第8話「2つの組織とその関係」
開け放しになった小さな雑貨屋……もとい自宅の扉を、学校帰りの叶恵は勢いよく通り抜ける。パーカーの猫耳を激しく揺らすその様からは、機嫌の良さが分かりやすく見て取れた。
「ただいまー!」
「おかえり」
父がそう返しつつ顔を見やれば、案の定ニコニコと無邪気な笑顔を浮かべている。ここ数日……正確には、カムイが来てからはずっとこんな風であった。随分と彼を気に入っているらしい。
その証拠に帰ってくるや否や、キョロキョロとなにかを探す仕草を見せている。なにを、誰を探しているのか考えるまでもなかった。
「カムイは?」
「散歩だってよ」
用意してあった答えを差し出す父に向かって、叶恵は小首を傾げて聞き返す。
「散歩? 道とか知らないのに」
「記憶のために刺激が欲しいんだと。暗くなる前には帰ってくるさ」
「むむ……」
腕を組み、首を更に傾けて唸り始める叶恵。口を結んで両方の頬を膨らませ、不満を子供っぽく露わにしていた。
「探検行くなら一緒に行きたかったのに。今から追いつけるかな?」
「どの辺にいるかも分からねえだろ」
「分かるもん!」
「なんで」
「なんとなく!」
「ああ、お前はそういう子だな」
自分の娘ながら、理屈でその思考を理解することは困難を極める。父はそれを分かっているので、深く追求するのは早々にやめた。そして、次に起こすであろう行動をとめることも、既に諦めている。
「行ってきます!」
カバンを地べたに投げ捨てて、帰ってきたばかりの叶恵は再び飛び出してしまった。最初からここまで、全て予想通りである。
「カステラあるぞー」
「たっ……食べるから取っといてー!」
ダッシュの足音が一瞬止まったが、結局食欲よりカムイが優先されたらしい。足音も声もどんどん遠ざかり、店内は再び静寂に包まれた。
「……人見知りの筈なのになあ。珍しい」
父はふうとため息をつく。カムイの存在と、やたら彼に懐く叶恵。行動の予測はできても、ここ数日の異常事態の原因はさっぱり分からなかった。
*
まずはどこから聞こうかと、カムイは男を見下ろし軽く唸った。一番聞きたいのは自分についてなのだが、戦闘中の言動からして望みが薄い。
「一応確認するけど、お前は俺を知ってるか?」
「は……? どういう意味だ」
「聞き返すなさっさと答えろ」
「し、知らねェよ! 知るわけねェだろうが……!」
やっぱりな、とカムイは軽く落胆する。もし知り合いなら、邂逅時にブレードが見えるかどうかなんて聞いてこなかっただろう。その時点でほぼ諦めていたが、今ハズレが確定した。
「別のことを聞こう。この廃ビルになにか仕掛けたの、お前の仲間か?」
「違う……!」
鼻血を垂らす男が、焦燥気味に首を横に振る。打って変わって意外な答えを示され、カムイは少し瞠目した。
「ならどうしてここに来た? というか、ここが異常だとお前は気付けたのか?」
「はァ? 気付けたってなんだ……!? 前触れなく突然現れた廃ビルなんて、それ以前の問題だろうが!?」
息を飲み、顎に手を添え考え込むカムイ。この廃ビルは、なぜか人から関心を向けられていない。2週間前にいきなり出現した、明らかに異常な建物なのにだ。
だが例外もいた。この廃ビルで記憶を失い眠っていたカムイと、その第一発見者の叶恵。そして、突然相対したこの男。
「こんな芸当ができるのは、ブレード所有者に違いねェ! だから俺は連中より先に、ソイツと接触して手駒にしてやろうと……!」
「あ……? 待て待て、聞いてないことまで勝手に喋るな。順を追って質問に答えろ」
さっきとは違う方向で、男は冷静さを欠いているようだった。カムイに向けられた殺気と影の攻撃によるダメージで、怒りが恐れに反転している。それでもベラベラ喋るのは変わっていないが。
