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あるモブが救われるまでの物語

作者: pyuruco
掲載日:2026/06/02

人口が5,000万人を切った年、政府はついに劇薬とも言える決断を下した。


子育て支援や経済的補助といった生ぬるい政策では、終わりの見えない少子化という病を食い止めることはできない。

必要なのは、結婚だ。成婚だ。ペアリングだ。


国民の根本的な価値観を強制的に揺さぶる絶対的な指標として生み出されたのが、内心スコアシステムである。


個人のすべてを数値化し、冷酷なまでに可視化するそのプロファイルには、顔の造作や身長、年収といった表面的なスペックに並び、かつては秘められていたはずの心までもが点数として載る時代へと変貌を遂げていた。


システムが普及しきった現代では、スコアを開示しない者はそれだけで悪人として扱われる。

疑心暗鬼に陥った群衆は、目に見える数字だけを信仰し、見えないものを隠し持つ者を徹底的に排斥した。


どこか冷めきった無機質な空気が漂う街の片隅。


行き交う人々がデジタルデバイスの画面に目を落として品定めを繰り返す中で、凡庸を絵に描いたような青年が静かにうつむいていた。


誰の目にも留まらない彼の手元で、ただ一つ、青白く発光している項目がある。


山田には、異常なまでに高い数値を弾き出しているそのスコアしかなかった。


―――


黒板の前に立つ女性教師が、配られたばかりの真新しいタブレットを指差した。


「では今日は内心スコアの更新をします。正直に答えてくださいね」


チャイムが鳴り終わり、休み時間になると、教室はすぐに子供たちの無邪気な声で満たされた。

タブレットの画面を見せ合いながら、一番前の席にいた男子が声を上げる。


「俺62点だったー。お前は?」


隣の席の男子が、得意げに胸を張った。


「71点!勝ったー!」

「くそー」


悔しがる声に、後ろから別の男子がひょっこりと顔を出した。


「僕80点だよ」


その数字に、周囲の子供たちの目がキラキラと輝きだす。

最初の男子が身を乗り出した。


「うわーすごい!」


輪の端で様子を伺っていた山田も、弾んだ声で自分の画面を掲げる。


「僕も79点」

「おお。やるじゃん!」


高いスコアを出した山田の肩を、隣の男子がバンバンと叩く。

最初の男子も悔しさを忘れて笑いかけた。


「惜しい!来年80点台かもね!」

「うん!」


山田は照れくさそうに、大きく頷いた。

窓から差し込む日差しは暖かく、目に見える数字は純粋な誇りだった。


(楽しかった)

(あの頃は)



それから5年。


季節は巡り、山田たちは中学校の教室にいた。

黒板の前に立つのは、くたびれたスーツ姿の中年教師だ。


「では今年の内心スコアの更新を――」


声が響いても、教室の空気はどんよりと沈み込んでいる。


小学生の頃のような純粋な熱気は、もうどこにもなかった。

窓際の席でタブレットを弄りながら、男子の一人が面倒そうに吐き捨てる。


「はぁめんどくさ。これ意味あんのかよ」


斜め前の男子が、鼻で笑いながら同意した。


「高い方が恥ずかしいよな。ガリ勉じゃん」

「俺また低かったわ」


別の男子がヘラヘラと笑いながら画面を伏せると、最初の男子がニヤニヤとからかった。


「はは。犯罪者予備軍乙!」

「うるせぇ」


舌打ちの音が響く中、山田は手元の画面を見つめたまま動けずにいた。


(86点だった……)


数字が冷たく発光している。

かつては誇りだったはずのそれが、今はただの重荷にしか感じられなかった。


授業が終わり、ざわめく廊下へと出る。

人波の向こうから、スコアを開示していない一人の男子生徒が歩いてきた。


彼が近づくにつれ、まるでモーゼの海割れのように周囲の生徒たちがサッと道を空ける。


(開示しないやつには近づくなって、いつの間にか決まってた)


山田は足早にその場を離れようとする。


(高すぎるのも、低すぎるのも、どっちもダメなのか)

(じゃあ、何が正解なんだ)


