62. 一枚の羽根
指定された湖は、地図を見た限りラウカンの街の真南にあり、到着するまでには林の中を進む事になる。
今回の湖は以前見たリーウットの湖より小振りで、林の中の奥深い場所にある様だ。
2人は東門を出ると街道から逸れ、その湖を目指し、木々の中へ溶け込んで行った。
林の中を暫く進んで行けば、小型な魔物の気配を感知する。この動きからすると“アルミラージ”辺りの物だろう。それらは基本、人には近付かないはずなので問題はない。
この群生林は木々の間にも日差しが届く為、下草も低木も豊富にある。昆虫や小動物などもいて、実り豊かな場所の様だった。
今は夏も終わり雲の形も変わっていて、涼しく爽やかな風が、時折木々の葉を揺らしている。
2人はわざと足音を立てながら、湖の方角へ進む。少しずつ落ちてきている葉を踏むだけで、カサリと音を立てた。
3時間程林を南下すれば、キラキラと光るものが視界に入って来くる。
リュウは機嫌良さそうに、シドの隣で足を進めていた。それを見て、シドは先手を打ってリュウへ釘をさしておく。
「昼までは、依頼の毒草採取だぞ?」
「…わかってるよ…毒草が先だよね…」
リュウからは、元気のない返事が返ってくる。分かり易いリュウなのである。
「それと、<ボズ>の腕輪は着けているな?」
「腕輪はいつも着けてるけど、何かあったっけ?」
「それには<ボズ>の加護がある。万が一、触っただけで微量でも毒の影響を受ける草があった場合は、その加護が有効なはずだ。毒の霧も防いでくれるらしいからな」
「毒草も触っただけで、影響を受ける物があるんだね。微量で気付かないと、手遅れになりそう」
「まぁ全部が全部そうでもないかも知れないが、用心するに越したことはないからな」
「分かった。一応注意もしておくよ」
「そうしてくれ」
シドとリュウはそう話しそのまま歩みを進めていたが、ピタリとシドが立ち止まる。
「どうしたの?」
湖が木々の隙間から見えている辺りで止まったシドに、リュウが問う。
「…何か、居るな…」
リュウは“またですか?”と、内心ゲッソリした。
「ちょっと集中で探る。少し待ってくれ」
「了解」
シドはその場で集中を入れると、湖を中心に気配を探る。
すると大きくはない湖の右岸付近に、魔物の反応を捉える。だが様子がおかしい…。
少し大きな魔物が、水の中で暴れている様に視える。溺れているのだろうか…。
そう思い、湖寄りに歩みを進めて見れば、その魔物には翼が生えているのに、水中へ引き込まれそうになっていた。
2人が木々の途切れた辺りまで進んだ時、シドは何かを感知した。
シドは以前の記憶から、フェンリルの事を思い出して精神感応を入れる。すると、救援を求める様な想いが、頭の中に溢れた。
「リュウ、ちょっと行ってくる」
シドはリュウへそう伝えると、何が起こっているのか全く解からないリュウを置いて、転移でその魔物の傍に移動した。
空中に現れたシドは落下し始めると、足元の水面に向け小規模な水防壁を張り、その上に降りる。そこで身体強化を入れると藻掻いている魔物を掴み、取って返す様にリュウの居る岸へ転移した。
突然現れたシドと魔物に、リュウは声も出せずにあんぐりと口を開けている。
シドは魔物を地面に下ろすと、一緒に付いて来ていた魚の様な魔物がそれから離れ、ピチピチと地面に跳ねだした。
その魚の様な物は、よく見れば“レモラ”と思われる。頭に吸盤の様な物をつけ大きな口からは鋭い歯が並び、青い鱗を光らせている30cm位のものが十数匹程いた。
そして、それをくっ付けてきた物は…獅子の胴体に鷲の頭と翼をつけた、体長1m程の“グリフォン”に見える。
グリフォンは山岳地帯で活動し、獣や魔物を狩って生息している。滅多に人里には降りてこないはずの魔物だった。シド達のパーティ名でも使わせてもらっている。
取り敢えずは現状を何とかしないとならず、救出した方ではなく跳ねている魔物達に向け魔法を放つ。
「礫の風」
纏めてそれらに石をぶつけて致命傷を与える。至近距離の為、中には体が穴だらけになった個体もいる。
これでレモラは大人しくなった。
シドはグリフォンに顔を向けると、言葉で問いかける
「大丈夫か?」
するとグリフォンからは、安堵の様な感覚が伝わってくる。
5m程近付いて来たリュウが、堪らずシドに声を掛けた。
「何なの?どうなっているの?」
そこでシドは、リュウに何も話していない事を思い出す。
「突然すまなかった。どうやらこのグリフォンが、そこの魚に水の中へ引き込まれていたらしく、救援を求めていた。コイツは精神感応で意思の疎通ができる様だ。フェンリルと同じく」
シドはそこまで話すと、途中からグリフォンに向けていた視線をリュウに向ける。
「それで転移をしたのだが、移動先が水の上だったから水面に水防壁を張って足場を作って降りてから、コイツを掴まえて戻ってきた」
いつの間にかシドは、リュウが使っている水防壁を見て覚えた様だった。
