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第16話「沈む」

 首を持ち上げることすらままならず、カムイは倒れ伏したまま唇を噛んだ。背に押しつけられるコンクリートの冷たさが、引いた血の気を更に奪ってゆく。


「人が普通に生活できる重力の上限は、一説によると4G……即ち通常の4倍の重力まで、だそうです。それを超えると、歩行がままならなくなるんだとか……。今のあなたにかかっているのは、その少し上の5G。疲弊と負傷の重なった、今のあなたじゃあ、その身を起こすのは厳しいでしょう」

「っ……流石、自分の能力に詳しいな」


 自分を中心に影を限界まで伸ばすが、何かが触れる感覚はなかった。完全に有効射程を見切られている。雄生はもう、こちらに近寄ってはこないだろう。


「やはり影が届くのは、1メートル前後というところですね……。これなら、【ヘビー・プラネット】は敗られない」


【ヘビー・プラネット】の能力の対象は、所有者である雄生自身。もしくは、ブレードで切断したもの。1度対象にされると、有効射程外へ逃れるしかない。しかし重力で対象の身動きを封じられる【ヘビー・プラネット】を前に、それは現実的とは言えなかった。


 雄生は空いた手を胸に当て、深く呼吸して気を落ち着かせる。張っていた肩が少し下がった。まだ油断はしないが、限りなく勝利に近づいた実感が満ちる。


「相手を痛ぶるのは、嫌いなので。できれば、自主的に教えて欲しいのですが」

「断る!」

「……っ」


 だがそれに水を差すように、カムイは低い声で突き放した。紡ぎかけていた言葉を掻き消され、雄生は中途半端に空気だけ吐き出す。面食らってカムイの目を見て、小さな動揺はすぐ消え去った。


 敵の能力をその身に受けて、無防備を体現した有様のまま動きを封じられて。正に、まな板の鯉そのものだというのに。


 まだそんな目をする。譲歩の欠片もない激情を込めて、目線だけをこちらに飛ばしてくる。


「……ですよね。あなたなら、そう言うのでしょうね」


 静かに納得した雄生は、思わずカムイから目を逸らす。敵である筈のこの男が、やけに眩しく見えた。この状況ですら削がれない強固な意志。しかもそれが、自分以外の人のため。無意識にブレードを握る手が強くなっていた。


「俺にも、あなたのような意志があれば。茨の道の先頭を……歩けたでしょうか」

「あ? なんだって?」

「……気にしないでください。独り言です」


 己の無力感を振り払うように、雄生は瞼を1度強く閉じてから開き直す。今度は逸らさない。


「カムイさん、あなたを心から尊敬します」

「へえ? だったら見逃して——」

「なのでいたぶる真似はせず、一思いに気絶してもらいましょう。少女に関してはこちらで探します」

「……ははっ」


 問答にならないのは分かっていたのか、カムイは皮肉っぽく顔を歪めて笑った。ようやく諦めがついたのか、はたまた起死回生の手でも浮かんだのか。雄生には窺い知れなかったが、もう猶予は与えない。


 このままカムイにかける負荷を上げる。一般的にGが2桁にもなると、大抵の人は昏倒するだろう。これは重力で血が足に落ち、脳に行き届かなくなるためだ。寝転がっているカムイには多少の耐性があるだろうが、それも微々たるものである。勝敗は決した。


「悪いようにはしませんから、安心して眠ってください」

「……いいや、まだだね」

「はい?」

「長いこと地面に……というか自分の影に押しつけられたお陰で、能力の使い方を1つ思い出した」


 眉を寄せる雄生。早急に能力へ意識を回し、カムイにかかる重力を強める。なにもさせない。させてはいけない。この人に余地を与えてはいけない。


 カムイの体が重さに沈む。床にめり込む。


 否。広がった暗い影の中に、カムイの体がドプリと落ちた。


「なにッ!?」


 雄生のブレードを絡め取ったときのものとは違う。真っ黒な水溜まりの中に、カムイの体が落ちたように見えた。少なくとも、愕然と身を強ばらせる雄生にはそう映った。


 そして、主を呑み込んだ影までもが消える。日陰よりも暗かったカムイの影は闇を失い、廃ビルに溶け込んで消失した。


「影に質量を与えるだけじゃなく……」


 よろめきをこらえ、雄生は左手で額を強く押さえる。力んだ指が前髪を鷲掴みにする。そもそもの認識を誤っていたのか。カムイの影は、剛柔併せ持つ矛にして盾……それだけではなかったのか。


