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第17話「真摯な感情」

 難儀なブレードを持ったよね。


 自身を鍛えてくれた師匠に、鳴谷(なるたに)響人(ひびと)はある日そう言われた。


「なにがです」

「だって、他人の感情がブレードを通して流れてくるんでしょ? 僕だったらウンザリしそうだよ」


 感情の受信。それが響人のブレード……【ユビキタス・フライヤー】の能力だ。響人の感情を受け取ったブレードは、手放しても力を失わず意のままに動く。そして有効射程内にいる人間の感情をまた受け取り、響人へと伝える。


 喜びや怒り、期待に不信、真実か虚偽か。半径100メートル近い広大な射程の中では、それら全てが偽りなく晒される。他人から気苦労を心配されるのも頷ける能力だった。


 だからそういう声に対する響人の答えも、既に定型文となっている。


「別に。人の気持ちなんて、俺にも分かりませんし」

「? どういう意味かな」

「感情は一定じゃない。ある日は『好意』だったのに、いつの間にか『嫌悪』に変わっていたり。その逆だってある」

「ふうん。つまり真に受けてないってことかな?」

「そういうものだと割り切った上で、真剣に向き合ってるってことです」

「……やっぱり難儀じゃないか。響人の性格含めて」


 呆れながらそう言われて、この話は終わった。後になって、その通りだなと響人は思った。







 助けてほしい。


 ある任務でのことだ。率いる班のメンバーと共に、能力を悪用する所有者を追い詰めた。そしていよいよという瞬間、そう懇願された。


「……響人さん、聞く気じゃないですよね?」

「…………」


 動きをとめた響人を、班員である雄生(ゆうせい)が怪訝に見つめる。


 男はブレードで一般人を殺していた。これは事前の調査で裏の取れた、疑う余地のない事実。どんな事情であれ、見逃していい筈がない。苦し紛れの命乞いなど、聞き入れられる筈がない。


 だが響人には。【ユビキタス・フライヤー】を通じて流れてくるこの男の感情が、ただの苦し紛れではないと分かった。


「話してみろ。それ次第で考えてやる」

「なっ……!?」


 口を開けてたじろぐ雄生。命乞いした男ですら予想外だったのか、へたり込んだまま目を瞬かせた。


「嘘ですよね!?」

「俺は冗談は好きだが嘘は嫌いだ。すぐ分かるからな」


 響人は屈んで、男と目線を合わせた。眼鏡の奥のその瞳は、気だるげながら曇っていなかった。







 響人は昔からそんな感じだよ。


 任務に一区切りついた時、雄生は拠点にて同じく班員の少女・崎和(さきわ)天音(あまね)に事の顛末を話していた。そして返されたのがその言葉である。


「お二人っていつから知り合いなんでしたっけ」

「【BCA(ここ)】に来る前からだよ」

「つまり小学生くらいの時から?」

「まあね」


 天音は柔らかく笑いながら頬を掻く。雄生が自分以外の所有者に出会ったのは、機関内が初めてである。だから昔から同族を持っていた2人が、少し羨ましく思えた。


「それで、昔からというのは? 過去にもこんなことがあったんですか?」

「ああっと……まだ中学通ってた時ね。万引きが原因で虐められてた子を響人が庇って、諸共酷いイジメを受けちゃって」

「え……そりゃイジメはよくないし、庇うのは立派ですけど。元はと言えばそいつの自業自得じゃないですか。なんでまた」

「それがどうやら。その子は自分の意思じゃなくて、不良にやらされてたみたい。勿論その人たちは白状する訳もなし、結局耐え切れず不登校になった挙句転校しちゃって。残った響人だけが標的になって」


 思ってもみなかった展開に、雄生は言葉を失った。天音の表情も後暗くなる。


「響人には能力で分かってたんだ。その子がなにも悪くないことも、本当に悪い人が別にいたのも。私が問い質しても、多分巻き込まないために黙りこくっちゃって。なんでそんなにまでって、後々聞き出したんだけど——」