答えのない問いを抱えたまま、窓の外へ目を向けた。


中庭では、さっき低スコアを茶化されていた男子が、女子グループの中心で楽しそうに笑っている。

彼の顔立ちは整っており、数値の低さなど微塵も気にしていない様子だった。


山田は窓枠を強く握りしめる。


(……ああやって笑いにできる連中が強いのか)


―――


あれから、また幾年かの時が過ぎた。


スコアの更新が義務付けられているのは、義務教育が終わる中学校までだ。

高校生以降の更新は完全に個人の任意となるが、山田は欠かさず年一回の更新を受け続けていた。


無機質な壁に囲まれたスコア更新センターの個別ブース。

目の前のモニターが冷たい光を放ち、無音の空間に文字が浮かび上がる。


【あなたは国の指導者です。隣国が貧困に苦しんでいます。しかしあなたの国も、余裕があるわけではありません。助けますか】


無機質な問いかけを眺めながら、山田は小さく息を吐いた。


(小学生の頃とは全然違う)

(あの頃は「重い荷物を持っているお婆さんを助けますか」とか、そんな問いだった)

(回答が楽だったな)


昔の単純なテストを思い出し、山田は手元のキーボードに指を置く。


(システムの導入当初はこれをAIで答えるとか、ハックする方法が流行ったらしい)

(でもそれも、AIっぽい回答を弾くとか、年々アップデートされて、今はほぼ通用しなくなったとか)

(自分の言葉で作ったリアルな答えしか受け付けない)

(だから正直に答えるしかない)


画面の入力欄にカーソルを合わせ、ゆっくりと文字を打ち込んだ。


『助ける。ただし、自国民の生活が守られることが前提だ』


エンターキーを押すと、即座に次の文字が展開される。


【その判断で、自国民から批判を受けました。それでも同じ選択をしますか】


瞬時に返された問いに、山田の指が止まる。


(追い打ちをかけてくる)

(……)


目を細め、自分の心の一番奥底を探るようにして再びキーを叩いた。


『する。批判は受け入れる』


送信と同時に、画面がパッと切り替わる。


【次の問いです。貧困に苦しむ少年が、強盗を犯しました。どう思いますか】


モニターの青白い光が、山田の険しい表情を照らし出した。


(また難しい)

(同情する、と書けば犯罪を許してるみたいだ)

(でも、何も感じないわけじゃない)


迷いを振り切るように、山田は静かに文字を紡ぐ。


『同情する。ただし、それは罪を免じる理由にはならない』


文字を打ち終えた後も、キーボードから手を離さずに画面を見つめ続けた。


(嘘をついても意味がない)

(このシステムは、たぶんそういう迷いも見ている)

(僕のスコアは、僕そのものだ)


やがて、すべてのテストが終了し、画面に『結果通知』の文字が点滅した。

ローディングの輪が数秒回転した後、山田の最新のスコアが『87』から『88』へと更新されて表示される。


(……88か)

(また、少し上がった。よし!)


―――


朝の澄んだ空気が漂う山道の入り口。

胸に名札をつけた20人ほどの男女が集まる中、腕章をつけたスタッフが声を張り上げた。


「お早うございます。今日はお忙しい中、お集りいただきありがとうございます」


手元のバインダーから顔を上げ、参加者たちに愛想よく微笑みかける。


「ハイキングのつもりで、気軽にやっていただいて大丈夫です」


山道整備という名目は、半ば口実のようなものだった。

政府はスコア上昇をエサにして若者を集め、労働力を確保しつつ男女の出会いの場を提供している。

それが暗黙の了解であることは、ここにいる全員が理解していた。


(大人になったから分かる。僕はこれにかけるしかない)

(ここに来る人間は、みんな僕と同じだ)


