プロローグ 七歳の夏休み
――何のために音楽がやりたいんだ。
理由なんてボクにはどうでもいい。
ただ楽しみたいだけだ。
七歳の頃、夏休みの事をふと思い返す。
ボクは、世間でいうところの「お坊ちゃん」だった。
家は広く、生活感がないくらい静かだった。
床はいつもピカピカに磨かれていて、落ち着かない場所が多かった。
父と母は、政略結婚で結ばれた人たちだった。
でも仲が悪いわけではない。
二人はいつも同じ方向を見て、同じ歩幅で歩いていた。
仕事の話をし、予定を確認し、必要な決断をする。
両親は楽しそうに仕事をしていたし、そこに迷いはなかった。
ボクは、その二人の跡を継ぐために生まれた存在。
その毎日は、予定で埋まっていた。
語学、礼儀作法、スポーツなど。
音楽も、その中のひとつだった。
ピアノは拙いながらも、基礎をそつなくこなした。
歌も正しい音程で歌えた。
そこに何の感情も湧かなかった。
ただ言われたタスクをこなす日々。
先生は満足し、両親も安心した。
両親が喜んでくれる……。
――それが当たり前で、それでいいと思っていた。
七歳の夏、両親はいつも以上に仕事が忙しくなり、一ヶ月ほどの出張が決まっていた。
ボクは父の妹にあたる叔母の家に預けられることになった。
「リディ、一緒に連れて行けなくてごめんね。夏休みは叔母さんの家で大人しくしているんだよ」
そう言って、両親はぎゅっと抱きしめた。
「やだよぉ……っ!! ボクを置いていかないで!!」
泣いて両親にすがってもお別れの時間が迫る。
やがてタイムリミットが来ると両親は謝りながらも、仕事に行ってしまった。
叔母は、父とは全く似ていなかった。
習い事のお迎えの時間に少し遅れるし、
服にしわがあってちょっとだらしない。
「まあ、いーじゃん」が口癖だった。
最初、ボクは戸惑った。
習い事の時間以外は何をすればいいのか、はっきり決まっていない時間が多すぎたからだ。
「今日は、何して遊ぼうか?」
そう聞くと、叔母は笑った。
「別に何もしなくてもいいし、何かしたくなったらすればいいよ」
そんな答えでいいの?
でもなぜか、心がくすぐられるように温かくて嫌じゃなかった。
叔母は、ボクが失敗しても、危ないことは注意するけど、低評価はしなかった。
ボクは、気づかないうちに、胸を張って歩くようになっていた。
――ボクは、好きなことを好きにやってもいいんだ。
――心がわくわくするような何かが、ボクにも見つかるのかな。
夏休みの終わりが近い日、叔母は言った。
「近くでチャリティーの夏フェスがあるんだって。行ってみる?」
「何それ、面白いの?」
「特にやることもないし、まあいーじゃん」
あまり気乗りしないまま会場に着くと、人でいっぱいだった。
夏の日差しが焼けるように暑くて、うるさくて、空気がお祭り騒ぎ。
ボクは一瞬、顔をしかめた。
こんな騒がしい場所は、ボクにふさわしくない気がした。
でも、その音楽が一瞬で場の空気を変えた。
ピコピコと可愛いリズムが心をくすぐる。
ドラムとピアノの音が重なるたび、面白くて違う音になっていくみたいだった。
「叔母さん、女の人の音かっこいいね!」
ボクはステージの右の人を指差した。
「あの人がギターで左の人がベースかな? かっこいいね」
ステージの上にいたのは、ガールズバンドだった。
あとで「マシュマロ」というバンド名だと知る。
キーボードの電子音が耳に心地よく、ドラムが鳴るたびに胸を震わせた。
ベースの低音が、足元から身体をつかんだ。
ギターをかき鳴らす姿と、ほとばしる音が、すべて頭の中に刻まれた。
いつも一人で、正しい音を求められていたボクの音楽とはまるで違っていた――。
歌声が重なった瞬間、はっきりと思った。
――これ、ボクもやってみたい!
歌詞も、なんとなくしか分からない。
音がただ胸の奥に響いてきた。
心臓が今までにないくらいバクバクして怖い。
でも、綺麗で目を逸らせない。
――音楽って楽しんでいいものなんだ。
――ボクもドキドキするような音楽がやりたい!
そう思った自分に、少し驚いた。
曲が終わったあと、しばらく動けなかった。
周囲は歓声と拍手に包まれている。
叔母が、横でぽんっと肩に手を置いて聞いた。
「どうだった?」
ボクは、うーんと少し考えてから、答えた。
「……すっごくいーじゃん!」
本当は、そんな言葉じゃ足りなかった。
でも今の自分には、それしか出てこなかった。
ボクは知ってしまった。
音楽は、正しく演奏するだけじゃない。
七歳の夏休みの終わりも近い日。
それは、
「ボクが音の中心になって舞台に立ちたい」と初めて思った日だった。
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