迷宮育ちのドラゴンは可食部が少ない。
国際勇者協定第3条第7項より抜粋
言語を有し知性を持つ全ての生物は、人型並びに人型に変化する能力を持った魔物の血肉及びその内臓を食用目的に加工してはならず、また食してはならない。
勇者召喚の儀によって異世界より呼び出された一人の勇者が魔王を討ち倒して世界に平和を齎した後、彼の提言によって【国際勇者協定】と呼ばれる全世界共通の法が施行された。
その中で特に勇者が強く提唱した理論。それは人型の魔物を喰らうのは様々な病気の原因となる、故に決して食してはならないというもの。
この法が施行されて以後、確かに世界全体の平均寿命は大きく延びることとなり……勇者の語った理論の証明となったのである。
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「で、まぁそのクソ法によって【それ以外の食性を持たない種族】は淘汰され姿を消して行ったわけだ、人型っつっても色々いるのにな。殆どの場合は素材に対しロクな下処理をしなかったのが原因だったんだ。半端な異世界知識を持った勇者サマが独善的にやった行為の代償として、他の食性を持てずに十分な食糧を得られなくなった種族はそのまま滅びるしかなかったのさ」
古き良きダンジョンの中で滔々と語る男。その出で立ちはまさに【料理人】と言った風であり、身に纏う真っ白に輝くコックコートには僅かな染みさえ見られない。ただ、その背にある巨大な鉄塊のごとき出刃包丁が彼が尋常の輩では無い事を雄弁に語っていた。
「まぁそういう話は今は良い。種族の保存だか存亡だかがどうことか、そんなデカい話にゃ俺も大して興味は無いからな。俺が問題にしてるのは、今なおその法は有効であり世界をクソなルールで縛り続けていること。で、この法は俺みたいな迷宮の魔物をかっ捌いて生計立ててる流浪の料理人にとって実にクソ面倒な足枷なんだよ。なんせ、ぱっと見じゃわからん人型に変身する能力持ちの魔物も対象だからな。うっかりすると迷宮警備隊に取っ捕まって牢屋行きだ」
大仰な仕草で大きなため息を吐くコック姿の男。名はホロウと言ったが、彼を良く知る者からは大飯喰らいの名で呼ばれていた。
「ところで知ってるか? 【迷宮育ちのドラゴンは可食部が少ない】って。野山で活動するドラゴンだってクッッソ堅いウロコのせいで真っ当な包丁じゃ傷一つ付かないのに、迷宮産はそこに加えて血液と内臓の大半に猛毒がある。だから肉しか食えねぇが迷宮ドラゴンは雑食だ、臭みがキツくてこれまたクッッソ不味い」
そして大飯喰らいはまた一つため息を吐く。
「肉以外で食っても問題がないのはキッチリ下処理した心臓くらいだな、それも不味いがな。で、更にたった今決定的にクソみたいな要因が一つ加わった。迷宮産ドラゴンは人型に変異出来る種が居る……ってな。あークソッ!! 手前の事だよクソ泣き虫のロリドラゴンめっ!!」
そう叫び声をあげる大飯喰らいの目の前には、怯えるように内股で地面にへたり込み震える銀髪で赤い瞳を持った小さな女の子が一人。
「ひぃっ!? そんな事言われても! た、食べないで下さい!」
かつてこの迷宮を支配したボスであり、全ての魔物の頂点であるドラゴン。その変わり果てた姿がそれだった。
「もうこの際見なかった事にしてやるからさ、お前もうドラゴンに戻れよ。俺が美味しく料理してやるから」
銀髪幼女に囁きかける大飯喰らいの目は据わっていた。割とマジだった。
「いやですよっ!? というか、戻りたくても出来ません」
対する竜の少女、当然の反応。ちなみに彼女の名はクエレブレと言うが大飯喰らいからはロリドラゴン呼びが定着しそうである。
「あん? 戻れないだ?」
「はい、ドラゴンの人化は不可逆なんです。一度人の姿になれば、もう二度とドラゴンの姿には戻れませんから」
「マジか」
コクコク、と頷くクエレブレ。長いので以後はエレと略すことにする。
「気付きませんか? 私の姿を見て」
そう問うエレに大飯喰らいは訝しみ。
「気付くと言われてもな……あんだけ厳つい顔したドラゴンが、またちんまいロリっ娘になったもんだとは思うが。あ、いや……ちょっと待て。お前のそのサイズはどう考えてもおかしい」
「その通りです。ドラゴンだった時と今の私、どう見たって体積差が違い過ぎる」
大飯喰らいの気付きに鷹揚に頷くエレ。
「消えた……捨てたのか? いやしかし、一体どこに」
更に訝しみを深める大飯喰らいに対し、エレはすっと自分の腹を指で指した。
「ここですよ」
「腹ぁ? いやまぁ確かに妊婦みたいな腹してるなとは思ってたが……まさか卵か? って、ああっ!?」