軍手で両手を擦り合わせながら、山田は周囲の顔ぶれをそっと観察した。

ふいに、隣から柔らかな声が掛かる。


「あ、こないだも参加されてましたよね」


振り向くと、名札に『笹森』と書かれた女性が微笑んでいた。


「はい。確か、笹森さん?」

「ええ。よくご存じで」


「山田です。今日もよろしくお願いします」

「はい」


木漏れ日が揺れる山道を歩きながら、二人は並んで作業を進めた。


時折足元のゴミを拾い上げたり、道端に咲く小さな花を指差したりしながら、他愛のない会話が続く。

穏やかな時間はあっという間に過ぎ、下山のルートに差し掛かった頃、スタッフがパンパンと手を叩いた。


「お疲れ様でした。この後、懇親会もありますので是非ご参加ください」


額の汗を拭いながら、笹森が少しだけ上目遣いで山田を見る。


「行かれますか?」

「ええ」


「私も参加しよっかな……」

「!!」


予想外の言葉に、山田の胸が大きく跳ねた。

顔がにやけそうになるのを必死に堪えながら、前を向いて歩き出す。


(ボランティアに参加しててよかった)


場所を移した懇親会の会場は、グラスの触れ合う音と和やかな笑い声に包まれていた。

テーブルの隅で、二人はグラスを傾けながらスコア更新の心理テストの話題で盛り上がっている。


「山田さん、あの質問にそんな答え書いたんですか」


驚いたように目を丸くする笹森に、山田も苦笑いを返した。


「笹森さんもなかなかえぐい発想しますね」

「ふふ。お互い様ですね」


弾むような笑い声が、心地よく耳に届く。


(笹森さんは、容姿が特別いいわけじゃない)

(僕も人のことは言えない)


グラスの表面についた水滴を指でなぞりながら、山田は目の前の穏やかな笑顔を見つめた。

派手さはないけれど、飾らない居心地の良さがある。


(それでも、同じものを、大事にしてる人)

(それだけでいい)


システムに縛られた世界の中で、同じように不器用に生きる相手。


その日の帰り道、並んで歩く距離は朝よりもずっと近くなっていた。

山田と笹森は、ごく自然な流れで付き合うことになった。


―――


休日のファミリーレストラン。


家族連れの笑い声や食器の触れ合う音が、店内に心地よく響いている。

向かい合って座る二人の間には、コーヒーの香りとともに穏やかな空気が流れていた。


ドリンクバーのグラスを両手で包み込みながら、笹森が少し身を乗り出す。


「今日、更新でしょ?スコア上がった?」

「89になった」


山田が答えると、笹森はパッと顔を輝かせた。


「すごい。努力してるんだね」

「君こそ」


照れ隠しのように短く返す山田に、笹森はストローの袋を指先で弄りながら、少しだけ目線を落とした。


「私は変わらず85。もう頭打ちかも」

「そんなことないよ」


真剣な眼差しですぐさま否定する山田を見て、笹森の口元にふわりと柔らかな笑みが戻る。

温かいコーヒーを一口含み、山田は目の前で微笑む彼女を静かに見つめた。


(こういう会話が、好きだ)

(正しい場所にいる気がする)


互いのスコアを確かめ合い、高め合おうとする関係。

システムが定めた歪な枠組みの中であっても、山田にとってはこの穏やかな時間が何よりも愛おしかった。


―――


座敷席にジョッキのぶつかる音と笑い声が交差する。

ボランティアチームの打ち上げ会場となった居酒屋は、週末の解放感に包まれていた。


山田は手元のグラスを見つめながら、背中越しに響く別グループの騒ぎ声に眉をひそめた。


(隣うるさいな)


隣のテーブルには、いかにも遊び慣れた風貌の男たちが陣取っている。

友人同士の飲み会らしい。


中でも一際目を引く整った顔立ちの男が、ふとこちらの席へ視線を向けた。


「あ、笹森さんじゃないですか」

「え……松山さん。奇遇ですね」


不意に名前を呼ばれ、笹森が驚いたように目を丸くする。

男は隣のテーブルから気さくな笑みを向けてきた。


「そっちはボランティアの打ち上げ?」

「うん。松山さんは?」

「友達と飲んでただけですよ」


(知り合いか?)


