51. 暗雲に追われて
宿屋“束の間の休息”を出たシドとリュウは、宿から南門へ行く道すがら、メイン通りの屋台を覗いている。
先程、朝食を食べたにも係わらず腹が鳴りそうな程そそられる、肉の焼ける匂いが辺り一面に漂っていた。
2人は好みの物をそれぞれ買い求め、門から街道へと入った。
「リュウは、菓子が多かったな」
「それはそうでしょう。僕の燃料だからね」
と言ってリュウはカラカラと笑う。野営の不便を紛らわす様に、食事で補おうとする2人だった。
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今歩いているこの道は、緩く南下しつつ西へ向いている。この先に行くと、北にあるオデュッセの街から続いている街道と合流し、モリセットの街へと南下する事となる。今日はその合流地点辺りで野営をするつもりだ。そこで野営場所を探す事となる。
2人は順調に歩みを進め、休憩を取りながら歩いている。
今はまだ夕方前。太陽も眩しい時間のはずが、歩いているシド達の影が薄くなっている事に気付いた。
シドは空を見上げる。
千切れた雲が通り過ぎて行くが、南の空から色の濃い雲が近付いている。少し風も出ているし、これは一雨きそうだな、と思うものの、ここは未だ分岐の手前で、周辺は両側2キロ程離れた場所に、林が広がっている位である。要するに、雨宿りできる処が何もないのだ。
「リュウ、雨宿りをするから場所を探す。手伝ってくれ」
「やっぱり降りそう?」
「ザっと来そうだな、これは」
「濡れ鼠だけは、ご免だよね」
「ああ。だから頼むぞ」
「了解」
2人は道から外れ、北側の林へ向かう。北側の林の方が木々が密集しているので、凌ぎやすいかも知れないと思っての事である。
2人を追いかけて来るように、雲が広がって来る。シドとリュウは林に入ると、方向を違えぬ様に確認しつつ、奥へと進んで行った。
暗雲が追い付いてきた。2人は外套を羽織り、足早に歩く。
ポツリポツリと空から雫が零れだした頃、小高くなった傾斜の裾に影を作っている場所を見付け、2人はそこへ向かった。
近付いて確認すれば、人が5人位横並びに入って寝ころべる程の“窪み”と言える穴だった。高さも同じ位しかない。
「ここで少し凌ぐか」
「そうだね。ここなら休憩も出来そうだね」
余り濡れる事なくここへ辿り着いた2人は、腰を下ろしてから亜空間保存の飲み物を出し、休憩を始める。
「ここから西へ進んで、街道に出るんだよね」
「そうだ。今日はその街道まで行った辺りで野営しようと思っていたのだが、この雨の具合にもよるな…」
そう言ってシドは外を見る。
外は既に大粒の雨が降り出していた。
「直ぐに止むといいけど…」
「そうだな…」
「…ねぇ、ここってダンジョンじゃないよね?」
「…何故、それを聞く?」
「だって、シドの行く所って、ダンジョンの確率が高い気がするから…」
「ぶはっ…」
飲み物が変な所に入った。
否定できないだけに、シドは言葉に詰まる。喉にも詰まったが。
だがここは見るからに奥行きもなく、入口に名前も出ていないので只の“穴”であるとは思うが、そう言われると何だかそんな気がしてくるから、不思議である。
(ちょっと声を掛けてみるか…)
シドは軽い気持ちで、確認をする事にした。
≪誰かいるのか?≫
精神感応を入れて声を掛ける。
≪ここにおるぞ≫
明かに、シドに対する返事であろう音が、頭の中で響いた。
シドは嫌な予感がして、リュウを覗き込み肩を抱き寄せた。
「ダンジョンだった様だ」
「ええ?!」
シドがリュウにそう告げた時、2人の姿は一瞬にして消えた。
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2人は、仄暗く大きくはない空間に出た。
シドはコレに慣れているがリュウは初めての事で、シドにしがみ付いている。2人はゆっくりと立ち上がると、リュウが疑問をぶつける。
「どうなっているの?ここは何処?」
「多分ダンジョンの中だ。空間転移で連れて来られたらしい」
シドの落ち着いた声に、リュウも少し落ち着きを取り戻す。
その頃には、シド達から5m位離れた場所に、黒っぽいモヤの様なものが現れ、シドに話しかけた。
≪おぬし、“再生者”か?≫
「ああ、そうだ」
