【第1話】神と呼ばれる少女(1)
この世には、八百万の神が存在する。
あるところでは、太陽や山、川といった自然。
別のところでは、時間や言葉、縁といった概念。
さらには、井戸や竈、鏡といった道具。
__神とは、それらあらゆるものに宿り特異な力をもつとされる、”神聖な存在”である。
慈悲深い神々を信仰することで、苦しみから救われる__。
この世の人々は、誰もがそう信じ、今日も信心深く神々に祈りを捧げる。
__ただ一人の少女を除いて。
***
物心ついたときから、少女は人間として扱われていなかった。
「か、神様…!! どうか、どうか、この子の怪我を治してください…!!」
母親は、息を切らし涙や鼻水で顔を埋め尽くしながら、上ずった声で訴える。
その腕に抱えられた少年は、脹脛から足の先にかけて、どろどろとした血を流して苦悶の表情を浮かべていた。
神坐から立ち上がった少女は、音も出さずに段を降り、膝をつけた母親と同じ目線まで腰を下げる。
長い着物の袖を押さえて、少年の患部まで伸ばされた手。
その指先に、ゆっくりと淡い光が宿り、傷を包み込む。
その不可思議な光景を目の当たりにした母親が息を呑む暇もなく、少年の傷は瞬く間に癒えていった。
「…あれ、いたく、ない…? かあちゃん、もう、いたくないよ…!」
「あぁ、こ、これが奇跡…!! ありがとうございます、ありがとうございます……!」
__村の者は、少女を「神」と呼んだ。
「梅神様、弟が病に苦しんでいて…」
「目をはなした隙に、湯をかぶって顔に火傷を…」
「ひっく、嫁入り前なのにっ、畑仕事中に身体に傷をつくってしまって…」
「「「どうか、救いを…!!!」」」
毎日、毎日。
少女は森の中の小さな神殿を訪れる人々の願いを聞き入れる。
「今日の参拝者は以上です。人払いは済んでおりますので、どうぞお休みくださいませ」
頭を垂れて告げた老人に、黙って首肯する。
少女の祖父である彼は、その動きを感じ取って頭を下げたまま後退し、神殿の扉を固く閉ざした。
これが、神として過ごす少女の、一日の終わりを告げる合図だった。
鮮やかで美しい金の刺繍が施された赤い着物。
これは、少女が六つのときに初めて袖を通したものだ。十年着続けた今でも未だに重苦しく感じられるそれを、ゆっくりと解いていく。
肌襦袢だけを身にまとった姿になり、ようやく落ち着いて息をつくと、口元を覆って少女の表情を隠していた絽の布が揺れた。着物からの解放感を覚えた身体は、とたんに口元の息苦しさを思い出す。
頭の後ろで絽の結び目をほどき、口元が露わになると、冷たい空気に肌が冷やされていく。
冷えを覚えながら、あらかたの装飾を外し終えた少女はその場から立ち上がろうとした__が、足がもつれる。
音を立てて床に倒れ込んだ少女は、自身の足首に目線をやる。
そこに痛みを感じて足袋をまくると、くるぶしが大きく腫れあがっていた。
ため息をついた少女は、足を庇いながら引きずるようにして裏戸から神殿を出る。
少女は一歩、また一歩と重い足で暗闇を進む。
すぐそばの井戸へ向かうだけだというのに、身体はだるく、息があがる。
ようやくたどり着いた井戸で水へ布を沈ませ、よく絞り、足の患部に当てた。
一瞬顔を歪めた少女だったが、すぐに表情を戻し再度桶の中の冷たい水へと手を入れる。
水面に映る彼女の右頬には、__昼間に来た村人と同じ、火傷の痕。
少女は落ち着いた表情のまま。ただ、凪いだ水面を見つめる。
この少女、氷野梅雪は、不完全な神だった。