「っ! いや、考えるのはそこじゃない! 一体どこへ!」


 思考を取り繕うも、狼狽から抜け出せない。目線が忙しなく動き、見えない影を探す。カムイは今どういう状態なのか。重力から逃げられたのか。なにを狙っているのか。


 この場から離れはしない筈。そんなタマじゃない。こちらを不意打ちで倒す気か。だとすればどこから来る。完全に周囲の陰と同化したなら、今の彼は完全な神出鬼没。予測がつかない。


「クソ! しっかりしろ諏訪間(すわま)雄生! 冷静になれ——」


 完全に固まる雄生を我に返らせたのは、突然2階へと飛び立った浮かぶブレードだった。ずっと静観してのに、急になんだと却って手の力が抜ける。


 ひょっとして()には、カムイの居場所が分かるのか。陰に紛れても、あの能力の網にはかかっているのか。だとするとカムイが向かったのは。


 2階。そこには……。


「っ! そういう事か……!!」


 額に当てていた手で汗を乱暴に拭い、雄生は駆け出した。自身に能力を使い、横に高速で落下し階段へ向かう。ワイヤーの中の安全地帯を器用に縫い、上階を目指す。


「俺より先にコッチを片付ける気ですか!?」


 少し遅かったな。

 聞こえた叫び声に対し、カムイは少し意地悪く目を細めて返す。向こうには多分聞こえていないが、別にいい。


 雄生にかけられた重力は、影に深く潜った段階で感じなくなった。この影の中に能力を中和する作用があるのか、はたまた下に潜ったことで、雄生の有効射程から外れたのか。浮かぶブレードが風を斬りながら向かってくるのを見るに、後者であると推察する。あれには、カムイの居場所がまだ分かっているようだ。


 しかし問題ない。追いつかれる前にやるまでだ。


 この状況。1対3という不利すぎる戦局。最も優先して倒すべきは誰か。それはいるだけで行動が阻害され、かつ姿は見えないが近くにいると予想できる相手。


「……いた」


 影の中からでも、不思議と外の光景はハッキリ見える。だから2階へ潜み進んですぐに、目当てと思しき人物は見つかった。黒いロングヘアーを靡かせる少女が、落ち着かない足取りで周囲を警戒しているのが分かる。


 その両手はピンクの篭手で覆われていた。指部分はアーマーリング状の刃となり、よく見れば表面から無数のワイヤーが伸びている。


 核心と同時に背後へ回り込み、カムイは影から飛び出した。


「え!?」

「悪いな」


 振り向かせる間もなく腕を首へと回し入れ。

 もう片方で頭を固定。そして思い切り力を込めた。


「かっ……は……!?」

「殺しはしない。お前ら悪人じゃなさそうだしな」


 少女は苦しさに呻き、篭手ブレードの爪をカムイの腕に食い込ませる。痛みで眉間に力が入るが、カムイは手を緩めなかった。どころか、更に強く締め上げる。


 過去に何度も、同じ事をやったからなのか。カムイは少女の頸動脈を的確に塞ぎ込み。


「…………ッ」


 ものの数秒足らずで、少女は首をガクンと下げた。抵抗にもがく腕も落ち、篭手が消えて直の手のひらが顕になる。直後、慌ただしい足音が2階に辿り着いた。


「……もう1回言って倍返しだ。少し遅かったな」


 落とした少女を横たえつつ。カムイは未だ険しい眼光で、呆然と立ち尽くす雄生を見据える。


「ブレードを捨てろ。解除じゃない。下の階に投げ捨てて、こっちまで来い」

「……ッ!」

「そんでそこの……浮いてるブレードの所有者! 見えてるのか聞こえてるのか、なんにしろ状況は分かるんだよな? ツラ見せろよ」


 宙で静止し切っ先を向けるブレードに、カムイは指を差し返した。







「……………………」


 公園のベンチに、少年が1人腰掛けていた。眼鏡の奥で無感情な目を曇らせ、組んだ足を逆に組み直す。


「本当にブレード使えないのか…………コイツ?」


 低音寄りの響く声でそう呟き、彼は足を解いて立ち上がる。


「そんな感情を抱くな…………胸焼けする」


 そして公園を立ち去る間際。死んだような眼差しで廃ビルの方角を一瞥し、真意の読めない独り言をこぼした。

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