≪そこの者は、違うようだの≫
「ああ。俺の連れだ」
シドはそう返事をしてリュウを覗き込むと、シドが独りで話し始めた事で、リュウはシドの顔を見ていた。
「目の前に、ダンジョンの意思が具現化した物がいる。リュウは見えているか?」
聞かれたリュウは顔を横に振った。
「そうか。俺はこれからダンジョンと話す。離れてもらっても大丈夫だ」
言われたリュウはしがみ付いていた手を離し、シドの隣に立つ。
「待たせた、俺は“シド”。“再生者”だ」
今はリュウもいる為に精神感応は入れずに話している。
≪うむ。我は“マーキュリー”、迷宮である≫
「名が出ていなかったが、あそこも<マーキュリー>の一部なのか?」
≪然様。名は掲げられぬ事情があっての事よ≫
「そうか。俺は何か手伝えるか?」
≪再生者がおれば、我の不具合は解消するであろう。頼めるか?≫
「ああ。俺はその為に居る様なものだ」
≪クックック。頼もしい事を言ってくれる≫
黒いモヤは揺れる。
≪我が生まれたのは、人間で言う120年前の事だ。だが、今も表には迷宮として姿を見せる事は叶わずにおる≫
「何故だ?」
≪我に入る魔素の量が、圧倒的に少ない。我が生まれた時からそうであった。故に我の形を維持する事は出来ても、それ以上の変化をもたらす事が出来ずにおる。活動は出来ぬと、いう事よの≫
モヤは揺れる。
≪なれば、と迷宮を地上と切り離し、何とか魔素の流れを修正しようとしておったのだが…。そこへおぬしが来たと言う事よ≫
「分かった。であれば、俺に不具合を解消できるかも知れない。実行しても構わないか?」
≪勿論よ。頼むぞ≫
シドは一つ頷くと、リュウに向き直る。
「リュウ。これからこのダンジョンの不具合を治す為に、迷宮再生のスキルを使う。この場所に支障は出ないと思うから、少し離れていてくれ」
「…解った」
それを聞いたリュウは、壁際まで後退すると頷いた。
頷き返したシドはモヤへ向き直り、剣を外すと片膝を付き剣を置く。
掌を地につけ目を瞑ると、シドの体から魔力が立ち昇る。
迷宮の内部が脳裏に映し出される。13階層の中型の様だが、問題が解消すればこれから少しずつ大きく成長するものなのか…。
それに、言われたから気付く事かも知れないが、確かに魔素の量が他の迷宮より薄い気もする。
では、迷宮が活動できるように、この魔素の流入元を改善しないといけない訳だ。理解した。
「聖魂快気」
シドは集中を入れて詠唱する。
迷宮をほぐし攪拌させ、大地との繋がりを正常なものへと変え…戻す。
時間にすればほんの短い間で、シドの纏う魔力が消え、スキルを切る。
シドはゆっくりと剣を手に立ち上がると、黒いモヤを見た。
「流れはどうだ?」
≪流れは潤沢となり滞りなく…感謝する、シドよ≫
シドは一つ頷き、気になる事を先に聞く事にした。
「もし礼があるなら、そこにいるリュシアンに防御系スキルを付与してくれないか?」
それを聞いたリュシアンが身じろぎしたらしく、衣擦れの音がした。
≪再生者よ、それは叶わぬ。迷宮の想いはおぬしにのみ向いている故≫
それを聞いたシドは、落胆を隠せぬ顔でリュシアンを見る。
その表情に気付いたリュシアンは、それを理解した様に一つ頷いて見せた。
≪それにその者は既に、防御スキルを持っているであろう≫
<マーキュリー>のその言に、シドはモヤを振り返る。
「本当か?」
≪我は真実しか言えぬ。その者は“防楯”をもっておろう。おや、気付いておらなんだか?≫
「……」
シドは、リュシアンのスキルの話を詳しく聴いた訳でなく、移動時の軽量化スキルの事を話しただけである。リュシアンを振り返り尋ねる。
「リュシアン、防御系スキルを持っているのか?」
「いいえ。水では使うけれど、スキルでは持っていないわ。私のスキルは軽量化一つしか無いと思うし」
それを聞き、シドは続ける。
「リュシアンにはもう一つ、防御スキルの“防楯”があると言う事だ」
「ええ?!」
リュシアンはビックリしすぎて、声が止まってしまった様である。
その間にシドは<マーキュリー>へ向き直ると、再び問いかける。
「すまないが、その“防楯”の事を教えてもらえるか?」
シドの問いかけに、黒いモヤが肯定する様にゆるりと揺れた。
補足:作中で“リュウ”と“リュシアン”が混同しておりますが、ご了承下さい。




