【第8話】違和感のある村(2)
「小隊長、こんなところでも鍛錬ですかー?」
夜も更けたころ。
千蔭が宿の裏庭で訓練用の木刀を振っていると、階上の窓から井丸の声が降ってきた。
「ああ、お前もどうだ」
「うっ、…遠慮しときます。今日はもうクタクタですって…」
そう言い残して部屋の中へ戻る井丸を見届けた後、再び精神を統一し、木刀を構える。今日の戦闘をもう一度思い起こしながら、より良い動きを模索していく。
激しい動きの中で走る小さな背中の痛みに、千蔭は一度息を整えるために手を止めた。
木刀を振る音がなくなると、あたりは静寂が広がる。
静かな夜だ。
まるで人間がいない世界のようで、ただ月の光だけが千蔭を見守っていた。
急に背後でガサガサッという物音が立ち、頭上で数羽の鳥が飛び立っていく。
後ろを振り返った先にあったのは、凛と咲く梅の木。
どうやらこの木の枝が落ちた音だったらしい。
音の出所を認識し、緊張を解いて視線を戻そうとするが、不意に、枝先の花びらが茶色く染まっているのが目に留まった。
茶色い花弁は、吹いてきた風になびき、ついには支えを手放してぽとりと地へ落ちた。
その周辺で咲き誇っていた花弁も、じわじわと桃色を焦がすように色を変貌させ、地に落ちた花弁を追うように、ぽとり、ぽとりと涙をこぼすように散ってゆく。
(__何だ、この違和感は)
一部だけ花弁を散らした梅の木を見つめながら、千蔭は眉根を寄せた。
見逃しそうなほど小さな、しかし不自然な現象。
邪霊との関連がある可能性も捨てきれない。しかし、もしそうであるなら、邪霊特有の人間に対する害意の気配が薄すぎる。
(…梅)
昼間の老人が見せた妄信的な瞳といい、今目にした光景といい、この村に来てから千蔭が感じる違和感の傍には、必ず梅の木があった。
(梅を辿れば、違和感の手がかりを掴めるだろうか)
自分が動かなくても、村への被害は出ないのかもしれない。それほど小さな違和感だ。しかし…。
__これは個人的な疑念を解消するための行動であり、他の隊員に伝える必要はないだろうと判断した千蔭は、鍛錬による身体の火照りとともに、月明りを頼りにしながら宿を発った。
それは、宿から民家の集まる場所とは逆方向に、暗闇の中梅を探し歩いて小半刻経ったとき。
深い森を背に、畑と人気のない民家とが隣り合う場所だった。
その奥に、仄かな灯りを感じられたのだ。灯りといっても、月明りに照らされた道では見逃してしまいそうなほど、微々たる揺らぎの。
しかしよく目を凝らすと、畑と民家の間に森へと続く細い小道があり、その先に小さな灯籠が一つ設置されているようだった。
人が一人ようやく通れるほどというほどに狭く、両脇には背の低い竹垣が並び立つ小道。
そこへ意を決して踏み込むと、森の木々が月明りを遮り、その身は果てしない闇に飲み込まれる。
夜中の来訪者に森が騒めく。その音に包まれつつ、微かに感じられる灯籠の光を目指し、ゆっくりと歩を進めていく。
だんだんと灯籠の形がはっきりと見えてきた。小さな橙色の元へ辿り着くと、その先の暗闇にも灯りが点々と浮かんでいるのが認識できた。
その灯りを見る限り、この道は直角に曲がった後、先はさらに緩く湾曲しているようだ。
道の先が見えない緊張感がありながら、千蔭は冷静さを失わず速度を緩めることなく進んでゆく。
__枯葉のひしめく地面を踏みしめる足音。木々の葉が揺れる音。暗い視界に次々と現れる小さな灯り。
どこかこの世ではない場所へ自ら向かっているような。思考が飲み込まれるような。言いようのない感覚に襲われる。
それでも身を引き締めて暗闇を進むと、徐々に灯籠の数が増え、道も枯葉がなくなり、手入れの跡を感じられるようになってくる。
すると、突然狭い道が開け、雪のように白い鳥居が現れた。
紙垂が風に揺れる境界を表す門。その先には、数十段の石段。
(こんなところに神社が?)
森の奥に現れた神社の入口に驚きつつも、思考を巡らせる。
__この先に自分の求める答えがあるのではないか。
そう感じた千蔭はその先に足を踏み入れようとしたとき、石段の上から微かに足音が鳴り響く。
それを聞いて咄嗟に、近くの樹木へとその身を隠す。夜更けに余所者がうろついていることが、ここの村人に良い印象を与えるはずがない。自分の違和感を解消するためだけに、この村で余計な確執など生みたくはなかった。
息を潜めて待つが、足音の持ち主が周辺を離れる気配はない。
千蔭は仕方なく石段を迂回し、道なき暗闇の森の中へとその足を踏み入れた。




