【第11話】出会い(3)
「…動くな。一体、私に何をしようと__」
腰に携えていた刀を抜き、その刃を眼前へ向けてくる青年に対して、梅雪は表情ひとつ変えずに言い放つ。
「……用事は終わりました。途中まではご案内しますので、どうぞお戻りください」
そのまま立ち上がると、地面に倒れ込んだ際の打ち身とは別の、刺すような痛みが背中に感じられた。
知り合ったばかりの者に軍人が背後をとらせてはくれないだろうと考えた故に、正面から力を使ったが、やはり、青年を驚かせて警戒させる結果になってしまった。そうなる想定もして、多少騒いだとしても巫女たちが来ないだろう場所へと移動したのは正解だったようだ。
梅雪は、肩にかけられた外套に手をかける。
「こちらもお返しします」
未だ警戒を解かない青年へ向けて、彼の優しさを象徴するそれを返却しようとする。
だが彼は動かず、梅雪の一挙手一投足から目を離さんと鋭い視線を放っている。
誤解を解く必要はない。これは自分の突発的な発言が引き起こした自業自得で、二度と会うこともないだろう彼に敵対心を持たれても構わない。
そう考えた梅雪は、近くの枝に彼の外套をかけ、もと来た道を歩き出そうとする。
「…待て」
警戒心の残る低い声。
しかし、少しばかりの困惑が入り混じるその音が耳に届く。
「君の首筋の傷……さっきまではなかったはずだが」
青年の指摘に、自身の首元を確認する。
急いで着た羽織の襟がよれ、露わになった傷。
__全身から血の気の引く感覚に襲われた。
「これは、どういうことだ」
梅雪の傷を確認した青年は、自分の首筋から背中にかけてを軍服の上からなぞっている。
突然梅雪の身体に出現した傷と、自身から消えた傷。信じがたいが実際にその目で見る現実に困惑した青年は、刀の先を下ろして問いかける。
「…何も、見なかったことにしてください。どうか、私に会ったことは胸のうちにしまって朔望へお帰りください」
改めて、村の外の人間に対して突発的に力を使おうという考えに至った自分を責める。傷を見られなければ、ただの怪しい村娘として終わるはずだったのに。たとえ彼が自身の傷が消えたことに気づいたとしても、こんな超常的な現象は、村の外から来た人間にとっては一夜の夢幻として扱われるはずだったのに。
青年は未だ狼狽しきった様子でその場から動かない。
__彼も来た道は覚えているはず。ここで梅雪がゆっくりとこの場を離れて姿を消せば、それこそ今夜のことを夢幻だったと思わせることができるかもしれない。
そう思い至った梅雪は、青年を置いて一人その場を去ろうと一歩を踏み出す。
「待ってくれ……!!」
一際大きな声に足が止まりそうになる。
いけない。このまま去る方が、彼のためにもなるのだ。
「信じ難いが、君が、私の負っていた怪我を引き受けたのだろう? なぜ__」
去り行く梅雪へ向けて青年が放つのは、納得できないとでもいうような、それでいて悲哀を奥に潜めたような、一声。
「なぜ、自分を傷つけることに、躊躇を見せなかった?」
(……え?)
思わず歩みを止め、青年の問いかけを頭の中で反芻する。
なぜ躊躇せずに自分を傷つけたのか?__そんなことは、毎日村人のために繰り返している。そこに疑問を持つことなんて、ない。
困惑の表情をして振り返った梅雪に向けて一歩踏み出した青年は続ける。
「なぜ君は会ったばかりの私のために、自分が傷つくことを選ぶ?」
この青年が問いかけたのは、力についてでも、梅雪の正体についてでもない。
__梅雪を案じる言葉だった。
頬に温い感触が走る。
自分が泣いているのだと気づいたのは、枯葉を踏みしめる音とともに駆け寄った青年が驚く表情が目に入ったときだった。
(なんで、どうして……)
早くこの場から去らなければいけない。それが分かっているのに、自分が泣いているのだと理解すると、堰を切ったように次から次へと涙が零れ落ち、足が震えて前に進まない。
自分が信じられなかった。
神が涙を流すなんて、それこそ不吉であるから、これまでどんなに辛いことがあっても、たとえ目の前に他者がいなくとも、涙をこらえてきた。それに慣れて、とうに涙は枯れたと思っていた。
しかし、この人の言葉ひとつで、それが崩されたのだ。
喉の奥から熱いものがこみ上げてきて止められない。
必死に羽織の袖で熱くなった顔を隠そうとして、さらに衣装が乱れてしまう。
嗚咽を漏らしながら俯いていると、周囲の光と音が遮断される感覚がした。彼は再び外套を、今度は頭の上から梅雪を包み込むようにしてかぶせてくれた。
彼の優しさに、さらに胸が締め付けられる。
梅雪は、力が抜けて身体を支えられない足を折り、せめてもと声を殺し、長年ため込んできた涙に温かな暗闇の中で頬を濡らした。




