【第4話】叶わぬ望み(2)
秋人と梅雪が初めて会ったのは、母も存命だったころ。まだ梅雪が人間の少女として生きていたときだった。
森に迷いこんだらしい少年は、外で一人遊んでいた梅雪の前に現れた。ちょうど、洞窟を見つけてはしゃいでいた際のことだった。
村の外から来たという少年に驚きつつも、お互いに寂しさを感じていた二人はすぐに打ち解けたが、すぐに少年には迎えが来て、帰ってしまった。
しかし、それからしばらくしてから少年はたびたび梅雪の前に姿を現すようになった。
それからも、「大人たちには内緒だよ」と言いつつ、一人で村にやって来る彼と、この洞窟付近で遊ぶことが増えていった。
彼がどこから来た何者なのかなど、幼い梅雪は気にしたことがなかった。
ただ、“大人に内緒の秘密の友人”という彼の存在に、強い魅力を感じていた。
__そして、時は流れ、梅雪がこの村の神になった後。
それまで誰にも知られないように会いに来ていた彼は、なぜか上機嫌な祖父に連れられて、梅雪のもとを訪れた。
心の内で困惑する私をよそに、祖父は秋人とにこやかに会話をしていた。
私が村の外の人間と交流することを嫌がるはずの祖父は、秋人を例外として扱った。
梅雪と秋人が二人きりで話すことを許した祖父が席を外したとき、秋人に事の経緯を尋ねたが、はぐらかされてしまった。
その後も、彼は時折祖父の許しのもとで村に訪れては、梅雪と会話だけして去っていく。
十年以上の仲だが、いまだに梅雪は彼について分かっていないことが多くある。
どこから来たのか。どんな身分なのか。なぜ祖父に許されたのか。
彼こそ、人間ではない幻の存在なのではないか、と勘繰ったことさえある。
しかし、村で孤独な少女はそれでも良かった。
__彼と2人でいるときだけは、少女は人間に戻れるからだ。
「会っていなかった間、辛い思いはしていない?」
「ええ、いつも通りですよ」
「梅雪は我慢する質だからその言葉は信用できないな…。小さいころに追いかけっこをして転んだ時も、目にいっぱい涙を浮かべているのに、『痛くない、痛くない…』って意地っ張りで…」
「む、むかしの話です!」
彼と話す時間は楽しい。
叶うなら、ずっと傍にいてほしい。そうなったら、毎日の苦痛なんて何でもないのに。
滅多に自分の希望をもたない梅雪でも、祖父に気に入られている秋人なら、この望みを叶えられるのではないかと考えていた。
和やかな会話が続き、梅雪の冷え切った心にじわじわと温かさが灯ってゆく。
ただ、永遠に続いてほしいと思う楽しい時間は、無情にも刹那に過ぎてゆく。
「…さて、そろそろお暇しないとだ。その前に、ひとつ話があって」
急に居ずまいを正した秋人に、首を傾げる。
何か真剣な話がある様子だ。
二人の間に、いつもとは異なる空気がただよう。
(もしかして…)
幼いころから付き合いのある二人だが、気づけばどちらも、異性と結ばれてもおかしくはない年ごろになっていた。
梅雪の頭に、一縷の望みが浮かぶ。
息を呑み、彼の言葉を待っていたそのとき。
「_さま、秋人さまー!」
彼の名を呼ぶ声が洞窟の中へ木霊す。
その声を聞いた秋人は、梅雪に断りを入れて立ち上がって洞窟を出てゆき、その先で眼鏡をかけた小柄な男と合流していた。
梅雪もその男には見覚えがあり、たしか秋人の付き人のような役割をする人物だった。男は焦りながら秋人の耳元で何かを報告しているようだった。
男と会話を終えたらしい秋人は申し訳なさそうな表情をして、洞窟の中で待つ梅雪のもとへ戻ってくる。
「ごめん、梅雪。家の都合で、急いで戻らなければならなくなって…」
「いえ、お気になさらないでください」
「…ありがとう。話の続きは、また今度、近いうちに」
真摯に微笑む彼の目からは、梅雪を思いやる気持ちが伝わってくる。
先ほど言っていた”話”というのが気にはなるけれど、今は自分に向けてくれるその微笑みだけでも、梅雪に明日を生きる希望を抱かせてくれた。
少しでも彼の姿を目に焼き付けるために見送りをしようと、洞窟の入口をまたぐ。そこで別れの挨拶をしようと梅雪が口を開きかけたとき、目の前にひらひらと何かの影が舞った。
繊細な和紙。
ほのかに香水が香る、白い封筒。それは、まるで……。
__良家から送られてきた恋文のように見えた。
「ああっ! 申し訳ありません! 手元が滑ってしまい…」
どうやら、秋人の付き人の手荷物から滑り落ちたものらしい。
慌てる付き人よりも先に、手紙を拾い上げた秋人は、軽く土を払って丁寧にそれを懐へと入れた。
そして、何事もなかったかのように梅雪に向き直る。
「それじゃあ梅雪、また会おう」
去ってゆく彼と付き人の背中を見つめる梅雪は、別れ際に自分がうまく笑えた自信がなかった。
宙を舞った恋文。
秋人の“家の都合で戻る”という発言。
…手紙を見つめる彼の、朗らかな表情。
それらから推測されるのは___。
彼に“良い縁”が舞い込んできているということだった。
(___私の独りよがりな望みなんて、叶うわけ…ない)
梅雪は、そのまま本殿の裏戸へと歩を進める。
「…おめでとうございます、秋人さん」
誰もいない森の中、梅雪は精一杯の微笑みを浮かべる。自身の感情を殺すのは、彼女の得意分野だった。
本殿に近づくにつれ、梅雪の顔から感情は消える。
束の間だけ人間となれていた彼女の顔は、この村が望む“神の顔”に戻っていった。




