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部長に呼ばれて

結局、たいした話もしないまま私は会議室を後にした。

大人気なかったかもしれないが、今の私には原田と同じ部屋で二人っきりというシチュエーションに耐えるだけの余裕がなかった。

心のどこかでは、もっとちゃんと話さなければという思いもあるのだが、完全に理性を感情が凌駕していた。

しばらく自席でぼんやりしていたら、目の前の電話が鳴った。内線のようだ。

私は億劫だったが、受話器を取った。


「はい、もしもし秋村です。」

「吉沢です。秋村さん、今、少し時間がありますかね?」


吉沢部長からの内線だった。まあこんな時だから誰だって要件の察しはつく。

また、吉沢部長に呼び出されることは当然予想していたし……。


「はい、大丈夫です。すぐに伺います。」


私は受話器をおいて吉沢部長の席に向かった。


吉沢部長は自席で私を待っていた。

私が座ると、いつものように穏やかな表情をして私に話しかけた。


「秋村さん、いろいろご苦労をおかけしますね。」


「いえ、苦労という程のことはありません。」


「そうですか。で、話というのは言うまでもないんですが、秋村さんが会社を辞めたいと言ってると原田さんから聞いたものでね。」


「はい。先ほど退職願を原田課長に出させていただきました。」


「そうですか……それは困りましたね……」


吉沢部長と直接話していると、吉沢部長には申し訳ないという気持ちになってくる……。

あれほど硬い決意で退職願を出したのに、自分の気持ちが自分でもよく理解できない。

しかし、吉沢部長という人には、相手の気持ちに響かせる何かが備わっているようで、私の気持ちもそれによって揺れ動いていた。

吉沢部長は話を続けた。


「秋村さん、秋村さんがいろいろ原田さんに対して不満を持っているのは私も知っています。今回の仕事についてもだいぶ無理をさせてしまっていることも理解してます。こんな私でも昔は現場のエンジニアでしたから、秋村さんの気持ちも理解できると思ってるんです。今までもずいぶん大変な仕事をお任せしてきましたしね。ずいぶん負担をかけてしまっているのも事実です。しかし、今や秋村さんはうちのエースエンジニアですから、簡単に辞められてしまうと私も困ってしまいます。いや、会社が困ってしまいます。これはお世辞でも何でもなく、お客様からの評判も高く、秋村さんが担当してくれるのを条件にうちに仕事を出すというお客様も少なくないんですよ。

どうですかね。もう少し話し合ってから結論を出してもらえませんかねぇ。」


「はぁ……しかし、私としては十分に検討して出した答えなので……。」


「秋村さんがよくよく考えて出された結論であることは分かった上でのお願いです。単刀直入に言ってしまうと、私は秋村さんに辞めて欲しくないんです。いや、秋村さんは会社に必要な人間ですから、辞められては困るのです。もちろん会社を辞めると決めることができるのは秋村さんご自身で、私や会社がそれを強引に引き止めることはできません。だから、これはお願いなんです。」


こんなにはっきり言われるとは私も予想していなかったので、困ってしまった。


「…………。」


私は何を言っていいのかわからなくなり、しばらく沈黙してしまった。


今の言葉を原田からかけてもらっていたら、こんな気持ちにはならなかったのだろうな。

吉沢部長の言葉によって、この会社でもっと頑張ろうという思いが頭をもたげてくる。

しかし一方でこれまでの原田の私に対する態度を思い起こすと、すぐにでもこの会社を辞めようと思う。この二つの思いが私の頭の中でぐるぐると駆け巡っていた。


しばらくの沈黙の後、吉沢部長が口を開いた。


「秋村さん、思うところはいろいろあると思います。どうでしょう、2、3日休暇を取っていただいて、そのあと私と原田さんと3人でお話する機会を作っていただけませんか。結論はその後でということでいかがですか。その場でこれまで不満に思ってきたことや今後の待遇面の話もしっかり話しましょう。」


私には吉沢部長の申し出を断る理由を見つけられなかった。


「わかりました。」


「ありがとうございます。では今日はもうお帰りになってゆっくりしてください。3日間、休暇を取っていただいて、週明けにまたお話ししましょう。」


私は吉沢部長の言うとおり、そのまま自席に戻り帰り支度をした。

原田も自席にいたが、私と話すこともなく、淡々と何かの作業に没頭していた。

原田は何を考えているのだろう。

来週、この原田と吉沢部長とどんな話をすればいいのだろう。


とりあえず原田には通り一遍の挨拶だけして、私は帰路についた。

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