29. 最古の憂い
シドがその名を確認した時、奥に白いモヤが現れた。
≪再生者が、間に合った様だの…≫
その言を怪訝に思ったシドは聞く。
「俺を待っていたとでも?」
≪そうでもあるし、そうでもないがな≫
「では何だ?」
≪そうだの。儂の昔話を聞いてもらいたいのじゃ。おぬし、聴いてくれるか?≫
「ああ、構わない」
頷くようにモヤは揺れる。
≪儂はこの国で最古の迷宮での、もう永い時間ここにおる。方々で迷宮は新しく生まれ、そして消滅していった。迷宮は魔素を巡らせ整理し管理しておるが、稀に意図せず魔物を大量に発生させてしまう事があるのじゃ。これは魔素では意のままにならず、迷宮はだた、見ている事しか出来ん。そうなった迷宮も多々視てきたし、今もその現象に近付いている迷宮もおる≫
そこでモヤが距離を取る様に、後退した。
≪かく言う儂も300年ほど前に、ソレを外に出してしもうた。それ以前ここには街があり、毎日のように儂の所へ人々が訪れておったのじゃ。じゃが儂から大量の魔物が溢れ出し、人々は死に絶え街も瓦解した。それ以来、ここには誰も訪れる者はおらん≫
シドは黙って<マイトレイヤ>の話を聞く。
≪外にある白い花は催眠効果のある香りがするはずじゃ。儂が魔物を出してしまった後、人間が辺り一面に儂の傍にあの樹を植えた。当時は沢山の花が咲いておったの。儂がまた魔物を出してしまっても、その香りで何とか食い止めようとして植えた様じゃが、今ではそれもあの1本のみとなった≫
白いモヤが小さくなった。
≪儂を、再生させてはくれぬか≫
「…<マイトレイヤ>の言っている“再生”は、俺には違う意味に聞こえるが、ちゃんと話してくれ」
≪察しが良いの。…儂は永く居た。居過ぎたと言っても良いかも知れん。己の消滅は己が一番わかっており、儂は間もなく消滅するはずじゃ。儂が消滅する事に何ら問題は無いが、一つだけ懸念がある≫
「それは?」
≪このまま儂が消滅すれば、またこの地は無残な姿となり、暫くの間は何も生きられぬ場所となろう。儂はソレを希んではおらん。儂はおぬしに“大地へと再生”してもらう事を希みとする。…儂の希みを聞いてはくれぬか?≫
「<マイトレイヤ>の希みは解った。だがその“再生”を、俺はした事がないのだが…」
≪おぬしが分からずとも、スキルが解っておるはずじゃ。按ずるな≫
「そうか…受けよう。すぐで良いのか?」
≪そうだな、頼む≫
シドは<マイトレイヤ>の返事に頷き、チラリとリュシアンの動きがない事を確認すると、白いモヤに近付いて片膝を突き、剣を置いた。
掌を地につけ目を閉じる。体から魔力が立ち昇りシドを包み込むと、脳裏に<マイトレイヤ>が浮かぶ。
当然、大型だ。だが、静かな迷宮だった。空虚と言っても良いほど、凪いでいる。<マイトレイヤ>はスタンピードを起こしてしまってから、何かがずっと引っかかったままだったのかも知れない、それは意図してやった事ではなかったのだから。今、俺に出来る事は<マイトレイヤ>の希みを叶える事。大地へと還す…
シドは集中を入れ、詠唱する。
「聖魂快気」
脳裏に浮かんだ迷宮を根本からほぐし直すかの如く、内部を攪拌させ、周囲の大地に馴染ませるよう耕し…そして均す。
スキルを切った後、シドから魔力の纏いが消える。
≪助かったぞ、シドよ。儂の最期の希みを叶えてくれ、感謝する≫
「礼は要らない」
≪そうか…。先刻も伝えたが、魔物の大量発生は迷宮が意図せぬもの。今それの予兆を抱えているものがおる。些細な変化を感じ取れ。さすれば最小限の被害で免れるであろう≫
何処かにあるダンジョンに、スタンピードの兆候がある、という事だろう。
「忠告、感謝する」
≪儂からはこの程度しか伝えられんでの。そしてシドよ。儂の残りの力で、おぬしに“走査”を追加しておいた。儂からの気持ちじゃて、受け取っておいてくれ≫
「ああ。有難く使わせてもらう」
白いモヤが崩れ、四散した。
≪最後に、おぬしに逢えた事は僥倖であった。…シルフィードよ、息災で暮らせ≫
「ああ…」
≪ではな≫
<マイトレイヤ>のその声の後、壁に光っていた文字がスーッと薄くなり、瞬くように消えた。
呆気ない程の迷宮の終焉であった。
シドは名残惜し気に、名が浮かんでいた箇所を撫でると、リュシアンの様子を確認する。あれから変化はない様だ。シドはリュシアンの隣に膝を付き、肩に手を添えた。
( 走査 )
今、与えられたばかりのスキルを発動させ、シドは目を瞑り情報を読み取る。
シドの手を起点に、細波の様にリュシアンの体中をシドの知覚が巡る。
