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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第一章 王立陸軍士官学校
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第一話 革命の息吹

 パンノニアの地に嵐が吹き荒れた。


 長く続いた中世が終わりを告げようとするころには、中世と言う混迷の時代を乗り切りために必要だった社会構造も多くの矛盾を抱えるようになっていた。

 その最たるものが教会の世俗化と聖職者の堕落である。権力、領土、金銭、世俗の権力への介入、同性愛、肉欲・・・ありとあらゆる悪徳は教会の中にあるとまで揶揄(やゆ)された矛盾がそこにあった。

「預言者が地上に現れ無垢なる子羊を導いたころに、今、神殿の奥の豪華な椅子に座って奢侈(しゃし)を楽しんでいる教皇なる存在がどこにいたというのか」

 ルーベルトのその過激な言葉で始まった宗教改革運動はやがて農奴制の解放を求める農民や、神の地上における代理人である教皇の巨大な権力を嫌う諸侯などを巻き込んで新旧両教徒による紛争へと発展する。

 オストランコニア帝国皇帝フェルディナント二世がその紛争に介入しようと思った理由はなんであったのか今となっては分からない。純粋な信仰心の発露であったのか、それとも周辺諸国に比べて諸侯の権力が強いことで格段に低い自身の王権の強化に繋がると思ったかは歴史家の判断も分かれるところである。

 だが調停に失敗したことで事態は悪化の一途をたどった。

 しかも帝国内の混乱に付け込むように周辺諸国が次々と参戦を表明し、宗教戦争はいつしか世界大戦の様相を見せ始める。

 戦争の大義は失われて、諸国への教皇権の問題、帝位、王位、公位、伯位をめぐっての継承問題、各国の領土紛争の武力解決などが目的と化した戦争は、決定的な勝敗の付かぬまま、泥沼の消耗戦が各地で繰り返された。

 だがそんな五十年もの長きに渡って行われた戦争もヴィスマールにて史上初の多国間条約が締結されることで終わりを告げた。

 妥協の産物では在ったが、それまで不可分だと思われていた領土の分割や編入、内戦不干渉、信仰の自由、双方の主権の尊重など、この条約が後世に与えた影響は大きい。

 ともかくもこれまでパンノニアの主役だったオストランコニア帝国は国力を大きく減じ、歴史の表舞台からしばし退場することとなる。

 代わってパンノニアの主役に躍り出たのはこの戦争を通じて封建制から絶対王政へと国体を変革させたフランシア、ブルグント両王国であった。

 両者は条約でオストランコニアから割譲されたラインラント地方の帰属問題をめぐって対立し、最終的には武力衝突へと発展する。

 だが、もう戦争はこりごりと言う周辺諸侯の思惑から戦争は大規模なものにならず、また両国も五十年戦争で国庫が疲弊したことで大規模な軍隊を催すことができずに、戦闘は小規模なものに留まることとなった。戦線は膠着(こうちゃく)状態に陥った。

 この時代、諸侯はいざと言うときの安全保障、そして血統の保護と言う観点から国境を越えて婚姻することは珍しいことではなかった。

 ということで両国に縁のある諸侯が調停に乗り出すことで一時的な休戦状態がもたらされることはあったが、根本的な解決には結びつかず、戦争は未だ終わる様子を見せようとしない。

 収まらぬ戦火、解決されぬ社会矛盾、この時代を覆う空気は非情に重苦しいものがあった。

 そんな時代にヴィクトール・バティスト・ド・ベルティエは生を受けた。

 父親は貴族の出で軍人であったから人生において少しばかり恵まれたスタートであったかもしれないが、その時代の多くの赤ん坊と同じように両親に望まれたということの他には何も持たず産まれ、そして極僅かな身近な者以外は知る人もいない存在であった。

 だがパンノニアの地に吹き荒れた嵐が過ぎ去った後、ヴィクトール・バティスト・ド・ベルティエの名を知らぬ者はどこにもいなかった。


 これは革命の世紀と呼ばれた混迷の時代を一陣の風の如く駆け抜けた一代の快男子の物語である。



 高貴なる義務ノブレス・オブリージュという概念がある。

 貴族は国王から土地の所有を許され、そこに住まう農奴を支配する権利を有するからには、彼らの安全と生活を保障し守らなければならない。特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきという考えである。

