第9話「俺がここにいる」
判断材料がなさすぎる。率直にそう思った。もっと情報を聞き出したいところだが、この男の言葉はあまり信用ならない。人格面に加えて【白金の徒花】側の人間だ。【BCA】の公平な評価は恐らく聞けないだろう。
となると、カムイの方針は決まった。まだどっちにもつかない。【BCA】もこの廃ビルに気付いているなら、必ず姿を見せるだろう。その時を待ち、自分の目で見極める。記憶を取り戻すのに都合がいいのは、どちらなのかを。
結論を出したカムイは、男を拘束する影をひとまず解いた。
「即決はできないが、お前らと敵対するのはやめとくよ」
「そ、そうか……。いい返事を期待してるぜェ?」
当たり障りないカムイの返事に、男は及び腰でよろよろ立ち上がりながら丸分かりの愛想笑いをする。やはり微塵も信用ならなかったが、それでも貴重な情報源に違いはない。ここはこらえて穏便にお引き取り願いたいところだ。
落とし所が着きかけた丁度その時。廃ビルの入口で、微かに足音が鳴る。カムイはそれを聞き逃さなかった。
「あ? 誰か来た……まさかお前の」
「な、なにがだよ!? 俺ァ1人で来たぞ!」
睨まれた男は慌てて否定する。それを鵜呑みにする筈もなく、カムイは音の方向へ警戒を向けた。関心を向けられないこの場所に、偶然通りかかった誰かが来る可能性は低い。あり得るとしたら、この男の仲間。もしくは早くも【BCA】が現れたか。
そう考えるも、すぐ違和感を覚える。足音が軽い上、やたらと無警戒に近付いてきていた。ブレードについて知っている人間とは思えない。
部屋の入口から、足音の主が顔を出す。それを見た瞬間、腑に落ちると同時にカムイから気が抜けた。
「叶恵……」
「やっぱりここだった!」
さっきまでここでなにが起きていたか。そんなことは想像もできていないであろう無邪気な笑顔で、叶恵はカムイへと駆け寄ってくる。
「探検行くなら、わたしのこと待っててよ! 一緒に行きたかった!」
「……そうか、すまん」
渋い顔をするカムイ。もし一緒に行っていたら、よりどえらい事になっていた。
「それで、なにか見つかった? 次はどこ探す?」
「なにもなさそうだから、もう帰ろうと思ってた」
「えー!?」
「悪い悪い。次は一緒に行こうな」
完全に緊張感を削がれた素振りで、カムイは叶恵を親のように宥め始める。
男に完全に背を向けて。
「…………」
思わぬ乱入に、男は目を見張って固まっていた。見る角度や光の加減によっては、金やオレンジにも見える薄い茶髪。フードを被っていて見えにくいが、確かにそんな独特の髪色をした少女……。これには、心当たりがあった。まさかこんな所でと面食らう。
次いでようやく、カムイの意識が自分から離れているらしいと気付いた。さっきまで戦っていた相手が、無防備な状態。自分を負かした。顔面に食らわされて歯が折れ、地べたに這いつくばらされた相手。男の中で、怒りと屈辱が再燃し始めた。
「…………」
視線を彷徨わせ、取り落とした自身のブレード【モルダー・リーフ】を見つける。幸い、そう遠くまで飛ばされてはいなかった。忍び足で近付き、そっと拾い上げて握る。カムイも叶恵も、まだ男の様子を意に介してはいない。醜悪な笑みが浮かんだ。
よくもやってくれたな。
もう勝負は着いたと油断しやがって。
目を離しても問題ないと思いやがって。
見下しやがって。
偉そうな態度で尋問なんかしやがって。
許せない。
お前なんか仲間にいらない、精々奴隷だ。
ついでにその女も道具として使ってやる。
お手柄だ、また甘い汁が啜れる。
カムイへの恨みと私欲が、男の中に満ち満ちる。目を爛々と邪悪に光らせ、ブレードを構える。そして叩きつけるように、カムイの頭から縦に斬り下ろそうと踏み込んだ時。
「ん? なんだあれ」
カムイが自身の正面を指差してそう言った。
「え?」
言われた叶恵は、素直にその方向……自身の真後ろへ体ごと振り向く。
「ちょっとすまん」
カムイは叶恵の耳を塞いだ。同時に足元の影が闇を深め、背後の男に襲いかかる。
