第4話 蜃気楼の城【1】
少し汗ばむ陽気のもと、ウォーロックは家の前に広げた実験道具に神経を集中させていた。その手元を興味深げに覗き込んでいたアモルとヒャーリスも、つられて険しい表情になる。
池そばで剣の素振りをしていたスクワイアが、やあ、と朗らかに笑みを浮かべた。
「こんにちは、アミークス」
「どうも」
三頭の馬を連れて歩いて来たのは、褐色の肌に萌えるような赤い短髪の青年だった。
あら、とヒャーリスが顔を上げて微笑む。
「ハイ、アミークス。今日は馬は売れた?」
「全然だ。借りて行くやつばっかり」
「あらまあ、残念ね」
眉尻を下げるヒャーリスに、青年は肩をすくめた。
青年――アミークスは、炎を持つトカゲがマナを得て人型に進化した炎族だ。体に炎を有しているため、人の子には無害だが、人魚族のそばに寄るとその熱で人魚を蒸発させてしまう危険性がある。人魚が持つ水も、炎族を鎮火させてしまう可能性があるため、互いに互いが危険な存在である。
「それはなんの実験だ?」
なるべくヒャーリスに近寄らないようにしながら、アミークスはウォーロックの手元を覗き込んだ。ウォーロックはいくつかの薬品を混ぜていた手を止め、アミークスか、と呟く。
「俺様がもとの体に戻るための実験だ」
「もとの体? どういう意味?」
「ウォーロックは、呪いで子どもの姿にされたんですって」
アモルがそう言うと、アミークスは腰を屈めつつ眉をひそめた。
「あんた誰」
「私、アモル。人の子よ」
「へえ。見ない顔だな」
アミークスは興味が薄そうに呟いたあと、それで、とまたウォーロックを振り向いた。
「呪いってなんだ?」
「複雑な呪いでな」ウォーロックは言う。「俺様は元々、もっと大人なんだよ」
「へえ」
「ウォーロックって」と、ヒャーリス。「本当はいくつなの?」
「千三十二歳だ」
あっけらかんと言うウォーロックに、アモルとヒャーリスは揃って驚いたように目を丸くした。
「随分と大人なのね」
「どうしてそんなに長生きなの?」
アモルがそう問いかけると、ウォーロックは少し呆れた表情になりながら言う。
「どうしてって言われてもなあ……。マナがあれば半永久的に生きられる人間だからだとしか言えねえな」
「本当に?」
「さあな。死んだことがないから」
肩をすくめるウォーロックに、アモルは不満げに眉根を寄せた。
「あんたの言うことは相変わらず意味がわからないな」
怪訝な表情でそう言って、アミークスは立ち上がる。
「あんまりそいつの言うことを真面目に聞かないほうがいいんじゃないか?」
棘のある声でアミークスは言った。アミークスとは今日が初対面であるアモルは、ぽかんと彼を見遣る。
「アミークス、相変わらずウォーロックのことが苦手なのね」
困ったように言うヒャーリスに、アミークスは肩をすくめた。
「苦手なんじゃない。嫌いなんだ」
「こら! アミークス!」
ヒャーリスの咎める声には応えず、アミークスは彼らに背を向けた。そのまま三頭の馬を連れて去って行くので、ヒャーリスは重い溜め息を落とす。
「もう、子どもなんだから……。ウォーロック、気にしないでね」
「気にしてないが……」
ウォーロックがあっけらかんと言うので、ヒャーリスはまた息をついた。
* * *
海の町リートレの特産物と言うと「海菜」を思い浮かべる者が多い。しかし海菜の栽培が行われている海底都市は水の王が統治し、厳密に言うとリートレとは別の国であって、海菜はリートレの特産物とは言えない。
ウォーロックがそう言うと、ヒャーリスは不満げな表情になった。
「海底都市だって、ぎりぎりリートレ領でしょ? だから海菜はリートレの特産でいいのよ」
「リートレはキング・レオの国だ。水の王がいる海底都市はリートレとは別の国だ」
「でも、海になる町はリートレ領でしょ?」
「そうだ」
「ってことは、その真下にある海底都市だってリートレ領でいいじゃない」
「違う。海上と海底じゃ領域が違うんだよ」
「なんの話をしているの?」
