気はさらさらありません。ただ・・・そいつは俺のルームメイトなんです。こんな状況を見たのに放っておくわけにもいかないでしょう。こいつは部屋でも教室でもいつも本を読んでいるくらいの物静かな男なんです。何が原因でこうなったかは知りませんが、ひょっとして先輩方の勘違いじゃないですかね? 理由も無く先輩に逆らうような男じゃないんですよ」

「おい! ふざけんなよ! それじゃあ、俺たちが好き好んでこの一年坊主に因縁つけたみたいじゃねぇか!! 言っておくがなぁ、絡んできたのはこの一年坊主のほうだ! 俺たちじゃねぇ!!」

 上級生の口から出てきたのは普段の姿からは想像もできないアルマンの姿であった。ヴィクトールは驚きのあまりアルマンに思わず問い(ただ)す。

「事実なのか?」

「・・・事実だ」

 アルマンは一切否定しなかった。それが本当だとするとアルマンは上級生に自ら進んで喧嘩を売るようなやっかいな性格の男だと言うことだ。

 普段の物静かな姿からは想像できない実に意外な正体である。ということは普段ヴィクトールに見せていた姿は猫をかぶっていた姿ということになる。それを見抜けなかったとは自分もまだまだ人を見る目が無いとヴィクトールは自省した。

「だがそれには理由がある・・・! こいつらは一年の女子に言いがかりをつけ、恐怖で声も出すこともできない相手を複数で取り囲んで連れて行こうとしたんだぞ! 平民で下級生であればどこからも文句が出ないと考え、己のどす黒い邪な欲望を満たそうとしたんだ!」

「ば・・・馬鹿も休み休み言え! だ、誰があんな乳臭い平民のガキ相手に欲情するものか! ぶつかったくせに詫びのひとつも無い馬鹿に世間一般の常識をお、教えてやろうとしただけだ!!」

 アルマンの詰問に上級生は反論するが、言葉は震え、どもりがちであった。図星を突かれて動揺したのであろう。

「ならば人気の無いこんなところまで連れて来る必要は無いだろう! にやにやと嫌らしい笑いを浮かべて! 下心が透けて見えるぞ!!」

「なんだと!!」

 ヴィクトールはアルマンと上級生たちの顔をちらちらと見比べる。真っ直ぐで濁りのない瞳で見返すアルマンに比べて、罰の悪そうな上級生たちの顔。言動で判断する限り、どう考えても非はアルマンになく上級生にあるようだった。

「・・・どうやらアルマンは悪くないようですね。悪いのは先輩方というわけだ」

「なんだと!!」

「下級生の女子を言いがかりをつけて集団で襲おうなんて、さすがにどうあっても弁解できないのではないですか?」

「か、下級生は上級生の命令にし、従うのが決まりだ!」

「そ、そうだそうだ!! それに平民は貴族に従うものと決まってるんだ! むしろ貴族様に一時の慰みものとはいえ抱いていただけるんだから感謝こそあれど非難される謂われは無い!!」

 その高慢な言葉にはヴィクトールも胸に込みあがってくる不快を押し戻すのに苦労する。

「この陸軍士官学校に入った時点で貴族の、平民のといった区別は意味がなくなっていると思っていましたが」

「アハハハハハハハ! そんな建前を信じていたのかよ、おめでたい奴だ!! 平民はどこまで行っても平民、貴族様に土下座し、媚び(へつら)って靴を舐めるように生きるしかない生き物、家畜なんだよ!!!」

 アルマンらに肩入れしたことでヴィクトールも平民であると思ったのか、ことさら身分を持ち出して(あざけ)(ののし)った。

「面倒くさいがしかたないか」

 ヴィクトールは履き棄てるようにそう言った。言葉が理解できない相手に分からせるには実力行使しかないのである。しかし確かに面倒くさいことではあったが、それこそがヴィクトールが望んでいたことでもあった。

 単純に事件の解決を目指すだけならば当初考えたように教官を現場に引っ張り出すほうが手っ取り早い上に後腐れない。その手段を放棄して、アルマンを自らの手で助けに入った時点でこうなることは織り込み済みであったのだ。

 ならばこれまでの上級生に対する説得工作のような一連の会話は何であったのかと言うと、上級生に対する義理と世間に対する建前、すなわちいきなり問答無用で殴りかかったなどと後で言われぬためのアリバイ作りだったのだ。

「どうやら先輩方には言葉は通用しないようだ。で、アルマン、お前はどうする?」

 ヴィクトールはアルマンに視線を向ける。アルマンは何発かいいパンチを貰ったのか口の端から零れる血を片手で拭い、もう片手の手で腹部を押さえていた。

 だが闘志はまだ失われていない。その目はまだ爛々と光り輝いていた。

 いい目をしているとヴィクトールは思った。いかなる権力にも屈しない気概溢れる男の目だった。

「・・・元々は僕が買った喧嘩だ。ここで僕一人後ろを見せて逃げ出すなんてできるわけがないだろう」

 そう言うとアルマンは痛む腹を押さえつつも立ち上がり、共に戦おうとヴィクトールの横に並んで立った。

「それは心強いな」

 ヴィクトールは喧嘩には自信のあるほうだったが、それでも五対一ということになるとちょっと自信が無い。できれば二人、最低でも一人の注意を惹き付けてくれるだけで大いに助かろうというものだ。

「な、なんだ。やろうっていうのか!? 下級生の分際でじ、上級生に逆らうって言うのか!?」

 先程まで片方は上級生と言う権威と五対一という数の差で足下にひれ伏させ、もう片方はおもねるような言葉で一見媚び(へつら)うような態度を見せていただけに、突然としてその二人が敵意を帯びた視線を向け、歯向かうような態度に豹変したことに思わず怖気づいた。