 かつては軍役は騎士階級にだけ課せられていたことでその役目は果たされていた。

 その名残と言うわけであろうか、国軍が創設されると士官は貴族が勤めることとなった。

 だが中世の戦場での貴族ならば身代金目的で捕縛されることはあってもまず殺されることはなかったが、五十年戦争は初の大量装備された銃による大規模部隊同士の戦争となったから、一兵卒だけでなく指揮官も負傷し死亡する例が相次いだ。それも五十年もの長きに渡ることで死者数は積み上がり増え続けた。中には当主と次期当主を相次いで亡くして断絶した家もあったほどだ。

 爵位とは貴族とその家族と農奴だけで構成されるものではない。独立する爵位を持たぬ従兄弟や叔父といった少し遠い親戚、あるいは家内を支える大勢の使用人も構成員といってよい。今で言う会社に近い存在なのだ。そんな貴族にとって爵位を継ぐ者がいなくなる断絶や、血縁こそあるものの遠い存在である別の貴族に家を継がれるということは、会社でいう破産や吸収合併に当たる。多くの者にとって職を失うことに繋がることであり、まさに死活問題であった。であるから貴族たちが家名断絶を恐れて、当主や次期当主を守ろうとする行動に出たとしても一概には責められないだろう。

 ということで王立陸軍士官学校には人脈を作り経歴に箔をつけるために相変わらず大勢の貴族の子弟が通うことになるものの、貴族は卒業後は安全な後方任務に就けるように軍部に有形無形の圧力をかけることとなる。

 ここに軍は苦しい状況に陥ることとなった。士官学校の卒業生が前線に行かないということは、五十年戦争とその後のラインラント紛争で失われた大量の前線指揮官が補充されないということなのだ。

 世は啓蒙思想華やかりしころである。

 輪作と囲い込みに代表される農業革命は生産量を飛躍的に増大させ、人口増加をもたらした。一方、農村で吸収できなかった労働力を吸収する形で工業性手工業が発達した。その結果として農村では効率的に農業を行う大地主、都市では多くの労働者を抱える資本家が誕生する。いわゆる市民階級ブルジョワジーの登場である。

 彼らはその持てるもの、端的にいえば金の力に対して、持てる権利が少ないと不満を抱く。

 貴族と農民と言う従来の二分化された社会構造の外にいる彼らの存在は大きな社会矛盾として歪のような存在であった。

 やがてこの社会制度と現実との乖離(かいり)をこのままにしておくことは危険だと考え、この極めてデリケートで難しい問題を今の体制を維持したまま軟着陸させて解決しようとする啓蒙君主が各国に現れることとなった。

 フランシアにおいては先王の弟サウザンブリア公爵がその筆頭である。

 彼は王立陸軍士官学校の門戸をそれまでの貴族出身者から平民階級にまで開き、定員を倍増させることで、ブルジョワを宥め、軍部の慢性的な前線指揮官不足を補おうとしたのである。

 ヴィクトールが陸軍士官学校を受験したのはまさにその初年度に当たった。

 『実に運のいいことに』と後世の歴史家が口をそろえて言うようにヴィクトールの入学時の席次は後ろから数えたほうが早く、主席とは程遠い成績だった。枠が増えたことで辛うじて滑り込むことが出来たといって良い。

 陸軍幼年学校からのエスカレーター組でほとんどの枠が埋まってしまっていた例年ならば、コネも金も無いヴィクトールはまず間違いなく不合格であったことだろう。

 だがともかくも入学は出来たのである。ヴィクトールはそれで十分満足だった。

 さてヴィクトールが王立陸軍士官学校を受験したのはベルティエ家が代々続いた軍人の家柄だったからでも、幼い頃に父が五十年戦争で死んだ軍人だからでも、いわゆる愛国心の発露というわけでも無かった。そして貴族としての高貴なる義務ノブレス・オブリージュを果たそうとしたわけでもなかった。

 何故ならベルティエ家は何代か前は伯爵であったようではあるが、そこから枝分かれした分家のさらに分家であり、わずかばかり所持していた領地も放蕩者の祖父のせいで借金の肩に取られ、所持していた邸宅は父の死後、生活苦の中で手放していた。果たしたくても果たすべき義務の大元となるべきものを何一つ持っていないというのが当時のヴィクトール青年の偽らざる姿だったのである。彼はこの時代の多くの平民と同じく持たざる者だったのだ。