家の前に実験道具を並べているのにまったく関係のない話をしているウォーロックとヒャーリスに、アモルが不思議そうに首を傾げながら問いかけた。その表情には苦笑いが浮かんでいる。
「俺のせいなんだよ」
同じように苦く笑いながら、スクワイアがサンドイッチのかごを手に家から出て来た。ウォーロックとヒャーリスにそれを差し出すと、ふたりはまだ議論を続けながらそれを受け取る。
「アモル、昼ご飯は?」
「家で食べて来たわ。スクワイアのせいって?」
「俺が、リートレの特産は何かって訊いたらこうなった。ここまで白熱した議論が聞けるとは思わなかったよ」
水の王を海底都市の王様にしたのはキング・レオだ、とヒャーリスが言うと、水の王が海底都市の王になったのは水の王がマナを持って海底都市に生まれたからだ、とウォーロックは言う。この議論は、まだしばらく続きそうだった。
サンドイッチを食べて満腹になったウォーロックとヒャーリスは、あっさりと議論をやめて実験を再開させた。スクワイアは洗濯物を干して、アモルは興味深くふたりの実験を見学した。
「なんでいつも外で実験してるんだ?」
馬を連れたアミークスが歩み寄って来て、怪訝に問いかけた。アミークスは各集落を馬を連れて回っているため、ウォーロックの家も通り道になるのだ。
「部屋でやってると匂いがこもるだろ」
「へえ」
手を止めずに言うウォーロックに対し、アミークスも興味が薄そうだ。
「今日はなんの実験なんだ?」
「これは」と、ヒャーリス。「空気中の酸素に触れると瞬時に大量の水になる水素を開発しているの」
「はあ? なんだそりゃ」
「あたしたち人魚のためよ!」
ヒャーリスは胸の前で手を組んで空を仰いだ。その青い瞳はキラキラと輝いている。
「これが完成したら、乾涸びそうになって慌てて水に飛び込んだりしなくてよくなるの! これを持ち歩いていれば、多少の遠出だってできるのよ!」
「……普通に水を持ち歩くんじゃダメなのか?」
「水は重いわ。人魚を潤わせるためには大量の水が必要だし」
「へえー……」
横たえた瓶の中を見ていたウォーロックは、うーん、と唸って瓶のふたを閉める。
「なかなか上手くいかないもんだ」
「そうか」アミークスが言う。「あんたは化学オタクだったな。魔法使いのくせに」
「なに言ってる。魔法だって立派な化学だ。魔法学って学問を知らないのか」
「知らない」
つっけんどんにそう言って、アミークスは立ち上がった。
「お前ら、気を許してるけど、こんなやつを信用していいのか?」
怪訝に眉をひそめてアミークスが言うので、アモルはぽかんと彼を見上げた。なに言ってるの、とヒャーリスは咎めるように声を上げる。
「散々お世話になってるくせに」
「俺はなってない」
ふん、とアミークスは鼻を鳴らした。
「あんまりこいつを信用しないほうがいいよ」
「ちょっと、アミークス。喧嘩を売るのはよしなさいよ」
「どうして信用しないほうがいいの?」
不安そうに、はたまた悲しそうに問いかけるアモルに、アミークスは少したじろいだ。しかしすぐに気を取り直して、細い眉をつり上げる。
「そいつが三年前にアウレア火山で何をしたか聞いてみなよ」
アミークスはそう言って、仕事に戻るわ、とひらひらと手を振って彼らに背を向けた。
「……三年前、何したの?」
アミークスを見送ったヒャーリスが、困ったように眉尻を下げて問いかける。ウォーロックは不満げに眉をひそめて腕を組んだ。
「アウレア火山って言ったら……マンティコアが悪さをして困ってるって言ってたから、マンティコアを懲らしめてやったのは覚えてる。だが、それだけだ」
「それだけで、あんなに嫌われる?」
アモルが不思議そうに言うので、ウォーロックは顔をしかめてさらに言う。
「人見知りしてるんだろ。……あー……まあ、ちょっとやりすぎたかもしれないけどな」
「……なるほど」と、ヒャーリス。「ちょっとじゃなかったんだわ、きっと」
「そうみたい」
アモルも困ったように笑って頷くので、ちょっとだって、とウォーロックは眉根を寄せた。