「要するにお前はスカウトしに来た訳だ。いや、もっと穏やかじゃない雰囲気か? とにかくまともな連中じゃないな。お前ら、なにが目的の何者だ」
「……いや、それは」
かと思えば、男の目が揺らいだ。なにかを言い淀み、視線を逸らした。カムイはそれを見逃さない。
「仲間のことは売れないか? ご立派だな」
直立するカムイの足元で、新たに影が実体化した。先端を槍のように尖らせて、男の眼前に勢いよく伸ばす。
「ま、待て分かった! だからこれ以上はやめてくれ……!」
言われなくと寸止めするつもりだったが、話が早くて助かる。そう思いつつ影の槍の実体化を解き、カムイは改めて問い質した。
「お前らは何者で、なにが目的だ?」
「お……俺たちは……【白金の徒花】。ブレード所有者の理想郷を築く者たち……」
【白金の徒花】。ブレード所有者の理想郷。当然カムイの知る名前ではないし、その目的にもピンと来ない。
「俺を襲ったのは、廃ビルの件の原因を俺と勘違いしたからだな」
「そうだよ! だがこの能力でそうじゃねェのは分かった……! とするとテメェ、機関の犬か!?」
「……また知らないのが出た」
やや煩わしさを滲ませながら、カムイは頭を掻く。自分のことについては一切の進展がないのに、それ以外の情報ばかりが増えてゆく。
「その機関? てのは、さっき言ってた『連中』のことか?」
「っ……そうだ。ブレード隠蔽機関……【BCA】。世界の平常運転を謳って、俺たちを抑圧するクソの集まりだ!」
カムイは内心で頷く。なるほど、ブレードは平常と真逆の存在……超常だ。【BCA】とやらは、その隠蔽により世界の平常運転を目的とする機関。理念としては、ブレード所有者の理想郷を築こうとしているらしい【白金の徒花】と相容れないことになる。
要はカムイの記憶など預かり知らぬところで、2つの組織がいがみ合っていたらしい。自分の情報のなさに辟易しかけていたが、どうやら部外者は自分だった。
「じゃあ結局振り出しか。いや、次は【BCA】ってのと接触できれば……? ここに気付いてるなら、待ってりゃ来るかな」
「へっ、オススメしねェな……。なにが目的か知らねェが、テメェのような野良は拘束されるのがオチだぜ」
見え透いた作り笑いを浮かべ、男がカムイに語りかけ始めた。口調は親しげというか馴れ馴れしげで、思わず距離を置きたくなる。
「なァ、今回の件は悪かったよ。完ッ全に俺のせいだ! 早とちりだった! てっきり【BCA】の犬と鉢合わせちまったのかと……! 間違いってのは誰にでもあるよな? アンタもそんな経験あるだろ?」
「さあ。ちょっと覚えてないな」
「へ、へェ。そりゃ結構……。とにかく俺が言いてェのは! アンタとは仲良くなれそうってこと!」
思いっきり顔を顰めるカムイ。どの口がそんなことを宣うのか。あの陳腐な罵声の数々を忘れたのか。なんて都合のいい脳味噌をしているのか。そんな隠しきれない嫌悪感を意に介さず、男は尚もベラベラ喋る。
「事情は知らねェが、訳ありなんだな? まさか【BCA】に着こうってんじゃねェだろうな!? やめとけやめとけ! 連中は俺たちの都合なんざ、眼中にねェんだ!」
「……で?」
「だからつまり! 【白金の徒花】に来いよ! 俺がリーダーに話つけてやる! アンタの腕なら、それなりの待遇を用意できる筈だ……! 事情の方だって全面的に協力する!」
「…………」
【白金の徒花】と【BCA】。カムイは現状、どちらも信用していない。特に【白金の徒花】は、出会った構成員がこんななせいで余計にだ。しかし、【BCA】がより話の通じる相手という保証もなかった。この男の言う通り、出会うなり拘束される可能性も大いにあるだろう。
この選択は、カムイの今後を大きく分ける。