「なァがッ……!」
突き出された影の拳が、再び男の顔面に刺さった。カムイは振り向かないままで、背後の男へ冷徹に言う。
「そうくるだろうなと思ってたよ、お前みたいな奴は。影を薄くして広げて、動きは把握させてもらってた」
影に触覚はないが、なにかが触れていることは分かる。実体化させないなら、濃淡もある程度制御可能。これらを利用し、簡易的なレーダーを敷いていた。自身のブレードの名も忘れ、力を十全に使いこなせない状態でも、そのくらいの応用は可能であった。
「ねえカムイ? なんで耳塞ぐの? あっちなんにもないよ?」
1人完全に置いていかれている叶恵を他所に、カムイは更に畳みかける。
「もっと早くこれ思いついてたら、撒菱なんかも踏まずに済んだな。失敗失敗。まあ次からちゃんとすればいい話だ。学んだことは活かさなくちゃな」
「ング……ッ!」
影を顔面に密着させられ、男は言葉を返せない。口の中に血の味が広がる。鼻や口で激しい痛みが広がり、目元が涙で濡れてくる。
「……で。お前はまた大振りな攻撃で隙を晒して。感情的で短絡的な行動して。正直、センサーなしでも直前で気付けて対処できたな」
心底呆れ返った口調。カムイはこの瞬間、男のことを。引いては、【白金の徒花】を見限った。こんな男を手元に置き自由にさせ、理想郷を謳うような組織が。まともなものである筈がない。
「さっきお前が言ったように、人間誰でも間違えるだろうさ。それは別にいいと思う。失敗ってのは成功の途中だからな。でも、学ぶ気がないお前は駄目だ」
カムイの足元から、更に複数の影が伸びた。それらが全て、男の方を向く。
「ッ! ーーッ!!」
「警察に突き出してやりたいが、ブレード所有者は手に余るだろうな。お前を手土産に【BCA】と接触するのもアリだが、どこにいるんだか分からん……。安心しろ、法も謎の組織もお前を裁かない。なぜなら」
カムイは首を後ろにひねり、言葉にならない悲鳴を上げる男を無感情に睨み。
「俺がここにいる」
影の拳の乱打を、容赦なく男に叩き込んだ。
「あばがァァァァァァァァーーーッ!!」
男の全身を、闇でできた拳が抉る。顔面、腕、胸部、足。各部位が殴られる度、肉体が破壊される音が鳴る。時に骨が砕ける音も混じる。血飛沫が散り、まるで男が赤い霧に呑まれているかのような光景を生む。
「あばよ」
乱打が止む。辛うじて意識を保っていた男が次に見たのは。
一際巨大に形作られた、最後の1発のための拳。
「ヤメ」
懇願は届かなかった。今までで最も重たい一撃が、男を意識諸共吹き飛ばす。
「…………バ」
男は床を転がって壁にぶつかり、そのまま動かなくなる。その全身は血まみれで、顔は原型がないほど腫れ上がり。そして腕や足の所々が、変な方向に曲がっていた。
「やべ……殺したか?」
咄嗟に男が落としたブレードを見やる。その全体が透過している見て、カムイは胸を撫で下ろす。意識を失っただけだ。死んだ場合、ブレードはもっと粉々に砕けて消える。あんなのでも殺すと後味が悪い。
「ねえ、いつまでこのままなの? 耳痛いよ」
「おっと」
叶恵の苦情で、カムイはようやく手を離した。つい力んでしまっていたが、お陰で叶恵は状況を把握できていないらしい。
ただ、1つ確認することがあった。
「……叶恵、ちょっとずつ右の方見てくれ。俺がストップって言うまで。それ以上は見ないように気を付けながら」
「見たらどうなるの?」
「俺が家出する」
「分かった気を付けて右の方見る!」
素直で助かる。叶恵の首の角度を微調整し、消えかかっているブレードを叶恵に見せた。
「なんか見えるか?」
「? 別になにも」
不思議そうに首を傾げる叶恵。本当に見えていないらしい。
「……そうか。じゃあ帰ろう。後ろ見るなよ。フリじゃないからな」
「見ないよ。カムイに家出してほしくないもん」
この廃ビルに気付く条件。気付いた人間の共通点。それは、ブレード所有者であることかと思ったが……。
叶恵は、そうじゃない。