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【第3話】叶わぬ望み(1)

 翌朝、梅雪(みゆき)は神殿の奥に位置する寝所で目を覚ました。


 いまだ覚醒しきらない頭をまわし、昨日治した村人の火傷を顔に負ったことを思い出す。はっとして右頬を触った指は、滑らかに顎先まで滑り、傷跡のようなものは感じられない。

 ゆっくりと起き上がって足首を確認する。こちらも腫れが引いて思うように動かせるようになっていた。

 そのほかの身体の異常も、特に見受けられない。

 昨日は特に消耗が激しかったが、いつも通り自然に治すことができたようだった。


 昨晩の記憶は井戸に向かったところで途切れている。

 しかし、何とか寝所までたどり着いて眠りについたのだろう、と結論付けた梅雪は、寝台から足を下ろす。


(急いで支度をしないと)


 日の昇る位置を見る限り、今日は普段より起床した時間が遅い。

 祖父が朝の挨拶をしにここへ来る前に、きちんと身支度を整えておかなければならなかった。これも、梅雪の身に染みついた長年の習慣だった。


 鮮やかな赤い着物。口元を覆う絽。紅を引いた目元。

 結った黒髪には、水引と梅の飾りを。

 支度を終えて姿見を見れば、この村の“神”がいつも通りの姿でそこに立っていた。


「おはようございます」


 扉の向こう側__本殿から祖父の声がした。


「お入りください」


 いつも通りに祖父へ応える。

 

 木の軋む音とともに、食膳を持った巫女を後ろに引き連れて祖父が入ってきた。

 腰が曲がり、白髪が日に日に増えていく祖父は、10年間同じ、にこやかな笑みを浮かべた妄信的な瞳で梅雪の姿を捉える。

 自身が長年かけて作り上げたその完璧な慈悲深い表情を浮かべる神の姿に、彼は上機嫌で賛辞を長々と述べた後、その日の予定を話し始める。


「…でございますのでお忘れなきよう。そして、本日ですが、参拝者へのお目見えは午前までといたします。なんでも、隣の朔望(さくぼう)国の軍人が、我が国との合同作戦を終えた後、この村で休息をとるそうで…。午後からは決して外にお姿を見せぬようにお気をつけくださいませ。……よそ者から穢れが移る可能性もありますので」


 この村の神として崇められる梅雪は、村人以外に姿を見せない。

 祖父は何としても梅雪を自分の手元に留めておきたいらしかった。村人以外に梅雪の存在が知られて他所で祭り上げられ、自分の手の届かない場所へ連れて行かれることを、心底恐れていた。

 祖父は何度も「あなたはこの村だけの神なのです」と梅雪に言い聞かせた。


 多少の例外はあれど、今日も変わりない1日が始まろうとしている。

 そんなとき、祖父が何かを思い出した様子で告げる。


「あぁ……そうでした。…参拝を始める時刻には早いですが、()()()()がお見えになっています」


 その言葉を聞いた梅雪は、感情を見せない顔の裏でひそかに心を躍らせた。


「…いつもの場所でお会いしましょう、とお伝えください」

「かしこまりました。くれぐれも、一般の参拝者が見えるまでにはお戻りください。……あぁ、それと」


 巫女が静々と小瓶を運んでくる。

 それを促した祖父の視線は、梅の飾りが揺れる黒髪に向けられていた。

 それに察した梅雪は、小瓶を懐にしまった。


「……それでは、本日もこの村をお守りいただきますよう、かしこみ申し上げます」




 そうして祖父との挨拶を終えた梅雪は、はやる心を抑えつつ食事を終え、本殿の裏側へと出る。


 井戸と泉を越え、少し歩けば、森が開けた空間まで辿り着く。

 目の前には二畳ほどの広さをもった洞窟。

 __梅雪と彼しか知らない、秘密の場所だった。


 装いが乱れてはいけないから急がないように、と心の中で意識していたのに、少々乱れてしまった呼吸を整える。

 徐々に息が落ち着いてきたころ、梅雪の来た逆方向から草の揺れる音が聞こえた。


 音のした方向へ目を向けたそこには、右頬の黒子が特徴的な、黒髪の青年が微笑んで立っていた。


「久しぶりだね、梅雪」

「お久しぶりです、秋人(あきひと)さん」


 梅雪は目を細めて柔らかく笑う。



 その青年__秋人(あきひと)は、梅雪の唯一の味方でいてくれる、村の外の人間だった。

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