 ヴィクトールは拳を握り締めて一歩前へと足を踏み出す。

「先輩、下級生に命令するのも、間違ったことをしたら叱責するのもかまいません。生意気な下級生を教育と称してしめるのも・・・まぁいいでしょう。ですが下級生である女生徒のちょっとした失態につけこんで、上級生と言う立場を利用して強要する・・・しかも複数で取り囲んで逃げられないようにして拉致するように人気の無いところに連れ込んで、性欲のはけ口にしようなどというのは許される範疇(はんちゅう)を超えている。人として恥ずべき行為だ。先程、先輩方は平民を豚だとおっしゃったが、それは違う。平民は貴族ではないかもしれないが人だ。アルマンを見てください。先輩方の暴挙に見て見ぬ振りをせず立ち上がり、しかもあくまで下級生としての則を守って口だけで手は出さずに一方的に殴られても黙って耐える。筋の通った倫理観の持ち主だとは思いませんか。本能の赴くままに行動するのではなく、己を縛る規範を持って行動できるのは生き物の中で人間だけですよ。アルマンは立派な人間です。対して先輩方は人としての倫理観を所持しているとはとても思えない。獣なのはむしろ先輩方のようですね」

「なぁにぃ!?」

「それにね、先輩。個人の才能や資質、性格について褒めようが(けな)そうが、それが真実からかけ離れたものでなければ別にかまわないと思いますけどね、平民だの貴族だの、人が属している集団をもってして、その人の全てを決め付け否定するような考え方は好きじゃない。それを差別って言うんですよ。そういった人間に俺はどうにも我慢できない。不愉快でたまらない」

「我慢できないんだったらどうだっていうんだ!! 周りをよく見てから言うんだな!」

 突然の下級生の反抗に一時気圧(けお)されていた上級生たちだったが、徐々に落ち着いてくるにつれ心に平静を取り戻す。すると数で勝っているし、自分たちが上級生と言う上の立場に立っていることもあり、途端に強気になってくる。

 そもそも下級生に説教じみた話をされていることに無性に腹が立ったのだ。

 上級生の一人がつかつかと近寄るとアルマンの制服の胸倉を掴んで拳を振り上げた。

「好き放題に言いやがって! 上級生に逆らうんだ。覚悟は十分に出来ているんだろうな!!」

 殴りかかってきた上級生の拳をヴィクトールは軽々と避ける。

「俺はアルマンほどできた人間じゃないので先輩であっても遠慮も手加減もしませんよ」

 殴りかかった上級生はここまで事態が進展しても下級生が上級生に、そして平民が貴族に逆らうなどとは毛ほども思っていなかったに違いない。

 あまりにも無防備な、そしてあまりにも大きすぎる動きであった。

「油断しすぎですよ、先輩」

 ヴィクトールは打ち込まれた拳を避けつつ上半身を大きく捻って肘を顎に打ち付ける。

 骨が砕ける鈍い音が響いた後、その上級生は口から血を噴出した。

 続けざまに体重を乗せて体当(たいあ)てを喰らわして互いの距離を取った。

「まずは一人」

 激痛で顔を歪め、顎を両手で押さえながら上級生はもんどりうって地面に倒れこんだ。

「野郎! ふざけやがって!!」

 仲間がやられたことで逆上した上級生たちが一斉にヴィクトールに向かって襲い掛かってくる。

 彼我の人数差を考えると、押さえつけられたり、体の一部を掴まれたり、完全に囲まれて動きを封じられたら終わりだ。相手も馬鹿じゃない。二人がヴィクトールめがけて殴りかかる隙に、別の一人が胴にタックルをかけようとする動きを見せた。

 ヴィクトールは一人の拳を体を捻ってかわすと、別の一人の顔面に打ち込まれた拳をのぞけり避け、左右の拳を繰り出して相手を牽制しながら、同時に最後の一人のタックルを進行線上から体を素早く排除して距離を取ることで切り払い、有利な体勢を作るために足を使って後退する。

 その間にちらりと横目でアルマンを見ると、上級生の一人と睨み合っているところだった。するとヴィクトールはこの目の前の三人を始末することだけを考えるだけでいいということになる。

 引き続き後ろに下がりながらも頭部を守るためにヴィクトールは両手を高く上げ、左右に体を振っていつでも機敏に動けるように構える。

 それはこの世界ではもちろん存在などしないのだが、今の世界で言うボクシングの構えと動きにかなり近いものであった。

「奇妙な動きをしやがる」

 だがボクシングのないこの世界ではその動きは何処となくユーモラスで滑稽なだけの踊りのようなものとしか認識できなくても当然であろう。

 上級生は警戒することなく近づいて不用意に拳を振り切った。ヴィクトールはその油断を見逃さない。しかも上級生たちは今度は前と違って同時に全員で攻撃することが出来なかった。上級生が不用意なストレートを放つと同時に、後退一辺倒だったヴィクトールは突然足を止め、完璧なタイミングでカウンターパンチを顔面に食い込ませる。

「ぐふっ!!!!!」

 予期しきれないタイミングで強烈な一撃を受けて脳震盪(のうしんとう)を起こした上級生は膝から地面に崩れ落ちる。

「これで二人」

 これまでの動きからガタイこそいいものの、恐れるほどの相手ではないと判断したヴィクトールはもう一度しっかりと構え直すと前進し、守勢を切り替え、積極的な攻勢にと打って出た。

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