彼女の体のどこにも異常は診られない。やはり眠らされているだけで体に害は無い様だ。
スキルを切り、肩へ添えてあった手を離すと、シドの鞄を枕に、リュシアンを横にする。ここはまだ、ダンジョンだった気配も残る場所であるし、魔物は出ないはずだ。
「ちょっと待っていてくれ」
寝ているリュシアンに、聞こえていない事は分っているが、そう言ってからこの場を離れた。
シドは、リュシアンを洞窟で寝かせた後、白い花の咲く樹のもとへ戻ってきた。このまま花を付けている状態にしておくと、また人に被害が出るかも知れない。シドは、白い花へ近付き腰の剣を脇に置くと、花を摘み始めた。
(何だ?…香りが身体に入って来る様だ…)
そう表現でもすれば良いのか、体に香りが纏わり付いてくる。
―― クラリ ――
( !! )
瞬間、シドは飛び退り、樹との距離を取ると頭を振る。
先程まで何とも無かったはずが、今は香りに反応している。シドは風上から樹へ近付き、置いておいた剣を取った。途端、纏わり付いた不快感が消え、頭もスッキリとしたのだった。
シドは手にした剣に目を止める。
「…お前か?」
この剣はダンジョンから出た剣だと言うし、何か不思議な事でもあるのかも知れない。考えても判らないが、結果は明白だ。それで納得するしかない。
今度は剣を腰へ差しいれてから、花の回収を始めた。回収した花は袋に詰め、香りが漏れぬ様に亜空間保存へそっと仕舞う。コレをどう処理するかは、今は考えないでおく。そしてシドは一つ息を吐いた。
ここは静かな場所だ。街道からも離れ、人の気配もない。
<マイトレイヤ>は、昔ここにも街があったと言っていたが、永い年月をかけて森へと姿を変えている。あのまま誰にも気付かれずに最期を迎えていれば、ここはまた荒れた大地となっていただろう。
(ここが好きだったのだろうな…)
何となく<マイトレイヤ>を想っていると、西から人の気配が近付いてきている事に気付く。シドは気配を消してリュシアンのもとへ急ぎ戻る。
岩陰へ着くと、リュシアンは目を覚ましたらしく、ゆっくりと起き上がった。
「シド?ここはどこかしら?」
「花の近くだ。あの花は催眠の香りを出していた様で、近付いた途端、リュシアンは眠ってしまった」
「そうだったのね…又やらかしたの…。手間を掛けさせてご免なさいね」
「大丈夫だ、問題ない」
「それで、シドは眠らなかったの?」
「ああ。俺はどうやらこの剣のお陰で、眠らずに済んだらしい」
「そう…不思議な剣なのね」
「ダンジョンから出た剣らしいから、何かあるのかも知れない」
「その剣の事も、シドは解ってないのね…」
リュシアンがそう話したところで、シドは先程の気配の事を切り出す。
「リュシアン、動けるか? 人が近付いて来ているから、場所を移動したい」
「ええ、体は大丈夫。動けるわ」
2人は手早く荷物を持つと、<マイトレイヤ>だった岩陰から出て北の街道へ向けて歩き出した。
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30分程すると、花があった場所へ4人の冒険者が現れた。
「誰もいないな」
そう言った人物は、ディーコンだ。
ディーコンは“斧使い”で金髪・蒼眼のイケメンだ。ただし年齢は40近いが。
「さっきは人の気配がしてたけど、去ったという事ね」
そう話すのは、ディーコンのパーティメンバー“モリィ”だ。“弓使い”で髪をポニーテールにしている姉御肌の女性である。
「そうね…特に怪しい人でもなかった様だし、問題はなさそうよ」
辺りを確認しながら、モリィの隣に居た“レイラ”が言う。レイラもパーティのメンバーでありローブを纏った“魔術師”だ。
「では、見回りを続けるか」
ディーコンの言葉に3人が頷く。もう一人は“フィル”という人物でガッシリとした体格をした“剣士”。
そしてこの4人が国内でも数少ない、A級冒険者パーティの“天馬の眼”であった。
【白い花の補足】
白い花の樹は、今は1本だけですが昔は何十本も植えられていました。マイトレイヤは常に咲いていた様に話していますが、開花時期は数年に一度の樹で、それを周期違いで植えてあった事で毎年の様に花をつけていました。それが今は1本のみとなっている為、数年に一度しか咲かない“幻の花”と呼ばれています。
因みに当時は、また魔物が溢れた時の防衛的意味合いで植えましたが、それが開花時期に当たらなければ意味が無い事も、植えた人達は解っていて植樹したようです。笑




