66. 不意打ち
シドとリュウは、昼食を摂ってからも少しここに留まっている。リュウは崖に背を預け眼下の景色を見ながら、のんびりとお茶を飲んでいた。
「あの大きな建物が、領主の館だよね?手前にあるから、街の北側という事だね」
「そうみたいだな。この街は北側が居住地区らしいぞ」
先程チラリと見た街の地図には、そう描いてあったのだ。
こうして話しながらゆったり景色を眺めていると、突然崖の上から突風が吹き降りた。
「きゃっ」
一声上げて、リュウは体を竦ませる。その風は、間もなく冬になると言う合図の様な、冷たい風であった。
「寒くなってきたね…」
リュウの言葉にシドは、亜空間保存から外套を取り出すと、リュウへ覆いかぶさる様にして、それを肩に掛けてやった。
「ありがとう…」
リュウはそう言って顔を上げると、2人の顔は触れ合いそうな程に近かった。
視線を合わせていたリュウが瞼を閉じる。
シドは崖に手を付くと、リュウに顔を近付け…。
しかしその瞬間、2人の姿はそこから消えたのだった。
2人は浮遊感を感じて固まった。そして次には、薄暗い空間の中に居たのだった。
座っていた2人は立ち上がると、白いモヤがシド達の前に現れる。
「ダンジョン…か?」
シドの声にリュウが身じろぎする。
「ダンジョン…」
リュウの声に答えたかのように、シドの頭の中に声が響く。
≪我は“迷宮”≫
「<ガニメテ>…」
≪然様<ガニメテ>じゃ。おぬしは再生者じゃの?≫
「ああ。再生者だ」
≪では我の希みは叶うと…≫
そう言ってモヤが揺れる。
「その希みとは?」
≪我はただ“迷宮”として、全うしたいのじゃ≫
「……」
≪我は900年程ここにおる。昔は人間も立ち入ってくれておったが、700年前に大きな岩が上から落ちてきた事で、我の入口は無くなってしもうた≫
「人間は、掘り出してくれなかったのか?」
≪うむ。我と同じく、近くの人間の住処も一緒に埋もれてしもうた。そちらの方が人間には大事だったらしくてな。人の命は短い故、そして迷宮を忘れてしもうた様じゃ≫
当時の人達は何十年も街の復興に注力した為に、ダンジョンの存在すら忘れてしまったようだ。
「それからは、ずっと気付かれなかったんだな…」
≪然様。ここにも人間は来るが、我がここに或るとは思わなんだろう。直ぐに皆、居なくなるでの≫
“来る”とは多分、杣人の事だと思われる。彼らは休憩などで、ここにも良く来るのだろう。
「そうか…」
≪我は再び迷宮として或りたいと希む。我の願いを叶えてはくれぬか?≫
<ガニメテ>にはそう言われたが、それは入口の岩を退かすという事だろう。入口の岩を退かす事は、シドの力だけでは出来ないだろうと思える。
「迷宮再生で、入口は現れるか?」
≪否。入口には干渉せんはずである。スキルで取り除く事は無理であろう≫
「そうか…」
≪下の人間達へ、迷宮の事を伝えてはくれぬか?できればそれらに、復元を頼みたい。或る事が分かればきっと動くであろう程に≫
「それだけで良いのか?」
≪良い。我は人間に直接伝える術を持たぬ故、再生者へ伝える事が出来ただけでも、僥倖である≫
「そういう事か…では迷宮の事は、下の街のウィルコックに伝えておく。それで良いか?」
≪うむ。頼むぞ≫
「分かった…リュシアン、俺は街に戻ったら、ギルドに迷宮の事を伝える約束をした。一緒に同行を頼めるか?」
シドは目線で、リュシアンを見る。
「ええ。勿論よ」
≪リュシアンとは聴いた名だ。再生者の番だったか…。その者にもよろしく伝えておいてくれ≫
「承知した」
シドはそう言うとリュシアンに向き直る。
「リュシアンも頼まれたらしいぞ。<ガニメテ>がよろしくと」
そう言ってシドは笑う。とリュシアンも笑った。
「はい。頼まれました」
そこへ<ガニメテ>が声を掛ける。
≪では伝言の礼をせねばなるまいて。“浮遊”を付与する。使うと良かろう≫
「浮遊…助かる」
またスキルが増えてしまったらしい…シドはリュシアンに向けて、苦笑する。
「それで、その浮遊とはどう言うものだ?」
言葉の通りなら“浮かぶ”という事であるが。
≪浮遊とは、足場がなくとも自身を一定時間、空中に留まらせる事ができる、という物≫
「一定時間とは?」
≪約20秒≫
結構長いなとシドは思う。
「その間は、空中で動けるのか?上昇したり下降したり、左右へ移動するといった事は?」
≪可≫
「連続で使うと、浮いたままという事か?」
≪それは不可能。一度使えば次は5分程、発動が出来なくなる故に≫
なるほど。インターバルがあるから連続使用は出来ないと。
「ではそれを発動する時の条件は?」
≪魔力を補助として使っているもの。故に魔力がない時は発動せぬ≫
これも魔力を使うらしい。
「魔力消費は?」
≪微量≫
「そうか…わかった。礼を言う」
≪大した物でなくて済まぬ。我は人間が来ぬ間内部を拡張しておった故、今はこれ以上のものを出す事は叶わぬのじゃ≫
<ガニメテ>の言葉に何か引っかかるシドである。
「内部を拡張していた?」
≪然様。何時か又、人間が来た時に楽しんで貰えるよう、横も縦も広げておったのじゃ。ほほほ≫
「因みに…今は何階層だ?」
≪ふむ。今は24階層になるの≫
それは<ヘルメス>程の上位の大型である。随分と広げていた様だとシドは思った。
「そうか。では皆が又潜れる様になったら、探索も大変そうだな」
≪ほほほ。そうかもしれぬな≫
