31. ネッサの街
今日は朝から、“ダンジョンの様子が違う”と潜った冒険者により報告が入っていたが、具体的な変調には辿り着かず、夕方まで冒険者達はダンジョンへ入っていた。
そして10階層にいた冒険者が魔物の大量発生を確認し、急ぎ戻りながら冒険者達を外へ避難させ、今しがた冒険者ギルドに報告されたところだと言う。
もう今は魔物達も、入口に迫ってきているかも知れない。
「分かったわ。私達で何とか、食い止めないといけないわね」
走りながら事情を聞いていた、リュシアンは言う。
一緒に走っている人々はC級以上の冒険者だという。B級はハケットのパーティと、もう1組のパーティで7人とリュシアン、A級はおらず後はC級の冒険者達で、総勢50人程だ。
「街への避難指示は?」
「ギルドから伝わっているはずだ」
「そう。でも日暮れなのはちょっと厳しいわね…」
辺りが暗くなれば、人々は不安に駆られ易くなり避難も遅れるだろう。
道の先に見えてきた若手の冒険者達が、ダンジョンの入口を固めている。幸いまだ外には出てきていない様だ。
「いくぞ!」
「「「「「おおーー!!!」」」」」
B級冒険者であるハケットが声を上げ、皆でダンジョンへ入って行く。
先頭にはハケットとリュシアン、B級パーティとシドがいる。その後方から他の冒険者達が続いている。
魔法を纏う者、スキルを発動している者がいて、皆、張り詰めている。
シドはチラリと入口の名を確認して後へ続く。
リュシアン達が2階層まで降りると、奥から物々しい地鳴りが聴こえてきた。
「来るぞ!!」
シドも身体強化・硬化・風衣を発動させて飛び出す。
「無理はするなよ!」
「おう!」
あちこちで戦闘が始まった。幸い魔物からの出口は狭く、並び出てくる様に押し寄せる為、こちら側の対応は今のところスムーズにいっている。シドも1匹ずつ確実に仕留めつつ、剣を振っていった。
今は2階層で食い止めているが、どれだけの魔物が上がって来るのか見当も付かない。戦闘が長く続けば人間が先に体力が尽き、魔物に飲み込まれるだろう。
リュシアンもシドも一日中歩き続け、体力は残り少ない。だがシドの集中を使っても、捌ききれる数でもない。
シドの額から汗が流れる。切っても切っても、魔物は途切れる気配はない。
(拙いな…皆が疲れてきている…)
周りの様子を伺えば、皆黙々と魔物と相対しているが、汗を流しポーションを飲んでいる者もいる。
(行くか…)
シドは無謀にも魔物が群れている中へ突っ込んで行った。
「シドッ!!」
リュシアンの声が飛ぶが構ってはいられない。
「ドュルガー!」
シドはダンジョンの名を叫んだ。その瞬間、魔物に埋もれていたシドが消える。
シドは浮遊感を抜けると、薄明るい穴の中にいた。
≪シドよ…頼む≫
「わかった」
漂う陰に頷くと、すぐさま跪き手にしていた剣をおいた。
シドはダンジョンへ入った時に理解した。<マイトレイヤ>から話を聞いた事もあったが、ダンジョンのスタンピードは迷宮をリセットすれば、危機を回避できるのではないかという事を。
だから、リセットさせろと<ドュルガー>の名を呼んだ。そして多分、その答えは間違っていないという事だろう。
そして今は、一刻も早くスタンピードを何とかしなければならない。
「一つ聞く。再生させている間、仲間たちはどうなる?」
≪少し地面は揺れる。だが、それだけだ≫
「了解した」
目を瞑りシドから魔力が立ち上ると、迷宮の様子が脳裏に浮かび上がる。16階層の大型だが<ハノイ>と同じ規模だ。そして今度は走査をオンにして、より詳細を診る。
事細かな姿が視える。人の動き、魔物の発生源。入口近くまで溢れ出す蠢く物達を鎮め、理を戻す。<ドュルガー>の希む通りに…。
集中入れたシドは、詠唱する。
「聖魂快気」
迷宮をほぐし、魔物を吸収し、耕し、攪拌させて…戻す。
シドの纏う魔力が消える。続けてスキルが切れると、シドはその場に崩れ落ちる。体力が限界に来ていたのだ。
それを気力だけで繋いでいたのだが、それも今、切れてしまった。
≪礼を言う…再生者よ。今は戻り休むと良い…我も休息がいる様だ。仲間のもとへ送ろう≫
意識のないシドを影が包むと、その姿は一瞬で消えたのだった。
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リュシアンは焦っていた。近くにいたシドが、いきなり魔物に突っ込んで行ったのだ。そして魔物にのまれ見えなくなったと思った後、地震が起こった。
ダンジョン全体が揺れている様で、皆立っていられずに転ぶ者、しゃがみ込む者、壁に掴まる者。揺れが納まるまでは身動きも取れず、ただ唖然としていた。
リュシアンはしゃがみ込んでいた体を起こし、揺れが納まっている事を確認する。皆を見れば無事の様だが…
