100. 加護を纏いし者
シドは思った。
もう既にウロボロスには、こちらの存在を気付かれているだろう。
今はこちらを見てはいないが、皆の気配が出ている以上、アレが気付かぬ訳がない。
だが先程から4人の冒険者達を見ていれば、ウロボロスから発せられる重厚な気配に気圧され、動く事もままならない様子。
シドでさえ、あの存在にはひれ伏しそうになる程の、畏怖を感じていたのだった。
ウロボロスとシド達の距離は、約3キロだ。今はその間の木々がない事もあり、その距離でも肉眼で、存在を捉える事が出来る大きさであった。
「なぁ…アレは何なんだ?」
小さな震える声で、剣士が問う。しかし、その答えを聞きたい訳では無いだろう。アレをただ、見えないものとして、否定してもらいたいだけの様に聞こえる。
「知らないな。俺も、初めて見る物だ。取り敢えず、逃げるぞ」
シドはその声にはそう返し、次に取らねばならない行動を、皆に伝えて立ち上がる。
その指示に、皆が動こうとするものの、足に力が入らないらしい。皆地面に跪いたまま、ウロボロスを見つめている。
その時ウロボロスから、上空に向かって光が放たれた。その光は、ウロボロスを中心として、半径5キロ程の範囲に降り注がれる。
そして、それがシド達の周りにも降りてきた時、周りにいた4人からうめき声が上がった。
「「うぅ…」」
「あぁ…」
「うぁ…」
そう声を発した彼らは、地面へと崩れ落ちた。
「え?!どうしたの!」
リュウは近くにいる魔術師へ、手を差し伸べる。
「う…」
その魔術師は、苦悶の表情を浮かべてリュウを見上げた。
「あ…あ…」
何かを伝えたい様ではあるが、話す事が出来ないらしいと知る。
「麻痺…」
リュウがそう言えば、シドも皆の様子を見て頷いた。
毒で苦しむ様子は見られない事から、体の自由を奪う為のものだった様だと、判断する。
「何で、僕と兄さんは無事なの?」
リュウは、シドと自分が麻痺の影響を受けていない事に、戸惑いを見せる。
「<ボズ>のお陰だ」
シドは渋面を作り、そう伝えた。するとリュウはハッとして、何かに気付いた様に自分の手首を握った。
シドの剣とリュウの腕輪は、<ボズ>の加護が付いている。それを身に着けている限り、空気中に漂う害ある物から、この身を護ってくれるという事だった。
シドは、心の中で<ボズ>に感謝しつつも、今の状況を、絶望を持って見ていた。
今シドとリュウが動けていたとしても、この4人をここに置いて2人だけで逃げる事は出来ない。
そして彼らに解毒を施しても、彼らはアレに気圧され、動く事も出来ないだろう。
幸い、麻痺により体の自由が利かないだけで、現時点では命の危険はないはずである。
だが今はまだ、ウロボロスから直接の攻撃を受けている訳では無いが、これから何もされないという保証は、何処にもない。
そうなると、シドの取る選択肢は一つ。
シドが4人からウロボロスへと視線を戻せば、そのウロボロスはこちらを向き、視線が合った事を直感した。
シドはその視線に全身の毛穴が開くが、同時に何かも感じ取る。
フェンリルやグリフォンですら、気持ちを理解する事が出来たのだから、もしかして…と。
シドは精神感応を入れて、そちらに意識を集中する。
すると、大きな存在がシドの中に溢れた。シドは身を固まらせると、それを読み取る。
≪ほう。まだ動けるものがおるとは…小さき者も、知恵を付けたとみえる≫
明かに言葉として理解できる音が、シドの頭を支配した。
「う…」
その重みに、シドはうめき声を上げる。
「兄さん!」
シドの表情を見たリュウが、シドの隣で膝をついた。
「大丈夫だ…アレの存在が、入ってきただけだから…」
シドは、そう言葉を絞り出した。
「精神感応…?」
「ああ…アレは言葉を操っている」
リュウへそう伝えると、シドは再びウロボロスへと、視線を戻す。
≪どうするつもりだ≫
ウロボロスとの距離がある為、シドもそれで問いかける。
≪ 愚問 ≫
それだけの返事の後、ウロボロスは王都の方角、北へと顔を向けた。
それを聴いたシドは、リュウへ視線を向ける。
「あいつは、王都へ行くつもりの様だ…」
「え?!そんな事になれば、街の人達が!」
「ああ…」
シドとリュウはそこで立ち上がると、ウロボロスへと向かい歩き出した。
それを感知したウロボロスから、声が届く。
≪小さき者、邪魔をするつもりか≫
その声と共に、ウロボロスはシドとリュウに視線を向ける。
≪街には、関係のない者が大勢いる。…その人達を…助ける≫
シドの返答に、ウロボロスの平坦な声が返る。
≪契約を軽視したのだ。我はそれ故眠りから覚めた。この意味が解らぬものはおるまい≫
シドとリュウはウロボロスへと向かいながら、シドはその答えに問いかける。
「どうしても行くのか」
シドはそう、声を絞り出す。
もうウロボロスが、しっかりと見える所まで来ていた事で、シドの声も届くだろうと。
ウロボロスの姿は、先程までは1つの塊にしか見えていなかったが、ここから見れば体高は10m以上あり、茅色の体は鱗に覆われた、肉厚な体躯である事が判る。
その大きな体からは長い尾が出ており、2本の脚は太く大地に根を下ろした様に安定し、体の上半身を起こして前足は地に付けていない為、腕と呼べるであろう。