親しげな空気に、山田は少しだけ目を細めた。


松山と呼ばれたイケメンは、笹森と一言二言、言葉を交わすと、ひらひらと手を振って自分の席へと戻っていく。


「知り合いですか?」

「職場の同僚です」

「へー」


山田が気の無い相槌を打つ間にも、隣のテーブルからは遠慮のない笑い声が響いてくる。


「お前もスコア開示しろよー」

「俺、中学3年から更新してないし。今更よくね?」


松山がジョッキを片手に肩をすくめると、友人たちは囃し立てるように声を上げた。


「うわー。こいつ悪人だー」


「あんなもん、ボランティア参加したり、面倒くせーだけだし。

 結局モテない連中がやるやつだろ」


(……スコア陰険者か)


山田は心の中で冷たく吐き捨てた。


(でも僕は、あの場所で笹森さんと出会った)

(それだけは、本当のことだ)


目の前では、笹森が静かにグラスを口へ運ぼうとしている。

背後からは、依然としてイケメンの自嘲気味な笑い声が続いていた。


その声に反応したのか、笹森のグラスの動きが、ほんの一瞬だけピタリと止まる。


山田は、隣のテーブルへの不快感に気を取られ、その微細な変化に気づくことはなかった。


―――


無機質な白壁に囲まれたスコア更新センター。

個室のブースに座る山田の目の前で、端末の合成音声が平坦に響いた。


【あなたのスコアは90点です】


画面に表示された数字を見つめ、山田は思わず息を呑んだ。


(……90)

(ついに大台だ)

(僕、頑張ったよな)


震える指で端末の縁をなぞる。

これまで真面目に、不器用に生きてきた証が、確かな数値となって彼を肯定していた。


溢れ出す高揚感を抑えきれず、山田はセンターを出てすぐにスマートフォンを取り出し、笹森へ発信した。

数回のコールの後、聞き慣れた声が耳に届く。


「今日、会えないかな」

『どうしたの?突然?』


電話口の笹森の声には、微かな戸惑いが混じっていた。

山田は早鐘のように打つ心臓の音を悟られないよう、ひとつ深呼吸をしてから答えた。


「……話したいことがあって」


日が落ちて、街灯の冷たい光だけが落ちる夜の公園。


待ち合わせ場所に現れた笹森は、どこか落ち着かない様子で自分のコートの裾を握りしめていた。

その表情には、彼女自身も整理しきれていない迷いが影を落としている。

しかし、スコアという絶対的な価値基準に寄りかかってきた山田の目には、彼女の微細な揺らぎは映っていなかった。


山田は彼女の目を真っ直ぐに見据え、静かに口を開く。


「結婚してください」


その言葉に、笹森の肩が微かに跳ねた。


彼女の脳裏を何かがよぎったのか、返事までに少しだけ間があった。


「……うん」


微かに震える声だった。

山田は笹森の涙目を、純粋な喜びによるものだと信じて疑わなかった。


(嘘じゃない顔だ)

(僕は、救われた)


冷たい夜風が、二人の間を吹き抜けた。


―――


厳かなパイプオルガンの音色が響き渡るチャペル。


ステンドグラスから差し込む光が、純白のドレスとタキシードに身を包んだ二人を祝福するように照らしている。

祭壇の前に立つ二人に向け、分厚い聖書を手にした牧師が静かに問いかけた。


「誓いますか」

「誓います」


山田は一切の迷いなく、隣に立つ花嫁を真っ直ぐに見つめて即答した。

その横顔には、スコアというシステムに保証された確かな幸福への絶対的な信頼が滲んでいる。


「……誓います」


小さく息を吸い込む音がチャペルに響き、笹森の唇から微かに震える声がこぼれ落ちた。

ベールに包まれたその表情は、どこか諦観を帯びたように静まり返っている。


牧師の合図で、山田の指先から、冷たい銀色のリングがゆっくりと押し込まれる。

ぴったりと笹森の薬指に収まった指輪が、チャペルの光を静かに反射した。


指輪が根元まで押し込まれたのと同時に、笹森の視線が、山田から不自然に外れる。

伏せられていた長い睫毛が上がり、客席のある一角へと、ほんのわずかに動いた。

そこにある誰かの影を探すように。

あるいは、決して交わることのなかった別の可能性をいたむように。


山田は気づかなかった。

山田は、幸せそうに笑っていた。

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