――魔物は!!――
そう思って見渡しても魔物はいなくなっており、魔物があふれ出ていた辺りには、シドが倒れていた。
「シドッ!」
リュシアンはシドの下へ駆け付ける。怪我は見当たらないが、意識が無いようだった。
鞄から魔力ポーションを出し自分で飲むと、シドに手を添える。
「全回復」
シドを淡い光が包む。
まだ目は覚まさないが、時間が経てば大丈夫だろう。
そう思ってリュシアンは立ち上がろうとし、膝を付いた。
自分も疲労がピークに来ている事は解っている。今度はポーションを出して飲む。あと少し持てば良い。
そこへハケットが来た。
「お嬢、大丈夫か?」
「ええ。少し疲れているけれど、大丈夫よ。貴方に怪我はない?」
「大丈夫だ。他の奴らは怪我人を治療しているし、あっちも大丈夫そうだ。それにしても…何があったんだ?」
「解らないけれど、皆助かった事だけは確かね」
「その様だな」
ニヤリとハケットは笑う。それが思いのほか清々しい顔をしていた事は、皆同じであった。
こうして冒険者達の安堵の息と共に迷宮のスタンピードは、最悪を免れたのだった。
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次の日の昼、リュシアンはシドのベッドの前にいた。この前の時と、また同じだ。
多分あの魔物達は、シドが何かをしたのだろう…そう思い、未だ目を覚まさないシドを見る。
リュシアンが全回復で治癒し、体の不調は取り除いたはずが、まだ眠ったままなのだ。
「シド…」
シドは、前日から何かを感じ取っていた様に時々不安を見せていた。そこへ強行でネッサへの移動の提案だった。理由如何を問わず、従う他リュシアンに選択肢は無いと思った。
シドは不思議な人だ。私よりも強いくせにC級冒険者を続け、自分の限界まで動き、傷つき倒れても、また同じ事をする。
リュシアンにはそれが何故か放っておけなくて、気になっていた。今も眠っているシドをただ見ているだけだが、離れがたかった。
「シド、何をしたの?」
そう言ってシドの頬を撫でる。
今は結っていた髪も解かれ、顔も髭で覆われていても、何故か穏やかな顔をしている事はわかる。
「シド…早く起きてくれないと知らぬ間に、私が居なくなるかも知れないわよ…」
今回の<ドュルガー>ダンジョンのスタンピードは、ブルフォード領内に話が行き渡るだろう。そうなればリュシアンが居た事も知られ、実家から何らかの行動があるかも知れない。連れ戻されるにしても、せめてシドが目を覚まし、ちゃんと別れの挨拶をしてからにして欲しい。
そんな仮定の思考に、リュシアンは躍らせられていた。
リュシアンが顔を上げる。少し考えこんでしまった様だ。そう思ったとき、シドの翠色の眼がこちらを向いた。
「…大丈夫…か…」
シドがリュシアンに問う。
「それは私のセリフよ。何度倒れれば気が済むのかしら、シド?」
「…そう…だな、迷惑をかけて済まない」
「……」
リュシアンは、そんな事を言いたい訳ではなかった。だが口からはそんな言葉しか出てこない。
リュシアンの頬に温かな雫が流れる。
シドはそれを、手で拭ってやった。
「皆、無事だったか?」
「…ええ」
「ダンジョンは?」
「今は立入禁止になっているの。内部の安全が確認出来てから再開、と言う事らしいわ」
「そうか。ダンジョンも無事という事か…」
少しの沈黙が流れる。
リュシアンが堪らずシドに抱きついた。その肩は震えている。
シドはどうしたものかと思いつつも、リュシアンの頭をそっと撫でてやる。
(また迷惑を掛けてしまったな…)
寝ていなかった上に休みなく移動し、魔物と対峙した後、魔力の殆どを放出してしまった。全てが重なり、流石のシドも限界だった様だと、今更ながらに思ったのだった。
そんな事を考えていると、撫でていたリュシアンの頭の重みが増した。シドが撫でている手を止めても動かない。
少し見ていれば、規則正しい息遣いが聴こえてきた。
(寝ているのか…)
横になったシドに抱きついたまま、リュシアンは眠ってしまった様だった。シドは眉を八の字にさせ、暫くこの状況を考察していた。
(仕方がないな)
多分昨夜は、リュシアンは眠っていなかったのだろう。起こす事も憚られ、リュシアンをシドの布団へ引き入れると、シドも又そのまま眠りについたのだった。
それから数時間後、シドの様子を見に来たハケットが扉を開けて固まった。
リュシアンとシドが、何故か一つのベッドで眠っている。
「………」
どうしたものかと思いつつもハケットは、ただ寝ているだけの2人を見なかった事にして、そっと扉を閉めて戻って行った事は、2人は知らぬ事であった。
そして、ぐっすり眠ったリュシアンが目覚め、どこに寝ていたかを理解して、真っ赤になって自室に戻った事はシドには秘密である。




