第7話 古文書と現実と揺らぐ真実
歴史館に収められた、数々の古文書、写真、地図、年表……。それらを精査した俺は、ある種の違和感を覚え、再び、あの薄暗い路地へと足を運んでいた。
古文書が語る、過去のこの町は、深い闇と、住民たちの恐怖に支配されていた。しかし、現在の町並みは、不気味なほどに静まり返り、住民たちも、表向きは平穏な日常を送っているように見える。
このギャップは、一体何を意味するのか……?
狭く曲がりくねった路地を歩きながら、俺は、古文書の一節を思い出していた。そこには、恐怖に打ち震える町民たちが、藁にも縋る思いで、「黒影の住人」を鎮めるための、禁断の儀式を行ったことが記されていた。
だが、今、目の前にあるのは、穏やかな夕暮れの風景だけだ。あの古びた喫茶店から漏れる、微かなコーヒーの香り。路地の隅で遊ぶ子供たちの、無邪気な笑い声。
この平和な光景の、どこに「黒影の住人」の影があるというのか?
ふと、喫茶店の前に、一人の女性が立っているのが見えた。年季の入った、薄汚れたエプロンを着け、どこか所在なげに佇んでいる。この町に長く住む、古株の住民だと、以前、風の噂で聞いたことがあった。
「すみません、この町で、昔、何か変わった出来事があったと聞いたのですが……」
俺が声をかけると、女性は、ゆっくりと顔を上げた。その目は、虚ろで、どこか遠くを見ているようだった。
「……昔のことです。もう、誰も、思い出したくないのです」
絞り出すような、か細い声だった。
「でも、記録には残っている。町全体が闇に包まれ、住民は皆、恐怖に怯えていたと……。しかし、今のこの町は、どう見ても平和です。このギャップは、一体なんなのですか?」
俺が問い詰めると、女性は、一瞬、目を伏せた。そして、観念したかのように、重い口を開いた。
「……時が、全てを変えてしまうのです。あの頃の恐怖も、痛みも、いつしか風化し、忘れ去られていく……。それは、仕方のないことなのかもしれません」
「しかし……」
「昔のことを、ほじくり返さないでください。私達は、ただ、静かに暮らしたいのです」
そう言い残し、女性は、喫茶店の中へと消えていった。
俺は、女性の言葉を反芻しながら、再び歩き出した。沈みゆく夕日が、町全体を赤黒く染め上げている。
過去と現在、記録と現実、その狭間で、真実が揺らいでいる。
ふと、背後から、誰かの視線を感じた。振り返ると、道の向こうから一人の老紳士がこちらをじっと見つめていた。
目が合った瞬間、老紳士は、ゆっくりと口を開いた。
「……あの日の出来事は、確かにあったのです。しかし、時が経つにつれ、人々の記憶は薄れ、曖昧になっていく……。それが、真実を覆い隠してしまうこともあるのです」
老紳士の言葉は、記録に残された恐怖と、現実の穏やかさとの、矛盾を突いていた。
俺は、その言葉に、言いようのない不安を感じながら、取材用のメモ帳に、今のやり取りを、急いで書き留めた。
真実は、一体どこにあるのか?
闇は、本当に消え去ったのか?
それとも、この町の、平穏な日常の裏側に、今もなお、深く、静かに、息を潜めているのか……?
俺は、再び、夕闇に染まる町へと、足を踏み出した。真実への渇望だけを、胸に抱いて。