95. キリルの街から
シドとリュウは、まだ何の通達も出ていないはずの、キリルの街を歩いている。
街の者達の様子を見れば、やはり魔物が多く出現している事は知っている様で、少々不安気な顔の者達ともすれ違う。
だが、街の店々はまだ開いており、2人はその街で昼食をとりつつ、食料等をいつもより多目に仕入れてから、この街の薬屋にも足を運んだ。
しかし、ここでは既に魔物が多く出ていた事もあり、ポーション等は品薄となっていた。
仕方なく購入は諦めて、シドとリュウは店を出て街中を北へと移動する。
「ねえ、何処へ向かっているの?」
北へ向かっているシドへ、リュウが問いかける。
キリルの北には大森林が迫っている為、聞かれるのは当たり前の事だろう。
「キリルの北に“エガニ村”という所がある。冒険者ギルドの掲示板には、その村の住人に避難指示が出ている旨、貼ってあったんだが、一応そこへ行ってみようと思っている」
シドはリュウへ、そう返事をする。
「誰もいない所へ行くの?」
「ああ。そこは大森林の中と言っても良い場所だから、何か感じるのかも知れないと思ってな。それに誰もいない事を、確認もしたい」
「また…シドは人の心配ばかりして…」
リュウはシドを仰ぎ見て、困ったような笑みを向けた。
「そう言うリュウも、皆が避難し終わっているか、自分の目で確認したいだろう?」
シドは口角を上げて、リュウを見返す。
2人は顔を見合わせて笑う。それは束の間の、のんびりとした時間であった。
シドとリュウは買い物を終え、街の北の道へと出た。
この道は以前、シドがマッコリー達と通った狭い道だ。この道の先へ行けば、自然豊かなエガニ村が見えてくるはずである。
シドは今回、エガニ村へは転移を使う事なく、道を歩く予定だ。
これは少しでも魔力の消費を抑える為であるが、途中魔物が出れば、それを排除するつもりでもあったからである。
「歩いて2時間位で、エガニ村へ着くはずだ。途中で魔物が出るかも知れないが、頼むぞ?」
「了解。わかってるよ」
リュウはシドに、当然だと言って笑う。
「それにしても…転移って凄いよね」
リュウの言葉を聞いたシドは、それに反応する。
「リュウはエガニ村へ、転移を使った方が良かったか?」
シドの問いかけに、リュウは慌てて返事をかえす。
「あぁごめん、そういう意味ではないよ。今朝スチュワート領のダイモスを出てきたはずなのに、もうノックス領の大森林まで来ているなぁ、と思ってね。それで言ったんだよ」
「そうか…。俺もこのスキルを付与されるまでは、そんな事は出来るとも思ってもいなかったからな。だが余りこれに頼り過ぎると、足腰が弱くなりそうな気もするんだ…」
シドは本気なのか分からない、若者の発言ではなさそうな事を言う。
それにリュウが笑った時、2人の表情に緊張が走った。
「いるな…」
「いるね…」
シドとリュウがそう話せば、遠くから魔物の叫び声が聴こえてきた。ここはもうエガニ村に近く、その方角を確認すると、2人は村へと走り出したのだった。
シドとリュウが辿り着いたエガニ村の畑の中に、“アント”の大群に囲まれた人物が3人立っている事を、辛うじて確認する。そこには時々、炎が上がっている。
即座にシドとリュウは、群れているそのアントに向かって走っていく。
アントとは、黒く蟻に似た姿をした巨大な魔物で、蟻と同じく大群で行動する。常には地中に巣を作り、森の奥深くにいるとされる。
その巨大な魔物に付いている口には、頑丈な牙と言っても良い“顎”があり、その顎に捕まれば逃げ出す事も困難で、そのまま巣へ連れ込まれ、餌にされてしまう。
そして移動速度も速く、対面してしまえば最早、討伐するしか逃れる道はないのである。
「リュウ、アントは?」
「あるよ。顎は拙いね」
「そうか」
「あと、お腹を切り離しても、上半身だけで動くよ」
「了解だ。では頭だな」
「うん」
2人は、リュウの戦闘経験から軽く方針を固めると、アントへ向けて剣を振う。
シドは身体強化と風衣、硬化、一撃、借受も準備する。
今は人前の為、転移は使用しない。
シドは、囲まれている者達へ向かって、アントを排除しながら進んで行く。
リュウは群れの外から、魔法をメインに防楯を展開し、アントの顎を上手く退けている。
一方シドは、アントへ振った剣を、その顎に挟まれ固定されてしまった。しかし、その剣は2本の内の1本である為、挟まれた剣を横へ大きく振り出すと、見えたアントの首根に、もう1本の剣を振り下ろす。
―― ズバッ! ――
コロリとアントの首が落ちれば、そのアントは不動となる。シドはそのまま剣を振り、大群の中心へと向かって進んで行った。
シドがその場に辿り着けば、剣を手にした者と火魔法を繰り出している者達の周りに、障壁が展開されていて、もう1人がそれを維持して彼らを護っている様であった。
「無事か?」
シドは剣を振りながら彼らの前方に出ると、そこへ声を掛けた。シドの顔を見た者の、表情が緩む。
「援軍…助かった。まだ無事だが、数が多すぎて動けないんだ」
「そのまま保っていてくれ。俺達が周りから、排除していく」
シドの言葉に顔を引き締めた3人は、神妙に返事を返す。
「わかった、頼む」