「気付かれましたね。ドラゴンから人に変わって、維持出来なくなり不要になった分の血肉や鱗。その全てが卵として体外に排出されたのです。私の後ろにも、沢山転がってるでしょ?」
自分の背後に目を向けるエレ、その視線の先には確かに仄かに光を帯びた白く丸い卵が大量に鎮座していた。
「まぁこれらは厳密には卵ではなく、私の力と肉の凝り固まった排泄物みたいなものでしょうけど……そして、このお腹に残るのがそんな私の最後の残滓です。私がこれまでドラゴンとして生きて来たモノの、本当の意味での残り滓ですね」
「そこまでして生き延びたかったのか!? ドラゴンとしての力を、生を、誇りの全てを捨ててまで!? 生き汚いにも程があるぞ!!」
「そんなの当たり前じゃないですか!! ていうかドラゴンの誇りってなんですか? そんな何の役にも立たないものを後生大事に抱えて死にたくないですよ私は!!」
鬼気迫るものを感じ……というかプライドも何もないエレの発言に大飯喰らいは自分の身体から一気に力が抜け落ちてゆくのを感じていた。
「ああ、そう……」
故に紡がれる呆れの色の濃い言葉。その様子が不服なのかエレはジト目で大飯喰らいをねめつける。
「というかですね、私をこんな姿にした貴方には是非とも責任を取って頂きたいのですが」
「責任ってなんだ責任って。嫌だよ、手前みたいな荷物持ちにもならなそうな幼女連れて歩ける程この業界は甘くねぇし」
「酷い!? 私の初めてを奪っておいて!」
「それは一体何の話だ!? だいたい人型になったのは手前の勝手だろうがっ! 単に生き延びたいってだけで自分の強みを簡単に捨てちまうような情けない奴……いやまぁ冒険者としては必要な覚悟っつーか、むしろ立派な心構えと言わざるを得ない……のか? いやいや自分から負けを認めてどうする」
「ふふん」
「ドヤ幼女顔で勝ち誇ってんじゃねぇよ、仮にも最強種の雌だった癖によぉ」
と、言った風に暫く二人の言い合いは続き……。
「……というか私、そんなに魅力ないですかね? これでもドラゴンの時は結構モテたんですよ? 雄ドラゴンにですけど」
やや威勢を弱めたエレが、けんもほろろな大飯喰らいに別の切り口で攻め始める。
「人基準で言おうなそういう事は。だいたい今のお前はただの乳臭いちんちくりんなロリっ娘だ」
だが大飯喰らい、取り付く島もなし。
「えー、人間にはそういう需要もあるんでしょう?」
「無いとは言わねぇが、少なくとも俺には無ぇよ」
「ぐぬぬ……あ、そうだドラゴン独自の技術である竜言語魔法だって使えますよ?」
そういうバトルスペックこそ冒険者に対しては最初にアピールすべきポイントだと思われるが、エレも大飯喰らいも気付いた様子はない。
「いらねぇよ、大体手前そのご自慢の竜言語魔法を駆使しても俺に手も足も出なかったじゃねえか。少なくとも俺レベルの戦闘じゃ役には立たんだろ」
「貴方が料理人の癖に強すぎるんですよ!? 私、貴方にボコボコにされるまではこのダンジョンに於いて無敗の女王だったんですからね!?」
実際大飯喰らいの強さは異常である。この世界の冒険者ギルドにランク制度などは無いが、仮にあったとすれば間違いなくS級という所であった。
「じゃあ今は一敗の女王てか」
「そういう揚げ足の取り方は良くないですよ! 女性はもっとミスリル細工のように丁寧に大切に扱って下さい!」
「だから手前の見た目は小生意気なガキンチョだっつってんだろ。それで貴重品扱いしろとか厚かましいにも程がある」
べっ、と舌を出しておどけるような仕草でエレを嗤う大飯喰らい、大概酷いやつである。
「貴方ほんとうに酷い性格してますね!?」
ぷるぷると震えながら涙を滲ませる瞳で大飯喰らいを睨むエレ。迷宮の主ドラゴンだった時の威厳など欠片もなく、そこに居るのはただの可愛い生き物であった。
「はー? 俺はこれでも紳士で通ってるんだぜ? 同族にはな!!」
ちなみに大飯喰らいはどちらかと言うと女たらしの部類であるが、間違いではない。
「だったらその紳士っぷりをもっと他種族にも振り撒いて下さいよ!」
「はっ……だが断ぁるっ!!」
まるで子供の喧嘩のようなやり取りであったが、少なくともエレにとっては命の懸かった真剣勝負だ。なにせ人型に変わったことでドラゴンとしての戦闘力・生命力の大半を喪失している。ここで大飯喰らいという最強の庇護者を得られなければ、早晩に迷宮内の生存競争に敗北し無様な骸を晒す事になるだろうから。エレは遂に奥の手を出すことを腹に決め、覚悟の表情を浮かべた。
「……私を囲う事には貴方がとても魅力的に思うであろう、大きなメリットがあるんですよ」