 天音伝手に語られた響人の言葉は、雄生の芯に強く焼き付いた。







 人の感情は不条理だ。


 物心着いた頃から、嫌になるのを通り越すほどにそれを見てきた。ゆえに響人はそう思っていた。


 その時にどんな感情であろうと、次の瞬間にはどうなっているか分からない。だからだろうか。多くの人は自分のことで精一杯で、他人を本当の意味では気遣えきれない。自分の感情に振り回されて、不当に他人の感情を掻き乱す。


 そんな中で、せめて自分だけは。正しく感情を受け取れる自分だけは。振り回されないでいたい。掻き乱さないでいたい。


 たとえ明日には心変わりしていたとしても、今日受け取ったものが真摯で切実であるならば。そこに嘘をつきたくない。


「…………」


 いつか天音にそんなことを語ったと、響人は思い出していた。普通の学生の頃に不良に殴られて、口の中に滲んでいた鉄っぽい味も錯覚的に蘇る。一種の現実逃避かもしれない。


 あの時庇い、丁重な扱いを約束した筈の男の亡骸から、目が離せないまま立ち尽くす。心臓を一突きにされて横たわり、血の池に溺れるような苦しげな顔。それが、どうしようもなく響人を掻き乱す。


 あの時の縋る感情は本物だった。自分の能力を恐れ、人との関わりを絶ってきたこと。その態度に付け込まれ、よからぬ連中が寄ってきたこと。そして力の制御が分からないまま、正当防衛で人を殺めてしまったこと。その話に嘘偽りは1つもなく、本気で助けを求めていた。


 なのに再び顔を合わせた男の中は、黒くて刺すような敵愾心にまみれていた。どうしてなのかと問う前に、響人は襲ってきた男にブレードを飛ばしていた。


 なにかを思う隙すらもなく、響人は向き合っていくつもりでいた感情を振り払っていた。


 感情は常に変化し続ける。なのに、理想の形には中々ならない。分かっている、そういうものだと。


「……………………」


 助けを求める真摯な心だからと、こちらも本気で向き合って……。その結末が、こんなもの。本当の部分がなにも分からないまま、響人の前から消えてゆく。イジメから庇っても、縋る手を取っても。この赤黒い液体の、味と匂いだけが残る。


 別に正義の味方になりたい訳じゃない。感情に弄ばれたくなかっただけだ。だが逆らって自分を貫くには……。


 自分は無力で。感情はあまりに手に負えなくて。誰も、思い通りになんてならない。こんな能力を持っているのに。結局誰よりも弄ばれているのは、自分自身だ。


「もう…………いいか」


 そう気付いた瞬間、なにかが折れる音がした。







 そんな感情を抱くな…………胸焼けする。


 今回の任務の標的に向かい、響人はそう吐き捨てた。


 正体不明の廃ビル。そこで重傷を負っていた、【白金(はっきん)徒花(あだばな)】の構成員。やったのは、身元不明のブレード所有者。


【白金の徒花】を敵に回すような存在だ。一筋縄ではいかないと考えてはいた。だがまさか、本気で戦えないままで雄生と天音を倒すほどとは。こうなっては響人が出向くしかない。


「……………………」


 程なくして廃ビルに辿り着き、躊躇せず中へ。入ってすぐの部屋で、標的と思しき男と対面した。顔に大きな傷のある、ジャージとヘアバンドを身に付けた男だ。


「よう。会いたかったぜ」

「…………俺は来たくなかった」


【ユビキタス・フライヤー】を手元へと戻す。カムイの感情が、偽りなく伝わってくる。真摯で実直で、暖かい。


「さて…………いつ、どんな風に変わるんだか…………」


 眉一つ動かさないで、響人はそれを振り払った。


 真摯な感情など、この世にはない。

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