シドはその返事を聞くと、又そこからアントの中へと突っ込んで行き、外周にいるリュウと合流した。
「中は3人、無事なようだ。障壁で踏ん張っているから、俺達は外から排除していくぞ」
「了解」
シドはそれをリュウへ伝えると、シドとリュウ、それぞれが距離を取ってアントに対峙する。
シドは額から汗を滲ませ、魔物の中を走りながら2本の剣を振い続けた。
暫くすれば中心にいた3人の姿も、見える様になってきた。後から増えるアントもなくなり、最後の追い込みを掛ける。
―― ギイィィー! ――
その鳴き声と共に、最後のアントが倒れて土ぼこりが舞うと、視界の隅にあった障壁の輝きが消えて、3人がそこで腰を落とした。
「「「助かった…」」」
3人が同音を発し、シドとリュウはそちらへ向かう。
「怪我はない?」
リュウがその3人へと、声を掛けた。
「あ…ああ…助かったよ、ありがとう」
剣を手にした者が、絞り出すように返事をした。
「ここの村の人?」
どう見ても、冒険者の格好をしている3人へ、リュウが無邪気に問いかける。
今は、リュウへ任せたシドであった。
リュウの質問の真意に気付いた様な顔をした者は、障壁を張っていた神官らしき青年1人であった。
そしてその神官の前にいる、魔導士のローブを羽織っている者が、悪びれず答える。
「そんな訳ないだろう?俺達はキリルのC級冒険者パーティ、“紅のワイバーン”だ」
そう言った魔術師は、少し上から目線で話している。リュウが少年の様に見えるので、虚勢を張りたいのだろうと、想像できた。まだ二十歳前で、少年の面影を残す3人である。
「ちょっと、それは言い方が失礼ですよ…」
神官の囁きが、こちらまで聞こえてくる。
これはどうやら、リュウでは手に負えそうもないなと、シドはそこで口を挟む。
「お前達は、ここで何をやっていたんだ?」
シドの飾らない言葉は、青年たちの肩をピクリと揺らす。
リュウはソレを見て、シドへ困ったような視線を投げ、シドはそれに微笑みで返した。そしてシドはその笑みを消すと、青年たちへと向き直る。
「誰も答えられないのか?」
シドは再度、3人へ問いかけた。それを聞いて渋々と言う様に、剣を握る者が声を出す。
「俺達は、他の奴らと一緒に街からここまで来たんだ…」
そう言ってから、その青年は眉間にシワを寄せて、先を続ける。
「ここまで来た時、森からアントの大群が出てきた。他の奴らはそれを見て、奥の方へ逃げて行ってしまって、俺達だけ取り残されたんだ…」
それを隣で聞いていた魔術師も、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
どうやらこの者達は、他の冒険者達からアントの好餌として、置き去りにされた様である。
「そうか。それは災難だったな。それで、何故ここにいる?」
シドはその話を歯牙にもかけず、話の修正を試みる。そのシドの問いへ返事をしたのは、神官であった。
「僕達は、他のC級パーティと一緒に、魔物の討伐をしようと、キリルの街を出ました」
「どれ位の人数で、出て来たんだ?」
「全員で10人です。それ位の人数がいれば、大きな魔物が出ても対応できるから、と言う話でした」
今の彼の言い方だと、他のパーティから人数合わせで誘われたのだろうと、想像できる。
全く、自分達の無謀さを解っていない奴らだなと、シドは呆れた。
「という事は、7人がこの奥へ向かった…という事だな?」
シドは続きを、淡々と話す。
「はい」
返事をするのはその神官だけで、他の2人はどうしても、素直な態度が取れない様である。
「全く…無茶をする」
シドがポツリと零せば、聞こえたらしい魔術師が、即座に声を張った。
「そんな事言ったって、こんなに魔物が多いんじゃ、いつまで経っても、安心して暮らせないじゃないか!街の人達も皆、不安がってるんだよ!俺達が少しでも、皆を安心させたいと思っても、間違ってないだろうが!」
ローブの者はそう話し終わると、肩で息をしている。
「それなら。お前達はギルドに話してから、出てきたんだろうな?」
その魔術師へ向かって、シドは問う。
するとその者は、先程の剣幕を引っ込め、小さな声でシドの問いに答える。
「ギルドには言って来ていない…と思う」
そう言って、下を向いた。
彼らの気持ちも痛い程解るが、自分勝手に行動しては、その街の者達にも迷惑が掛かるとは考えられない辺り、まだまだ少年の域を出ていないなと、シドは感じた。
シドとリュウは、顔を見合わせて苦笑する。
この返答は想像していた通りであり、シドとリュウはもう笑うしかない。
シドはそこで空を見上げた。
季節はまもなく冬であり、陽が落ちるのも随分と早くなっている。
≪リュウ、今日はこの者達と村の中で野営だな。明日明るくなってから、彼らを街へ送り届けよう。今から、この3人だけを帰す事は危ないだろうし、野営の灯りを見た他の者が、戻って来るかも知れない≫
シドからの声に、リュウは一つ頷く。
それを確認したシドは、3人へ視線を転じる。
「ではお前達、今からアントを1か所に集める。これらは放置できないから、燃やして処分するぞ」
そう言って3人へ指示を出す。
すると言われた3人は、諦めた様にそれに従い、空が赤くなり始める頃まで、アントの処理に追われたのだった。




