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【第16話】燃ゆる社(2)

「……先にお逃げください」

「はいっ…!! どうか、どうか、父さまをお願いします…」


 若い村娘は、神坐の前に横たえた父を残して外へと飛び出す。

 


 神社の本殿。

 雪のように透き通った肌に重なる鮮やかな赤い着物。一部が薄布で覆われた艶やかな黒髪。そこに散らされた川のように波打つ水引に散りばめられた梅飾り。

 千蔭と別れた後。神の装いに身を包み込み、髪を染め直した梅雪(みゆき)は、傷を負って神社に飛び込んでくる村人村人を、ひたすらに治療していた。

 額、頬、脇腹、手足に至るまでに治療の代償を払ったその身は、気を抜けばすぐに崩れ落ちてしまうだろう。


 梅雪は目の前に横たわる男性へと腕を伸ばして一心に力を注ぐ。これ以上続ければ意識を失ってしまいそうな、ボロボロの身体で。

 娘によって運び込まれたこの男性は、その時点で顔は青白く、胸の動きも見られなかった。それでも、泣きながら父を助けてくれ、という彼女に、その事実を突きつけることはしなかった。彼女がここに入ってくるときに見えた迫る炎の位置から、この男性が最後の治療者になるだろうと判断できたから。せめて自分の死に際に、一つの遺体の痛々しい傷を修復させることができれば、それでよかった。たとえその後、二人とも火に焼かれて消えてしまったとしても。

 ここの村人は誰も、神の身体が炎で焼け死ぬことはないと疑うことはない。祖父の命とは言え、梅雪は全能を演じてきた。

 だからこそ、__誰も助けには来ない。


 最後に見る人の前でくらいは、完璧な神らしくありたかった。


 それなのに。


(なんで……)


 突如、自身から男性へと流れていた力の気配が消えた。


 どれだけ再び力を籠めようとしても、その力が発言するはずの梅雪の手に反応はない。

 こんなことは初めてだった。


(最後まで、不完全、なの……?)


 祖父に言われるがままで、村人を治療するしか能がない、不完全な自分。そんな自分の人生の終わり際さえも、思い通りにできる力がない。

 自分の無能さに涙を流したり、苦笑する気力すら、何もなかった。もう、火を待つことすら耐えられないほどに。

 梅雪は震える手で髪を覆う薄布を取り、動かす度に鋭く痛む手足を叱咤しつつ、青白い男性の顔へと載せる。

 懐から巾着袋を取り出し、その中から白い梅があしらわれた簪を手に取った。

 母が残したその簪は、鮮烈な赤を纏う苦しい日々の、心の支えだった。


(…やっと、解放される)


 こんなかたちで人生を終えることになるなんて、想像してもみなかった。

 だがもう、心残りはない。

 今まで耐えきれない痛みがはしっていた身体の感覚も徐々に消えはじめ、不思議と穏やかな心持になってくる。


 __ああ、でも。

 この先は村にこんな厄災が降りかかりませんように。

 秋人(あきひと)が大切な人と結ばれて、幸せに暮らしますように。

 __それから、異国から来たあの青年が、こんな不完全な自分に、見ず知らずの他人に思いやりをくれる優しいあの人が、この火から逃れて無事に帰国できますように。


 最後くらいは、自分も、神様へ祈ることを許してほしい__。


 目を瞑り、両手に握りこまれた簪を徐に喉元へ近づける。





 突如、外の状況と隔離された暗い室内に、大きく燃え盛る赤黒い炎が反射する。

 音を立てて蹴破られた扉の隙間から、土と灰の焦げ臭い匂いが流れ込んできた。


「…っ、梅雪!!」

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