 ヴィクトールが王立陸軍士官学校を自分の進路に決めた理由は単純で、単に絶対に潰れることのない巨大組織に幹部候補生として就職できることが決まっているという理由、それも身分制度が確立されたこの世界では数少ない実力主義の社会であったこと(もちろん貴族社会であるから元帥や大将になるにはそれなりの家柄じゃないとなれなかったりするのだが)、そして何より全寮制であり、食費教育費は国家持ちであるだけでなく、軍人に準ずる扱いとして国から僅かではあるが給金が出て、実家から独立できるということが何よりも大きかったのである。

 といってもヴィクトールが家族のことを嫌っていると言うわけではなかった。

 ヴィクトールは幼い頃に父親をなくし、慣れぬ貧乏暮らしに体を壊した母親が死んだ後、父親の親友だった今の養父母に引き取られた。

 養父は時に厳しく、時に優しくヴィクトールを育んでくれたし、養母は男の子に恵まれなかったこともあってか、実の子以上にヴィクトールを可愛がってくれた。むしろヴィクトールは今の養父母が大好きだった。

 だからこそヴィクトールはこれ以上彼らに迷惑をかけたくなかったし、早く独り立ちして養父母を安心させたかっただけなのだ。

 とはいえ王立陸軍士官学校行きについては当初、養父母は猛烈に反対した。軍隊とは死と隣り合わせの職業であることを考えると当然であろう。

 だがヴィクトールの強い意志を見て最終的にはしぶしぶながらも受験を許してくれた。

 なんといってもヴィクトールは代々軍人を輩出する貴族の家柄だったし、それに五十年戦争も終わってラインラントの紛争も小康状態、大陸に厭戦感情が蔓延している以上、しばらくは大きな戦は起こらないからめったなことにはならないだろうと考えたのだ。


 こうしてヴィクトールが王立陸軍士官学校に入学して一ヶ月が経った。

 今までの生活と比べて格段に厳しい集団生活と、それまで触れたこともない軍事という特殊な技術についての勉強に戸惑いながらも、ヴィクトールは徐々にここでの生活に慣れ始めていた。

 寮で同室となったアルマンともお互いのことを探り探りではあるが衝突するところもなくやっていけている。万事が順調に思えた。


 その日、廊下を歩いていたヴィクトールは教官に呼び止められ、部屋に招き入れられた。

 王立陸軍士官学校における教官とは軍隊における将官のような絶対的な存在である。

 何か不始末でもしてしまったかと緊張するヴィクトールに教官は書類の束を指差すと、それを奥の校舎の四階の部屋へと運ぶようにと命令した。

 なんのことはない、偶然通りかかった学生を見つけて自分がしたくない雑用を申し付けただけである。

 それは卒業生が提出したレポートの類のようであった。部屋が狭くなったから移動させたいらしい。もう二度と誰も見ることもない書類であるのだから、持って行くにしても校舎の裏にある焼却炉ではないだろうか、なんならこの教官室の窓から投げ捨てれば運ぶ手間が省けていいだろうになどとも思ったが、教官の命令は絶対である、逆らうわけにも行かない。

 ヴィクトールは内心ではうんざりしつつも、外貌は教官に重大な役目を命じられて感激してますという風な顔を作って書類を持って教官室を後にする。

 長い廊下を通り四階まで階段を上って、目的の部屋に辿り着く。

 百年近い伝統を持つ王立陸軍士官学校に相応しい古さを持つその旧校舎は、完全に倉庫としてしか使われておらず、書類の束を部屋の隅に乱暴に投げ入れるともうもうと埃が舞い上がり、ヴィクトールはそれを吸い込んでしまい、猛烈に咳き込んで慌てて部屋を退散するはめになった。

 収まらない喉のイガイガに苛立ちながらも、ヴィクトールは教官に任務の完了を告げ、借りた倉庫の鍵の返却をするために旧校舎の階段を下り降りる。

 ふと階段を下りていく途中に何気なく見えた人影にヴィクトールは不審を覚えた。

「ん・・・? 今のはアルマンじゃないかな?」

 ちらっと視界に映っただけだったから確かなことはいえないが、珍しい濃い藍色の髪色といい背格好といいアルマンであったような気がした。ヴィクトールは目がいいほうである。

