第3話 闇への足音
俺は、あの異様な掲示板の書き込みを反芻しながら、町の中心部から外れた、薄暗い路地へと足を踏み入れた。住民たちの証言、そして「黒影の住人」の伝説……。点と点が、少しずつ繋がり始めている。
錆びたトタン屋根、崩れかけたレンガ塀、そして、ひび割れたアスファルト……。路地の両側に並ぶ、古びた家々は、時が止まっている。この一帯だけが、町の喧騒から取り残された「忘れられた場所」だった。
時折、風が吹き抜け、乾いた土埃が舞う。その度に、言いようのない不安が、背筋を這い上がる。
ふと、路地の奥、闇の中に佇む、一人の女性の姿が目に留まった。年の頃は40代だろうか。やつれた表情、乱れた髪、そしてその目は、深い絶望を湛えていた。
俺は、意を決して、彼女に声をかけた。
「すみません、この辺りで、最近何か変わったことはありませんでしたか? 例えば……そう、黒い影のような……」
女性は、ビクリと肩を震わせ、怯えたような目で、俺を見た。
「あ……あの日のこと……覚えてます……」
彼女の口から漏れた、掠れた声は、遠い過去の悪夢を語り始めた。
「あの日……町は、急に静かになって……。そしたら、どこからか、黒い影が……走ってきて……」
女性は、そこまで言うと、言葉を詰まらせ、震える手で口元を押さえた。当時の恐怖が、今なお彼女を苦しめているのだ。
「その影は……一体、何だったんですか?」
俺は、矢継ぎ早に質問を投げかけた。
「分からない……。でも、あれは……この世のものじゃなかった……」
女性は、そう呟くと、俺に背を向け、闇の中へと消えていった。
*
俺は、女性の証言を胸に、次なる手掛かりを求めて、町の図書館へと向かった。埃っぽい館内には、古い新聞や雑誌が、所狭しと並べられている。
「黒影の住人」に関する、何らかの記述がないか、探してみるつもりだ。
薄暗い書架の間を縫うように進み、地方史のコーナーで、ついに目的の資料を発見した。「昭和25年(1950年)12月」と記された、古い新聞の切り抜き。そこには、「旧市街で謎の怪奇現象相次ぐ」という見出しと共に、ぼやけた写真が掲載されていた。
写真には、確かに、黒い影のようなものが写り込んでいる。しかし、不鮮明なため、それが何なのかは判別できない。ただ、その不気味な存在感だけが紙面から滲み出ている。
さらに記事を読み進めると、「住民の間に動揺広がる」「警察、捜査を開始」といった、物々しい文言が並んでいる。当時の混乱と恐怖が生々しく迫ってきた。
*
図書館を出た後も、俺の疑念は深まるばかりだった。住民の証言、古い新聞記事、そして掲示板の書き込み……。それらは全て、「黒影の住人」の実在を示唆している。しかし、一方で、確たる証拠は、未だ掴めていない。
ふと、背後に気配を感じ、振り返ると、路地裏の壁際に、一人の男が立っていた。年の頃は50代だろうか。鋭い眼光、そして、その顔には、深い苦悩の色が刻まれている。目が合うと、男は、低い声で、俺に語りかけてきた。
「あの日のこと、忘れられるわけ、ないだろ……」
その一言は、この町に隠された、巨大な闇を、垣間見た気がした。重苦しい響きが、俺の心に突き刺さった。