26. 馬車
「俺達もそろそろ出るか」
シドは、治療院から彼を見送った後、リュシアンに告げる。
「貴方は大丈夫なの?」
「ああ問題ない」
近くで話に付き合っていた薬師も片眉を上げたが、諦めた様に一つ息を吐くと頷いてくれた。
「十分に礼を出来なくて、すまないね」
「いや、一晩泊まらせて貰っただけで、十分だ」
シドの隣でリュシアンも頷く。
今回は、依頼を受けて金の為にやった討伐ではないし、特に不満もない。
そこでリュシアンが、薬師に向かって話す。
「では貴方にお願いがあるのだけれど、良いかしら」
「んん?なんだい?」
「森に置いてきたサーペントは、ヤリフの街から回収が来ると思うの。サーペントはこの町の好きなようにして構わないから、後はよろしくお願いするわね。町の代表にもその旨伝えておいて欲しいの」
ヤリフの街の冒険者ギルドに、サーペントが出た旨の伝言を送ってある。ヤリフの冒険者ギルドからは、サーペントの素材回収時に報酬が出るだろう。それを町のお金にしてくれと、リュシアンは言っているのだ。
シドも頷く。
「この町の魔物だからな」
ニヤリと笑い薬師を見ると、苦笑された。
「分かったよ。私から町長に伝えておくよ」
「あぁそれと、今回の件は町の人達で対応した事にしてくれ。リュシアンは、ギルドと連絡を取ったから名前は出ているだろうが、俺の名前は出さなくて良い。頼むぞ」
薬師は怪訝な顔をして聞く。
「いいのかい?」
報告すれば昇級に役立つぞ、と言ってくれている様だ。
「出さなくて良い」
「そうかい」
そう言って了承してくれた。聞いていたリュシアンはムッとしていたが。
それから薬師は、店の方から旅に役立ちそうな薬をいくつも出して来た。
「持って行っとくれ」
それだけ言ってニッコリ笑う。圧が強い…。
有難くリュシアンが受け取って、2人は治療院を出た。
治療院は町の中心から少し離れた、西の森の近くだった。森からシド達を運び出してから近い場所だった事も、運び込まれた一因だったのかも知れない。
治療院からの道は町の中心へと続いている為、シド達は中心部を通って町を出る事になる。
店が並ぶ通りまで出ると、店々の店頭で次々に声を掛けられる。ヨナは大きくない町の為、皆昨日の顛末を知っているのだろう。感謝の言葉と共に、お菓子や果物、飲み物まで「持って行ってくれ」と渡され、シドとリュシアンは顔を見合わせて苦笑した。
町の皆に手を振るリュシアンと、両手にお土産を持たされたシドは、こうしてやっとヨナの町を出発した。
シド達が発った日の午後、ヤリフの街の冒険者ギルドから人が送られてきた。
連絡を受けたヤリフの冒険者ギルドは、町への被害も出ていると考えていたらしく、B級冒険者を入れた10人程が訪れ、その者達は、怪我人もおらず(治療済み)町への被害もなくサーペントを討伐していた事に驚き、翌日、事後処理でサーペントを回収するだけで引き上げていった。
そして後日、素材の代金として、ヨナの町に金貨10枚が渡された。当然、サーペント討伐に参加した冒険者として、リュシアンの名前は報告されたが、シドの名前は無事に回避できた様であったとか。
町を出発した2人は、ヨナの町を北上しブルフォード領へ繋がる街道を目指して、歩いていた。
この道はヤリフの北まで真っすぐ続いており、この道の先にヤリフからの合流地点がある。ブルフォード領へ行く時は、本来ならばヨナに行かずヤリフを経由した方が早かったのだが、先日はシドの気まぐれで遠回りとなるヨナへ南下したのだ。一応はそのお陰で、ヨナの町の危機は回避できたのだが。
こうしてシド達は今、ヤリフの東側を通る道を歩いていた。
「私、ネッサに知り合いがいるのよ」
リュシアンが唐突に話し出す。
「そうか」
「子供の頃からちょくちょくネッサに行っていたから、その時に知り合って…その人は、今ではネッサでの父親みたいな人なのよ」
どうやらその知り合いは年配の男性らしい。
「と言っても、初めは私がその人に付き纏っていたから困っていたみたい。それで余りに私がしつこいから、根負けしたんでしょうね…」
そう話しつつもリュシアンは微かな笑みを浮かべている。仲の良い知り合いなのだろう。
「最近もう何年も会ってなくて。他にも理由があるけれど、ネッサに行くのはその人に会いたくて行く事も目的の一つなのよ」
そう言ってリュシアンは、シドに向かって爽やかな笑みを浮かべた。
「そうか」
シドも、そう言う人付き合いも良いものかも知れないなと思う。
そして少しの間があり、リュシアンはまた話し出す。
「ねぇシド。今日のお昼は何を食べましょうか」
急に話が飛ぶリュシアンだったが、彼女の頭の中では多分繋がっているのだろう。
「私、食べるのが大好きでね、お菓子が一番好きなのよ」
どうやら食いしん坊の様だ。
「昼食が菓子と言うのは勘弁して欲しいのだが」
「違うわよ、お菓子は食後のおやつか、間食で食べるのが美味しいんだから。昼食は昼食、お菓子は間食ね」
リュシアンは今日もマイペースだった。
それに苦笑してシドは一つ胸をなでおろし「そうしてくれ」と言った。
どうやら“昼食が菓子”というのは免れたらしい。