 だがこの一帯は一年の活動エリアではない。一年の教室などは学校の表のほうにあり、学校の奥側に当たるこことは間に上級生の教室や教官の部屋など何かと煙たい場所があることもあり、どちらかというと入学したての一年生にとってはうろつきたくないところである。ヴィクトールだって教官に雑用を命じられなければ決して来なかったであろう場所である。

 しかも一緒にいた人物は袖口の色からすると上級生であるはずだ。士官学校は入学年度で制服の内生地の色が違うことからすぐ分かるのである。

 上級生と、それも一人ではなく複数に取り囲まれるような形でそのような場所にいる姿に興味を覚えヴィクトールは足をそちらの方角へと向けた。

 五人の上級生がアルマンの周囲を取り囲んでいた。上級生たちは眉を吊り上げて怒りを顔で表現していたし、アルマンの顔も険しい。

 あまり友好的とはいいかねる雰囲気だった。

 と、言い争うような声が聞こえてきた。

『下級生のくせに口答えするのか!?』『平民の分際で生意気だ!』

 その声でおおよその状況をヴィクトールは把握した。

 士官学校といえども学校だ。どの時代でもどの学校でもよくある上級生によるお決まりの下級生いびりに、平民蔑視も加わったいわゆる一種の苛めであろう。

 似たような事件がたびたび起きていることが一年生の間で既に噂になっていた。

 平民であろうとも同じ戦場に立つ仲間であり、何よりも規律を重んじるのが軍人であるからには平民だ貴族だといった区別は意味がないものであるはずだが、彼らは所詮士官候補生、戦場に出たことはない。まだまだ身体にそういった感覚は染み込んでいない。

 それに若い彼らは本音を隠して相手を利用するような腹芸が出来るほど人格的に練れてないのだ。貴族の産まれであることを鼻にかけて、どうしても差別的な感情が湧き上がってしまうのだろう。

 もっとも同じ貴族でもヴィクトールにその手の考えは一切なかった。育った家庭が商人の家であったのだ。ヴィクトールには良い意味でも悪い意味でも貴族的な考えが育たなかったのである。

 ヴィクトールは事態の成り行きを見極めると、取るべき道を選択した。


 くるりと(きびす)を返してもと来た道を戻ろうとしたのだ。


 ヴィクトールがそんな行動を取ったのは、士官学校内では上級生は軍隊における上官に相当する権威だからということで、その権威に屈したからではない、また上級生の人数を見て、数的に不利だと判断したからでもない。教官を呼び出して解決してもらおうと単純に思ったからである。

 入学したばかりで大きな騒ぎを起こして養父母に迷惑をかけたくはないという考えが根底にあった。

 確かに教官が駆けつけてくるまでに上級生が二、三発程度はアルマンを殴るかもしれないが、さすがに命までは取ることはないだろう。

 それに教官も貴族であるから多少は上級生の肩を持つかもしれないが、士官学校に平民を入れるということはこの国第二の実力者サウザンブリア公が決めたことなのである。貴族や上級生に配慮するあまりに平民との間に溝を作り、対立を深めて大問題になることは望んではいないだろう。そうなればサウザンブリア公の面子は丸潰れとなり、教官たちとしても教官を首になるくらいでは済まない可能性だってありうるのだ。

 大人の知恵とやらで適切に解決してもらおうではないか。

 そう思って一歩足を前に踏み出したヴィクトールの耳に肉がぶつかる鈍い音と呻き声、そしてアルマンの声ではない怒号が鳴り響く。

「士官学校に入れるようになったからって対等になったとでも思ったか!? 勘違いするんじゃねぇ! 平民はどこまで行っても平民だ! 貴族にはなれねえんだよ!! 豚は豚らしく大人しくしてろってな!!」

 ヴィクトールの足がぴたりと止まった。

 ヴィクトールは天井を見上げて大きくため息をつくと、「面倒くさいがしかたないか」と呟き、もう一度百八十度回頭して歩みを速めた。

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