そう言ってモヤは揺れる。
≪では表まで送ろう。先程おぬし達が居た場所が、我の入口となる。その辺りの植物を退ければ、入口の形が判るであろう≫
「了解した。ではな<ガニメテ>」
≪うむ。頼んだぞよ≫
ガニメテの言葉が終ると、シドとリュウは先程座っていた場所に戻っていた。ここが迷宮の入口という事なので、先程シドが触った事で<ガニメテ>が反応したのだろうと思えた。
「この辺りのツタを退かせば、入口の形が見えるらしい。リュウも手伝ってくれるか?」
「了解」
2人は崖に這うツタを切り、少しずつ剥がして行く。入口と思われる場所はツタが絡まり易かったのか、密集している箇所もあった。
そのツタを剥がして行くと、明かに崖の物とは異なる材質の岩が見えた。それが崖の中に食い込む様に嵌っている。
「これか…。これは土魔法で処理してもらわないと駄目だな。人の力では掘り出せないし、他の魔法を当てると周りまで崩す可能性もあるからな」
「そうだね。やっぱり土魔法も便利だね…」
無い物ねだりの独り言を言っている、リュウである。
シドは地図の現在地に×印を付けておく。これをギルドに見せれば、場所も判り易いだろう。
「リュウ。麓まで転移で戻ろう。手を出してくれ」
そう言ってシドは左手をリュウへ向けた。
「わかった」
リュウは右手を出してそれに乗せたが、“クン”とシドに引っ張られ、シドの胸にぶつかった。
驚いてシドを見上げれば、リュウの唇に触れる物があった。
何が起きたのか気付いたリュウは、赤くなったり口をパクパクさせている。
「ははは。では移動するぞ」
そう言ってシドはリュウを胸に抱いたまま、森の入口まで転移したのであった。
転移した先でも、リュウはまだ固まっていた。
シドは腕の中からリュウを出すと、リュウの顔を見てから顔を寄せる。
「さっきは邪魔が入ったからな」
そうリュウの耳元で囁くと、踵を返して街へ向かって歩き出す。それを一拍遅れてリュウは、後を追った。
「もー。何か狡いんだから…」
リュウは何かを抗議したいようだが、言葉が見付からないらしい。
「早くギルドへ戻らないと、報告できないぞ?」
シドは振り返りニヤリと口角を上げると、いたずらが成功した者の様な顔をする。
今は未だ夕方前で、本来2人が戻って来るには少し早い時間であったが、2人はそれには気付かぬ様に、街へと向かって帰って行ったのだった。
シドとリュウは東門からウィルコックへ入ると、そのまま西へ進む。
先程、街の地図を見てギルドの場所も覚えた為、今度は人の後ろに付いて行く事なく辿り着いたのであった。
冒険者ギルドの扉を開けて中へ入ると、まだ報告の時間には早い為に、人は疎らである。2人はそのまま、受付へ向かった。
そこには今朝対応してくれた職員がいたので、その人物の前に立つ。
「完了報告に来た」
シドはそう言って、鞄からキラービーの羽根を出す。
職員は、今朝見た2人を覚えているらしく、シド達が受けた書類を出した。
「はい。今朝の方達ですね。キラービー討伐でこちらを確認いたしました。ではこれで完了となります。因みに巣はありましたか?」
「ああ。巣も一応は火を入れてきたので、殲滅できたと思う」
「そうですか、それはありがとうございます。これで依頼主も、安心して仕事が出来そうですね。ではこちらの報酬は、銀貨2枚となりますので、後程ギルドから振り込みをさせていただきます。ご苦労様でした」
受付職員は、そう言って話を締め括ろうとしたのだが、そこへシドが話しだした。
「すまないが後一つ報告がある。大きな声は出せないが…これを見てくれ」
そう言って印をつけた森の地図を、受付台へ出した。
「今朝お渡しした地図ですね…これは?」
そう言って、少し声を落として話してくれる職員は、やはり有能なようだ。
「俺は以前、本でこの地にもダンジョンがあったと書いてある物を、読んだ事がある。今日はその辺りへ行ったついでに確認してみたが、この印の所にその入口らしき物を見付けた」
シドの言葉には一部に作り話が混じっているが、穏便に進める為の作り話だ。
それを聞いた者はシドの顔を、驚きを持って見返した。
「本当ですか?」
「ああ。だが入口までの事だし大きな声では言えない。事実を確認をしてもらう必要もあるからな」
シドの言葉に一つ頷いた職員は、それで?と促す。
「入口が岩で塞がっているので、今まで気付く者はいなかったのだろう。あれは魔法で対処しないと、どうにもならなそうだった。だから確認に行く時は、土属性の者を連れて行った方が良いだろう」
シドの話を聴いた職員は、シドとリュウを一度見ると話を続ける。
「そうでしたか…解りました。貴方達が嘘の情報を言っている様にも見えませんし、直ぐに上へ報告を入れます。その調査次第では貴方達へ情報料が出ますので、先程の所へ振り込みをさせていただきます。まずは貴重な情報を、ありがとうございました」
そう言って職員は、しっかりと2人へ頭を下げた。
この情報が確かならば、今後この街は更に人々が集まり、発展するだろう。
バーネット領全体でも今までダンジョンは発見されていなかったので、これで又領内も併せて賑やかになるはずだ。
「いや、今日受けた依頼のついでだったからな。後は任せる」
「はい。ありがとうございます」
シドとリュウはその職員へ会釈すると、踵を返してギルドの扉を開け街の中へ溶け込んで行った。




