第18話「DISTRUST」
現れた男はカムイを見据え、浮かぶブレードを手に掴む。
カムイと程近い中肉中背の体格。特筆するような個性のない黒髪。アンダーリムでスクエア型の黒縁メガネ。紺をベースに、襟とボタンの並ぶ中心部、そして心電図風の線が描かれた胸ポケットが黒のワイシャツ。ベージュのチノパン。
そんな特徴の中でも一際独特なのは、レンズの奥にある彼の目だった。生気の抜けた光のない瞳。その上半分を覆う、吊っても垂れてもいない横一文字な半開きの目蓋。近付かなくても分かるくらいに濃い、不健康な隈。そんな、陰気という表現が異様に馴染む眼差しをしていた。
「鳴谷響人、だよな」
「…………諏訪間から聞き出したのか。まあ名前くらい…………別に構わないが」
スローテンポかつ所々に長めの間があるせいか、響人の言葉が酷く気怠げにカムイへと染み込んだ。聞いている方まで億劫になりそうで、つい俯きそうになる。
「にしても…………バカ正直に仁王立ちとは。不意打ちでもなんでも…………やろうと思えばできただろ」
「意味ないだろ。どうせお前の能力で居場所がバレるんだ」
浮かぶブレードを指差し笑い、「それに」とカムイは更に続けた。
「話をするには、顔を突き合わせるのが礼儀だろ?」
「…………皮肉か? それとも…………寝言か?」
「さあ、どうだか」
「なるほど…………寝言の方だな」
感情のない響人の目が、微かに歪む。自身のブレードを通じて届く、カムイの感情が煩わしかった。今の言葉に嘘はない。今のところは。何度も何度も、同じようなものを感じてきた。
「いらないんだよ…………もう。そういうのは…………」
ゆっくりとした語り口が、冷笑にも似た寒さを帯びる。顰めた顔は既に無表情で、抱いた苛立ちも凪いでしまっていた。
カムイは一目で悟る。自分との受け答えにおいて、響人は感情を削ぎ落としていた。僅かに反応してもすぐ無に戻り、徹底的に冷めた態度を崩さない。感情を動かすこと自体を嫌っているようだった。
「へえ。なるほど」
腕を下ろして不敵な笑みを深め、乾いた口内を唾液で湿らせた。空飛ぶなにかを見たことが発端の、想定外の大仕事を。これから終わらせる。
「だったら寝かしつけてみろよ。本気ってヤツを見せてやる」
「子守唄にしては…………少し騒々しくなるな」
カムイの足元の闇が深まる。
響人がブレードを顔の前に掲げる。
互いが互いの、据わった目を睨む。
先に動いたのは響人だった。ブレードを持つ手を内から外に振るい、フリスビーのように投げつける。
カムイの足元からせり上がった影が、回りながら空気を斬り進むブレードを受けとめた。そのまま影を軟化させ、雄生のとき同様に取り込みにかかる。だがその素振りを見せた瞬間、防いだブレードが消失した。
響人の右手のひらに、消えたブレードが出現する。雄生がやって見せた回避法を、響人は一縷の焦燥もなく模倣してきた。眉も目蓋も、ピクリとすら動いていない。
「チッ。便利なブレードだな」
手放して能力を維持できるだけでも珍しい。その上今のを見る限り、『遠くに飛ばし過ぎて所有者が無防備になる』という状況も起こりづらいだろう。
響人が再びブレードを投げ飛ばした。今度は一直線ではなく、蛇行しながらカムイに迫る。さっきまでなかった複雑な動きに圧され、半歩すり足で下がるカムイ。だが軌道を見失うことはしなかった。脇へ回り込み射程に入ってきたそれを、伸ばした影で防ごうとする。
だがこの時。カムイの意識と視線はブレードに向き、響人から逸れてしまっていた。連戦と負傷による疲弊が、カムイの判断力を僅かながらも鈍らせる。
ブレードは陽動。感情を受信する響人は、生まれた隙を決して見逃すことがない。晒された無防備の隙間の縫い方を、誰よりも理解していた。
「はっ……!?」
ブレードを受け止めたところで、カムイは響人の動きに気付く。一瞬とはいえ隙を晒したことで、至近距離まで接近させてしまった。咄嗟に振り返るカムイ。その反応を見越した動作で、響人は手刀を突き出した。