「ほう? なら教えてみろよ、そのメリットとやらを」
「いいでしょう。もう形振り構ってはいられませんからね」
最初から形振り構ってなかったと思われるだろうが、全くその通りで今更である。
「貴方が最初に言った通りドラゴンの可食部はとても少ない。特に迷宮産はその傾向が顕著、ですが一点だけ例外があるのです」
「なんだ? 喰われたくない死にたくないとか言いながら自分を食材としてアピールし始めたのか? だが生憎とそんなものは無ぇよ」
まるで人を馬鹿にしたような顔で言う大飯喰らいだったが、エレはそれ以上に不遜さを滲ませた顔で大飯喰らいを嗤う。
「……料理人の癖に、知らないのですか?」
「あ?」
エレの挑発にも思える発言と表情に露骨に顔を歪め不機嫌さを露わにする大飯喰らい。内心で「止めときゃ良かった」とか思い震えを抑えながら、それでもエレは不遜な態度を崩さずに、こう呟いた。
「……無精卵」
それはとても小さな声量であったが、大飯喰らいの耳は聞き逃さなかったようだ。息を飲み、顔を驚愕の色に染め。まるで石化の呪いでも受けたかのように動きを止めた。
「食べる所が少なく、食べられる場所であっても不味くて話にならない迷宮ドラゴン。ですが、そのドラゴンが産み落とす無精卵だけは、唯一の例外と言われている。それはまさに天上の恵みとも言うべき至高の味と謳われており……そしてそれは紛れもない事実です」
ここだ。そう思ったエレは一気に攻めに出る。
「私を連れ歩く。ただそれだけの事で、時価数千金貨とも言われる迷宮ドラゴンの無精卵を定期的に無償で手に入れられる。これにどれほどの価値があるのか、料理人を名乗る貴方であれば理解出来るでしょう?」
そしてニヤリと笑う。大飯喰らいは驚愕の表情を変えずに、しかし浮かんだ疑問をただ口にした。
「だがお前は、どうみたって初潮前のガキだろ……!? そんな卵を産むような身体には見えねぇ!!」
そんな大飯喰らいの疑問を鼻で嗤うエレ。
「ははっ、人間の基準で見られては困ります。これでも私、成熟したドラゴンなんですよ? 人型の容姿はそちらの趣味嗜好に沿う様に合わせただけです。さっき雄にもモテモテって言ったでしょ? もちろん無精卵だって産んでましたよ。そりゃあもう毎月のようにポンポンとひり出してましたね」
要するにはドラゴンにとっての生理である。雌として成熟し、成体となったドラゴンなのだから当然のこと。しかしそれにしても、もうちょっと言いようがあるだろうと大飯喰らいは思ったが、流石にそれを口にしないだけの遠慮はあった。
「もちろん相応に栄養状態が良い事が前提です。まぁ、この体ならそこまでは必要ないでしょうけど……人間の子供と同じ程度の食事でも問題無いと思います。それでも魅力がないと言われますか?」
勝った。エレは間違いなく勝利を確信した。それでも何か悩む様子を見せる大飯喰らい。
「た、確かにその通り……料理人としてもこの機会を逃すなんざ、有り得ねぇと思ってる。いやしかし、だからこそ……」
「? まだなにか葛藤する要素があると?」
「手前みたいなロリっ娘に施しを受けてると思うと癪に触る……!」
「そこぉっ!?」
なお、この後も実に下らないやり取りが幾ばくか続いたのだが結論としてはエレはその希望通り大飯喰らいの庇護下に置かれることとなった。主に希少食材の生産要員として。
◇
「んんっ……ああああああっ……! はぁっ、はぁっ……はい、どうぞご主人様。今月の上納卵です」
荒い息を吐き、上気した艶やかさと涙を顔に滲ませながらホカホカと湯気のたつ卵を差し出すエレ。それを苦虫を潰したような表情で受け取るのは大飯喰らい。
「誰がご主人様だ……つーか齢数百のドラゴンとは言え見た目は人間の幼女がそうしてるのは、なんと言うか……」
その先は色々と不味い。そう思った大飯喰らいは口を噤むのだが。
「年端も行かぬ容姿の女をあられもない姿で四つん這いにさせて、苦し気な表情の喘ぎを上げながら一所懸命に力んで自分の頭よりも大きな卵を、その小さな股座の穴から放り出させて……いやー、もう完全に幼女性愛持ちの性犯罪者の構図ですねっ♥」
「五月蠅ぇぇぇぇ!! 思ってても口にするんじゃねぇよ!!! ていうか何で毎回裸になるんだ!?」
「だって服が汚れたら嫌ですし」
「下着とスカートだけで良いだろうが!! なんで上まで脱ぐ!!」
「……ご主人様を誘惑したいから?」
「黙れぇぇぇぇぇ!!!!」
ホロウ「あー、明らかに人型の今のお前が卵産んで、それ食ったら勇者法に引っかかるんじゃね?」
エレ「リザードマン種やハーピィ種なんかの卵は無精卵に限り食用を可とするっていう法改正があったので大丈夫です!」