そこまで説明されたリュウは、何となくだが大筋は解ったらしく、少し落ち着きを取り戻すが、グリフォンから離れた場所からは動かない。
そしてシドのやる事に、突っ込む事を諦めたリュウである。水面に水防壁って何よそれ、と。
「それで…そのグリフォンは、私達を襲わないの?」
シドはリュウの言葉にグリフォンを見るも、畳まれた翼の片翼が折れていて一部が変な方向に向き、足回りには噛みつかれた為か、何箇所もえぐれて血を流している状態だった。
“否”
そんな感情がシドに伝えられる。
どうやらグリフォンが、リュウの問いに答えたらしい。
「襲わない、と言っているらしい」
「…そうなのね…。よく見ればその子、ボロボロね…」
“その子”と言う言葉は、強ち間違いでもないのかも知れない。
グリフォンは成体になると、胴体だけでも長さが2mには成るらしいので、この個体はその半分程であるから、まだ子供なのかと思えた。
「治癒は必要か?」
シドの問いに、グリフォンは一つ瞬きすると “是” と返ってくる。シドは一つ頷いてからリュウへ向き直った。
「リュウ、悪いがコイツを治癒してやってくれないか?」
「触っても大丈夫なの?」
リュウの言葉に “可” と返ってきた。
「ああ、大丈夫との事だ」
そうシドに言われて、リュウは恐る恐ると言った風にゆっくりとグリフォンに近付くと、首元に手を添えて撫でた。
本来ならここでリュウの魔法を借りて、シドが全てを終わらせる事もできるのだが、それではリュウを一人だけ蚊帳の外に出している気がして、シドはリュウに治癒を任せる事にしたのだ。
「大丈夫みたいね、わかったわ。今治すからね」
最後の一言はグリフォンへ向けて、リュウは話す。その言葉に、グリフォンは目を閉じた。
リュウは撫でていた手を止めて目を瞑ると、詠唱する。
「全回復」
リュウが発した言葉に、グリフォンを光が包み込む。光が体全体に染み込む様に消えてから、リュウは目を開けた。
グリフォンを見れば折れた翼と体の傷が治り、綺麗な姿に戻っている。
「もう痛いところはない?」
リュウがグリフォンに問うと、グリフォンからは“嬉しい”と伝わってきた。
「もう大丈夫らしいぞ」
「そうなのね、良かったわ」
リュウはニコニコと笑顔を浮かべて、グリフォンの首元を撫でている。
そこへシドが、声を掛けた。
「何故お前ほどの魔物が、こんな所にいるかは不明だが…最近、この辺りでうろうろと姿を現していたのは、お前だな?」
シドの問いにグリフォンが視線を合わせ “是” と返事をする。
「お前の住処はここではないのだろう?」
するとまた “是” と返ってくる。
ではなぜ帰らなかったのだろうか…そう思っていると、リュウも、返事が聴こえないながらも同じことを考えていたらしく、リュウが声を上げる。
「もしかして、先に翼が折れていた事で、帰れなくなっていた…とか?」
リュウの声にグリフォンから “是” と流れてくる。
「…そう言う事らしいぞ」
「そっか…」
2人は苦笑する。
「ではそこから推測するに、腹が減って食べ物を求めて水辺にいたら、あいつらに捕まってしまった…という所か…?」
これにも又 “是” と返ってくる。
案外グリフォンという魔物も抜けているなと、失礼な事を考えているシドである。
するとグリフォンから“拗ねている”様な気持ちが入ってきた。恐らく、今のシドの考えを読み取られてしまっての反応だろう。どうやら凹ませてしまったらしい。
「じゃあ、もうこれで住処に帰れるね?」
それを知らないリュウから、明るい声がする。
その声に『クゥ』と鳴いて “可” と、嬉しそうな気持ちが流れてきた。
「帰れるのなら、もう帰った方が良いだろう。ここには人間も良く来るらしいから、お前ほどの魔物が目撃されれば、街は大混乱になるからな」
シドの声に “是” と返事があった。
シドの言葉に、リュウはグリフォンを撫でていた手を止めて、シドの下へと移動した。
リュウがグリフォンから距離を取った事で、グリフォンはゆっくりと立ち上がると、翼を広げ怪我が治った事を確認するかの様に、それを揺らした。
まだ小さい個体であるこのグリフォンだが、それでも片翼は1m以上あり、両方の翼を広げれば中々に見応えのある美しい姿だった。
グリフォンは満足した様に2人を見てから、『クゥー』と小さく鳴いて翼をはためかせると、頭上へ舞い上がった。
「じゃあね、元気でね」
リュウが声を掛けると『クゥ』と又一声上げて、そのまま高度を上げつつ北東へと飛んで行った。
シドとリュウはそれが見えなくなるまで見送って、同時に息を吐きだした。
「「はー」」
そして足元を見れば、グリフォンの翼の羽根が一枚落ちていた。
それをリュウが拾って、顔を見合わせてからクスリと笑うと、毒草採取に向かう為また木々の中へと戻って行ったのだった。
作中で魔物から伝わる感情を、文章表現の都合上、一部文字に置き換えて記載しています。ご了承下さい。




