歯がゆい状況
私は社長と専務、そして原田との話し合いが決裂した(と、私は思っている。)ことで、既に気持ちは退職することに傾いていた。当然、会社側もそのように受け止めたと思っていた。しかし、事はそう簡単に収まらなかった。話し合いの次の日、私は自席で何をするということもなく、パソコンをいじっていた。そこに専務と原田がやってきた。
「秋村さん、例の仕事なんどけど、引き続き担当してもらうということでいいんだよな?」
専務に続き、原田も言った。
「先方には既に俺の方から話をつけておいたから、とにかく早急に作業に戻ってくれ。これ以上ミマツ産業さんに迷惑はかけられないからな。今回のうちのゴタゴタのせいで実機試験が進んでいないんだ。これ以上遅れたら大変なことになるからな。」
昨日の話し合いはなんだったのだろう。私は確かに退職するという意思表示を明確にしたつもりなのだが…。
私は何を言っていいのかわからなくなってしまい絶句してしまっていた。
そこに営業の寺崎がやってきた。
「専務、原田さん、遠藤さんのアポが取れました。今日の夕方にお時間を作ってくださるそうです。」
「ご苦労さん。それならこれからすぐに出るぞ」
「はい!社用車の準備は出来てますので、みなさん準備が出来次第、車に乗って下さい。」
寺崎はそう言うとそそくさと、社用車のほうに向かっていった。
私はこのとき何故か返す言葉も思いつかず、ただ言われるがままに出張の準備をして原田たちと社用車に乗り込んだ。昨日の話し合いで決裂したのに、何故今更のこのこと客先でのミーティングに出席するのだろうと思うのが普通なのかもしれないが、この時の私はもはやそんなことを考える気力もなかった。
いや、この時だけではないのかもしれない。私という人間は肝心な時に優柔不断なのだ。今に始まったことではないのだ。
もしかしたら昨日の私の様子を見て吉沢部長か専務あたりが、兎に角私を客先に連れて行って、ミマツ産業の人と合わせれば、辞めるなんてことは言わなくなるという計算をした上の行動なのかもしれないと、後になって思った。
ミマツ産業へ向かう車中では、皆無言であった。普通はこれから客先で実施されるミーティングについて、事前の打ち合わせをしたりするものだが、今日に限っては寺崎も原田も専務も、黙っていた。
私は、これから行われるミーティングの主題がなにかをまったく聞いていない。しかし、工程を考えると装置の最終動作確認のテストの終盤なので、おおよその予想はついていた。この時期ならまだいくつかの問題が発生している可能性が高い。おそらくはその具体的な対応と工程についての話し合いになるのだろう。
しかし、会社を去る身の私がこの話し合いに参加したところで意味は無いと思うのだが…。
いや、専務と原田は私が会社をやめるということを鼻から認めていない様子だ。
このままでは有耶無耶にされてしまうのではという危機感を私はようやくこのとき初めて抱いていた。
客先に行ってどんな顔で何を話せば良いのか……。
もしかしたら、お客様の前で会社を辞めることを宣言してしまえば良いのかもしれない。しかし、実際問題、それを実行する度胸が私に備わっているのだろうかいささか疑問である。いや、おそらくそんな大胆な行動をとることはできないだろう。
これまでにも、何度も原田の前で不満をブチまけたり、原田の駄目な部分をみんなの前で指摘したり、幾度となくそんなことを妄想したものだ。
もっとも妄想に留めておいたからこそ、これまで会社でやってこられたというのも本当のところだ。
今回はこれまでと事情が違う。私は既に会社を辞める決意を固めているのだ。不満を無闇矢鱈に表現する訳ではないのだ。むしろ会社を去ることをお客様に伝えないことは不誠実と言えるのではないだろうか。
そんなことを考えながら社用車の助手席に座っていた私は、運転している寺崎には悪いと思いながら、いつしかうとうとと眠りについてしまっていた。