そして頭には毛の様な物があって背まで繋がり、額の上部からは2本の真っ直ぐな角が伸びる。顔には竜種のそれで見る様な、突き出した大きな口があり、鋭い牙と歯が見えている。
その上纏った魔力の気配が、今まで見てきた物が何だったのかと思う程、突出して高い事を感じとれたのである。
これは人間で、太刀打ちできる物なのだろうかと、シドは背筋に悪寒が走る。
≪我はその為に、眠りから覚めた。我は契約に基づき、行動するのみ≫
そう言ったウロボロスは、北へと視線を固定し、一歩、地響きを立てて踏み出す。
それを見たリュウが、シドの隣から飛び出した。
「リュウ!!」
シドがそう声を出した時、リュウはウロボロスの前で立ち止まり、それに向かって両手をいっぱいに広げた。
「だめっ!行かないで!!」
リュウはウロボロスと、会話は出来ない。
だがリュウは、止められない事を悟ると、ウロボロスの前に立ちはだかったのだった。
≪無駄だ≫
そのウロボロスの声は、リュウには聴こえないのだ。
シドは転移でリュウの前に出ると、リュウを抱き込んでから身体強化、硬化、集中、反射を入れて全身に力を込めた。
と同時に、ウロボロスの腕がシド達を薙ぎ払う様にして動く。
だがその腕は、シドの反射によって、跳ね返されたのだった。
「カハッ…」
シドの声で、腕の中にいたリュウが顔を上げ、そしてシドの顔色に驚愕する。
シドはまだ立ってはいるが、シドの重みは、リュウへとかかっていたのであった。
「シド!」
≪ほう。おぬしは我と互角…という事か≫
シドの反射を受けたウロボロスが、そう話した。
シドは霞みそうになる意識を保ち、辛うじて出せる音量で、リュウへ伝える。
「今の一撃で、俺の魔力が無くなった…」
集中を入れていても尚、シドの全ての魔力が、ほぼ無くなったという事であった。
リュウはそれを聞くと、自分の魔力ポーションを取り出し、シドの口に突っ込んだ。
シドは何とかそれを飲むと、体に力を込める。
「移動するぞ」
シドは、ウロボロスの前から先程の位置まで、転移する。
するとそれを追って、ウロボロスの視線が動き、その眼には先程までとは違い、警戒の色が浮かんでいた。
『ガアァーーァァ!!』
周辺の大気までも震わす、ビリビリとした大音量の咆哮を上げたウロボロスが、ひたとシドを見据えた。
≪我を邪魔するものは、如何なるものであろうと排除する≫
そう言ったウロボロスから、突然氷柱が放たれた。
それを感知したシドは、転移で回避すると、そこでリュウを開放する。
「アレの狙いは俺だ。リュウは、安全な場所に避難してくれ」
シドはそう言い残すと、一撃と浮遊を追加し、再度転移でウロボロスの肩近くへ出ると、抜いた剣を振う
―― キンッ! ――
だが、ウロボロスに当たったはずのシドの剣は、体に纏う鱗によって、傷一つ付けられてはいなかった。
しかもオーツの剣には又、ひびが入ってしまっている。
「チッ」
シドは舌打ちをすると態勢を立て直す為、リュウとは反対方向へと転移する。
それを視線で追ったウロボロスは、そこに出たシドに炎を投げる。
―― ドーンッ!! ――
大きな炎が、シドが立っていた場所に当たるが、シドは一瞬前には又転移して、回避していた。
≪よく動くことよ≫
ウロボロスの声がシドに届く。
シドはウロボロスから視線を離さぬ様に、しっかりと目を開き、それを睨みつけたのだった。
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先程の揺れ以上の大きな波が、国王たちの一団に届く。
「陛下!」
体をふらつかせた国王に、騎士団長が飛びついて、体を支える。
「これは…」
国王の口から、途中までの言葉が落ちる。
その後を引き継ぎ、近くにいたアルフォルト公が声を出した。
「出てきた…様ですね」
まだ揺れている地面で、皆は動く事もままならず、立ち止まっている。
アルフォルト公とA級冒険者達は、一気に緊張感を高め、各々が戦闘の準備に入る。
続く地面の揺れで、1本の木が倒れた。その後も耐えられない木々が、次々と倒れて行く。
倒木に巻き込まれぬ様、A級冒険者は一団の周りに障壁を展開する。
この大きな障壁は、“ガーゴイルの翼”が出したものの様だ。それに気付いた国王が、冒険者達をみて頷く。皆、この揺れが収まるまで、暫く足止めとなったのである。
「これは、急がねばなるまい」
揺れが収まり暫く経った頃、国王が皆にそう伝える。
全員がそれに頷き、再び動き出した時、今度は森の大気が揺れた。
『ガアァーーァァ!!』
大森林に響き渡る、何かの咆哮。それが大気を震わせ、ビリビリと伝わってくる。
騎士団員達は顔色を悪くして、膝をついている者もいる。
アルフォルト公とA級冒険者達は、顔を見合わせるとそして、次いで国王を見る。
「うむ。我がいては足手まとい。我は後から追う」
意図を理解した国王からの言葉に、一斉に冒険者達が走り出す。これは、歩いて行く暇などないのだ。
国王と騎士団たちを置いて、冒険者達は、森の中心方向に向かって行く。
アルフォルト公は国王に黙礼すると、冒険者達に続いて、その声に向かって駆けて行く。
それを見送った国王達も又、少し遅れてその中心へ向かい、歩き出したのであった。
2024.1.20
ウロボロスとの距離を修正しました。