今歩いている道は、大きな街とは直接繋がっておらず、村々の脇を通る道だ。街道よりも細いが、割と歩きやすい。時々、旅人や村人らしき人達とすれ違いながら歩いている。
道の途中に街がない為、今日は自ずと野営となるだろう。シドは、女性の居る冒険者パーティと遠征に出た事がない。だから女性と野営する事に、少し不安があった。女性は色々と大変だろうから、と。
「リュシアン、今日は野営になると思うが、大丈夫か?」
「ええ。食料をいっぱい買い込んであるから、問題ないわね」
リュシアンはマイペースだった。
シドはその答えに苦笑する。
「そうか。それならば良かった」
そういう意味で聞いた訳ではないのだが、問題ないと言うのなら大丈夫だろう。
こんな感じでのんびりと、2人は進んで行った。
夕方、陽も長くなってきているが、そろそろ野営の場所を決めなければならない、と考え出した頃、道の分岐路に着いた。
この分岐路は、ソルランジュ領内を北上する道と、シド達が来た南東へ続く道、南西のヤリフへ行く道、そして東のブルフォード領へと続く道で十字路となっている。
今日はこの辺りで1泊だな、そう思い周辺を見回すと、北からこちらへ馬車が走って来るのが見えた。2人は邪魔にならぬ様、道の端へ寄って馬車が通りすぎるのを待つ。
その馬車が近くなった時、リュシアンが呟いた。
「ソルランジュ伯の馬車ね」
近付いてきた馬車の側面には、見れば紋章が入っている。それを見たリュシアンはそう判断したのだろう。
「良く判ったな、ソルランジュ伯の紋章だと」
「ええ、ソルランジュ伯の紋章は見た事があるのよ。だから判ったの」
「そうか」
馬車はそのままヤリフの街へ続く道を入って行く。
見れば、馬車の後ろには馬に乗った騎士も数人、追随していた。
(領主か…)
視察か何かだろうが、シドには関係のない事だ。
「リュシアン、向こうで野営の場所を探そう」
そう告げたシドは、十字路から離れ森の中へと入って行った。
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シド達とすれ違った馬車は、その後ヤリフの街へ入って行った。
そして冒険者ギルドの前で止まると、馬車の中から一人の紳士が降り立つ。騎乗していた者達も馬を降り、その人物の周りを固めると、紳士はギルドの扉を開け、中へ入って行った。
ギルドの受付は、入ってきた人物を見るなり他の職員にギルマスへの伝言を頼むと、その男性の傍まで行って出迎える。
「ようこそいらっしゃいました、ソルランジュ伯。ギルドマスターは奥におりますので、ご案内いたします」
ソルランジュ伯と呼ばれた男は一つ頷くと、ギルド職員に付いて奥へ向かった。
夕方の時間、ギルド内は冒険者達で賑わっていたはずが、その人物達が入ってきた途端静まり返り、皆その者達の行動を固唾をのんで注視していた。そして、それらが奥へ行った事を確認すると、興味深げに一気に騒がしくなったのだった。
奥へと案内されたソルランジュ伯は、応接室へ入る。
ギルドマスターが既に入口近くで立っており、2人がソファーへ座るとソルランジュ伯が切り出す。
「連絡をくれて感謝する、マックス。それでサーペントによる被害状況は?」
「…それが…本日、ヨナの町へ向かった冒険者の一報によると、幸いにも被害は無いと…」
ギルドマスターは言い辛そうに話す。
その報告を聞いたソルランジュ伯は黙り込む。A級の魔物が出て、被害が無いとはこれ如何に。
「…亡くなった被害者も、いなかったんだな?」
「はい。怪我人は出た様でしたが、たまたま居合わせた冒険者が治癒魔法も使えたとかで、怪我人も治した様です」
「そうか…それは助かったな。で、その冒険者は?」
「こちらから派遣した者が、町に着いた時にはもうおりませんでしたが、B級冒険者の“リュシアン”です。それに、こちらへ連絡をくれたのも彼女の様でした」
ソルランジュ伯はそれを聞き、一つ頷いた。そしてポツリと呟く。
「リュシアン嬢か…うちの息子の嫁に欲しいな…」
貴族との付き合いもあるギルドマスターをしているマックスも、当然の様に、リュシアンの本来の身分は知らされている。
そしてソルランジュ伯の言葉を聞いて、苦笑した。
確か、ソルランジュ伯のご子息は4人。長男は、既に結婚し子供もいて家を継いでいる。次男も結婚して子供もいる上、王都で騎士団に入っていた。三男は30歳位でまだ独身、この領内にいたはずである。四男は隣領のスワース領にいて、リュシアンとも顔見知りだったはずなので…。
と、ここまで考えてマックスは思考を止めた。
「まぁ何はともあれ、被害が無くて良かった。私は明日、ヨナへ行ってくる。今日また何か報告があれば、私はいつもの宿にいるから、来てくれ」
「承知致しました」
そして翌日、ヨナの町へ行ったソルランジュ伯は、冒険者達から、このサーペントが“覚醒種”であった事が報告された。通常のサーペントより一回り大きくて鱗が硬く、解体が大変であると。
それに付随して、討伐に参加したリュシアンの株が上がった事は、言うまでもない。
こうしてヨナのサーペントは、思いのほか大事となって領内に伝わっていったのだった。
だがそれは、シド達には知らぬ事である。