指先が、カムイの胸の裂傷に刺さる。
「ッッ……!!!!」
単なる手刀とはいえ、浅くない傷口に。しかもブレードによる身体強化で、常人以上の鋭さを以て繰り出された一撃。カムイは目を剥き、絶叫を喉の奥で押し殺す。
「流石に諏訪間も…………タダで負けてない訳だ」
傷に刺さった右手へと力を加え、更に強く押し込む響人。痛覚を直に刺激され、肉が裂ける苦痛がカムイを襲った。
「ッ……ガアアアアアアァァァ!!」
たまらず腕を思いきり薙ぎ払い、響人に手刀を引かせる。間髪入れず、拳状の影を連続して放った。その全てが、空振りする。
飛ばした筈のブレードが、またいつの間にか左手に握られていて。それに引っ張られながら中空を移動し、響人はまんまと有効射程から逃れていた。
「俺が別に刃物でも持っていたら…………お前今ので死んでたな」
着地した響人は、手首を振って指先に付いた血を払う。顔中に汗を滲ませ、俯いたまま睨み上げるカムイの苦悶の表情に、悪い意味で人形のような目を向ける。
「なんで持ってないんだよ……。案外、周到じゃないんだな」
「…………よくそんな軽口叩けるな。ブチギレてるくせに」
「逆に今のでキレない奴いたら教えてみろ! 仏でも1発でキレるわッ! クッソ今日イチ痛え……」
伝わってくる。
攻撃に対する怒りがカムイの中に沸いた。だが芯の部分にまでは、まだ変化は生じていない。変わらず真摯ななにかを携えている。そんなもの、抱えているだけ損なのに。ほんの少しのつまらないことで、呆気なく瓦解する程度の感情なのに。
「信じない…………俺はそんなもの、もう。お前のも…………今後出会う誰かのも。本気なんて戯言も…………真摯なんて出任せも…………剥ぎ取って暴いてやる」
「……お前」
返されかけた言葉に耳を貸さず、響人は三度ブレードを飛ばした。より一層複雑な軌道を描きながら、カムイの周囲を旋回し始める。
さっきと同じ手だった。目を引く動作で襲いかかってくるブレードに隠れ、また響人自身も強襲してくる。どちらかに注力すれば、もう片方の攻撃を許してしまう。
やっていることは雄生と同じだが、響人のそれは正確さが段違いだった。自身の能力である故に、呼吸を合わせるまでもない。遠隔地からでなく相手と面と向かうことで、より状況を把握して自由にブレードを扱える。疲労と負傷、今しがたの痛みも重なり、カムイのスペックも落ちている。
多くの要因が、カムイを追い込み始めていた。警戒の感情が散漫になり、付け入る隙が手に取るように響人へ届く。
人が真摯の仮面を捨てるのは、こんな風な状況でこそ。
さあ、本性を——
「本性を見せろ、とか思ってるだろ」
「……………………!」
しかし。散っていた警戒が、突然一方向だけに定まる。カムイはブレードに背を向けて、死角に回ろうとする響人と向かい合った。痛みをこらえた作り笑いを無理矢理浮かべ、おもむろに床を蹴る。
「お生憎様! 俺も俺の本性なんざ知らないんだよ!」
「っ…………なんだ?」
血迷った訳ではない。伝わってくる感情はハッキリしていた。【ユビキタス・フライヤー】への警戒を完全に捨て、響人に対する愚直な突進。無茶苦茶なのに、『ヤケを起こした』とは程遠い意志が突っ込んでくる。
分かるのは感情であって、詳細な思考までは読みきれない。カムイの考えが分からない。だが、背後のブレードに無警戒なのは確かだった。
切っ先を定める。そのまま単純かつ迅速に、浮かぶブレードによる突きを放った。カムイの背中に、刃がぶつかる。
すぐ手応えに違和感を覚えた。刃が、刺さらない。
「……焦ったな? 狙える箇所は他にもあったろ」
ブレードに押され、カムイは前屈みになりながらも加速した。もう一歩を大きく踏み込み、響人を有効射程に捉える。
「剥ぎ取って暴くとか言ってたな……?」
「く…………!?」
カムイの足元から、影の拳が勢いよく伸び。
「教えてくれよ! 願ったり叶ったりだッ!」
腕を交差させての防御の上から、響人を全力で殴り飛ばした。




